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伊藤真のけんぽう手習い塾
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既に報道されているように、先週26日(金)、
国民投票法案の与党案、民主案が共に、衆院に提出されました。
先週に引き続き、議論にのぼっている国民投票法の問題点などについて、
塾長が指摘されています。
いとう・まこと
1958年生まれ。81年東京大学在学中に司法試験合格。95年「伊藤真の司法試験塾」を開設。現在は塾長として、受験指導を幅広く展開するほか、各地の自治体・企業・市民団体などの研修・講演に奔走している。近著に『高校生からわかる日本国憲法の論点』(トランスビュー)。法学館憲法研究所所長。法学館のホームページはこちら

国民投票法について(その1)
 「たかが手続き」ではない国民投票法
 私は、国民投票法の必要性は改憲の必要性と重なると考えています。改憲の必要性を感じる人にとっては手続法も必要というだけです。そして、これまでは必要性がないので作らなかったというだけです。政治とは政策課題について優先順位をつけることですから、それが劣後したというだけのことです。

 日本国憲法は代表民主制を基本としています。そこでは直接民主制的制度はあくまでも例外として位置づけられています。国民主権の直接民主制的な発動も例外的にこの憲法改正だけとなっているのです。

 つまり憲法改正が国民主権の現れといっても、最後の手段のようなものであり、そう簡単には発動されないことが予定されています。よほど国民が必要性を感じて始めて発動されるものなのです。

 国民が具体的にある部分の改正の必要性を感じていなければ、その部分は、国民が受け入れ、選び取っていることを意味します。実は立派にそこに国民の意思は反映しているのであって、国民主権が現れています。憲法改正の場面にしか国民主権が実現されないかの議論は、間違っています。

 国会議員の中には、国民が自分の意思でこの憲法を選び取ったことがないから、憲法の正当性が怪しくなる。だから国民投票が必要なんだという人がいます。ですが、そんなことを言い出したら、国会が運営されている根拠もまた怪しくなってしまいます。国会議員の皆さんが自分たちの立場を怪しくするような発言をすることは不思議でなりません。

 また、国民投票は国民の意思を正しく反映させるものだから必要だという人がいます。しかし、国民投票によって、改憲に賛成、反対の立場の国民の意見が、対等に反映されれば良いのですが、制度上は対等にはなりません。あくまでも、反対の立場の人たちは発議に対して反対という意見表明しかできないのです。

 投票で、それぞれの立場の国民の意思が反映されなかった場合の効果を考えれば、その違いは明らかです。 改憲派は否決されても現状維持にすぎません。自衛隊がなくなるわけではありません。 護憲派は可決されたら後退してしまいます。自衛隊が軍隊となってしまいます。 効果が違うのですから、対等に国民の意思を問うものとはいえないわけです。 それをあたかも国民投票は、対等に国民の意思を問うもののように言うのは、間違っています。
国民主権の具現化とは、多数決の意思の反映ではない
 もちろん、手続法に賛成だが、改憲に反対という人もいるでしょう。しかし、それは改憲論議が出てきたので、では国民投票で討ち取ろうというだけなのではないでしょうか。結果的にそうなっているだけで、改憲案が発議されない限り、改憲に反対という意思を積極的に表明できるわけではありません。不平等なリスクを負いながら、ピンチをチャンスに変えようというだけのことです。

 そして、国民投票は、政治家主導の改憲に対する国民側からの、抵抗権の行使の場にもなりうると考えています。

 いうまでもなく国会議員は全国民の代表にすぎません。しかも特権階級でもなんでもない。生まれながらの国会議員などいませんし、いつでも選挙によってその立場を失うものです。国民からの信託を受けて国会に席があるだけです。

 国民が改憲を必要と考えて、国会議員に託して改憲の発議をしてもらうのなら、それでよいでしょう。ですが、国会議員がエリートとして国民のことを考えて、発議したけれども、それがたまたま国民の意思とは一致しなかったときには、国政を信託した国民の側から、それは違いますよと国民投票で否決する。これは当然ありうることです。

 そして、そのときにそもそも発議自体させない、そしてそのための手続法をつくらせない。これも国民の側のひとつの抵抗の仕方となります。これを国民主権に反するという理由で非難するべきではありません。

 私は、いまこのタイミングで9条を変え、そのための国民投票法をつくるべきではないと考えています。こうした議論の前提として、まだまだ国民の認知が不十分だと思っているからです。朝日新聞の調査では、憲法をよく知っているという人は4%。国民投票法制に至ってはNHKの調査で3%です。こうした状況では改憲どころか、国民投票法を制定する前提がまだ整っていないと思わざるを得ません。
国民主権の具現化とは、多数決の意思の反映ではない
 そして改憲や国民投票法について議論するためには、議論する人々の間で、憲法の目的や意義において、ぶれていないことが大前提となりますが、この点は多いに不安が残ります。

 立憲的意味の憲法の本質、つまり憲法とは、国家権力を制限して国民の人権を保障するものであるという基本点において一致していなければ、議論が先にすすみません。

 あくまでも憲法とは国家権力に対する歯止めであって、国民に愛国心を押しつけたり、責務を課したりするようなものではないという原則論においてしっかりと一致していることが重要です。本来、国会ではそのすりあわせが何よりも必要なことであり、国民投票法などはその先にあるべきものではないでしょうか。

 そもそも憲法の意義や役割において合意できていない人たちの間で有益な議論が成り立つのか、外から見ていて極めて疑問に思います。

 いうまでもなく政治はさまざまな意見の妥協の場であり、妥協できるということは目的において一致しているからに他なりません。そうした共通基盤がなく、憲法の存在意義や目的において合意できていない段階では、討論と妥協による議会制民主主義が成り立たないのではないか、単なる多数決主義に陥ってしまうのではないかという不安を覚えます。
戦後最大の重要法案の一つである、国民投票法案の成立については、
反対、賛成、さまざまな意見があって当然です。
それだけに、国民への十分な説明が必要であり、
性急な強行採決はなされるべきではない、と思います。
ご意見募集!
ぜひ、ご意見、ご感想をお寄せください。
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