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雨宮処凛がゆく!

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あまみや・かりん北海道生まれ。愛国パンクバンド「維新赤誠塾」ボーカルなどを経て作家に。自伝『生き地獄天国』(太田出版)のほか、『悪の枢軸を訪ねて』(幻冬舎)、『EXIT』(新潮社)、『すごい生き方』(サンクチュアリ出版)、『バンギャル ア ゴーゴー』(講談社)、『生きさせろ!〜難民化する若者たち〜』(太田出版)など、著書多数。現在は新自由主義の中、生活も職も心も不安定さに晒される人々(プレカリアート)の問題に取り組み、取材、執筆、運動中。非正規雇用を考えるアソシエーション「PAFF」会員、フリーター全般労働組合賛助会員、フリーター問題を考えるNPO「POSSE」会員、心身障害者パフォーマンス集団「こわれ者の祭典」名誉会長、ニート・ひきこもり・不登校のための「小説アカデミー」顧問。「週刊金曜日」「BIG ISSUE」「群像」にてコラム連載。雨宮処凛公式サイトhttp://www3.tokai.or.jp/amamiya/

生きさせろ!
雨宮処凛の闘争ダイアリー

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99年の池袋通り魔事件。の巻

 講演・イベントなどがここ10日ほど連続で続き、なんだか生きた心地がしない日々を送っている。

 そんな中でももちろん、〆切は当り前にやって来る。

 ずっと気になっている事件があり、講談社現代新書のメルマガの原稿で書いた。連載タイトルは「排除の空気に唾を吐け!」という、なんというか、攻撃的なものだ。

 気になっている事件。それは「私と同い年の死刑囚」である造田博のことだ。75年生まれ。現在、32歳。

 彼のことは、『ルポ最底辺』などの著書があり、20年にわたって日雇い労働者や野宿者の支援をしている生田武志さんから最近、聞いた。

 その前に「造田博って誰? 」という疑問があるだろう。彼は99年、池袋で通り魔事件を起こし、2名を殺害した人である。

 そんな彼に関する記事が、読売新聞7月25日から27日にかけて「排除される若者」というタイトルで掲載された(これも生田さんに教えてもらった)。彼のことを知るために編集者の人に頼んで記事を送ってもらい、また、『池袋通り魔との往復書簡』(青沼陽一郎 小学館文庫)を読んだ。それらによると、彼の経歴は以下のようなものだ。

 75年生まれ。岡山出身。家族は大工の父とミシンの内職をする母、そして4歳年上の兄。小さな頃は安定した生活だったが、両親がギャンブルにハマり、多額の借金を作る。その額、数千万。借金取りが家に押し寄せるようになり、両親は昼間に家に寄り付かず、深夜、彼に食費を渡す日々となる。彼は中学時代に猛勉強して地元でも有数の進学校に入っていたのだが、そんなゴタゴタの中、学費が払えずに高校を2年で中退することを余儀無くされる。そして17歳の時、両親は失踪。彼は兄を頼って広島県福山市に行き、パチンコ屋の仕事を始める。それから6年間、彼は十数カ所の職場を転々とするのだ。

 中卒で親もなく、家もない彼は住む場所を求めて寮付きの仕事については、「従業員削減」で職を失ったり、自らいなくなったりしている。94年から99年にかけてだ。彼が転々とした職の中には「『秋葉原無差別殺傷事件』の加藤智大容疑者が最後に勤めた会社の名前もあった」(読売新聞08/7/25)という・・・。

