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この人に聞きたい
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池田香代子さんに聞いた

教育基本法「改正」の目的は「一部のエリート」を育てること
ベストセラーになった絵本『世界がもし100人の村だったら』でも知られる
翻訳家・池田香代子さんは、今国会で成立する見込みといわれる
教育基本法「改正」案に対して、反対の声をあげ続けています。
「改正」で何が変わってしまうのか、その背景にあるねらいとは何なのか。
わかりやすく説明していただきました。
池田香代子さん
いけだ・かよこ
作家・翻訳家。専門はドイツ文学翻訳・口承文芸研究。
ベストセラーとなった『世界がもし100人の村だったら』の再話を手がけたことで知られる。
また、その印税で「100人村基金」を設立し、難民申請者の支援などにも取り組んでいる。
訳書に『夜と霧 新版』(みすず書房)『飛ぶ教室』『ふたりのロッテ』(ともに岩波書店)
『ソフィーの世界』(日本放送出版協会)などがある。世界平和アピール七人委員会メンバー
「基本に戻って議論してください」と伝えたかった
編集部  11月16日、与党の提出した教育基本法改正案が、衆院本会議を通過しました。
 この直前、池田さんは「『11の約束』プロジェクト」として、ご自身も著者のおひとりである、教育基本法の条文をやさしい言葉に置き換えてわかりやすく説明した絵本『11の約束 えほん教育基本法』(ほるぷ出版)を国会議員全員に配布するというアクションを起こされましたね。その経緯について、まず教えていただけますか。
池田  このアクションの主体となったのは、2004年に『戦争のつくりかた』(マガジンハウス)という本を出版した「りぼん・ぷろじぇくと」です。必要な費用も、『戦争のつくりかた』の収益でまかないました。
 目的は、とにかく基本に戻って議論してくださいという意思を国会に伝えることでした。聞くところによると、特別委や文教委のメンバーはともかく、教育基本法(以下教基法)はなじみがないという議員さんもおられるとのことで、不安になったのです。失礼とは存じましたが、わたしたちにできることとして、やりました。

編集部  国会議員からの反応はどういったものがありましたか?
池田  教基法「改正」の急先鋒、山谷えり子議員が「読みました、いい本ですね」とおっしゃったのにはびっくりしました(笑)。ただ、急なアクションで、議員さんにアポをとってじかにお会いするということができず、秘書さんにお話をしてお渡しするということが多かったので、反応はなんとも言えません。「改正」反対の議員さんたちからは、がんばります、というようなお葉書が来たりしました。あ、森喜朗議員からも(笑)。
編集部  この『11の約束』は、今から1年以上前、2005年に出版された本なんですね。
池田  2004年の時点で、すでに翌年の国会に教基法改正法案が出されるのでは、ということが言われていました。それで、それに間に合うように、2004年の晩秋に作業に入りました。
編集部  この本をつくろう、と思われたのはどういうお考えからだったのですか?
池田  世論は、いまようやく少しは教基法に関心を向けてきましたが、それでも、「教育が荒廃した、子どもが危ない、教育を根本から立て直すことが必要だ、だから教基法を変えるのだ」というような議論に、「なるほどね」となんとなく納得しているのではないでしょうか。
 それはおかしい。教基法は、憲法と同じように、「われら」という主語をもっている。つまり、憲法と同じように、国はこれをしてはならない、これをしなさいと、わたしたちが国に命令している法律です。とにかくみんなで読んで、考えて、変える必要があるなら変えればいい、と考えたのです。
 だけど、わたしひとりではできないので、かねてから教基法を読みこんでいた「りぼん・ぷろじぇくと」のメンバーの一人でもある伊藤美好さんといっしょにやることにしました。伊藤さんがお勉強係、わたしが教えてもらう係でした(笑)。

編集部  具体的には、どういった形で制作を進められたのですか?
池田  伊藤さんとふたりで無数のメールを交わして議論し、法律のことばを生活のことばに置きかえていきました。
 絵本にしたのは、子どものみなさんにも読んでほしかったからです。絵を沢田としきさんにお願いしようと言い出したのは、私たちのメールのやりとりを"ROM"してくれていた編集者の木村美津穂さんです。これには伊藤さんもわたしも大賛成。もともとファンだったから。『アフリカの音』(講談社)とかね。
 沢田さんは、期待を大きく超えるすばらしい仕事をしてくださいました。わたしたちが読み取った教基法の核心をしっかりと受けとめて、独自の世界で表現なさった。遊びもいっぱいあるし。プロってすごい、と言ったらプロに失礼ですね(笑)。

