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日本人と中国人の歴史認識になぜ大きな隔たりがあるのか?
班さんは、日本軍が中国で起こした残虐な事件についての記録映画を撮りました。
それが 突きつける事実を、私たちはどう受け止めますか?
私たちの歴史に向き合う姿勢、そして未来への想像力が問われています。


第17回
ロシア
「中国と日本と憲法9条」(後編)
班 忠義バン・チュンイ/作家・映画監督  
1958年中国遼寧省撫順市生まれ。
82年黒竜江大学日本語学部卒業。
92年中国残留日本婦人の人生を描いた、
『曾おばさんの海』で第7回朝日ジャーナルノンフィクション大賞受賞。
96年『近くて遠い祖国』ゆまに書房出版。
2000年ドキュメンタリー映画『チョンおばさんのクニ』日本や台湾で上映。
2005年日中戦争の旧日本軍による性暴力被害者についての調査を『蓋山西(ガイサンシー)と彼女の姉妹たち』というドキュメンタリー映画にまとめ、中国、香港で上映。
戦争についての中国人と日本人のずれ

日中戦争時の旧日本軍の行為は“非人間的”だったと中国人は誰しも考えていますが、今の日本人はあまりそのような認識を持たないようです。日本では戦争のことをあまり教えられなかったために、認識の違いが生じるのでしょうか。

私は中国の大半を走り回って戦争の歴史事実を調査しました。耳を、目を疑うような証言、戦争の傷跡の中で、私はひとつの出会いにより、日中戦争時のある側面をビデオ作品で語ることになったのです。

1992年、東京で日本の戦後補償に関する国際会議が開かれました。その会議で被害の証言をした中国山西省出身の万愛花さんは壇上で気絶、そのことが日本のメデイアに大きく報道されて、初めて中国の性暴力被害者の存在が世間に知られました。

それから3年後、私は、日本軍は本当に山西省で性暴力事件を起こしたのかと疑う気持ちを抱いて事件の現場へ行きました。辺鄙な黄土高原の一山村でした。

現地に着いて話を聞くと、村人は皆、ガイサンシーという女性の名前を言い出しました。ガイサンシーとは山西省一の美人という意味です。その女性は綺麗で有名だったので、日中戦争当時、2回も日本軍のトーチカ(編集部注:機関銃・火砲などを備えた、コンクリートで固められた防御陣地のこと)に捕らえられ、輪姦され、病気になって家に帰されたといいます。

彼女と一緒に監禁、性暴力を受けた女性の証言では、昼間は兵隊たちに輪姦され、夜になると隊長に呼ばれて相手をさせられる。15日くらい経つと、ガイサンシーは体が腫れ上がり意識が朦朧とし、言葉も出なくなって家に帰されました。しかし、少し回復した頃に、再び日本軍のトーチカに連行され、繰り返し輪姦や強姦といった侮辱を受けたのです。彼女はとうとう大出血し、意識を失って、また家に戻されました。その後、彼女は生殖能力を失い、村人に汚い女性として差別され、3回の離婚、結婚を繰り返し、辛い人生を送りました。

晩年、再び子宮出血に悩まされ、治療するお金もなく、とうとう病苦に耐えられず自殺してしまいました。私が現地に着いた時、彼女はすでに亡くなっていました。

戦争が作り出す異常な精神状況

終戦後60年が過ぎた今、生き残っている女性は20数人で、多くの被害女性は亡くなってしまいました。私は生き残っている彼女たちの証言を取材する一方、戦争当時、現地に駐屯していた中国華北派遣軍・独立混成第4旅団第14大隊一中隊の元日本軍兵士に話を聞きました。

彼は、多くの日本兵が毎日八路軍(編集部注:抗日戦争中の華北の中国共産党の軍隊のこと)のゲリラ攻撃に悩まされ、頭がおかしくなり人間ではなくなったといいます。被害女性の話す隊長が自分の上官であることは認めましたが、女性暴行事件の加害事実については口を閉ざしました。彼らは皆死んでしまって、仏様となり、その人たちの悪口を言えないというのです。

一方、別の大隊のもう1人の元日本軍兵士は、自分自身が加わった1回の暴行事件を大変苦しみながら後悔しています。1943年、トーチカの中で4人の4年兵が1人の現地女性を捕まえ輪姦していました。そこにいた彼は、古兵に命令されて抵抗できず、輪姦に加わったそうです。彼は今でも、自分がやったことを信じられないとずっと苦しんでいるのですが、2度とこのような戦争を起こさないために、自らの体験を若い世代に語り継いでいます。

旧日本軍人は自分が昔行った非人間的な行為が信じられないといいます。しかし被害者女性や、まわりの中国人たちにとって、この人間性を失った旧日本軍の行為こそ信じられないものでしょう。

日本で語り継がれてこなかった戦争体験

一方で今の日本ではそれを教えられてこなかったし、若い人々は見たことも聞いたこともない。ですから、そういう親の世代の信じられないことを言われると、反感に転じるほかないのです。

しかし、当時の話を聞き、状況を想像すれば、信じられるようになると思います。本来悲惨なものである戦争を遂行するためには、人間が人間性を失うように教育され、たたきあげられるのです。

数多くの元日本兵にインタビューする中で、よく話されることは軍隊の初年兵教育です。内部の上下関係、古兵の体罰による徹底した服従心の植え付け。兵隊の身体検査さえ、人間の尊厳を失うようなものだったといいます。

