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伊藤真のけんぽう手習い塾
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国民投票法が必要か、必要でないかについても論議が分かれています。
ここでは、「なぜ必要でないのか」という
伊藤塾長の考えをしっかりと語ってくれました。
いとう・まこと
1958年生まれ。81年東京大学在学中に司法試験合格。95年「伊藤真の司法試験塾」を開設。現在は塾長として、受験指導を幅広く展開するほか、各地の自治体・企業・市民団体などの研修・講演に奔走している。近著に『高校生からわかる日本国憲法の論点』(トランスビュー)。法学館憲法研究所所長。法学館のホームページはこちら

国民投票法について(その3)
 「立法不作為」を不用意に使うなかれ
 前回、国民投票法についての私の考えを述べてきましたが、さらに国民投票法の要否についていくつかの疑問に答える形で補足しておきます。

 まず、国民投票法を作ってこなかったのは立法不作為として国会の責任があるのではないか、その責任を果たすために国民投票法を作る義務が国会にはあるのではないかという疑問です。

 そもそも立法不作為の責任というのは、憲法上、国会が立法することを義務づけられているにもかかわらず、それを怠り、その不作為によってある国民の人権を侵害することになった場合に、国が国家賠償法上の責任を負うときに使う概念です。

 たとえば、ハンセン病の患者さんを強制隔離する法律を改正しないで、患者さんの人権侵害を放置し続けたことに対して、国会の立法不作為責任が問われます。外国に住む日本人の選挙権を行使できるようにする法律を作らずに放置したことに対しても立法不作為責任が問題になります。これらはともに憲法上見過ごすことができない明確な人権侵害がある場合です。こうした具体的な人権侵害が放置されたときに、始めて国会の立法不作為の責任が問われるのです。

 憲法改正のための国民投票法が作られていないからといって、誰か具体的な国民の人権が侵害されているわけではありません。ある人が改憲したいと思って、自分の国民投票権という人権を行使したいと考えているのに、手続法がないから国民投票ができないのは人権侵害だという人がいるかもしれません。しかし、その人が国民投票できないのは、国民投票法がないからではなくて、国会が発議していないからというだけです。当たり前のことですが、いくら国民投票法があっても国会が発議しなければ国民投票権を行使することはできません。

 国会が国民の要請を受けて、改憲の発議をしようと思えば、いつでも国民投票法をつくって発議することができるのですから、国民投票法がない状態を国民の人権が侵害されている立法不作為状態だというのは間違っています。

 立法不作為を法律論として理解していない政治家が、この言葉を不用意に使うのは、議論を混乱させるだけです。
国民の多くは、本当に改憲を望んでいるのか
 次に、これまで国民が国民投票法を望んでいなかったから、この法律を作ってこなかっただけだというが、現在は国民の約6割は改憲が必要だと考えているのではないか、という疑問がよせられることがあります。

 確かに改憲が必要という声を世論調査ではよく聞きます。5割から6割くらいのところでしょうか。しかし、その反面、憲法のことをよく知っているという人は4%、ほとんど知らないという人が52%です。なんとなく改憲した方がいいんじゃないの、やっぱり古くなったし、新しい人権を保障することは必要だと思うし、という意見がとても多いようです。

 ですが、私もこうした発言をする方に、「新しい人権などは今の憲法でも十分に保障されていますよ。今の改憲の焦点は9条であり、改憲したい人の主張をよく読むと、変える必要があるのは9条だけですよ。」とお話すると「じゃあやめた」という反応がほとんどです。つまり、国民の多くは、具体的に理解して改憲の必要性を感じているのではないのです。まさに雰囲気で改憲してみようかというだけです。

 漠然と改憲の必要性を感じることと、具体的にある条文の改憲を望むことは別物だと認識しておかなければなりません。今、問題にしているのは、具体的にどの条文がどのような理由から改憲が必要なのかをしっかりと明らかにすること、そしてそれに対して自分の意見をしっかりと持つことです。

 今よりも、もっといい憲法になればいいな、という気持ちはほとんどの人が持っているはずです。ですが、それは改憲論議とは別ものです。改憲論議は、よりよい憲法をめざそうというサロン談義ではありません。ある特定の条項を特定の目的のためにどう変えるかを考える具体的な話です。そうした必要性を国民がどれほど考えているかがポイントなのです。焦点は9条ですから、9条改憲の必要性を多くの国民が感じたら、その段階で国民投票法を作ればいいだけです。
国民が望んだときのみに、例外的に改憲の発議をすることができる
 次に、憲法には改正規定があるから、手続法を整備することこそが憲法を尊重することになるのではないかという疑問にお答えします。

 それは逆です。本来、国会議員には憲法尊重擁護義務(憲法99条)があるので、現行憲法を維持し、それを実現する方向で活動することが求められています。あくまでも国民の要請があるときに、96条の改正の発議に限って例外的に許されているだけなのです。原則と例外を逆転させてはいけません。だからこそ、硬性憲法にして国会議員から軽々に改憲を言い出せないようにしています。

  あくまでも国民が望んだときに、国民の代表として改憲の発議をすることができるだけなのです。改憲のための手続法の整備と憲法尊重擁護義務とは関係ありません。
国民主権を実践するということは?
  次に、国民主権の観点から、憲法について国民に判断させる国民投票をつくるべきであり、手続法がないのは国民の主体的判断を奪うことになるのではないかという疑問があります。

 まず、今の憲法を変えさせない、改憲しない、そのためには手続法も作らせないという国民の意思も立派に国民主権の現れです。そして、国民は日々、この憲法のもとで生活しています。この憲法を自分たちの生活の基礎として受け入れています。これは私たちの主体的な判断の結果であり、国民主権を実践していると言っていいのです。表現の自由も、経済的自由も、選挙も裁判も、そしてさまざまな法律について意見をいうことも、すべて国民主権であり、憲法の実践です。改憲の国民投票だけが国民主権の現れであるかの議論は間違っています。
憲法を変えるということは、法律を作り直すこととは、
まったく異なる性質だということを、今一度、認識する必要があるのではないでしょうか。 
今、流れにのって、国民投票法も制定されようとしていますが、
憲法の原理原則について改めて知る必要を感じます。
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