マガジン9:2012年2月1日vol.340のインデックスページです。

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今週のマガジン9

働いている姿が見える町

 私の母の実家は、東京の世田谷区北沢でタイル施工業を営んでいました。世田谷といっても北沢は、成城や玉川といった高級住宅街とは趣が異なり、実家の周辺には工務店や畳店、食堂、酒屋、煎餅屋などが住宅に混じって軒を連ねていました。

 狭い敷地に建てられた倉庫には様々な色や形をしたタイル、石灰やセメントの袋、工具、釘、脚立など、施工に必要な資材や道具が所狭しと置かれており、職人さんたちが仕事に出かけたあとは、私たち子供の格好の遊び場になりました。

 1970年代前後、私が住んでいたのは東京郊外の公務員宿舎(父は四国の田舎から上京し、郵便局員として働いていました)です。都営住宅や社宅、あるいは真新しい一戸建ての家が立ち並ぶ新興住宅地のなかにあったのですが、私は母の実家周辺の雑多な感じの方が好きでした。

 そのせいか、いまも郊外の整然としたショッピングモールなどに出かけると落ち着きません。量販店の商品は安いし、品ぞろえが豊富、店員さんも懇切丁寧なのですが、何となく居心地が悪いのです。

 渡辺京二著『逝きし世の面影』(平凡社ライブラリー)は、幕末から明治にかけて日本を訪れた外国人がどのような印象を抱いたのかを膨大な資料から丁寧に繙いた本です。同書には、新潟を訪れた英国人の旅行家・紀行作家、イザベラ・バードが「古着屋、扇屋、掛け物を売る店、屏風屋、羽織の紐を売る店、ちりめんを売る店、手拭いの店、煙草道具の店、墨を売る店、硯箱しか売らない店」など小さな専門店が軒を並べる光景に驚いたという記述があります。商店主たちは職人でもあり、店の奥でつくった商品を店頭に並べて売っていました。彼らは商品の特性を熟知しており、モノづくりへの愛情には並々ならぬものがあったといいます。当時の日本には商いが細分化されることによって、多くの人々が食べていける仕組みがあり、それは同時に作り手の技や誇りも育てていたのでしょう。

 地方の商店街がシャッター通りと化すことの弊害は、経済的な面だけでなく、地域に住む人々の労働に対する敬意や生産活動への親しみを削いてしまうことにあると思います。地方の駅前では寂れた商店街とそのなかに点在する消費者金融のATMをよく目にします。法人所得の1位が地銀で、2位がパチンコ店という自治体も珍しくありません。だから、たとえば野原の一画に立つ工場の煙突から煙が出ていたり、町の鉄工所で溶接作業の火花が飛んでいたりする光景を見ると、ほッとするのです。

 国道沿いに全国チェーンの量販店やレストランが林立する風景よりも、いろいろな仕事をする人の姿が見える小さな町を大切にしたい。それは私たちの消費スタイルを考え直すことでもあると思います。

(芳地隆之)

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