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この人に聞きたい
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片桐直樹さんに聞いた

9条をとりまく歴史の事実を、映画を通じて伝えたい
『日独裁判官物語』などの社会派作品で知られる映画監督、
片桐直樹さんは、今年、憲法9条をテーマとした
ドキュメンタリー『戦争をしない国 日本』を発表しました。
改憲への潮流が強まる今、
改めて「9条」を問い直そうとした、その思いを聞きました。
片桐直樹さん
かたぎり・なおき
映画監督。1934年滋賀県生まれ。早稲田大学在学中より独立プロに参加。
1967年、『裁かれる自衛隊』で初監督を務める。
以後、『自衛隊』『トンニャット・ベトナム』『生きるための証言』『核のない21世紀』
『日独裁判官物語』『人として生きる』など、数々の社会派ドキュメンタリー作品を監督。
60年間、日本人はどう「9条」と向き合ってきたか
編集部  現在、片桐さんが監督されたドキュメンタリー映画『戦争をしない国 日本』が、日本各地で上映されています。これは、「憲法と共に歩む」と題したシリーズの第1作だそうですが、そもそもそのシリーズの製作に至ったきっかけは何だったのですか?
片桐   僕は「映画人9条の会」の一員なんですが、ここのところの「9条を変えよう」という動きに対して、私たちも何かしたい、でも何ができるだろうかと、主に同じ世代の映画監督たちと話をする機会があったんです。その中で、「映画人である自分たちにできることは、やはり映画をつくることじゃないか」という声が上がったのがきっかけですね。

編集部 映画の中では、日本国憲法制定の経緯や、戦後、憲法9条をめぐって起こった政治的な動き、市民運動などの様子が、豊富な記録映像で綴られていきます。劇映画などではなく、こうした記録映画の手法をとられたのには、何か理由はあったのでしょうか。
片桐  憲法9条を扱った映画はほかにもありますが、憲法の成り立ちを扱ったものやインタビューを通じて憲法9条の素晴らしさを伝える、といった内容のものが多いようですね。もちろんそれはそれでいいんですが、憲法ができて60年が経つ今、日本人はどう憲法9条と向き合ってきたのか、そして9条は日本という国のあり方にどう影響を与えてきたのかということを、ちゃんと検証しておく必要があるんじゃないかと思ったんですね。
 今、高校生の世界史や日本史未履修が問題になっているけど、ちゃんと授業を受けていた子たちでさえ、アジア太平洋戦争以降についてはほとんど教わらないというでしょう。それがまだ10年前のことだというならともかく、そこから既に60年の歴史があるのに。その意味でも今、若い世代に歴史の事実を伝えておく必要があると思ったんです。
編集部 片桐さんの初監督作品も『裁かれる自衛隊』という、恵庭事件(注1)を題材にした、つまりは憲法9条と深く関わり合ってくる作品でした。
片桐  そうですね。1950年代のレッドパージで撮影所や映画会社を追われたたくさんの映画人が、独立プロで映画をつくり始めた。『真空地帯』(山本薩夫監督)や『どっこい生きている』(今井正監督)といった劇映画が有名ですが、実は記録映画もたくさん制作されていたんです。1970年代の水俣などの公害闘争を扱ったものに至るまで、おそらく100本以上は製作されたんじゃないでしょうか。私自身もそのうち30本くらいには参加していて、『裁かれる自衛隊』もその中の1本だったんですね。
 そうした記録映画に使われていたたくさんの映像やフィルムをもっと活かせないだろうかというのも、今回の「憲法と共に歩む」シリーズを思い立ったきっかけの一つなんです。

注1 恵庭事件…1962年、北海道千歳郡恵庭町(現恵庭市)で、演習場での砲撃訓練に抗議して自衛隊の通信回線を切断した酪農家が、自衛隊法121条違反に問われた事件。裁判では自衛隊法そのものが憲法9条に照らして違憲であるとの論争が行われたが、1967年の地方裁判決は、被告人に無罪判決を下し、憲法判断を回避した。

