マガ9対談

その1その2


3月11日に東北・関東地方を襲った大震災。福島での原発事故を含め、あまりに甚大な被害と動き続ける状況とに、押しつぶされそうな不安が広く日本を覆っています。
その中で、私たちはこれから、何を考え、どう行動していけばいいのか。16年前の阪神・淡路大震災の際、被災地でのライブ活動を続けていたミュージシャンの中川敬さん、若者の労働問題などに取り組み続けてきた作家の雨宮さん、立場は違えどともに「行動」してきたお2人に、それぞれの経験と、今の思いを語っていただきました。

雨宮処凛●あまみや・かりん1975年北海道生まれ。作家・活動家。2000年に自伝的エッセイ『生き地獄天国』(太田出版)でデビュー。現在は新自由主義のもと、不安定さを強いられる人々「プレカリアート」問題に取り組み、取材、執筆、運動中。『反撃カルチャープレカリアートの豊かな世界』(角川文芸出版)、『雨宮処凛の「生存革命」日記』(集英社)、『プレカリアートの憂鬱』(講談社)など、著書多数。2007年に『生きさせろ!難民化する若者たち』(太田出版)でJCJ賞(日本ジャーナリスト会議賞)を受賞。オフィシャルブログ「雨宮処凛のドブさらい日記」

中川敬●なががわ・たかし1966年生まれ。「ソウル・フラワー・ユニオン」のボーカリスト。「ニューエスト・モデル」などを経て、1993年に伊丹英子らと「ソウル・フラワー・ユニオン」を結成。世界中の音楽を精力的に取り入れた「ミクスチャー・ロックバンド」として、国内外で高い評価を得ている。また、1995年の阪神・淡路大震災の際には、アコースティック・ユニット「ソウル・フラワー・モノノケ・サミット」として被災地を訪れ、避難所や仮設住宅でのライブ活動を行った。「ソウルフラワー震災基金2011」呼びかけ人の1人。

◆「新しい生き方」が求められる時代へ

中川
 今の段階(3/28)で、今回の震災に関して、被災地に入ってる仲間達と連携してはいても、俺の中で未整理なことも多々あって、とにかく「やれることをやろう」と、まずは後方支援として『ソウルフラワー震災基金2011』を立ち上げました。地震、津波、原発事故、余震、風評…、人類史上未曾有の状況と、乱立する情報に直面して、正直、俺自身、言葉を失っているようなところもある。総論としては、敗戦以来66年ぶりに、日本列島人みんなが「新しい生き方」を求められてる、ということは言えるやろうね。

雨宮
 新しい、というと、例えばどういうことですか?

中川
 持続可能な自然エネルギーへの移行、原発共同体を形作る政官学産の癒着構造の解体はもちろんやけど、例えば今、現段階で、日本人のメンタリティってここ数十年、あんまり変わってないなあ、と感じさせられることがたくさん起こり始めてる。例えば、例の「買い占め」。怒る矛先を見誤った、一億総懺悔みたいな風潮とか。放射能を恐れて疎開する人たちを「非国民」みたいに非難するようなことが起こったり…。

雨宮
 ありますね。今、あちこちで「震災切り」といって、計画停電で工場が止まったりしたために職を失った非正規雇用の人たちがたくさんいるんですけど、それに対する反対の声も大々的には上げられない空気を感じます。そんなこと言ったら、「被災地のことを考えろ、非国民!」みたいに言われそうな。

中川
 例えば、東京に住んでる人が、原発に近いところにいる人が避難出来ないのに自分が逃げてどうするねん、という感情を持つのは当然。でも、それはあくまで、一人ひとりが考えて判断すること。「考えて判断」出来ない子どもの分も、ね。だから、困難なことではあるけど、個人個人が然るべき情報を得て、自分自身で考えて判断出来るようになっていく。政治、官僚、学者、マスコミ…、誰かがどこかで答えを出してくれる、みたいな受動的な生き方では、これからの時代、立ち行かない。

 俺は、80年代に広瀬隆さんの『危険な話』を読んで、広瀬さんの講演とニューエスト・モデルのライヴを一緒にやったり、伊方原発調整実験反対のデモに参加したりとか、最近なら上関原発建設反対運動に関わったりしていたのにもかかわらず、ある意味、自分の中で、仲間内の中で「反原発」が当たり前になってしまっていて、果たして然るべき声を上げてきたのかという悔恨がある。俺らの世代——というか今の大人たちは、次の子どもたち世代に対して、そういった責任を今すごく問われているし、具体的なアクションが求められてるよ。

◆日本社会の「歪み」が、震災を通じて象徴的に出てきた

編集部
 原発事故については、現場で危険な作業にあたっている東電の作業員が、実は正規社員ではない、下請けや非正規雇用の人たちばかりだという指摘もありますね。

中川
 寄せ場とかで「仕事やらへんか?」と誘われた話は以前から聞くし、外国人が原発の危険な場所での作業員として雇われてる話も聞く。昔から、少なからず言われ続けている「原発ジプシー」の問題。

雨宮
 原発ですごく危険な仕事を、不安定な立場の人がさせられているという話は聞いていたけど、それが明るみに出たというか。しかも、今回の事故処理で被曝した作業員たちも「アラームが鳴ったけど誤作動だと思った」とか、明らかにまったく安全教育をされてないじゃないですか。長靴も履いてない人がいたとか。

