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伊藤真のけんぽう手習い塾
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あたかも「大統領制」のような政治手法をとった小泉首相は、
議院内閣制のメリットである
「国会内で、少数意見をもつ政党とも議論を徹底的に行い審議する」といったプロセスさえも、
機能停止に追い込んでしまったのではないでしょうか。
本来の憲法が定める議員内閣制について、塾長にしっかり教えていただきます。
いとう・まこと
1958年生まれ。81年東京大学在学中に司法試験合格。95年「伊藤真の司法試験塾」を開設。現在は塾長として、受験指導を幅広く展開するほか、各地の自治体・企業・市民団体などの研修・講演に奔走している。近著に『高校生からわかる日本国憲法の論点』(トランスビュー)。法学館憲法研究所所長。法学館のホームページはこちら

議院内閣の仕組み
憲法上の規制がない
日本の政党活動
 安倍晋三氏が政権公約で、新憲法の制定と教育改革を正面に掲げています。「美しい国、日本」をめざすそうです。「世界遺産」ともいえる9条を捨て去り、戦争をする国のどこが「美しい」のか、私にはさっぱりわかりません。それに、 主張する外交ということで、日米が対等に「ともに汗をかく」という表現をテレビでも連発していましたが、はっきりと「ともに戦争をする」と言ってほしいものだと思いました。

 さて、消化試合などと揶揄されてしまう傾向のある自民党の総裁選ですが、引き続き、憲法の議院内閣制について考えてみましょう。

 前回、お話したように、日本ではドイツのように政党について憲法上の規制がありません。それはどのような政党であっても、私的結社として自由に活動することを認め、その理念や政策に対しても、一定の価値を押しつけることはしないという 徹底した自由主義に基づいているからといえます。

 そして、そのように政党が自由を享受できるのは、反対政党や国民による批判にさらされているという担保があるからに他なりません。国民が納得できない政策や国民を危険にさらすような政党は、国民が許さないでしょうから、あえて憲法で規制するまでもないと考えたわけです。

 つまり、言論の自由によって批判され、その批判に耐えうる政党のみが生き残るはずだという考え方に基づいています。まさに思想言論の自由至上の考え方です。ですから、憲法で政党について規制しないかわりに、他の政党や国民から厳しい批判の声があがり、その理念の検証や徹底した政策論争が行われることが不可欠なのです。そうした前提をふまえて、憲法は、国会における第1与党の党首が事実上、内閣総理大臣に指名されていく議院内閣制を採用しました。

 政党が機能する国会は立法権であり、内閣総理大臣は行政権の長です。三権分立の下では、この両者は本来、別々であるはずなのですが、議院内閣制の下では、国会の政党の党首が内閣のトップを兼ねることになりますから、このこと自体、権力分立という点からは問題がありそうです。つまり、国会と内閣の間には権力分立は働かないのではないかという疑問が生じます。
 この点は、後に考えることにして、まず、議院内閣制という行政運営の方法について検討してみましょう。

議院内閣制の仕組みと内閣総理大臣の権限
 国会で指名され、天皇によって任命された内閣総理大臣は、まず国務大臣を選んで内閣を組織します。この国務大臣はその過半数が国会議員であること(憲法68条1項)、及び文民であること(66条2項)が憲法上要求されているだけです。派閥を考慮しようが、支援グループから論功行賞で選ぼうが、民間人を登用しようが総理大臣の自由です。

 ちなみにこの文民条項は、軍隊をもたない憲法の下では無意味ではないかと指摘されることもありますが、過去に職業軍人であった者を排除するという現実的な意味をこれまで持ってきました。

 さて、こうして作られた内閣に行政権が帰属することになります(65条)。あくまでも内閣という合議体に行政権が帰属し、これを合議制といいます。内閣の権限は、73条に列挙されているものの他に、天皇の国事行為に対する助言と承認などさまざまありますが、すべて内閣の権限として行われる以上は、閣議決定が必要となります。外交関係の処理や予算の作成、一般行政事務などに関して、まず合議体としての内閣で議論して、閣議決定を経て、実行に移されます。総理大臣はこうした閣議決定に従って、内閣を代表して行政各部を指揮監督することになります(72条)。

 閣議決定は慣習で全員一致が求められていますから、もし、重要な案件に反対する国務大臣がいるときには、総理大臣はその人を辞めさせた上で、閣議決定をしなければなりません。総理大臣は、自由に国務大臣を罷免することができます(憲法68条2項)。これは明治憲法にはなかったもので、内閣が一体として活動できるように、総理大臣には首長として強い権限が与えられているのです。

 こうして一体となった内閣に行政権が帰属し、この内閣が国会に対して連帯して責任を負うことになります(憲法66条3項)。国会は内閣に対して、不信任決議(憲法69条)などで責任を追及することができます。このように内閣が国会に対して責任を負う制度を議院内閣制といいます。国会によって選ばれた総理大臣が作った内閣が、国会に責任を負うわけです。

