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2010-09-01up

40歳からの機動戦士ガンダム【第12回】ガンダムで描かれる軍内部での対立 その2

 今月12日、沖縄・名護市議選が行なわれます。米海兵隊の普天間基地の「移設先」として、同市の辺野古沖が候補に挙げられていますが、今回の選挙結果が微妙な影響をもたらすのではないかとも言われています。

 その辺のことについては来週の岡留さんのコラムに譲りますが、思えば、鳩山内閣のもと、そしてそれ以前の自公政権下や専門家の間などからも、辺野古に代わる移設候補として様々な案が出ては消えていきました。そのなかに、普天間基地と嘉手納基地を統合する案があったことをご記憶の方もいるでしょうが、一部の専門家などからは「ありえない話」と統合案は冷笑されました。「嘉手納の空軍が海兵隊を受け入れるわけがない」というのがその理由。つまり、空軍と海兵隊は仲が良くないということです。

 「仲が良くないから一緒に住まない」なんて聞くと、なんだか夫婦喧嘩や親子の揉め事レベルの話に聞こえますが、実は軍隊という組織では「好き嫌い」といった感情的な次元で揉めることが多く、そのことが政策や戦略等に大きな影響を及ぼしているようです。

 まあ、同じ国の軍隊とはいえ、平和なときには国防・防衛費等の限られたパイ(予算)を奪い合い、いざ戦争となれば、戦場で手柄の取り合いとなるのですから、感情的対立が生まれるのは仕方がないのかもしれません。

 さて、今回は、ガンダムのエピソードから少し離れて、旧日本軍内における陸軍と海軍による対立を通して、軍隊という組織についてさらに考えてみたいと思います。今回は、いつもにも増して「お勉強モード」になりますが、ガンダムをより深く理解するための一項目としてご容赦ください。


旧日本陸軍、海軍それぞれの内部で
繰り広げられた熾烈な派閥争い

 古今東西、軍隊内では争いがつきもので、旧日本軍も例外ではありません。明治5(1872)年に陸軍省と海軍省を設置して両組織が分かれてから昭和20(1945)年の敗戦までの約80年間、陸軍と海軍、または陸軍、海軍それぞれの内部で「対立の歴史」が続いたと言ってもいいでしょう。

 海軍では、ワシントン軍縮条約(1922年)やロンドン軍縮条約(1930年)など国際的な軍縮条約に賛成する「条約派」と、さらなる軍拡を目指すべきだとする「艦隊派」に分かれて対立。後に実権を握った「艦隊派」の露骨な人事によって「条約派」は“粛清”されます。このとき有能な人材が海軍中枢から去り、軍備拡大・対米強硬派の「艦隊派」が大勢を占めたことで、後に海軍は日米戦争への道をひた走ることになります。

 一方の陸軍内部ですが、こちらはある意味では海軍以上に熾烈な派閥争いがありました。政財界の力を抑えて天皇親政による直接的な国家改造を目指す「皇道派」。それとは逆に、財閥や官僚などと組んで軍部勢力を伸ばしながら国家改造を目指す「統制派」との争いです。

 両派の対立はエスカレートし、ついには統制派の中心人物だった永田鉄山軍務局長が、皇道派の将校に陸軍省内で斬殺される事件にまで発展。皇道派の過激な行動は、後に「昭和維新」の断行を訴えて青年将校たちが決起した「二・二六事件」(1936年)につながっていきます。

 このように陸海それぞれの内部で深刻な派閥争いがあったうえで、さらに陸軍と海軍がお互いを敵視するという、複雑な「対立構造」がありました。

 次に「陸軍と海軍の対立」ですが、これを細かく検証していくと、先の大戦に関する壮大なテーマにつながりますので、ここではガンダムで描かれる軍隊を考えるうえで役立つと思われる事例を優先的に取り上げます。


同じ国の軍隊でありながら、
“交流”がほとんどなかった陸軍と海軍

 日本陸海軍は、明治維新後の新政府の下で形作られていきます。海軍は幕府や薩摩ほか諸藩の装備や人員を再編成した組織が始まりで、陸軍は、維新後に薩摩・長州・土佐の士族で構成された天皇直属の「御親兵(後に近衛隊と改称)」が起源です。

