マガ9対談

その1その2その3


世代も専門も違うお二人に、現在の日本が抱えている格差と貧困問題、
そしてこの問題と戦争との親和性について、語ってもらいました。

雨宮処凛●あまみや・かりん作家。1975年、北海道生まれ。愛国パンクバンド「維新赤誠塾」ボーカルなどを経て作家に。自伝『生き地獄天国』(太田出版)のほか、『悪の枢軸を訪ねて』(幻冬舎)、『EXIT』(新潮社)、『すごい生き方』(サンクチュアリ出版)、『バンギャル ア ゴーゴー』(講談社)、『生きさせろ!〜難民化する若者たち〜』(太田出版)など、著書多数。現在は新自由主義の中、生活も職も心も不安定さに晒される人々(プレカリアート)の問題に取り組み、取材、執筆、運動中。「マガジン9条」「週刊金曜日」「BIG ISSUE」「群像」にてコラム連載中。『雨宮処凛公式ホームページ』

森永卓郎●もりなが・たくろう経済アナリスト、獨協大学経済学部教授。1957年東京都生まれ。東京大学経済学部を卒業後、日本専売公社、日本経済研究センター(出向)、経済企画庁総合計画曲(出向)、三和総合研究所(現UFJ総合研究所)を経て2007年4月独立。テレビ番組のコメンテーター、ラジオのパーソナリティーとしても幅広く活躍中。近著に『平和に暮らす、戦争しない経済学』(アスペクト)、『萌え経済学』(講談社)、『年収120万円時代』(あ・うん)、『構造改革の時代をどう生きるか』(日経BP)など多数。『つながるモリタクBLOG』でも日々発信中。「マガジン9条」発起人の一人。

●年収120万円以下で暮らすということ

編集部
 お二人はそれぞれの立場から、「格差」と「貧困」問題について、発言してらっしゃいます。森永さんは、著書『年収120万円時代』『構造改革の時代をどう生きるか』などの中で、日本の経済政策と問題を指摘すると同時に、生き抜くための知恵もアドバイスしています。『120万〜』の本の帯には、「日本貧民計画進行中。何が何でも300万円は確保せよ!!」という刺激的なコピーもおどっていますね。
 雨宮さんは著書『生きさせろ!難民化する若者たち』を皮切りに、「マガ9」の連載コラムなど多数のメディアで、若者の生きづらさの問題とプレカリアートについて発言し、運動をおこし連帯を呼びかけています。実際に取材を通じて、若者の貧困層、不安定雇用について、いろいろなケースを取材してこられていますし、ニート・フリーターとの接点も多く持ってらっしゃいます。

森永
 年収120万円ってことは、月にすると10万ってことになりますが、雨宮さんの周りには、月収が10万円以下で生活している人、実際にどのぐらいいますか? 

雨宮
 たくさんいますね。例えば、最近聞いて驚いた話では、直接は会ったことはないんですけど、月収が8万の人がいて、普段はネットカフェに住んでいるんですが、週に3日はお金がないのでネットカフェにも泊まれず、夜中じゅう歩き、始発が出ると京浜東北線の電車に乗って仮眠をとる、という人の話を聞いたことがあります。あと月収10万ぐらいの人は、だいたい実家で暮らしていますね。だから、一応寝るところと食べるものはある、みたいな。親が生きている間はまだいいけど、お父さんが死んだり、働けなくなったら、自分も寿命っていう人、けっこういますね。そうなったら、自殺するか一家心中か、みたいなことを言う状況です。
 そういう人たちからは、やっぱり「希望は戦争」っていう声も出てきています。

森永
 戦争やろうって言うんですか?

雨宮
 そこまで追いつめられているということです。今年の『論座』の1月号に「『丸山眞男』をひっぱたきたい 31歳、フリーター。希望は、戦争。」っていう文章が載ったんですけど、その原稿を書かれた赤木智弘さんは、コンビニの夜勤を7年くらいやっていて、その7年間で時給は50円しか上がっていなくて、今、月収12万円ぐらい。実家に住んでるからまだ生きられていますが、親が死んだら死ぬしかないみたいなことを言っていますし、そんなことならいっそ「戦争」でも起こってくれたら、自殺するより戦場で名誉の戦死ができていい、というようなことも言っていますね。

