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カトリンさんは東ベルリンで生まれました。
ベルリンの壁が構築される約1カ月 前のことです。
東西冷戦、壁の崩壊、ドイツ統一、そしてヨーロッパ統合と
大きく変わる社会で生きてきた彼女は、
憲法9条をどのようにみているのでしょう か?


第21回
ドイツ
「多文化社会を支える9条の理念」カトリン・ハドバ
カトリン・ハドバカトリン・ハドバ(Kathrin Hadba)
1961年ベルリン生まれ。
ベルリン・フンボルト大学日本語学科卒。
その後、同大学で経営学と
外国語(フランス語、オランダ語、ロシア語)も学ぶ。
現在、日英両語の通訳ならびに旅行ガイド。
  私は、日本の国会、政党間や政党内部、そして世論における9条改定論争を心配しながら見守っています。
  日本国憲法9条は、日本の自らの過去、第二次世界大戦で行った恐ろしい行為を反映しています。とりわけドイツと日本は世界の数百万もの人々に莫大な苦しみを与えました。後から生まれてきた世代の私たちは、この過去を背負い、それを償っていかなればなりません。
  ただ、私たちが引き継げる、引き継がなければならない責任は、いまの時代に起こっていることに対してです。私たちには、平和な世界をつくり、それを保持していくチャンスがあります。
  平和を求める人々の世界規模の努力は、
国連憲章の採択文書(http://www.unic.or.jp/know/kensyo.htm)に結実しました。日本は1956年に国連に加盟しています。

  その日本は1947年に採択した新憲法によって、民主的かつ平和を愛する国々の側に立つことを世界に示しました。そして、非常に重要なことを宣言したのです。それが、国際政治における手段としての戦争を放棄し、陸海空軍およびその他の戦争手段の保持を認めないという憲法9条です。これは世界の平和運動においてパイオニア、先駆者的な役割を果たしました。当時だけでなく、9条は現在においても人々の願いの表現であり、こうした理想が憲法の条項として記されたのです。

  しかしながら、近年の日本では、9条に対する様々な解釈がなされています。2001年12月にはPKO法が改定され、平和維持軍(PKF)に参加する場合の自衛隊の活動について、従来は非軍事分野に限定していたのに対し、武力行使の制限が緩和されることになりました。
  理想の断念は、再軍備という考え方と、日本社会の極端なナショナリズムの強化を後押ししてしまうのではないでしょうか。

  私たちが国境を越え、世界の人々と難なく、いつでも付き合えるようになれば素晴らしいと思います。ここヨーロッパではユーロに参加することで、国境がオープンになり、日々いろいろな文化の交流が行われています。これこそ平和があって可能なことであり、ミリタリズムやナショナリズムへの傾倒はこうした文化交流の流れを妨害するだけでしょう。

  残念ながら、世界の多くの人々はいまも戦争、テロ、病気や飢えに脅かされ、生きるために戦わざるをえない日々を送っています。
  私は日本の社会に対して判断を下す立場にはありませんが、戦争という手段の拒否を明確にうたう9条を、日本がこれからも保持することを願ってやみません。これは世界の国々、とりわけ日本のアジアの隣人にとって、とても大切なことだと思うからです。
第二次大戦後、人類は大きな反省を踏まえ、いくつかの提案をしました。
その一つが、国際連合の発足でした。今改めて、国連憲章の文章を読むと、
その理念は憲法9条と同じであることに気がつきます。
なみなみならぬ、国際平和への誓いと決意がそこに刻まれています。
常任理事国入りにやっきになるよりも、この理念を高く掲げることこそが、
国際社会における日本の進む道ではないでしょうか。
様々な国籍の人々が集う国際都市、ベルリンに住むカトリンさんが、
実感を持って伝えてくれました。
カトリンさん、ありがとうございました。
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