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2011-03-30up

雨宮処凛がゆく!

第182回

震災から見えたこの国の歪み。の巻

 大地震から2週間以上が経った。

 東京では依然として時々余震があり、原発の状況はなんだかもうワケがわからず、水道水から規制値を上回る放射性物質が検出されればスーパーからはあっという間に水が消え、計画停電の情報も混乱し、いろんな情報が飛び交う中で何を信じていいのかさっぱりわからず、シーベルトとかベクレルとかの新しい言葉についてみんな学習しているっぽいのに理系の話になるとたちまち睡魔が襲ってくる私はちっとも覚えられず、なんだか生きてるだけで神経をすり減らされる毎日だ。

 そんな中、「被災地の方へのメッセージ」という原稿依頼なども来ているものの、もう東京で直接的な被害に遭ってもいない私が何を言えばいいのかわからず、何を書いたところで安全圏からの空疎な言葉になってしまいそうで、なかなか進まないでいる。

 ただ、「身近な人の死」という出来事そのものがもうとてつもない「非日常」なのに、被災地の人々は目の前の光景や自らがいる避難所という環境など、もうあまりにも何もかもが「非日常」なわけで、そんな中、どれほどギリギリのところで気持ちを張りつめているだろう、と思うとなんだか気が遠くなってくる。

 地震の翌日、私も身近な人を亡くしたのだが(今回の地震と直接的な関係はない)、地震直後の都内は閑散としていて、テレビの中では津波や原発の映像が繰り返し流されていて、そんな中での葬儀にまったく現実感がなく、いまだに現実だと思えていない。すごくお世話になった人なのに、いまだに涙の一滴も流せていない自分はどこかで危うい状態なのだと思う。大地震という出来事を前にして、どこかで何か、すごく自分を防衛するモードに無意識に入っているのだと思う。被災していない私でさえそうなのだ。被災地にいる人たちの心は、どれほど張りつめているだろう。

 そして、まるで「悪い夢」のような原発事故。

 原発の問題について、書きたいことはいろいろあるが、驚いたのは、東電の下請け会社の作業員3人が被曝したという問題だ。足に水がつかった状態で作業してて被曝したということだが、その後出てくる事実は「こんな大雑把なの?」と唖然とすることの連続だった。当日に線量の測定をしていなかったり、線量計のアラームが鳴っても故障かと思っていたり、人によって長靴だったり短靴だったり。

 これらの事実から見えてくるのは、ちゃんとした安全教育がなされていない人たちが、安全に対する配慮がなされていない状況に送り込まれているという、あまりにも杜撰な実態だ。

 そんな事実に愕然としながら、「日雇い派遣」について取材した時のことを思い出していた。明らかに現場にはアスベストが舞っているのに「アスベストじゃない」と言い張られ、なんの装備もないままに危険な仕事をさせられたとか、同じ仕事をするにも、派遣会社や派遣先によって安全対策がまったく違うとか、そして結局現場でもっとも危ない仕事に従事させられるのは日雇い派遣の人であるとか。

 今回の被曝について、詳しい背景はまだまだ不明な点が多い。が、なんだかこの問題には、日本の「労働」を巡るすべての歪みが凝縮されているようにも見える。

 「労働」ということで言えば、直接的な被害を受けていない場所でも計画停電や工場の操業停止といった事態を受けて、「震災切り」というようなクビ切りも始まっている。中には、震災に便乗したような解雇もあるそうだ。3月26日に開催された「雇用を守る震災ホットライン」には全国で293件の相談が寄せられたというが、休業中の賃金保障に関する相談が多数を占めたそうだ(「非正規労働通信」363号)。

 被災地の「助け合い」が美談として報じられる一方で、被災地以外で「助け合い」どころか震災に便乗するようなクビ切りが行われているなんて、あまりにも悲しい。また、正社員は自宅待機でも出勤扱いとなり、賃金が保障されるのに対して、非正規の人々が保障されないという実態もあるようだ。私の周りでも「いつまで続くかわからない自宅待機を命じられ、生活が不安」「家賃が払えない」といった声が上がっている。

 被災地はもちろん、今、日本中が大きな不安に包まれている。そして私も、何がどんなふうに不安なのかわからなくなってくるほどにいろんなことが不安で心配で、その間にも状況はどんどん変化してついていくだけで精一杯で、今はただ、状況を見守ることしかできないでいる。

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大きな不安が社会を覆い尽くす中で、
弱者はさらに弱い立場へと追い込まれる。
災害が、さまざまな問題を顕在化させることを改めて痛感します。

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雨宮処凛さんプロフィール

あまみや・かりん1975年北海道生まれ。作家・活動家。2000年に自伝的エッセイ『生き地獄天国』(太田出版)でデビュー。若者の「生きづらさ」などについての著作を発表する一方、イラクや北朝鮮への渡航を重ねる。現在は新自由主義のもと、不安定さを強いられる人々「プレカリアート」問題に取り組み、取材、執筆、運動中。『反撃カルチャープレカリアートの豊かな世界』(角川文芸出版)、『雨宮処凛の「生存革命」日記』(集英社)、『プレカリアートの憂鬱』(講談社)など、著書多数。2007年に『生きさせろ! 難民化する若者たち』(太田出版)でJCJ賞(日本ジャーナリスト会議賞)を受賞。「反貧困ネットワーク」副代表、「週刊金曜日」編集委員、、フリーター全般労働組合組合員、「こわれ者の祭典」名誉会長、09年末より厚生労働省ナショナルミニマム研究会委員。オフィシャルブログ「雨宮処凛のどぶさらい日記」

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