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2012-05-16up

B級記者どん・わんたろうが「ちょっと吼えてみました」

【第92回】

「沖縄差別」なんて朝日新聞に言われても…

 さんざん「沖縄、沖縄」と言っていたのに、3・11の後は「反原発・脱原発」一辺倒になってしまった本土の人間やメディアって、確かに多い。「マガジン9」も、沖縄から見ればそう映っているかもしれない。自分のこととして反省しなければならない。

 しかも、ここに来て沖縄の海兵隊再編が大きく動き、普天間基地の辺野古移設を根本から見直すチャンスだったのに、本土の反応がとても鈍いのも、また事実である。基地負担の軽減とは名ばかりに、騒音が大きくて墜落事故が多い米軍の垂直離着陸輸送機「オスプレイ」の普天間配備も当たり前のように決められた。沖縄の怒りが増すのは無理からぬことだろう。

 1年前の当コラムで紹介した沖縄在住の知人の言葉を、改めて思い起こす。「本土の人にしてみれば、原発で事故が起きれば放射性物質が自分たちに降ってくる可能性がある。でも、沖縄の米軍基地は毎日目にしているものじゃないし、事故や騒音の被害を直接受けるわけじゃないもんね。沖縄の人間にとっては、いつ戦闘機やヘリコプターが降ってくるか分からないんで、基地も原発もその危険に変わりはないと思うんだけどさ」

 あの頃から沖縄の運動家たちは、反原発に押されて沖縄の基地問題に対する本土の関心が薄れることに、焦りと苛立ちを抱いていた。脱原発運動を批判するつもりは毛頭ないが、1年が経って、その心配が現実のものとなっていることは否定できまい。原発事故の避難民を受け入れるなど本土の災いにできる限りの支援をしてくれた沖縄の人たちが、いい加減、「沖縄の災いは忘却のかなたかよ」という気持ちになることは理解できる。

 5月15日に沖縄は本土復帰40年を迎えた。これに合わせて朝日新聞・沖縄タイムスが実施した世論調査(5月9日付・朝刊1面)によると、「沖縄の基地が減らないのは本土による沖縄への差別だ」という意見に、沖縄の人の50%が「その通りだ」と答えている。一方、全国では29%だった。

 聞き方の問題は大きいとは思うけれど、沖縄の人たちの本土不信がかつてないほど高まっていることと、沖縄と本土の意識のギャップが問題の本質を表していることは、真摯に受けとめなければなるまい。まさに、同紙「天声人語」(5月15日付・朝刊)が指摘するように「『無関心という加担』への抗議」なのだろう。自分自身の反省材料としたい。

 世論調査の記事によると、「沖縄差別」という言葉が頻繁に使われるようになったのは2010年ごろからだそうだ。当時の鳩山首相が普天間基地の移設先として「最低でも県外」と公言したもののかなわず、撤回して辺野古に戻った年である。一度は県外移設に大きな期待をかけただけに、沖縄の落胆はいかばかりだったか。反動が「差別」という言葉に表れるのは、人間の性としてやむを得ないことに違いない。

 しかし、そうだとすれば尚更、朝日新聞がさも正義漢のような顔をして「沖縄差別」という言葉を使うことに対して、大きな違和感を禁じ得ない。

 当コラムの栄えある第1回で取り上げたが、鳩山氏の決断が注目されていた時期に、朝日新聞の主筆だった船橋洋一氏が同紙に書いた論文(2010年5月5日付・朝刊)を沖縄の人たちは忘れていない。「中国に対する日米同盟の抑止力を保つために、沖縄への海兵隊駐留が必要だ」という趣旨である。当時の情勢の文脈で言えば、意味するところは「普天間の移設先は沖縄県内=辺野古」だった。

 「味方」だと思っていた朝日新聞の大きな変節に、いかに沖縄が当惑し怒ったか、多くの知人から聞かされてきた。そして間もなく、鳩山氏は「最低でも県外」を撤回し、辺野古移設を容認する。A級戦犯として船橋氏の論文を挙げる人は、沖縄に今も多いのである。

 その後も朝日新聞の論調は、沖縄に寄り添ったものとは言い難かった。「沖縄の負担軽減」を口にするのはいいのだけれど、常に「日米同盟の重視」とセットだったからだ。そこには、せっかく元に戻った日米合意=辺野古移設を覆されることへの抵抗が垣間見えた。沖縄からすれば、普天間の移設問題に関して「負担軽減」と「同盟重視」が両立し得ないことは明らかだったのに、である。それがいかに、本土への不信感を増幅させただろうか。

 確かに同紙の主筆は交代したし、知らぬ間に最近の社説は「辺野古移設は白紙に戻すしかない」と書いているようだ。でも、朝日新聞が船橋氏の論文を紙面で大きく扱い、沖縄の人たちの怒りと失望を買い、政府や本土の人たちの考えに大きな影響を与えた事実を、消すことはできまい。

 「まだそこにある不条理」と題した5月15日付・同紙社説は、「政府は沖縄の人たちの神経を逆なでしてきた」「経済的な支援策では埋めきれない不条理なまでの重荷を、沖縄は負っている。負わせているのは、本土の人々だ」と平然と書く。文面だけ見れば、その通りだ。でも、それらを醸成した自分たちの報道の責任に全く触れていないのはアンフェアだし、「沖縄差別」の背景や経緯を読者に誤って伝えることにもなる。

 仮に同紙が当時の主筆の論文と主張を変えたのなら、まずはその理由や経緯をきちんと読者に説明すべきだ。何よりその前に当時の主張を反省すべきなのは、当然ではないか。そこに知らん顔をして「沖縄差別だ」と騒ぎ立てるのは、厳しく言えばマッチポンプと批判されても仕方のないことだ。ある意味、沖縄への、読者への、冒涜である。

 それから、普天間をはじめとする米軍基地をどうすべきだと考えているか、朝日新聞は具体策をきちんと示してほしい。県内移設が「沖縄差別」だと社を挙げて本気で認識しているとするならば、移設先は本土なのか、海外なのか、本土であるのならどこなのか、を。

 「差別」って、当事者の立ち位置によって受けとめ方が大きく異なる言葉だ。おそらく本土の人たちの多くには、沖縄を差別している意識はない。だから本土の人たちを責める前に、いかに基地問題が本土と深く関わっていて、本土の人たちも逃げられないのだと実感してもらうことが、何より重要だ。「沖縄差別」を強調するのなら、もっともらしい抽象論を語るよりも、それこそが報道機関の責務だと思う。

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  「<本土>では決して許されないことが、
ここでは当たり前のようにまかり通ってるんだよ」。
沖縄に住む友人から、そんな言葉を投げかけられたことがあります。
「沖縄の基地問題」は、「沖縄にある基地についての」私たちの問題、であって、
決して「沖縄の人たちが抱える問題」ではないのだということ。
その事実を、改めて見つめ直したいと思います。

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どん・わんたろうさんプロフィール

どん・わんたろう約20年間、現場一筋で幅広いジャンルを地道に取材し、「B級記者」を自認する。
派手なスクープや社内の出世には縁がないが、どんな原稿にも、きっちり気持ちを込めるのを身上にしている。関心のあるテーマは、憲法を中心に、基地問題や地方自治、冤罪など。
「犬になること」にあこがれ、ペンネームは仲良しだった犬の名にちなむ。「しごと」募集中。

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