 両軍はその後、陸海軍省の設置、徴兵制の導入、士官養成学校や大学校の設置など様々な変革を遂げながら、1945年の敗戦まで、武力を持った強大な官僚組織として日本に君臨します。

 創設当初から「陸の長州」「海の薩摩」などと言われたように、藩閥による対立があり、両藩出身者でないと、優秀でも出世できなかったり、その逆もあったりと、藩閥の弊害がもろに出ていました。太平洋戦争開戦時の首相・東條英機の父・英教(ひでのり)は陸軍大学首席の超エリートでしたが、岩手出身ということで出世できなかったことは有名な話です。

 陸軍士官学校、海軍兵学校、それから陸軍・海軍大学校などの教育機関が整備され、その出身者たちが軍中枢に入ってくるようになると、露骨な藩閥による弊害も次第に消滅していきます。しかし、これら陸海の教育機関の間にほとんど交流がなかったことは、対立の火種となりました。

 陸軍大学は明治16年に、海軍大学は明治21年にそれぞれ設立されましたが、陸大と海大の校舎はそれほど遠かったわけでもないのに(注)、交流はあまりなく、交換学生などの制度もありませんでした。大学だけでなく、陸軍士官学校や海軍兵学校の関係も同様で、「陸的な過激な思想が流入する」と陸軍との手紙のやりとり等を禁止する海兵校長もいたと言います(藤井非三四著『なぜ日本陸海軍は共同して戦えなかったのか』参照)。

(注)陸大は三宅坂に開校し、後に北青山に移転。海大は築地に開校し、後に上大崎に移転。

『なぜ日本陸海軍は共同して戦えなかったのか』
藤井非三四著(光人社)
今年6月に発行された同書では、日本陸海軍の成り立ちから、予算獲得の争い、戦場で の争いなど、陸海軍対立の歴史について具体的なデータをもとに検証。争いの具体例が 過不足なく提示されており、これ1冊を読めば「日本陸海軍の対立構造」が理解できる といってもよいスグレモノです。
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 陸と海では戦闘の中身が異なりますから、別々に教育を受けることは他の国でも同様ですが、「交流などもってのほか」と“断絶状態”においたことは、やはり異常だったのではないでしょうか。

 また、両軍の組織構造や軍隊としての性質の違いも、対立を助長する原因になったと言えます。

 数多くの兵隊を必要とする陸軍は、徴兵制によって国中から人を集めるため、あらゆる階層の国民と密接につながることになります。たとえば、娘を身売りしなければ暮らしていけない農家のリアルな惨状を、徴兵によって集められた部下たちの話から士官はうかがい知ることができました。

 一方、軍艦など近代兵器を扱う海軍は志願兵が中心で、陸軍ほど兵隊の数が必要でないため必然的に少数精鋭主義となります。海上勤務が多いことからも一般国民との接点は陸軍に比べて少なく、そのため国民よりも、自分たちの組織防衛を重視するようになったという側面もあるようです。

 さらに、東京・築地から江田島(広島県)に移転した海軍兵学校に対して、陸軍士官学校は東京・市ヶ谷に長らく居を構えたことから、田舎育ちの海軍、都会育ちの陸軍という差が生まれたのは事実。これが陸海軍の「政治への関心」の差にもなったという見方もあります。

 このように、成り立ち、組織構造、教育方法、それによる発展の仕方などに違いがあるわけですから、お互いが異質な組織となり、ある種の対立が生まれるのはやむを得ないのかもしれません。しかし、平時における最大の対立は「おカネの問題」、そう、予算の奪い合いにありました。(次号につづく)

※上記以外の主な参考文献は、この項の終わりに明記します。

(氷高優)  

ちょっと前の話になりますが、この夏、東京ドームシティで開催された「ガンダム スーパーエキスポ 東京2010」に行ってきました。今年で30周年となる歴代ガンプラ(ガンダムのプラモデル)の展示をメインにしたイベントで、下は3、4歳の子どもから上は70代以上と思える人など幅広い層のファンが来場していました。ガンダムに登場する人型兵器の構造をリアルに体感できるガンプラ。「物語にはハマってもプラモデルまでは…」とこれまで躊躇していた私ですが、今回ついに買ってしまいました。歯止めがきかなくなりそうでコワイです…。

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