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伊藤真のけんぽう手習い塾
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伊藤塾長が、憲法の理念を通じて2005年を振り返りつつ、
2006年の希望を語ります。

いとう・まこと
1958年生まれ。81年東京大学在学中に司法試験合格。95年「伊藤真の司法試験塾」を開設。現在は塾長として、受験指導を幅広く展開するほか、各地の自治体・企業・市民団体などの研修・講演に奔走している。近著に『高校生からわかる日本国憲法の論点』(トランスビュー)。法学館憲法研究所所長。法学館のホームページはこちら

日本国憲法と2005年
日本国憲法と2005年

いよいよ2005年も終わります。どんな年だったのでしょうか。私は一人ひとりが大切にされなかった年、そして過去の歴史の教訓を忘れ去ってしまった年だと思っています。

一人ひとりが大切にされていないということはいろいろな場面で現れました。JR福知山線での大きな列車事故では、多くの方の命と生活が犠牲になりました。そこでは、定時運行とか収益をあげるといったことが優先され、一人ひとりを安全に運ぶという鉄道会社において最も大切なものが忘れ去られてしまったようです。 最近のマンション構造計算偽装問題もそこに住む一人ひとりの住民というもっとも大切にしなければならないものをないがしろにして、それぞれの企業や政治家、行政が責任のなすりつけあいをしています。

郵政民営化の議論の際にも、構造改革だの、民営化だの、大きな抽象的な議論は盛んになされましたが、私たち一人ひとりの具体的な生活がどうなるのか、一人ひとりが幸せになる方法なのかという議論はほとんど聞かれませんでした。

自衛隊を自衛軍にすることを最大の眼目とする自民党の新憲法草案が発表されました。最近、国益、公益、国を守る、日米同盟、国際貢献、人道支援、こうした大きな勇ましい言葉はよく耳にするようになりましたが、これらのビッグワードと私たちの生活がどうも結びつきません。強い国、軍隊をもった大国、戦争という最大の環境破壊をする国がどのように私たちの幸せとかかわるのか、納得できる説明を聞いたことがありません。

つい先日も法律家をめざす塾生を連れて、毎年恒例の沖縄視察旅行に行ってきましたが、沖縄へ行くたびに、司馬遼太郎氏が『街道を行く』の中で指摘するように「軍隊は住民や国民を守るものではない」。あくまでも軍そのもの、国そのものを守るだけだと強く感じます。

制度や仕組みはとても大切です。ですが、それらはすべて、一人ひとりの国民、住民、人間を守り、幸せにするためのものでなければなりません。憲法は個人の尊重、個人の尊厳を最大の価値としています。一人ひとりが幸せになることが社会の発展につながり、国の反映にもつながると考えています。具体的な一人ひとりの人間を犠牲にして国が強くなってもなんの意味もありません。

今一度、何のための国であり、何のための制度なのか、そしてあらゆる政治家の議論が私たち一人ひとりの幸せにつながるものなのかをしっかりと見定めていかなければなりません。

多数決で決めてはいけないこともある

もうひとつ。2005年は戦後60年であるにもかかわらず、過去の歴史からの教訓を忘れてしまった年のような気がします。

小泉首相は今年も靖国神社を参拝し、アジアの国々から非難を浴びました。日本の世論を好戦的にするためにあえて、韓国や中国を刺激し反発を招くような言動をとっているかのようです。ドイツでも確かにホロコーストに対する反省や賠償はもう十分だろう、もういい加減にしてくれ、と考える人もいます。ですが、ドイツという国家としては、これからも過去の出来事を絶対に忘れないという強いメッセージを周辺諸国に送ることによって、信頼を勝ち得ているのです。

ヒトラーは、大衆を掌握することに長けていました。「大衆の理解力は小さいが忘却力は大きい。彼らは熟慮よりも感情で考え方や行動を決める。その感情は単純であり、彼らが望むのは、肯定か否定か、愛か憎しみか、正か不正か、真か偽かのわかりやすさだ。肝要なのは、敵を一つに絞り、それに向けて憎悪をかきたてることだ。言葉は短く、断定と繰り返しが必要だ」と言ったそうです(朝日新聞「時の墓碑銘」小池民男より)。また、大衆は愚鈍だから小さなウソより大きなウソにだまされやすいと言い切ります。

9.11選挙によってこの国でもこうした大衆せん動が有効であることが証明されてしまいました。得票率で見ればたった11%の差にすぎないものが、議席数では約4倍の差が生じてしまう選挙制度の欠陥も相まって、大衆は振り回されました。

ヒトラーのいうとおりなのかもしれません。今も昔も権力者は大衆の方を向いているふりをしながら、大衆を蔑視し、あやつります。こうした歴史の教訓があるからこそ、私たちはそのときどきの多数に支配されないように憲法を作り、これによって多数の横暴に歯止めをかけようとしてきたのです。

憲法はこうした歴史の教訓から生まれたものです。そして一人ひとりを個人として大切にすることを何よりの価値としています。こうしたことを忘れてしまう時代とは、とりもなおさず、憲法の価値が忘れ去られてしまっている時代に他なりません。しかし、近代日本の歴史の中で、もっとも戦争のない平和な時代の恩恵を受けてきた、今を生きる人間が、憲法を改悪し戦争のできる国にして次の世代に引き渡すことは許されることではありません。

憲法は、個人の価値観、人の心の領域を守るためにある

こうしてみると、ずいぶんと暗い1年であったようにも思います。ですが、こうした憲法価値の危機の年であったと同時に多くの国民が憲法に関心を持つようになった年でもあります。改憲反対の動きもこれまでになく活発です。国民はこうした改憲の動きがなければ憲法を知ろうとはしなかったでしょう。全国に3200あまりの「9条の会」ができて、市民レベルにおける憲法への関心はかってない高まりを見せています。まさに「ピンチはチャンス」です。

憲法は「9条を守って終わり」ではありません。憲法価値をいかに日々の生活の中で実践していくかが重要です。市民の力で改憲を阻止し、それをきっかけに、より多くの人々が憲法の価値を知ることによって、この国が真の民主主義の国、立憲主義の国となることを願ってやみません。

山間の小さな小川がやがては大河となるように、私たち一人ひとりが、小さな自分の世界で憲法を学び、実践することが、大きな世界に積極的非暴力平和主義という憲法の理念を広げていくことになると信じています。2006年が私たちの憲法にとっても良い年となりますように。

改めて振り返っても、とにかく暗い気持ちになるニュースの多かった2005年。
けれども、伊藤先生が言うように、平和憲法を守っていくには、
このピンチこそがチャンスなのかもしれません。
このチャンスを生かして、1人でも多くの人に
「憲法の価値」を伝えていく必要があると感じました。
伊藤先生、ありがとうございました。
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