日本がもし「100人の村」だったら
編集部  与党の教育基本法「改正」案について、池田さんが特に問題だと考えておられる点を教えてください。
池田  まず、義務教育の条項では、「9年」という年限が消えた。長くなるのかな、短くなるのかな、と思っていたら、短くするという案があるみたい。
 麻生外相がこう言ってました、「中学は義務教育でなくていいのではないか」って。だけど、今でもほとんどの子どもが高校に行くぐらいですから、義務教育でなくなっても、みんな中学には行きたいでしょう。そうすると、高校と同じように、わたしたちは授業料を払うことになる。国は教育予算をうんと節約できる。

編集部  その節約した予算は、たとえば何に使われるのでしょう。
池田  政府案の義務教育の項目には、「法律の定めるところにより」という文言が新たに加わっていますからね、新しい法律をつくってエリート教育につぎこむんじゃないですか。その布石はうんと前から着々と置かれていた。たとえば「ゆとり教育」です。当時の教育課程審議会会長、作家の三浦朱門さんが言ってます。
 「戦後五十年、落ちこぼれの底辺を上げることにばかり注いできた労力をできる者を限りなく伸ばすことに振り向ける。100人に1人でもいい、やがて彼らが国を引っ張っていきます。限りなくできない非才、無才には、せめて実直な精神だけを養っておいてもらえばいいんです……それが"ゆとり教育"の本当の目的。エリート教育とは言いにくい時代だから、回りくどく言っただけの話だ」(斎藤貴男『機会不平等』<文藝春秋、2000年>より)
 この率直さは感動ものです(笑)。
編集部  ちょっとびっくりするような発言ですね。一部の人だけが「エリート教育」を受ければよくて、あとは「落ちこぼれ」だということなんですね。
池田  去年、所得収入という、海外への直接投資による利子収入が、モノをつくって海外に売って得た貿易収支を上回りました。そういう投資ができる資産1億円以上のお金持ちは、80数万人とも140万人とも言われています。これにディーラーと呼ばれる金融のプロ数千人を足しても、せいぜい1%の人が国の富の半分を稼いだということです。『100人村』風に言うと、「日本がもし100人の村だったら 2005年 1人が利子として11兆円を儲けました 99人が額に汗して10兆円を稼ぎました」ということになります。
 こういう金融経済パワーエリート、そして先端技術を開発するエリートを育てることに国家百年の計をみている人びとが、それに合うように教基法を変えたがっているのだと思います。
編集部  それをこのまま、私たち市民が受け入れてしまっていいのか、ということですね。
池田  そうです。ひとつまみのエリートとそうでないとされた大部分が構成する社会、その構成を義務教育という教育の初期段階に固定し、ますます格差を広げていく社会を、わたしたちが受け入れたいのかどうか。わたしはいやだなあ。
 あなた、100人に1人のエリートになれると思いますか? わたしの場合はむりだと思う。エリートになれたからって、それがどうした、ですけど。私の友人の医師鎌田實さんは、「家が貧乏だったから医者になろうと思った。貧しい人の気持ちの分かる医者になろう」と言っています。そういう人は、ますます出にくくなるでしょうね。
編集部  社会全体の雰囲気も、何か大きく変わってしまうのでは?
池田  どんよりとした雰囲気が広がるんじゃないでしょうかね。それで99人にやけを起こされては困る、批判など出てきたらもっと困るから、「実直な精神だけを養っておいてもらおうというわけです。
教育に対する「不当な支配」の意味
池田  それから、現行法4条の「義務教育」と10条の「教育行政」のところに、新たに入れられた「法律の定めるところにより」という文言が問題ですね。
編集部  その文言が加わったことで、何が変わるのでしょうか?
池田  「教育行政」に入ったこの文言は、あっと驚くバック転の支点の役目を果たしています。
 現行法には「教育とは、不当な支配に服することなく、国民全体に対し直接に責任を負って行われるべきものである」と書かれています。この「不当な支配」とはなにか。過去のバトルは知りません。でも、現行の教基法を起草した教育刷新委員会の原案では、ここは「官僚的、政治的支配」となっていて、お役人や政治家が教育の現場に口出ししてはいけません、という意味だということがはっきりしています。刷新委員で、当時の文部大臣だった田中耕太郎さんは、見出しが「教育行政」とある以上、行政からの介入に決まってる、と断言しています。
 ところが、10月31日の衆議院特別委員会での質疑では、こうです。
 自民党の稲田朋美さんが、「東京都の行為は教育基本法10条に違反、不当な支配にあたるなどという地裁の判決が出た
(注1)。(改正案では)16条に、『不当な支配』という言葉が残っているが、大丈夫か」と質問したんです。そうしたら、文科省の田中局長が、「『教育は、不当な支配に服することなく、法律の定めるところにより行う』と入れてある。これによって、行政が法律に則って行うすべての行為は不当な支配とはみなされなくなる」と答えたのです。