森永
 でも12万だったらとりあえず、飯は喰えますよね。

雨宮
 ええ。ただ、そこは人としてのプライドの問題もあると思います。30代の働き盛りのはずなのに結婚もできない、周りの正社員は結婚もして子供もいるのに、自分は40になっても50になっても、この先も同じような待遇、7年働いて50円しか時給が上がっていないような生活をしなくちゃいけない。そこに不満というか、夢が持てないというか。だってもう正社員になれないじゃないですか、31歳にもなっちゃうと。

森永
 うーん。そうですよね。今、年収100万円台前半の結婚率って15.3%しかないですからねえ。

編集部
 雨宮さんは『生きさせろ』の取材の時、ずいぶんとそういった人たちを取材していますが、取材先を探すのに、困らなかったそうですね。

雨宮
 ええ。逆に、年収300万以上の人っていないですもんね、周りに。男性でも300万以上って、いないです。

森永
 私がテレビ神奈川でテレビの仕事を始めたのは、今から11年前なんですけど、そのときの仲間が、いま、だいたい年収100万円になっていますね。

雨宮
 それは、何をしている人たちなんですか?

森永
 例えばプロサーファーをやっているとか、映画評論家をしているとか、作詞家をしているとか、舞台女優をしているとか。そういった自由業の人たちっていっぱいいますよね。私は年収100万円くらいの人たちとも、ずっと遊んでいるんですが、と同時に、年収300億円くらいの人ともつきあいがあります。そこで、その両方を較べると、人間は金持ち過ぎちゃ不幸になるなと思うんですよ。でもね、最近の話を聞いていると、年収120万以下もやっぱり不幸ですね。

雨宮
 結局、年収100万でも楽しく自分の好きな仕事をしたり、暮らしている分にはいいんですが・・・。そうじゃなく、フリーターでしか生きられずに低賃金で、しかも30歳過ぎてもフリーターということで、バッシングされて、その上で多分生涯にわたって賃金が上がることはないだろうという、そういった絶望は、深いものがあると思います。
 実際、経団連が06年に出しているアンケート結果で、フリーターだった人を積極的に採用したい企業は、1.6%という数字があります。90年代前半以降においては、就職氷河期で、しかたなくフリーターになるしかなかった。にもかかわらず、フリーターだということだけで、もう企業は採用してくれない。だらしないダメな人ということで、正社員になれる回路が断たれてしまってる。

 そういった、フリーターと雇用主の間に理不尽な分断があると、ほんとに人は心を病んでしまいます。さらにバッシングは、心の傷になるし、人としての尊厳を脅かされてしまいます。

森永
 今はそうなんですよね。ただ年収100万とか120万という数字って、生きていくためにはそんなに低い数字じゃないんですよ、実は。昭和35年頃の普通のサラリーマンの給与って、そのぐらいですからね。私が子供の頃は、今の物価で考えて120万くらいの年収で一家喰ってたんです。

雨宮
 へえ!

森永
 私が子供の頃って、肉は一ヶ月にいっぺんくらいしか食べられませんでした。アイスクリームだって、ラクトアイスはあったんですけど、本物のアイスクリームなんて、食べる機会はなくて、父の転勤でアメリカに行って、初めて食べたんです。だから、まあ、庶民の生活は、そんなもんだったんですね。
 でも当時は周りもみんなそうだったから、それでやっていけたわけで、一般の人の年収がどんどん上がっていく中で、120万円だと貧困ということになってしまう。だって、中国なんか未だに農村いくと月給一万円いってないでしょう。

雨宮
 120万の価値って、当時と今とは何が違うんでしょう・・・今、私も関わっている「反貧困ネットワーク」*に参加している「自立生活サポートセンターもやい」*というところがあって、そこの事務局長の湯浅誠さんは「溜め」の必要性を言っています。「溜め」っていうのは、金銭的な貯蓄もですが、ホームレスになりそうなときにお金を貸してくれる友達だとか、親だとか、近所の繋がりだとか、を言います。
 となると、それはやっぱり「溜め」のちがいかなと。食べさせてくれる人とかの繋がりあると生きていけますよね。自分にお金がなくても、人間関係で生き延びていかれる、とか、ありますよね。

*反貧困ネットワーク…2007年9月、貧困の問題に取り組む市民団体や労働組合、学者や法律家などが集まり、人間らしい生活と労働の保障、貧困問題の社会的・政治的解決を目指して設立したネットワーク。雨宮さんが副代表を務めている。


