戻る<<

伊藤真のけんぽう手習い塾:バックナンバーへ

伊藤真のけんぽう手習い塾(第66回)

080528up

国民の生命や平和な生活を脅かす多数派の横暴には、
「地方自治」からストップをかけることができると塾長。
そうした地方自治の本質を理解していない市議会や市議会委員の言動について、
強く批判をしています。

いとう・まこと1958年生まれ。81年東京大学在学中に司法試験合格。95年「伊藤真の司法試験塾」を開設。現在は塾長として、受験指導を幅広く展開するほか、各地の自治体・企業・市民団体などの研修・講演に奔走している。近著に『高校生からわかる日本国憲法の論点』(トランスビュー)。法学館憲法研究所所長。法学館のホームページはこちら「伊藤真のけんぽう手習い塾」から生まれた本です。
集英社新書より絶賛発売中!

※アマゾンにリンクしてます。

※アマゾンに
リンクしてます。

地方自治と平和

9条違憲の名古屋高裁判決が与えた
具体的な政治影響

 イラクにおける航空自衛隊の多国籍軍空輸活動が違憲と判断されたことなどから、与党はイラク復興支援特別措置法の延長を求めない方向で調整に入ったとの報道がありました。政治家がこぞって無視し、軽視しようとした名古屋高裁の判決ですが、こうして具体的な政治に影響を与えるという重要な効果も持つのです。

 民主主義の政治ルートとともに、市民の提訴した訴訟を通じて、裁判所によって私たちの平和が具体的に実現していくことを実感します。平和的生存権を持つ一人ひとりの市民の意識と決意が重要であることが改めて認識されます。

 平和の実現の本来の姿は、国民の多数意思によって政府に戦争をさせないことにあります。つまり民主主義のルートによる平和の実現です。政府の戦争準備行為や外国軍隊への協力行為によって、もっとも危険に晒されるのは国民一人ひとりです。そこで、そうした国民の多数意思によって政府に戦争をさせないように歯止めをかけるために、憲法は国民主権を採用したのです(前文1項)。

 そして、その多数意思による抑制がうまく機能しないときに、一人ひとりが人権を主張して政府の戦争行為をやめさせることができる。これが平和的生存権であることを前回、指摘しました。

95条から地方自治の本質・趣旨を考える

 実は憲法は、国家政策のレベルで戦争準備行為や他国軍隊への協力行為など市民の平和を侵害する行為が行われようとしたときに、それに歯止めをかける方法をもう一つ用意しています。それが地方自治です。

 95条には、「一の地方公共団体のみに適用される特別法は、法律の定めるところにより、その地方公共団体の住民の投票においてその過半数の同意を得なければ、国会は、これを制定することができない。」とあります。

 つまり、国会がある地方に不利益になるような法律を作るときにはもっとも利害関係のある地域住民の賛成がなければ法律として成立しないのです。これは住民自治という地方自治の本質からくる要請であると同時に、中央政府の暴走に地方が歯止めをかけるという、もう一つの地方自治の本質(団体自治)の要請でもあります。

 確かに国防や安全保障の問題は国家の一大事です。ですが、たとえ、そうした国家の重要問題であっても、それらから生じる負担を特定の地域の住民だけに押しつけて良いわけはありません。そのような法律を作るときには、その負担を強いられる地域の住民の同意が必要だいうのが95条の趣旨です。いわば国家レベルの多数の横暴から少数派である地域住民を守る役割を果たす規定です。

 このように憲法は地域住民の意思を尊重することを保障しています。これは多数派から少数派を守ると言い換えることもでき、まさに憲法の目的に合致した制度です。こうした憲法の考え方からすれば、たとえ、国防、安全保障の問題であっても地域住民の意思を無視して押し進めることはできないはずです。

 地域住民が、自分たちの生活に重大な影響を及ぼすような国の安全保障政策に対して意見を述べ、自分たちの考えを主張することは憲法が予定しているところだといってよいでしょう。

 たとえ安全保障政策に関することであっても、地域住民の生活に関わることであれば、たとえば住民投票などによって地域住民は自らの意思表示ができるのです。95条は地方自治特別法という法律制定の場合の規制でしたが、そうした法律制定の場面に限らず、特定の地域に不利益になるような国家政策に対して、地域住民が自らの意思を表示できるとすることは憲法の地方自治の趣旨に合致することはあっても反することはないというべきです。

横須賀市議会にみる地方自治の間違い

 こうした観点からみると、神奈川県横須賀市議会が5月16日に、米軍原子力空母の横須賀配備と安全性を問う住民投票条例の制定を求める住民発案があったにもかかわらず、これを否決したことは、自らの地方自治の権能を放棄したにも等しい愚行だといえます。

 そこでは、住民投票の実施は「地方公共団体の範疇を越え」「将来に大きな混乱」を起こすから反対をした自民党市議がいたそうですが、地方公共団体の存在意義を全く理解していない発言であり、将来の混乱と将来の住民の安全のどちらが大切かの判断もできない政治家であることを自白してしまったようなものです。

 また、公明党の市議は「賛否を問えば地方自治体が外交処理に関与し、制限する可能性がある」と述べたそうですが、住民の命と安全を守るために国の外交処理を制限することは、まさに地方自治体の役割に他なりません。地方自治体が住民の命と安全を守ろうとしないで一体何のための自治体だと考えているのでしょうか。

 地方自治体が独自に外交を進めることはできませんが、政府の行う外交処理が住民を危険にさらすから、住民を守るために政府の行為を抑制することは団体自治としてむしろ憲法が求めている自治体の役割です。

 外交や安全保障の問題だからといって、住民を危険に晒すような政策について、地方自治体が政府に盲従しなければならない理由はどこにもありません。地方自治体は主体性をもって、住民の意見を代弁するべきなのです。

 こうして憲法は、国の安全保障政策が憲法前文、9条に違反したり、国民の生命、安全を害したりする危険があるようなときには、私たちが主体性をもって、ときに平和的生存権という人権を主張し、ときに地方自治権を主張して平和の実現に積極的に関与していくことを予定しているのです。

自衛隊のイラク撤収が現実的になってきました。
与党の重い腰を上げざるを得なかったのは、やはりあの判決があったからでしょう。
憲法は、生きているんだなあと実感させられます。
私たちは憲法を“武器”にして、平和実現のために、まだまだ闘っていけそうです。


ご意見フォームへ

ご意見募集

マガジン9条