編集部  「不当な支配」の意味が、教基法起草の際の考え方と、180度変わってしまっているのですね。
池田  びっくりでしょ。しかも伊吹文科大臣によると、「大臣告示も国民の意思として決められたもの」だそうです。そして、「国民の意思(=大臣告示)と違う考え方、内容を一部の人たちが教育に押しつけるということを『不当な支配』」だと言っている。役人や政治家の意向に、子どもや教師や親や町の私たちが口出ししたら、「不当な支配」になってしまいかねない。
編集部  それでは、政府の決めたことに対して、国民は何も口出しできないということにもなってしまいかねませんね。

注1…「東京都教育委員会が教育現場に日の丸・君が代を強制する通達を出したことは違憲・違法であり、通達に従う義務はない」とする教職員らが訴えた裁判で、東京地裁が今年9月、通達は教育基本法一〇条の「不当な支配」に該当するとして、原告勝訴の判決を出したことを指す。
義務教育は「国家への義務」ではない
池田  もう一つ、注目したいのは政府の「改正」案には徳目が20(18条)もあるということです。教育勅語でも13しかなかったのに。
 カントの『永遠の平和のために』には、こんな意味の一文があります。「モラルある政治家は、国にとってなにが最善かをモラルを踏まえて考える。モラルを説く政治家は、自分の政治のためにモラルを利用しようとする」
 とすると、徳目をずらずら並べる政府案は要注意、なにか魂胆があると考えるのが正解です。

編集部  その「魂胆」とは、どんなことなのでしょう?
池田  いままで言ってきたような、エリート・金持ち優遇、わたしたちは切り捨てという、げっそりするような格差社会を、教育によってゆるぎなくしようということだろうと思います。税制も金持ち優遇になっていっていますよね。海外に移住されたり、どこにも税金を払わないPT(パーマネント・トラベラー)、「永遠の旅人」になられたら税金を払ってもらえなくなるからです。
 愛国心も、この流れで考えることができるでしょう。「おまえはだめだ、非才だ無才だ」と言われ続けて、人としての誇りを傷つけられるわたしたちに、「だけどこの国に生まれたということだけは誇りにしていいんだよ」というわけです。文科省が道徳教育の副教材として全国の学校に配布した『心のノート』はこの路線で組み立てられています。まさにカルト宗教のマインドコントロールのやり方です。
編集部  一部のエリートを除く以外の「落ちこぼれ」には、政府に逆らったり、反抗したりすることのないように、実直な精神とともに愛国心だけを養ってもらおう、と…。
池田  『心のノート』の「黒幕」である心理学者の河合隼雄さんが座長をなさっていた「21世紀日本の構想」懇談会の最終報告書(2000年)によると、「国家にとって教育とは一つの統治行為」だそうです。そこには、こうあります。
「教育は一面において警察や司法機関などに許された権能に近いものを備え、それを補完する機能を持つと考えられる。義務教育という言葉が成立して久しいが、この言葉が言外に指しているのは、納税や遵法の義務と並んで、国民が一定の認識能力を身につけることが国家への義務であるということにほかならない。」

編集部  教育を受けることが国民の国家への義務ですか!? 権利ではなくて?
池田  「ワオ!」ですよね。この部分をまとめた代表者は、劇作家の山崎正和さんです。文学者は日本語を読めないのでしょうか。義務教育というのは、すべての人がもっている教育の権利を保障するものです。子どものような保護される人の教育権を、親のような保護する人はバックアップする義務がある、というのが義務教育。国家への義務だなんてとんでもない。
 だけど、そういうふうに「教育は国家への義務」だと考える人たちが、今まさに教基法を変えようとしている。わたしは、そう勘ぐっています。
つづく・・・
「義務教育は、国民の権利ではなくて国家への義務」――
そんなふうに考える人たちが、 新しい法律をつくろうとしているのだとしたら、
と考えると ぞっとするような思いにとらわれます。
次回は、池田さんの憲法9条への思いについてもお聞きします。
  
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