自立生活サポートセンターもやい…路上や施設、公園などで暮らす、広い意味での「ホームレス状況」にある人々の自立を支援するNPO。連帯保証人の提供によるアパート入居支援や生活・福祉相談、生活保護申請サポート、交流サロンの運営などの活動を行なっている。

森永
 農村部とか、沖縄なんか特にそうなんですよね。「もやい」って、もともと沖縄に昔からある相互扶助金融システムのことですよね。みんなでちょっとずつお金を出し合ってプールしておいて、必要な人がそれを使って、それを後で返すというふうになっているんです。沖縄に移住した人の話を聞くと、なんかスーパーに買い物に出かけてもどったら、知らないオジさんが飯喰っているんだって、家ん中で(笑)。それでも怒らずに、まあ、じゃあ、一緒に食べますか? っていう文化があって飢え死にしないんですよね。でも都会だとそれが難しい。

雨宮
 先日、北九州でも生活保護を打ち切られた人が餓死する事件がありましたよね。いわゆる田舎と思われるところでも、そういった事件が起こってしまう。餓死については、「赤旗」の報道でこの11年で餓死者が867人という記事があって、すごいびっくりしたんですけど、やっぱり餓死するほどの社会状況になっているんですよね。

森永
 生活保護の認定をものすごく厳しくしましたからね。しかしこれはもうほんとに憲法違反なんですよ。10年前は、生活保護を受けていたのは、60万世帯くらいだったんですね。しかし今は、100万世帯を越したので、認定を厳しくしないと予算がはまらないということで、とんでもない認定をしているのです。普通の青壮年層、働ける年齢層だとほとんど認めてくれないですね。障害があるとか、高齢じゃないと受けられない。でも、だったら、何のために国があるのかわからないですね。国民が最後の最後に追いつめられときに、救いの手を差し伸べるのが国の役割なのに。

●日本人の意識は、いつから変わったのか?

編集部
 憲法25条(生存権)がまったく保障されていないということですね。こういった日本になったのは、いつごろからなのでしょうか? 何がきっかけで、弱者切り捨てといった、今の傾向が強くなっていったのでしょうか? 

森永
 そうですね。今のような状況を生み出した、一番根っこのところが何だったかと考えると・・・私は、日本人の意識が一番変わったのは、1980年代半ばだったと思います。
 その頃わたしは、経済企画庁というところにいたのですが、当時、プラザ合意*による円高というのがきて、円が急速に高くなったんですね。そのおかげで棚からぼたもちのように、日本人の所得が世界一になりました。このころ、毎晩議論していたのが「なぜ世界で一番所得が高いのに、ちっとも幸せじゃないんだろう」ということです。で、そのときの結論というのは、みんなが一律で豊かになったから幸せじゃないんだと。ぼくたちだけが豊かになって、周りがみんな貧乏であれば、幸せな気分になれるはずだ、と。

 それはアメリカもそうですし、アジアの国々もそうなんですけど、自分だけ金持ち、相対的に豊かというのは凄く豊かなんです。家のなかにいろんな使用人をつかえるわけだし、まるで貴族のような生活ができてしまう。でもみんな一律に所得が上がると、そういう風にはならない。例えば日本社会は戦後、ほぼ全てのお家に、お手伝いさんはいなかった。でも、今、金持ち階級には、みんないるわけです。六本木ヒルズに住んでいる人たちなんか、出前とらないそうなんですよ。出前じゃなくてシェフが家にやってくる。昔、誰かから聞いたんですけど、美空ひばりさんのところへいったとき、寿司食べるか?っていうから、出前でもとるのかとおもったらすし職人が来た。そんな「ひばり伝説」みたいなことを、今、金持ちたちはやってる。


プラザ合意…1985年、ニューヨークのプラザホテルで開催された5カ国蔵相会議で成立した合意。ドル高是正のために各国が協調して介入を行なうと定めたもので、これによって急速な円高ドル安が進行した。

雨宮
 へーえ。ヒルズ族は、今、そんなことをしているんですか!