勝ち取ったものを継続する努力を
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1946.11.3東京都主催で開かれた日本国憲法公布の祝賀式典。
10万人が参加し、天皇、皇后も出席した。
編集部  片桐さんは1934年(昭和9年)のお生まれで、終戦のときは12歳。日本国憲法が制定された当時のことを、はっきりと記憶されている世代ですね。
片桐   だから、今回の映画は、自分が生きてきた時代そのものをたどる、いわば一つの自分史みたいなものでもあると思います。
 僕らは、尋常高等小学校に入ったのが途中で国民学校に変わって、さらにそれを卒業して旧制中学に入ったら、学制改革でなくなっちゃって、という世代です。だから、僕はいまだに中学の卒業免状を持ってません。しかも、終戦のときなんていうのは、昨日まで教えられていたことが180度ひっくり返ってしまったわけでしょう。だから「不信の世代」というか、大人のいうことをなかなか信用できない、そういう世代だったんですよね。
 それでも戦後の教育で、なるほど民主主義とはこういうものか、平和憲法とはこういうものかと、非常に感銘を受けていました。だから、最近になって「憲法改悪の潮流が」とか言われても、まさか、戦争であれだけの苦しみを受けた末にやっとできた平和憲法をそんな簡単に変えてしまうなんて、日本人はそんなにバカじゃないだろうと思っていたんですよ。

編集部  ところが、実際には「改憲に賛成」という声は、非常に大きくなっている…。
片桐  そうなんです。ある新聞社の世論調査では、60%が「賛成」と答えていました。それを見て、本当に驚いた。同時に、僕ら戦争を知っている世代は、これまで何をやってきたんだろう、自分たちの体験をちゃんと若い世代に伝えることをしてこなかったんじゃないか、という思いにもとらわれました。そういった反省も、今回の映画には込めたつもりです。
編集部  こうした改憲への動きが強まった理由は、どういったことだとお考えですか?
片桐  一つは、やはり戦争体験者が少なくなっているということでしょうね。たとえば、60年安保がなぜあんなに国民的な運動になったかというと、やはり戦争体験者が国民の7〜8割を占めていたからです。
 僕が大学に入ったのが1952年ですが、この年には「血のメーデー事件(注2)」があって、第二次早大事件(注3)が起こった。レッドパージの直後でもありましたね。あのころは、そうした政府の強権的な動きに対して「また軍国主義か、また戦争か」と身構えるような感覚が国民のほうにもあったんですね。ところが60年安保より後は、徐々に戦争体験者の割合が少なくなっていって、そういった感覚も薄まっていってしまった。
編集部  政府の市民運動への弾圧など、軍国主義的な動きに対して危機感を抱く人が少なくなった、その結果、それに反対して行動するということが行われなくなってきてしまった、ということでしょうか。
片桐  そう思いますよ。60年安保は、はっきりと日米安保条約そのものに反対し破棄を訴えての闘いでした。新安保条約は結局自然承認ということになったけれど、内閣は総辞職に追い込まれたし、政策の中心を軍事化政策から高度経済成長のための経済政策に変換せざるをえなかった。その後は革新勢力が強まって、日本各地で革新自治体が次々と誕生した。勝ち取ったものはたしかにあったはずなのに、それを継続させていくための努力を僕らはしてこなかったんじゃないかと思う。それが今につながっているんじゃないかと。
結局、政府が日米安保条約をきっちり守っていくためには憲法改定しかないと、そういうところにまで追い込まれているのが、今の状況なわけですから。

注2 血のメーデー事件…1952年の5月1日、メーデーのデモ隊と警官隊が衝突し、警官の発砲によってデモ隊の2名が死亡、700名以上が重軽傷を負った事件。

注3 第二次早大事件…血のメーデー事件の容疑者逮捕のため警官が早稲田大学に立ち入ったことに対し、学生が警官に抗議。その後警官隊約500人が学内に殴り込んだことで多数の負傷者を出した。
「運動よりもお金」の論理構造がつくられていった
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日米安保闘争では、30万人以上の市民が国会を取り囲んだ。
編集部  安保闘争の話が出ましたが、『戦争をしない国 日本』では、その安保闘争をはじめとする市民運動の様子を詳細に追っていますよね。軍隊を持とう、戦争をできる国にしようという動きに対して、決して市民がぼんやりとそれを見ていたわけではなくて、その都度闘ってきたんだなということを、改めて知らされた気がしました。
 でも最近は、たとえば教育基本法改定への反対行動などをやっても、東京でさえせいぜい数千人しか集まらないのが現状です。非常に盛り上がったといわれた、3年前のイラク戦争に反対するデモでさえ2万人程度でした。映画の中で使われていた、安保闘争での数十万人のデモの様子とは非常に対照的です。
片桐  たしかに、僕も安保闘争のとき、30万人以上が集まったデモの様子を撮影したりしましたね。国会のまわりから三宅坂あたり、今の最高裁判所付近から銀座まで、行けども行けども人に埋め尽くされていた。あんな光景は、今は見られないでしょうね。

