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2010-05-26up

伊藤真の「けんぽう手習い塾・リターンズ」

【第2回】 「一人一票」は、民主主義国家の基本

国民の一票は等価値でなければいけない

 法律を作るときも、総理大臣を選ぶときも、国会議員の多数派がこの国の行方を決めます。その国会議員は国民の多数派から選出されなければ民主主義国家とは言えません。憲法改正も両議院の総議員の2/3によって発議されますが、ここでの国会議員も国民の多数派から正当に選ばれた者でなければなりません。

 選挙制度や二大政党制、政治のあり方にはいろいろな意見があります。しかし、近代国家の政治のあり方の基本が民主主義であり、対等な個人による多数決で意思決定を行うという点については異論がありません。もちろんもっと他の方法が将来発見されるかもしれませんが、今のところ、対等な個人が自由に意見を出し合って、最後は多数決で決めるという手法が最適だと考えられているわけです。

 読者の皆さんの中には、前回の私の説明を読んで、小選挙区制の問題点などを想起された方がいたかもしれません。しかし、一人一票の問題は小選挙区制がいいのか、比例代表制がいいのか、という問題以前のことなのです。そもそも「多数決で国民の意思を決めなくてよいのか」という問題です。

 小選挙区制においては、2人の候補者が49%対51%の得票をしたときに、49%に投票した人の意見は反映されません。死票になってしまいます。しかしそれでもその選挙区の多数派の民意が反映します。その限りでは多数決になっています。もしここで49%の得票の候補者を当選させるとしたらどうでしょうか。それは誰も納得しないでしょう。それと同じことが日本では全国規模に引き直すと行われているということです。

 小選挙区と比例代表のどちらがいいのかという問題ではありません。比例代表でも選挙区をもうけて選挙をする場合には、選挙区ごとの定数配分という同じ問題が起こります。もちろん選挙区自体を設けない、つまり全国区1区にするのなら問題ないでしょう。しかし、それでは無名の候補者による選挙運動などが効果的にできずに、公正に民意を代表する制度とはいえなくなる可能性があります。

 ある程度の大きさの選挙区に区切って、小選挙区なり中選挙区なり比例代表なりの制度で代表者を選ぶことが今のところは現実的です。そこでどのような選挙制度であろうが、人口比例で代表を選ぶ、つまり一票の持つ政治への影響力を選挙区ごとに平等にすることが何よりも必要なことなのです。

 これが確保されていないところで、どのような選挙制度がよいかを議論してもまったく意味がありません。民主主義の基本である多数決が行われないのですから。

人格価値における平等に反する

 次に多数決ばかり強調して、少数者の権利はどうなるのかという疑問を持たれた方もいたかもしれません。確かに憲法は少数者の権利を保障するためにありますし、私もその点を強調してきました。

 しかし、それも多数決の原則が機能しているからこそ、そこで生まれる少数者の権利への配慮が必要だという議論が出てくるのです。そもそも多数決が正常に機能していなければ、何が少数意見か、すらわかりません。それでは意味のある議論ができません。

 国民の多数派の代表者の意見だとこうなる、しかし、それでは不都合も生じるから修正するという議論のプロセスをとるべきなのです。まずは国民の一票は等価値であり、その平等な国民の意見を吸い上げて、多数派の代表者が国会の多数派を占めるようなシステムをしっかりと構築しなければ、すべての国家運営を誤ってしまいます。

 一票の価値つまり政治に対する影響力が住んでいる地域によって異なってもよいという考えは、私にとってはとうてい許すことはできないものであり、人種差別と同じくらいの大問題です。

 なぜなら、政治的価値において平等ということは、その人の人格価値に基づくからです。ある人の政治的意見が別の人の政治的意見よりも価値があるから優遇するということは、人間の人格価値における絶対平等に反します。

 人間は誰もが違います。ですが、人間としての人格価値(この世の存在すること自体の価値といってもよいでしょう)は絶対に平等なのであって、そこに差を設けることは許されないと考えます。個人がどう思おうと勝手ですが、国家がその価値を判断して差別することがあってはならないということです。

 そして人類の民主主義の歴史は、人種、性別、学歴、納税額などで選別した特定の者の意見のみを政治に反映すればよいという制限選挙の時代から、誰もが一定年齢に達したら選挙権を持つ、普通選挙へと進化していったのです。これは選挙権が個人の人格価値の平等に基づくものであることを意味しています。

有意義な憲法論議のために

 憲法改正論議もこうした人格的価値において平等な個人が自由に自分の意見を発表し、その意見が対等に反映されるような議論が行われて初めて有意義なものとなります。

 5月18日から国民投票法が施行されました。法律成立から3年間の間に国会では想定されていた議論が何も行われずに、ここまで来てしまいました。3年前の何かにとりつかれたような国民投票法成立への動きはなんだったのでしょうか。

 私は国会でも国民の間でも憲法論議は積極的に行うべきだという考えを持っているのですが、憲法論議自体が憲法改悪を招くという理由から、憲法を議論すること自体に反対をする人たちがいます。最近、そうした人たちから批判を受けることもあります。次回はこの憲法改正国民投票法施行に際して、少し考えてみたいと思います。

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前回の「一人一票」のコラムについての読者からの質問に、塾長が答えてくれました。 この問題は、「多数決で物事を決める」という民主主義の根本が守られていないということ。 そしてこれは、「どのような選挙制度がいいのか」という以前の問題であるということです。 なかなかイメージができない問題ではありますが、繰り返し取り上げていきたいと思います。

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伊藤真さんプロフィール

伊藤真(いとう・まこと)
伊藤塾塾長・法学館憲法研究所所長。1958年生まれ。81年東京大学在学中に司法試験合格。95年「伊藤真の司法試験塾」を開設。現在は塾長として、受験指導を幅広く展開するほか、各地の自治体・企業・市民団体などの研修・講演に奔走している。著書に『高校生からわかる日本国憲法の論点』(トランスビュー)、『憲法の力』(集英社新書)、『なりたくない人のための裁判員入門』(幻冬舎新書)、『中高生のための憲法教室』(岩波ジュニア新書)など多数。近著に『憲法の知恵ブクロ』(新日本出版社)がある。

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