森永
 しかし彼らと話をしていて、貧しいなぁと思うのは、話題といったら、節税とインサイダー取引と合コンしかないんですよ。

雨宮
 合コンがあるだけまだ救いかもしれないですね。

森永
 でも合コンでも何かこうトークの能力で、自分がパートナーを得ようとはしないんですね。もう金の力なんですよ。500万の時計を毎日プレゼントするとか。

●新自由主義は、どのように日本に入ってきたのか

雨宮
 私、日本がなんでこんな社会に、いつからなったんだろうと、ずっとわからなくて、いろいろ調べたり考えたりしてきたのですが・・・一番びっくりしたのは95年に日経連が出した、「新時代の『日本的経営』」*というのがあって、そこで、働く人たちを、
 1)長期蓄積能力活用型、2)高度専門能力活用型、3)雇用柔軟型、と3つに分けていたんですね。そういう意図的な財界の提言があったのだということ、昨年ぐらいまでまったく知らずにいたのですが、フリーターの集会で知って、凄くショックを受けました。
 私自身がかつてフリーターだったというのもあるんですけど、やっぱり雇用柔軟型というのは、すなわち生死柔軟型であって、生きるも死ぬも柔軟型ということでしかないように思います。この新自由主義的な流れって、いつごろから始まったんでしょうか?


新時代の『日本的経営』…1995年5月、雇用や人事、賃金、労使関係のあり方などについて、日本経団連がまとめた報告書。

森永
  一番最初は、1979年のサッチャー政権ですね。それまでのイギリスって「ゆりかごから墓場まで」という福祉政策をずっととってきたんです。それで経済が停滞して、「これじゃいかん」というので、サッチャーが金融ビッグバン*をやるんですよ。それまでイギリスというのは、ある意味で身分社会、階級社会で、一般庶民は中流のところに固定されていたんです。
 ところが金融ビッグバンによって、若者が金融の世界へ入りこみ、ばくちの世界なので、一夜にして大金持ちになれる。そういう若者がいっぱい、それもとんでもない大金持ちがたくさん出てきた。それを見て、なんだあれは?!っていってみんながとびついていっちゃった。

 でも、そこで成功する人というのはほんとに一握りです。結局その結果、イギリスで何が起こったのかというと、もう二度と這い上がれない低賃金層というのがたくさん生まれるんですね。ポリー・トインビーという女性のジャーナリストが、身分を隠し低賃金労働の世界に入りこみ書いた体験ルポ『ハードワーク』*という本がありますが、まさにあそこに描かれている世界がイギリスの一般庶民の姿なんです。働いても働いても上の世界へと抜け出すことができない。毎日クタクタになるまで働き、家に帰って寝るだけなので、先のことなんて考えられない。

 でもそこで彼女が奇蹟のような連係プレーを作るんです。それによって、仕事の効率が上がり、みんな家に早く帰れるようになるんですけど、そこでふっと気づくのは、彼女が今よりちょっとでもいい仕事につくためには、仲間を裏切らないといけないということです。誰か一人が抜けると、今のうまくいってる連係プレーががたがたにくずれてしまう。まさに、弱肉強食の世界が作り上げられていた、というあたりまえの話しなんですけど、それにしても、ものすごく大きな格差がつきます。大体100倍くらいの年収の差が普通につくんです。それもほんのちょっとした差で、凄く大きな差がつくんですよ。


『金融ビッグバン』…1986年に英国で実施された大規模な証券市場改革。証券売買手数料の自由化、取引所会員権の開放などの施策により、証券市場の活性化を狙った。日本でもこれに倣い、1996年から金融ビッグバンと呼ばれる大規模な金融制度改革が行なわれた。


『ハードワーク』…英国の新聞「ガーディアン」の女性記者が、低所得者層向け住宅に住みながら、清掃や老人ホームでの介護補助、ケーキ製造など、最低賃金の職を転々とした体験を綴った潜入ルポ。

雨宮
 イギリスは、どのような政策によって、そういう風な固定化が進んだんですか?

森永
 それはもう徹底的に、「小さな政府」による「規制緩和」です。全部民間に任せたんですね。電気通信の民営化にはじまって、金融の規制緩和を行なって、とにかく「政府の役割」というのをどんどん否定していって小さな政府づくりをしました。刑務所も民営化して、一番凄かったのは、イギリス空軍の飛行機が宅配の荷物を運ぶんです。

雨宮
 ええっ?!

森永
 まあ、合理的っていえば、合理的かもしれないですけど・・・。

雨宮
 そういう思想の背後には、どんな経済学者がいたのでしょうか? 誰ですか?

