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2010-05-19up

Kanataの「コスタリカ通信」

#007

コスタリカ大学で起こった乱闘事件

 グアテマラ旅行から帰国して約1カ月が経ちましたが、4月はコスタリカ大学での事件やデモが多い月でした。今回は、コスタリカ大学での乱闘事件について触れたいと思います。

 4月12日、学生のために運行されているバスの運転手からコスタリカ大学職員が賄賂を受け取ったとして、その職員を捕まえるために大学構内にOIJ(司法警察)が侵入しました。コスタリカの警察はふたつに分かれていて、ひとつは治安を守るための警察でもう一つは司法警察(Organismo de Investigación Judicial=司法捜査機関)と呼ばれ、裁判所と密接にかかわり、事件の調査を行う刑事のような役目を果たしています。

大学構内に貼られている、オスカル・アリアス大統領の政策に反対するデモへの参加を促す張り紙。

 容疑者である職員を逮捕するのを見ていた別の大学職員は「許可を得ずに大学構内に侵入したOIJは大学の自治を侵害している」と大きな声で叫びました。一連の動きを見ていた学生たち、職員たち約200人が警察ともみ合いになり、30分間乱闘が起きた結果、3人の学生と2人の大学職員(1人は教授)がけがをして、逮捕されました。法律学部の学生代表のウィリーさんは歯を2本失ったそうです。そして、その日の午後4時頃から、大学前の道路にて、学生の団体が道路を封鎖し、抗議が行われました。6時頃に一度終了しましたが、その後覆面を被った人々がごみを燃やし、報道陣や警察に対し石を投げつけるという行動を起こしました。
 大学長は「大学の自治」を訴え、逮捕をするのは大学構内である必要はなかったはずだと訴えました。これに対しOIJの代表は逮捕のために大学に許可なく侵入することは違法ではないと訴え、逮捕した5人を公務執行妨害で告訴する考えも発表しました。裁判所はこの訴えに同調しましたが、大学長はこの決定をあまりにも権力的な決定であるとし、反対しました。木曜日になっても100人ほどの学生たちによるデモは続き、OIJに扮し逮捕劇を再現するなどしてOIJ代表の辞任を求めました。

これも、構内にあった張り紙。「大学の自治」のためのデモと書かれている。

 結局、大学長、OIJ代表、裁判官たちにより、数日後に何度か会議が行われたのち、裁判所は乱闘事件の調査をきちんと行うこと、大学長(四つの公立大学)のグループをつくり、コミュニケーションの体制を強化することが決定されました。しかしいずれの会議にも学生代表は呼ばれずに決定がなされたのです。 

 今回の事件の経緯を新聞で読んだり、コスタリカ人の友人と話したりしていく中で自治ということに関してとても考えさせられました。「自分たちの考えを発していく」という学生や職員の姿勢、国立大学の学長であるにも関わらず、裁判所に対して、抗議をしつづける姿勢を変えない学長の姿勢、そしてそれに対して決定を少しずつ変える裁判所の姿勢はやはり日本にないものだと感じました。日本人の感覚としては、デモなんかしても上の人の姿勢や政策は変わらないというどこか諦めに近いものがあるような気がします。今回の沖縄の普天間返還問題についても、9万人規模の県民大会などの反対運動の高まりがあったにもかかわらず、その後に政府が県内移設の方針を示したことにはがっくりと肩を落としてしまいました。
 今回のOIJの行動が非常に暴力的であったことは間違いないと思います。そして、それに対してしっかりとした調査もなしに、OIJの行動を支持した裁判所もとても権威的であったことも間違いないと思います。

スペイン語のクラスで行われたそれぞれの国の料理を紹介する会。フィリピンの鶏肉、ヨーグルト、パイナップル、オレンジの入ったサラダやカナダのサーモンやドイツのビールなどが並んだ。

 一方で、学生の動きに対しても賛同しきれない部分もあります。汚職行為を行っているという疑いのある人物の身柄を拘束するためには、時と場所を選べないこともあると思います。
 また、学生は大学職員とともに「大学の自治」を訴えましたが、今回の一連の動きの中で学生側と学長とのつながりというものは新聞上では報道されていませんでした。そう考えると裁判所が聞き入れようとしている学長の意見と学生の意見は異なっているのではないかと感じられました。さらに、わたしには学生がなぜ「学生の自治」を訴えずに「大学の自治」を訴えるのかということが疑問でした。「大学の自治」と「学生の自治」とは同じものなのでしょうか。
 新聞記事を読んでみても、学生独自の意見というものは見当たらず、権威的なOIJを批判するものか、ただOIJの権威を傷つけたいだけだと学長を批判するもののどちらかに分かれていたように感じられました。
 しかし、私はこのように考えています。そのどちらでもなく、「大学側が期待する学生」の枠を超え、大学側の動きに対して常に注視・監視し、自分たちなりの行動を行っていく、新たな考えや動きを見出していく、それが「学生の自治」なのだと思います。だから今回の事件に関して、大学側の動きに対しても国の動きに対しても、学生の立場からの視点で自治を語る意見があまり見られなかったのは残念でした。

授業のあとに行ったBarでの一枚。ビールがとても大きい!飲みきれない!この量のビールを真昼間から学生たちが飲んでいる。

 コスタリカ大学の学生や語学クラスの先生に意見を求めると、「今回の事件で初めて、学生たちは『自治』ということについて考えたんだと思う。だから、『大学の自治』と『学生の自治』に違いがあると考えている学生はほとんどいないと思う」という答えが返ってきました。また「事件当日の学生の動きなどに対して不満を持った学生たちも多く、彼らはネット上で『コスタリカ大学の学生だけど、今回の事件には興味がない』という意見を示す人も多い」とも言っていました。
 日本で通っていたわたし自身の大学でも、学生が意見を発するための構内に立てる看板はすべて大学側のチェックが事前に必要で、きれいに整備された大学構内を警備員が常に歩きまわっているという状況があります。しかし、その状況に対して「自分たちの自治が侵害されているかもしれない」とは考えたことがない学生がほとんどだろうと思うし、わたしもその一員でした。知らず知らずのうちに「もの分かりのいい学生」になってしまっていたように思います。
 この事件をきっかけに、学生たちが国や大学の立場に寄り添ったり、「自分には関係ない」と考えることをやめてしまうのではなく、学生としての考えを発展させていくといいと思います。そして、わたしたち日本の学生も考え、動かなくてはいけないと改めて考える一件でした。

隣町で行われていた蘭の博覧会に行ってきたときの写真。世界中にある25000種の蘭のうち、1300種がコスタリカに生息しているらしい。係員のおじさんに「なぜですか?」と聞くと「コスタリカが特別だからだよ!」と笑顔で応えてくれた。

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日本では、語られることさえまれになった「大学の・学生の自治」。
それどころか、大学と警察が結託しているケースさえある! ことを、
以前に松本哉さんがコラムで書いてくれていました。
大学の、そして学生の「自治」とはどうあるべきなのか?
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KANATAさんプロフィール

Kanata 大学を休学して2010年2月から1年の予定でコスタリカに滞在。日本の大学では国際学部に所属し、戦後日本の国際関係を中心に勉強をしている。大学の有志と憲法9条を考えるフリーペーパー「Piece of peace」を作成し3000部配布した。
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