 90年代後半のこの国は、不況の色が濃くなり、多くの企業で非正規化がすごい勢いで進められ、また、社会からは他人を思いやったりする「余裕」そのものがどんどん失われていく頃でもあった。しかし、まだ「フリーター」という言葉に「自由な働き方」なんてイメージがつきまとい、足元で急速に広がっている問題を「貧困」と捉える回路がほとんどなかった頃でもある。若年層の犯罪の多くはその生活背景に目を向けられる以前に「心の闇」の一言でブッた斬られ、非正規雇用問題への関心は今と比べると恐ろしく低く、状況が厳しいわりにはまだ「一億総中流」なんて幻想がギリギリ現役だった。なんだかよくわからないがこれは、「一過性のもの」で、「不況が終わればなんとかなる」という空気は、当時、私の周りにも濃厚に漂っていた。だからこそ、政治的な対策が遅れたとも言える。

 そんな時期に、彼は自らの手持ちの「条件」の悪さから、2000年代に急速に認知されるようになった「貧困」や「社会的排除」、「非正規雇用」の最悪の最前線を突っ走ることとなってしまう。職を転々として全国を彷徨っていた彼だが、仕事のない時期は公園や駅前で野宿生活。

 親がいなくて家がなくて学歴が低くても、一昔前なら「面倒を見てくれる職場の人や雇い主」なんかがいて、安定した暮らしを手に入れられたかもしれない。が、その頃の日本社会はみんなが自らの「生き残り」をかけていっぱいいっぱいでそんな余裕もない。親が借金を重ねていたので親戚にも頼れない。もう日本にいてもどうにもならないと思ったのか、22歳の頃には有り金をはたいていきなりアメリカに渡るも、所持金2万円ほどが尽きて餓死寸前のところを保護される。そんなアメリカでは教会の人に助けられてそこの関係者宅にホームステイ、笑顔を取り戻すほど回復するも、日本に帰国するとまた漂流生活が始まってしまう。アメリカには彼を助けてくれる人がいたが、日本にはいなかったのだ。誰1人として。

 そうして新聞販売所で働いていた23歳の時、彼は事件を起こしてしまう。

 「むかついた、ぶっ殺す!」と叫んで、池袋の東急ハンズで買った包丁と金槌で通行人を次々と襲ったのだ。2名殺害、6人に怪我を負わせた彼は逮捕され、07年、死刑が確定。

 『池袋通り魔との往復書簡』には、彼の供述の要約として、以下のような著者の傍聴メモが紹介されている。

 「高校を中退してから、いろんな仕事を転々としてきた。その中で、身体に害が出るほどに酒を飲まされたり、トイレに行きたいと言っても、ダメだと言われたりした。周りに気を使い、反発を避けて我慢してきたが、希望する仕事には就けそうになかった。事務系の仕事に就きたかったが、それができずに不満だった。休みに外に出ると、自分と全く違う生活をしている人ばかりで、ケラケラ笑い、ちゃかして、自分を厭な目で見ている。汚れていると思った(後略)」

 進学校に通っていた彼は、大学進学に対して強い希望を持っていたようで、逮捕後も、大検を受けて大学受験しようと思っている、などと手紙に書いている。そしてそのすぐ後に死刑判決を受けるのだ。

 もちろん、彼の罪は罪として確実に、ある。が、ここには「社会的排除」のすべてが1人の若者の上に、多重債務のようにのしかかっていると思うのだ。まさに湯浅誠氏が言うところの「五重の排除」。「家族福祉からの排除」「教育過程からの排除」「企業福祉からの排除」「公的福祉からの排除」、そして「自分自身からの排除」。

 現在、彼は死刑執行を待つ身だ。死刑が執行されれば、彼は永遠にこの世界から「排除」されることとなる。今の社会を考える上で、9年前のこの事件は、非常に重要な問題を投げかけていると思うのは私だけではないだろう。

週末、大学でお話するため北海道に行ってきました。私の小説「バンギャル ア ゴーゴー」の舞台のモデルにもなったライヴハウス前で。

「ワーキングプア」や「ネットカフェ難民」の言葉も、
まだ聞くことのなかった1999年。
けれど、今の日本を覆う「排除の空気」は、
すでに少しずつ忍び寄っていたのかもしれません。
「過去の事件」ではなく、今こそ向き合うべき問題が、ここにもあります。

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