森永
 誰というのはよくわかんないですけど、アメリカにシカゴ学派というのがあって、なんでもかんでも「市場原理」という人たちが、たくさん出てきました。誰かがが主導したというよりは、みんなそっちに傾いちゃったんですよ。

 世界恐慌が1930年代に起こるんですけど、そこで支持を得たのがケインズだったんですね。ケインズの経済学というのは、大不況が来てみんなが失業しているときに、失業者というのを放っておくのは、社会にとって大きな無駄だ。失業者は、何も作らず、何も買わないわけですから。だから公共事業を立ち上げて仕事を与えて、その人たちに所得ができればお金が使えますから、その金が巡り巡って経済を拡大していくという思想でやってきたんですね。

 ところが、1970年代からの世界的な石油ショックの後、世界的な不況が来て、ケインズの経済学ではうまくいかないんじゃないか、というなかで、新自由主義の背景になる新古典派経済学というのが出てくるんです。

●自分の利益優先「新古典派経済学」

森永
 実は、新古典派の経済学というのは、頭の中で行なう一種の思考実験だったんですよ。どういうことかというと、経済学をシンプルに使うために、ものすごく強い仮定を置いたんですね。それは、「社会の構成員は、自分のことしか考えず、他人の幸せとか一切考えない」そして「全ての人がものすごくエゴイスティックで、自分の利益だけを優先する」という条件で、「全ての経済主体が行動すると、どういうふうに社会はなるのだろうか」という経済学を考えたんです。

 そのように考えるのが一番単純なんです。なんでかというと、愛とかって(取り扱いが)難しいんですよ。たとえば、道ばたで苦しんで、お腹抱えているときに助ける人も助けない人もいるし、それから助けられやすい人とか、助けられにくい人とか、いろんなパターンがあって、それを単純に理論的に分析することはできないでしょう。でも自分の利益だけを考えるというのは、理論上凄く取り扱いやすいんですね。それで出来上がった経済学というのが、新古典派だったんですけど、何を勘違いしたんだか、それがどんどん進んでいくうちに、それが正しい世の中だって“思い込んじゃう馬鹿”が出てきたんです。

編集部
 もともとは、学問上の極端な思考実験だったのに・・・。

森永
 だからちゃんと大学行って勉強しなかったんだと思うのだけれど、それが正しいと思っちゃったんです。で、もっと悪いことに日本で官僚とか、大企業のエリートとかは、みんなアメリカあるいはイギリスに留学するわけです。ローマ大学とか、コンセルヴァトワールとかそんなとこに留学したなんて、聞いたことないでしょ? で、新古典派のそういう経済学を学ぶわけです。で多分、英語もちゃんとできなかったと思うんですけど、そいつらがさらなる勘違いをするんです。

 私は「曖昧な優しさの社会」っていっているんですけど、日本社会や日本人というのは、その曖昧さを計って、あんまり入り込むわけじゃないけれども、常に周りを気にかけてて、困ったらすっと全然関係ない人が手を差し伸べてくれるっていうような、社会だったんですよ。でもそれは、彼らがイギリスやアメリカで学んできたような経済学や社会とは、合わないわけですよ。新古典派経済学で言っていることと、日本の経済や社会は違うと。で、なぜ違うんだろう? それは、日本の社会が間違っているからだっていう、大きな勘違いをするんです。

編集部
 違っていてあたりまえなのに、勘違いした結果・・・

森永
 「構造改革」を行わなければならない、と言い出すわけです。新古典派型の社会に転換するための「構造改革」です。

編集部
 小泉政権のキャッチフレーズだった、そして今も盛んに言い続けられている「構造改革」ですね。

雨宮
 でも、それをやったからといって、イギリスでも日本でも、もうこれ以上は経済成長できない、という状況なんじゃないですか?

