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2011-06-01up

B級記者どん・わんたろうが「ちょっと吼えてみました」

【第49回】

もし国歌が君が代じゃなかったとしたら

 卒業式や入学式で「君が代」を起立斉唱させられることに反対して、訴訟を起こしている公立高校の先生たちに尋ねたことがある。「もし国歌が君が代じゃなかったとしたら、皆さんの対応は変わるんでしょうか」と。

 「私たちは、何より『強制されること』に反対しているんです。それぞれの歌に対する思いは、人それぞれ。だから、国歌が君が代だったとしても、君が代じゃなかったとしても、さまざまな内心の理由で起立できない人に対する強制を許さないことは共通しています」

 確かに原告の多くは、天皇崇拝の意味合いが強く戦前の軍国主義を象徴するとして、君が代の歴史的な背景を憂えていた。不起立の理由に、「戦争をする国づくりへの危機感」を挙げたり、「教え子を戦場に送りたくない」と語ったりする人もいて、「君が代だから裁判沙汰になった」という報道が当然の如くされてきた。でも、それ以前に「強制」への疑念と反発が出発点だと聞いて、先生たちの訴えに共感できたのを思い出す。国歌が何であれ、思想・良心の自由を定めた憲法19条を侵すことには反対する、との主張が一貫していたからだ。

 もう忘れられたかもしれないけれど、1999年の国旗・国歌法成立にあたって、野中広務官房長官(当時)は「強制的ではなく、自然に哲学的に育まれていく努力が必要」と語った。2004年の園遊会では、天皇陛下自ら、学校での国旗掲揚・国歌斉唱について「やはり、強制になるということではないことが望ましい」と述べた。起立斉唱の職務命令を出し、それに従わなかったからといって先生を処分するのが当たり前になった今日の流れは、明らかにこれらに反している。

 君が代斉唱時の起立の強制を推進したのは東京都教育委員会だった。2003年に通達を出して以降、起立しない先生への処分はエスカレートし、停職者まで出た。そして、それに輪をかけるのが大阪府の条例案である。府立学校と府内の市町村立学校の行事で国歌斉唱をする際には、「教職員は起立により斉唱を行うものとする」と明文化する。「職務命令違反」ではなく、ストレートに「条例違反」で処分ができるようになるのだ。大阪府はご丁寧にも、何回起立しないと懲戒免職といった処分の基準まで条例にする方針と報じられている。今回の条例化の段階で、府教育委員会さえ否定的な見解を示しているそうだから、今後、教育現場で大きな混乱が起きるだろう。子どもたちへの影響が心配だ。

 そんな折、最高裁が5月30日、「教職員に対する起立斉唱命令は合憲」とする初めての判断を示した。起立斉唱を「慣例上の儀礼的な所作」ととらえ、「個人の歴史観や世界観を否定するものではなく、特定の思想を強制するものでもない」と指摘。「教育上重要な儀式的行事では円滑な進行が必要」といった理由で「必要性や合理性がある」と結論づけている。

 しかし、注目されるべくは、起立斉唱行為が教員の日常業務に含まれないとしたうえで、「国歌への敬意の表明の要素を含む行為で、思想・良心の自由についての間接的な制約となる面がある」と言及している点だ。わざわざそんなことに触れるってこと自体、守旧派の最高裁の判事さんたちでさえ、起立斉唱の強制が限りなく憲法違反に近いと見ているからではないだろうか。実際、2人の判事による「強制や不利益処分は可能な限り謙抑的であるべきだ」「国旗・国歌が強制的にではなく、自発的な敬愛の対象となるような環境を整えることが何よりも重要だ」とする補足意見が付いていた。結論は決まっている中で、法律家としての精一杯の良心の発露に感じられる。

 この問題を考えるのに大事な視点は、反対意見を処分で強制的に排除することが教育のためになるのか、ということだ。強制によって先生たちが無理して起立していることを知れば、生徒たちはどう受けとめるか。高校生や中学生ともなれば「自分たちも強制される」と考え、かえって反発すると思う。

 冒頭で紹介した高校の先生たちは、強制されて起立することに対して、「子どもたちに日ごろ『自分で考え判断を』と言っていることに、なじまない。生徒への強制につながるという危惧も強い」と話していた。そう、先生たちへの強制を通して権力側が意図するのは、生徒への指導である。だから、先生たちの「自由」が失われることで、生徒の行動や言論が萎縮することを懸念する。だって、生意気盛りの10代半ばの頃って、いろんなことをやって、いろんな主張に触れることで、自分の考えを培っていく時だから。権力者が認めるのとは違う意見に接する機会を奪い、上から押しつけた枠の中で教育することが、本当に若者たちのためになるのか、甚だ疑問である。

 国旗・国歌法の制定以降、さまざまな場で君が代が斉唱されるようになった。「強制するな」と書いている新聞社主催の高校野球大会でも、当たり前のように起立斉唱が行われたりする。学校に限らず、そうした場で起立しないことが、周囲から異質な目で見られるようになったことは確かだ。

 それでも、起立できない人たちの気持ちを理解したい。公務員だから、という理由で、憲法上の権利を制約してしまう社会でいいのか。もしかすると、今は起立しない人たちを異質な目で見ているあなたが、ひょんなきっかけから、異質な目で見られる立場になるかもしれない。「国歌が君が代じゃなくても憲法の権利を尊重する」と主張する先生たちに、まずは憲法の権利を認めて強制をしない社会でありたいと願う。

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ともすると「政治思想の問題」ともとられがちなこの問題。
でも、大半の教員の方たちは、
君が代や日の丸ではなく、「強制されること」自体が問題とおっしゃいます。
いろんな考え方を持つ人どうしが、
どう理解しあって、どう共存していくのか。
その姿を見せることこそ「教育」なのでは?
今の流れに、強い危機感を覚えます。 

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どん・わんたろうさんプロフィール

どん・わんたろう約20年間、現場一筋で幅広いジャンルを地道に取材し、「B級記者」を自認する。
派手なスクープや社内の出世には縁がないが、どんな原稿にも、きっちり気持ちを込めるのを身上にしている。関心のあるテーマは、憲法を中心に、基地問題や地方自治、冤罪など。
「犬になること」にあこがれ、ペンネームは仲良しだった犬の名にちなむ。「しごと」募集中。

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