 ちなみにアメリカでは大統領という一人の人間に行政権が帰属します。一人という点に着目して独任制といいます。そして国民から事実上、直接選ばれた大統領が、自分を選んでくれた国民に対して責任を負うのです。これが大統領制です。 日本とアメリカの行政のあり方は、このように、合議制か独任制か、誰に責任を負うのかという点で議院内閣制か大統領制かという違いがあります。それぞれメリットとディメリットがあります。

 合議制・議院内閣制の下では、国民の声を国会が吸い上げて、そこで十分に審議して政策を決め、その国会の意思に従う形で、内閣の閣議で相談して行政を運営することが予定されています。国会での審議や閣議での議論などを経て、行政が運営されますから、衆知を集めた慎重な行政運営が期待できます。ただし迅速性に欠けることがあります。

 これに対して、独任制・大統領制の場合は、国民から選ばれた大統領が、国民の声を直接、行政に反映しますから、迅速で強力なリーダーシップを発揮することができます。大統領のまわりには大統領を補佐する人たちはいますが、どうしても大統領の考えが全面に出る行政運営となりますから、独裁の危険がつきまといます。

 このようにそれぞれ長短あるのですが、日本の憲法は、独裁者に振り回されて悲劇を迎えることがないように配慮して議院内閣制を採用しました。これは、議会で十分に審議して国政を運営しようとする議会制民主主義を前提とします。議会内部で多数派と少数派が十分に議論し、内閣による国政運営の問題点を明らかにし、国民がその情報をもとにしっかりと考えて選挙を通じて意思を表明するという仕組みです。

国民による、批判にさらされることが前提
 日本は戦前、天皇の権威を振りかざす軍部の暴走を議会が制御することができず、不幸な戦争に突入していきました。国民もマスコミも、治安維持法による弾圧やテロの恐怖に怯えてモノを言えず、民主主義が封殺されました。

 こうした失敗を繰り返してはなりません。そこで憲法は、国民一人ひとりの思想・良心を保障するとともに(憲法19条)、政府を批判する言論の自由をしっかりと保障するようにしたのです(憲法21条)。報道機関も政府に都合のよい情報ばかりを流して国民の判断を誤らせることのないようにしなければなりません。

 これまで続いた小泉政権では、小泉首相が毎日のようにテレビに登場して国民やマスコミに向かって発言し、世論を直接コントロールすることで得た国民の支持に支えられて政策を実現してきました。これはあたかも大統領制のような手法です。

 そして、少数意見や弱者の声は切り捨てられ、多数派の大きな声や大企業の利益を追求する政策ばかりが大手を振るってまかり通りました。政府を批判する言論や活動は一部を除いてほとんど報道もされませんでした。
 靖国問題をとりあげるマスコミの姿勢を批判したり、憲法論議を神学論争と揶揄して取り合おうとはしない小泉首相自身の姿勢がこうした風潮に拍車をかけてしまったようです。「自衛隊のいるところが非戦闘地域」という暴論も、憲法前文を引用してイラク派遣を正当化した暴挙も忘れることができませんが、あまり批判もされず議論になりませんでした。これでは、議院内閣制の長所を生かして、議会制民主主義を実現してきたとはいえません。

 もちろん、首相が国民に政策を説明しその支持を得ること自体は、悪いことではありません。議院内閣制といっても最終的には国民の支持がなければ国会の与党自体が成り立ちませんから、主権者たる国民に判断材料としての情報を与えることは意味のあることです。

 ですが、本来ならば、国民に流される情報は、国会における審議の過程、つまり反対派による批判やそれにどう答えるかという実質的な議論の過程でなければならないはずです。国民は、その議論を聴いて政策の当否を判断し、国会議員が自分たちの代表としての仕事をきちんとしているかどうかを選挙において評価するのです。

 政治家の評価は、ワンフレーズや印象で決まるものではないことを、小泉政権を通じて、多くの国民が認識したのではないかと思います。主権者たる国民は、メディアよりもよほど賢いものです。一気に流れる危うさを持ちますが、同時にしたたかさをも持っています。自分たちの生活が本当に豊かになり、安全になる政策を実現してもらえるのか、それともまた、「美しい国」という耳障りのいいキャッチフレーズで終わるのか、しっかりと見定めることができるはずです。

 憲法論議も教育改革も、スッキリ症候群の世襲議員たちに任せるのではなく、私たち国民が、生活の当事者としての実感を信じて、感受性豊かな一人の人間として、家庭や職場で積極的に話題にしていかなければなりません。

 緊張感をもって政治をみていくことが、憲法の想定する国家と国民の関係です。たとえ誰が総理大臣になろうとも、私たち一人ひとりが政治を監視し続け、批判し続けることこそが民主主義の本質だということを再認識するときだと思います。

新しい日本の首相が決まり、秋の国会が始まります。
私たちは、緊張感を持って政治を監視し、
批判する目を広げていかなければなりません。
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