森永
 「構造改革」をやると、確かに経済成長率は、少しは上がるというのは、事実です。でも果たして本当に真の意味で経済が拡大したのかっていうのは、私は大きな疑問だと思っているんです。例えばアメリカが新自由主義を取り入れてどうなったかというと・・・昔、アメリカはテレビも作っていたんですよ。今もう影も形もないですよね。世界最強だった自動車産業もガタガタになっています。そして何が劇的に育ったかというと、金融と情報とエンターテインメントなんですね。私、“水商売”っていっているんですけど。特にその金融の力というのが圧倒的に大きくなっていくんです。で、どうやってもうけるかっていうと、典型は、ハゲタカファンドのパターンなんですよ。

 みんなが真面目にきちんと一生懸命働いて作り上げた世界に、金の力で突然株を買い占めて、おれが支配者だと、会社は株主のモノだと言ってくる。そして、みんなが大切にしてきた資産というのを、簡単に売り払って、金に換えようとするんですね。それを株主に配当する。で、会社の経営陣や社員たちが、「やめてくれ、助けてくれえ」っていうと、それを助けようとする人が現れ、その人に高値で売って、逃げていくわけです。

 だから、もうイナゴの大群がだーっと世界中を飛び回るようにして、ぺんぺん草も生えないような状況で世界を席巻していく。それが日本にもやってきたってことです。しかし、新古典派経済学が正しいとする彼らの思想の中では、それは正しいことなんです。

●労働者は人ではなく、いつでも取り替え可能な労働力

雨宮
 日本にそういう考えが入ってきた結果、人件費が削られ、どんどん非正規雇用に置き換えられていくわけですね。そのなかで非正規雇用の人は、現在1670万人といわれています。70年代から始まったそういう流れのなかで非正規雇用が増えていったわけなのに、フリーターはだらしないから正社員になれないのだ、といった個人に対してのバッシングがあります。経済学者というのは、働く人たちのことを、どんな風に考えているのでしょうか?

森永
 新古典派の経済学者などは、彼らは単に「労働力」だと思っていますよ。今までの日本社会では、「労働者」でした。働く一人ひとりが人間だったんです。でも今、非正規の社員や日雇い、アルバイトといった人たちのことは、人間だと思ってないんですね。道具なんですよ。使うだけ使い倒して、壊れたらポイと捨てて新しいパーツをパチっとはめればいいと思っているんです。その根っこは何かというと、「自分さえよければいい」という考えで、「自分と自分の仲間」だけが、「人間」なんですよ。

編集部
 「自分さえ良ければいい」というのは、新古典派経済学の元となる考え方でしたね。

雨宮
 そんなことを知らずに、フリーターとかをバッシングしている人たちについては、森永さんならどういうことを言いたいですか。

森永
 私は、みんな同じ人間なんだから、他人のことも考えましょうよ、と思います。根っこところは全部そうなんです。「自分のことしか考えない」のは、すごく人間的に貧しい人たちだと思います。なんで人間が社会を作っているのかっていうと、お互い支えあうためで、お互いの人権を尊重して、みんな幸せに生きていきましょうね、と思う心が、一番のベースになるべきなんですね。 

 ただ、ずっとそうじゃないかなって、思ってきたことがあって・・・。私は、小学校一年生のとき、父が新聞記者だったんで転勤でアメリカに連れて行かれ、その後、小学校四年生のときに、オーストリアのウィーンにまた引っ越し、そこからスイスのジュネーブに一年いたんですよ。私が住んでいた頃というのは、日本人なんていなかったんです。日本人学校もありませんでした。アメリカへ行った時は、日本人の海外渡航自由化初年度ですから。でそのなかで、あのときからあったんだなと思うのは、ものすごい差別なんです。黄色人種に対する差別は、ヨーロッパだと、黒人より下です。で、子供ってある意味ですごく残酷ですから、ストレートに差別をぶつけてくるわけです。それで、何が辛かったかというと、言葉がわかるようになればなるほど、いかに自分が“違う種類の生き物”として扱われているかということが、手に取るようにわかってくるんです。

 それが経済の世界にも取り入れられて、同じ国の人間でも、白人同士でも差別が生まれ、そういう差別を作る、ということが、強く社会の中に持ち込まれてきているなあと。日本にはこれまでそういった差別はあまりなかったんですけれど、それが急速に出てきたのが小泉内閣になってからですよね。

雨宮
 フリーターと外国人労働者の枠に区切りがなくなっているというか、ほんとに日本の若者が外国人労働者化しているという。以前だと、日本人の成人だったらそこまでひどい目にあうことはなかった、ったていう気がするんですけど。一気に進んだなっていう気がします。もちろん外国人労働者の、例えば外国人研修生の人権無視の問題などは別問題として重要なことですが。