編集部  それは、一つには片桐さんがおっしゃったように、「戦争体験者の数が減っている」ということも影響しているのでしょうが、それだけではないようにも感じます。何かを訴えるために「集まって行動する」ということ自体に、興味を持たない人が多くなっている。
片桐  それはやはり、教育の問題が大きいでしょうね。1970年代の後半ごろ、ちょうど高度成長まっさかりのころからだと思うんだけど、優秀な人間はもっと優秀な教育を受けてエリートになっていくんだという「エリート教育」が始まった。戦後にある程度否定されていたはずの、人と人との格差が、はっきりと認められるようになったんです。そうした考え方の中では、何か困ったことを解決したり、望んだことを実現するには、わざわざ運動をして状況を変えるよりもお金があればいいんだ、という論理構造がつくられていく。そういう考え方に人間が変えられていったところがあったんじゃないかと思いますね。
編集部  「やっても意味がない」という無力感もあるのではないでしょうか。
片桐  それもあるでしょうね。特に60年安保のときの「運動が政権を退陣に追い込んだ」ような経験を持たない人には「デモなんかいくらやったって…」という感覚はあるでしょう。
 加えて、みんなどんどん忙しくなっている。経済成長で一見賃金が上がったように見えても、それと並行して仕事量はどんどん増えて、市民運動に時間をかけるなんてことができなくなってしまったんですね。デモに行くんなら1時間残業していたほうがいい、もしくはせざるを得ないという状況に追い込まれてしまった。それも人が集まることができなくなってしまった、大きな理由の一つだと思います。
編集部  学生も忙しそうですね。いつの頃からか大学だけでなく、資格を取るためや公務員試験のための予備校に通うダブルスクール組が増え、また大学3年からは、就職活動が本格的に始まりますから、学内で集会や勉強会をする余裕なんてとてもない、という話を聞いたことがあります。
片桐  格差社会を生き抜くためには、勝ち組になることが第一歩という考え方なのでしょう。目先の利益のことしか頭にないとしか思えません。かつてはたっぷり時間が持て、自由な発想ができ行動することが、学生の特権の一つでもあったのですが。
「ノー」の声を上げることでこの潮流を止められる
編集部  でも、そうして私たちが「黙って」いる間に、改憲への動きはここまで加速化してきてしまいました。11月15日には、教育基本法改正案も衆院本会議を通過しましたし…。中川政調会長や麻生外相と、政府の要人からは「日本の核武装に関しても議論することが必要だ」との発言も出ています。
片桐  本当にせっぱ詰まった状況ですね。ここまで来てしまったのは、やはり国民の責任が大きいと思う。たとえば自衛隊にしても、憲法9条の条文を読んでみれば、小学生だって明らかに今の自衛隊は憲法違反だということがわかるはずですよ。「戦力を持たない」と書いてあるんだから。それをここまで強大化させて、しかもそれを見過ごしてきてしまったのは僕たち自身なんです。
 だけど、映画の中でも描いたように、改憲への動きというのは最近になって急に始まったものではなくて、憲法ができてまもない時期に早くも始まっていた。それを、市民がさまざまな形で声を上げて、ぎりぎりのところで止めてきたわけです。安保闘争だったり、恵庭や沖縄のような基地闘争だったり…。それが、改憲への歯止めになってきたことは間違いない。

編集部  であれば、今回も私たちが声を上げることで、この動きにストップをかけることができるのかもしれない。
片桐  そう思います。だからこそ僕は『戦争をしない国 日本』をつくったんです。
 この映画を見て、戦後の歴史を実際に体験してきた世代には、その歴史をもう一度思い起こしてほしいし、若者には「こんなことがあったのか」ということを知ってほしい。そして、この素晴らしい憲法を改悪しようとする動きに「ノー」の声をあげて闘ってほしい。そう思います。

photo3 *『シリーズ憲法と共に歩む』製作・普及を成功させる会」では、この映画の上映会を開いてくれる会を募集しています。詳しくは公式ホームページをご覧ください。
憲法9条はなぜ生まれ、どんな役割を果たしてきたのか。
今、なぜそれを守るべき必要があるのか。
『戦争をしない国 日本』を見ながら、改めて考えてみたいと思います。
片桐さん、ありがとうございました。
  
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