 一連のニュースを見ていて、日雇い派遣の現場の話を思い出しました。本当はアスベスト処理なのに「アスベストではない」って説明を受けたり、同じ仕事をしていても所属してる派遣会社によって全然装備が違ったり。原発事故でも同じような構造だということには驚きました。ある意味、日本の労働問題の歪みみたいなものも象徴的に出てきたな、と思います。

中川
 しかも、これ以上状況が悪化しないように、彼らがまさに命を張って頑張ってくれてる。ただ、マスコミがそれを「美談」だけにして報道することで、彼ら自身、後戻りできなくなってしまう。責任感を一身に背負い込んで、追い込まれる中、「休みたい」という声すら出せなくなる。今まさに彼らの置かれてる状況が相当酷いというニュースもあるし…。

雨宮
 祭り上げて犠牲にしちゃうみたいな構図ですよね。

中川
 ツイッターでも、「昨日お父さんが福島第一へ行きました」とか、作業員の家族のツイートがちょくちょく回ってきてて、読んでて本当に辛い。みんなのかわりに危険な作業にあたってくれてる人たちがいる。

 あと、これは阪神淡路大震災のときによく感じたことやけど、震災ボランティアについての「美談」。ボランティアの多くは、本来、国や行政がやるべきことを代わりにやってるわけでしょう。それをマスコミが「美談」として取り上げて、国に異議申し立てすることなく、終わりにしてしまう。いいかげんにしろ、と思ったね。

雨宮
 派遣村とかもまったく同じですね。本来は、ボランティアがこんなことをやらなくて済むように、国とかがちゃんとやってという話なのに、助け合いが、絆が、日本人は美しい、みたいな話で終わってしまうと意味がない。

◆これは「長期戦」。誰にも必ず「出番」は来る

編集部
 さて最後に、ではここから私たちはどう行動していけばいいのか、ということを考えたいのですが…中川さんは今回の震災後、オフィシャルサイトで<満月の夕>のセルフカバー音源を無料公開されていますね。

中川
 今回の大震災が起こったとき、ちょうど、初のアコースティック・ソロ・アルバムを作ってる最中で、<満月の夕>もその中の1曲として、阪神淡路大震災の16年目の1月に録音してた新たなヴァージョン。まだ制作途中段階やし、初めはこの状況で音源をネット上にあげることに躊躇もあったんやけど、震災後にたまたま、YouTubeにUPされてる昔の<満月の夕>のライヴ映像のコメント欄を見たら、岩手の被災した人が「この曲を聴いて、地震が来てから初めて泣きました。緊張して気が張り詰めて、泣くことすら今まで出来なかった…。ありがとう」とコメントしてくれてて。それを見て、今聞きたいけど聞けない人がいるかもしれない、UPしよう、と。それが3月15日、震災から4日目。

 俺自身も、そのコメントを見て、涙が止まらなかったんやけど、泣けてちょっとすっきりしたというか、「よっしゃ、今の自分にやれることをやっていこう」って、次に行ける気持ちにさせてもらった。逆に元気をもらった。俺もちょっとナーバスになってたんやね。

編集部
 たしかに、直接の被災地ではない首都圏や関西にいてさえ、なんというか、すごいストレスに押しつぶされている感じがあります。

雨宮
 私は地震の次の日、親戚のおばさんを亡くしたんですね。直接震災によって、ではなく、東京の自宅で病気療養中だったんですが、容態が急変して。家族が救急車を呼んだんですが、地震翌日って交通渋滞もひどくて、救急車の到着も遅くて、間に合わなかった。

 それで、新宿でお葬式をしたんですけど、全然街に人もいないし、テレビでは原発がもう大変だし、そのうちにもどんどん死者・行方不明者が増えていく。そんな中での身近な人の死に対して、現実感がまったくないまま今に至っているという感じなんです。

 だから、多分被災地にいる人たちも、家族や友人が亡くなっても、目の前に現実とは思えない光景がある中で、変に実感がない状態が続いてるんじゃないかなと思うんです。それって、長く続くとすごく危ないんですよね。悲しいことに対しては、ちゃんと悲しむ時期が必要なのに、それも得られないままに来ている人がたくさんいるはずで…あとでどっと心の問題が出てくるだろうな、と思いますね。

中川
 今一番大事なのは、被災地に心を砕くこと。これは「長期戦」。「出番」はみんなにやって来る。だから、今元気のある人は、どんな小さなことでもいいから自分に何ができるのかを考えて、やれることをやっていく。で、今元気のない人は、まずは休んで、心を立て直して欲しい。

 一人ひとりが少しでも新たな未来につながるように動く、「生き方」を見つめ直す。簡単に希望を唱えることが出来る状況ではないし、言葉を失うような状況がまだまだ続いてるけど、やっぱり何としても、子どもたちのために、希望をしっかりと手繰り寄せること、…正直、今はこんな言い方しかできないけど…、また、この対談、数カ月経ったころに続きをやりましょう。

雨宮
 そうですね。そのころどんな状況になってるのかも、今は全然想像がつかないけど。

編集部
 「長期戦」ですものね。それまで、私たちもそれぞれに「やれること」を考えて、実行していきたいと思います。今日はありがとうございました。

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雨宮処凛さん×中川敬さん(その2)」 に1件のコメント

  1. magazine9 より:

    対談から約1カ月が経ち、
    先日、中川さんはバンドのメンバーらとともに被災地を訪問してきたそう。
    (様子はソウル・フラワー・ユニオンのツイッターで)
    それぞれがそれぞれに、「できること」を考え、行動に移していくこと。
    そこからしか、何も始まらないのだと思います。
    中川さん、雨宮さん、ありがとうございました。

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