森永
 新自由主義者っていうのは、みんな外国人労働者の導入に賛成なんですね、基本的には。なぜかというと、新古典派の経済学ってすごく単純な経済構造を前提にしていて、労働力と資本の組み合わせで、付加価値を生んでいるんです。利益とか人件費とかもそこから出て来るんですけれども、労働力を増やせば増やすほど生産は増えていくわけです。資本を増やせば増やすほど生産も増えていく。だから基本的には頭数を導入すりゃいいんだと。で、そこでどういう資本と、どういう労働力を組み合わせるかっていう判断をする経営者が、付加価値をつくるって思い込んでいるんですね。

 でも現実に会社が利益を出すっていうのは、現場の人たちがね、必死になって働いてどうやったら売れるのかとか、どういうふうに製品を改善したらいいかという現場の努力というのが、実は利益の大部分を作り出しているんですけれども、そんなこと考えていないですよ、彼らは。だから利益は、経営者のモノで従業員はただの道具。だから、働く人を動かす時は、労働力を売り渡すための対価を払えばいい。で、それは、安ければ安いほどいいんです。

●構造改革を大歓迎する人たち

編集部
 その「構造改革」を一気に推し進めたのが、小泉前首相ですね。

森永
 小泉さん自身がやろうとしたわけじゃないと思います。あの人は、一言でいうと“アーティスト”ですから、「改革すれば成長できる」とは、深く考えてないんですね。大部分は、竹中平蔵氏だと思うんです。その竹中さんの後ろには、アメリカがいるわけですけど。

編集部
 今、その「弊害」が、ずいぶん出てきていますよね。格差の問題もそうですけど。

森永
 でも、その「弊害」という言葉は、庶民の視点からみたことなんですよ。勝ち組の方から見ると、弊害じゃなくて多大な成果を残しているということなんです。こっち側だけから見ていると、なんか悪いことのように見えるんですけど、まぁ、悪いことなんですけど、逆の立場からいうと、ものすごくいい、大いなる成果なんです。

 例えば、東京プリンスホテルに今度新しいタワーというのができたんですけど、そこのスイートルームは、一泊99万円なんですって。で、なにがすごいかっていうと、私見たわけじゃないですよ、一度行きたいと思っているんですけれど、取材費が足りないんで行けないんですけど、そのスイートルームには、メイドさんの部屋があるんですって。

雨宮
 アキバのメイドカフェじゃなくて?

森永
 アキバのコスプレのメイドさんじゃないですよ。本当のメイドさんのための部屋がついているそうです。考えられないことですよ、今までの日本だと。

雨宮
 考えられないです。

森永
 もう既にそういう世の中になっているんですけど、あんまり見えてこないんですよ。だから庶民は、ワーキングプアが増えているその反対側で、何が行なわれているか、というのを正確に知らないんですね。

編集部
 知りようがないし、伝えられてきていないというのがありますね。

雨宮
 勝ち組の人は、小泉内閣が戦後日本で最高の、一番いい内閣だったといいますからね。びっくりするんですけど、そっちから見るとほんとにそうなんですね。

森永
 そうなんです。彼らにとっては、本当にいい内閣です。それでね、これもほとんどメディアには出てこない話なんですけれども、失業者の反対側に、働いていない人というのが、たくさんいるんですよ、今の日本には。その人たちは株を山のように持っています。この5年間で、企業が株主に払う配当金は、3倍に増えているんです。ということは、彼らは5年で所得が3倍になっているってことなんですよ。まったく働いてないくせに。

 私、基本的に働かない人は、嫌いなんですね。働けない人は別にして、やっぱり人間は、「働いて飯を食う」というのが基本だと思いますから。でも、今の日本には、働いていない奴らがいっぱいいて、巨万の冨を手にしているのです。

雨宮
 その一方で、働きづくめなのに、喰えない人も増えているという・・・。

森永
 彼らが利口なのは、メディアには決して出ないんですよ。出ましょうよ、といっても、「何のメリットがあるんだ?」と言いますから。

編集部
 出てきたら反感買いますからね。その人たちは株の所得者ということですか? いわゆる不労所得がたくさんあるということですよね。

森永
 株主というのはあまり正確じゃなくて、株の他に、例えばビルのオーナーとか不動産をたくさん持っているとか。いわゆる資本家です。今までは、あまりいなかったんですよ、日本には。