自分の考え、性格、人格をなくして、戦闘道具にされてしまう。人を殺す訓練として中国人捕虜の首切りは常套訓練でした。中国人を劣等民族、“チャンコロ”と呼んで、犬や鶏と同じと見なしていました。その人たちを殺しても、人を殺す感覚をもたせない。これこそ当時の教育であり、国策でした。そういう環境でたたきあげられた兵士は残虐、残酷な行為をしても自覚しないのです。

証言をしてくれた元日本兵はみな善良で、戦後まじめに日本社会で働いてきた一市民です。歴史を教えられていない世代にとって、普通の優しい親の世代がそのような残虐行為をしたとは認め難く、日本民族全体が否定されるように聞こえるのでしょう。

しかし、このような旧日本軍の制度を知らない中国の被害者や遺族たちは、日本兵を生まれつきの残虐者とみています。彼、彼女たちには、日本軍に首を切られ、胸を刺されている映像が残っているのですから。

靖国は歴史認識のバロメーター

最近、多くの中国人の間では、日本が本当に中国に対して戦争についての謝罪をしたのかという疑問が強まってきています。

戦後60周年の節目に、中国のある新聞が「日中国交回復当時、田中首相は中国人民に“大変迷惑をかけた”と言ったが、なぜ中国人民に過去の戦争に誠心誠意の謝罪を言わなかったか」という論点を取り上げました。そして、「結局、毛沢東がアメリカの存在を意識して、“迷惑をかけた”という程度のお詫びを容認し、田中首相も謝罪に強く反対する自民党内部の勢力を納得させるために、この程度の軽いお詫びで済ませたのだろう」と分析しました。

当時の中国は、その後の日中共同声明に、日本国が過去の戦争で中国人民に大きな損害をもたらし、深く反省するというような文言で反省を表明したので、中国人民に“謝罪”したというようなムードをつくったのです。民主主義国家ではない中国では、国民の声がそのまま日本に伝えられることなく、政府の政策都合による被害を無視した友好ムードが演じられたのでした。  

加えて日本国憲法9条の存在のおかげか、それ以来――中曽根氏が総理として靖国神社を参拝し、第一次教科書問題が発生する時まで――中国人は日本人のことを信用し、経済の格差もあって日本人に対して、ある意味で羨望、尊敬の念を抱いていたようです。

しかし、1980年代から次第に日本国内では過去の戦争を美化、非を認めない風潮が芽生え、強まってきたので、中国人は戦争問題で裏切られた、騙されたという気持ちを抱きました。その後、日本側の過去の戦争への肯定的な言動があるたびに、中国人は反感を募らせています。特に日本の国家元首が靖国神社を参拝するたび、中国国民は大変憤り、両国間の緊張が高まります。

「なぜ日本の首相が靖国神社へいくと、中国人はそんなに反発するのか?」と不思議に思う日本人も多いことでしょう。多くの中国人にとって靖国神社参拝は、参拝行為そのものより、日本が過去に起した侵略戦争を日本政府がどう考えているのか? また侵略戦争に対しての日本人の認識に変化があるのか? そのバロメーターだと思っているからです。

今まで中国人は日本人の「深く反省する気持ち」を信用し、戦争被害賠償を放棄しました。しかし、人命と財産の損失の賠償は、まったくなされなかったのに、ここにきて返ってきたのは、「中国侵略は非であることさえ認めたくない」という少なくない日本人の心の中の声でした。これは何なのでしょう? 殺された遺族の心情、痛みを感じることはないのでしょうか? 殴った人はすぐ忘れるが、殴られた人はその痛みをいつまでも忘れません。

このような歴史認識の差は、日中両国の社会形態、制度の違いもあって、中国人と日本人の相互理解、心の交流の隔たりも生み出しています。

9条をアジアの軸に

ただし、中国人も日本人も過去の戦争の歴史を見るとき、民族的感情によって対立的に見るのではなく、人類の共通した歴史をみる普遍的な立場から、お互いに事実を認識するべきです。そうすれば憲法9条が人類共通の遺産であることが明らかになり、真の相互理解が生まれるでしょう。

過去を完全に清算していない国が武力放棄の表明である9条を改定すれば、アジアの国々には「日本が再び軍備強化、戦争を引き起こすのではないか」という不信感が生まれます。それは平和を目指す理念とはまったく反対の方向へと世界を巻き込むことになります。

戦争を回避、拒絶するには、9条の理念を世界中に広げること。改定ではなく、活かすということです。

そのために、まずは9条をアメリカに逆輸入させましょう。アメリカこそ合衆国の憲法に9条の理念を加えるべきです。そして中国にも。

日本の民族主義台頭を戒め、中国の民主主義社会の樹立を目指す。この9条をアジア、そして世界に広げることによって、平和への理念によって統合された真のアジア共同体をつくり、世界の平和に貢献する。そのための責任を日本は負っていると思います。

歴史を学ぶ目的は、相手国を糾弾するためではなく、
未来へ向けた他国との建設的な関係を結ぶことにあるのではないでしょうか。
9条をアジア共同体の軸にするためにも、「○○史観」という言葉にとらわれることなく、
私たちはまず自分たちの目で歴史を見据えなければなりません。
班さん、ありがとうございました。
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