雨宮
 それも新自由主義的なものでどんどん増えていったんですね。

森永
 そういう人たちが次々と生み出されていったというのが、構造改革、弱肉強食の新自由主義の成果なんです。だからごく一部の資本家を生み出す一方で、一般庶民をどんどん低所得者に落としていく。

雨宮
 小泉さんのうまかったところは、若者に対して、自分も「勝ち組」になれるんじゃないかと、錯覚させてしまったっていうところですね。

森永
 そうなんですよ。今、大学で教えているんですけど、うちの大学って、ざっくり言うと偏差値50の普通の大学です。今、普通の大学なんか出ても勝ち組なんかには、なれないですよ。ゴールドマンサックスに就職できるわけじゃない。そんな彼らに聞いてみたことがあるんです。「一発大逆転はないんだけど、終身雇用のある安定した世の中と、一夜にしてホリエモンが生まれるような弱肉強食社会とどっちがいいですか」って。そうしたら、大部分の学生が、弱肉強食の社会を選ぶんです。なぜだかわかります? 

雨宮
 わからないです。

森永
 普通の今までの日本社会だったら、もう偏差値50の大学出たって勝ち目はないわけですよ。だけど、もしかしたらホリエモンになれたら、将来の希望が持てるかもしれない、でもね、なれないんですよ。しかもそもそもホリエモンは詐欺師だったわけですから。

 「日刊ゲンダイ」の元編集長が、今の日本社会は「パチンコ型社会」だという名言を残してます。パチンコをずーっとやっていたら負けるのはわかっているわけです、平均としては。でも何で行くかっていったら、一発あてたら5万から10万になるという頭が、みんなにあるからで。だからみんな毎日毎日通って、ただでさえ貧しいのに、もっと貧しくなっちゃうんですね。

雨宮
 今のパチンコの話しで思い出したのは、「もやい」でネットカフェ難民のひとたちに生活保護を受けさせて自立させるっていうサポートを行なっているのですが、やっぱりネットカフェ難民で、自分で自立できた人って全然いなくてという話を聞きます。日払いの仕事に行っているので、それを週給にすることも月給にすることもできないので、前家賃もたまらないから、敷金も礼金もない物件にすら入れない。でも唯一脱出できた人は一人だけいて、その人はパチンコで大勝ちしたからなんです。それでアパートに住むことができたという人なんですけれど、本当にレアなケースとして一人だけいたんですけど。

森永
 だからね、私は健全ではないと思うんです。やっぱりきちんとみんなが働いて、まじめに働いた人は、報われる社会にしないといけないんだけれども、新自由主義の思想は、それとは全く逆の方向に行っていて、働く人というのを、道具にしちゃっているんですよ。

雨宮
 私は過労死や過労自殺の取材もしているんですが、非正規の人も正規の社員も両方大変な世の中になってしまっています。非正規の派遣社員であれば、派遣会社にとっては派遣先がお客さんなので、派遣した派遣社員を、「もうなんとでも使ってください」みたいなことを言って、めちゃくちゃな長時間労働させられて過労自殺してしまったというケースもあれば、フリーターの人が製造業で「派遣・請負だから」と危険な仕事やらされて、事故で死んでしまった例が、かなりあるんですよ。

 正社員は正社員で、成果主義やノルマに忙殺され、給料も裁量労働制とかになって、残業しても残業代出してもらえてなくって、50万くらいの手取りだったのが、残業代が全部カットされて、手取りが14万ぐらいになった人もいる。

 こなせるわけないノルマを課せられて、長時間労働で亡くなってしまった人のようなケースを見ていると、ほんとに究極の使い捨てで、もう殺すまで働かせるというか、そしてそれをある種容認している社会になっているし、過労死が出ても企業に罰則というものが全然ないですよね。それには、本当にびっくりします。過労死させた会社に対して、法律においても、社会的にも、バッシングされないし、こんな、労働者の使い捨てが、容認されている社会が、ほんとに不思議でたまらない。ちょっと前の日本だったら、絶対今のようなことには、なっていなかった、そう感じています。

その2へ続く→

 

  

←「マガジン9」トップページへ   このページのアタマへ↑

マガジン9

最新10title : マガ9対談

Featuring Top 10/65 of マガ9対談

マガ9のコンテンツ

カテゴリー