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2011-06-22up

雨宮処凛がゆく!

第193回

「集団ヒステリー」は「規制すべき」なのか。の巻

 6月11日の脱原発デモが様々なところに波紋を広げている。

 もちろん私のところには「大成功でしたね!」「デモは初めてだったけど参加して本当によかった!」という声が多く寄せられているのだが、こういった動きを快く思わない人がいるというのも事実だ。

 イタリアの国民投票で90%以上が脱原発という結果になったことが報じられた翌日の6月14日には、自民党の石原伸晃氏が「反原発は集団ヒステリー」と発言。

 同日、杉並区議会で大和田伸氏という区議会議員が4月10日の高円寺「原発やめろデモ!」について「地域に多大な迷惑を及ぼした」などと発言。そんな言いがかりだけだったらまだいいが、今後、デモへの公園の貸し出しを規制すべき、というようなことを主張したとのこと。ちなみに大和田氏は石原伸晃氏の元秘書だという。

 この「規制すべき」という発言は、大大大問題だと思う。なぜなら、「デモをする権利」は民主主義に大きくかかわってくるからだ。

 今回の脱原発デモに参加して、本当に多くの人から「デモって誰でもできるって知らなかった」という声を聞いた。このこと自体が大問題だと思う。私もデモジャンキーになる前は知らなかったのだが、デモは開催の72時間前までに出発地の最寄りの警察署に申請に行けば誰だってできる。憲法で保障されている「表現の自由」の当たり前の行使なのだ。何か特別な人たちだけがするものではなく、万人ができることなのだ。申請書はここにある。

 それを「迷惑だから規制しろ」ということは、民主主義への否定に繋がる。しかも区議会議員の発言だ。ちなみに杉並区議選は4年後だという。杉並区民は、4年間、このことを忘れないでいてほしい。っていうか、今からニセの選挙ポスターでも作りたいくらいだ。顔写真の横に大きく書くキャッチフレーズは「自由と民主主義にNO!」とか「杉並を窮屈で息苦しい街に!」とかはどうだろう。ちなみにこのネタでは松本哉さんと盛り上がったことを付け加えておきたい。

 しかし、今の日本では「デモは迷惑」という意見がいまだに多い。が、私が3・11以降、痛感しているのは「今までデモやりまくってきて本当によかった!」ということだ。4月10日、5月7日、6月11日と高円寺、渋谷、新宿で「原発やめろデモ」を主催してきた「素人の乱」も、今まで「家賃をタダにしろ一揆」や「俺のチャリを返せデモ」、そして「三人デモ」や「すっぽかしデモ」など、時に「それをやってなんの意味が?」というデモを散々やらかしてきた。私自身も「素人の乱」のデモにはしょっちゅう参加し、また06年から「自由と生存のメーデー」の実行委員として毎年デモを企画する側にかかわってきたのだが、その間ずっと思っていたことは、「今、私たちが手にしてるこのノウハウは何かトンデモないことが起きた時に絶対に役に立つ!」ということだ。

 そして実際、今、本当に、ものすごく役に立っている。考えてもみてほしい。まったくのデモ初心者が、突然一万人の人が集まっちゃったとして、そのデモ隊を「動かす」ことなんてできるだろうか。実際に実行委員としてやってきた立場だからわかるものの(といっても私は今まで基本的にコーラーなので、現場では特に役に立たないのだが)、数百人のデモ隊だって、安全に「動かす」ことは至難の技だ。「イベントの誘導」とかのバイトやったことある人だったらわかると思うが、万単位で人が集まること自体が、ある意味で危険なことなのだ。今、脱原発デモが大した混乱もなくできていること、そのこと自体が「今までデモをやってきた人たちのノウハウの蓄積あってこそ」だと思うのである。

 そんなふうにデモがやたらと好きな人たちが一定数いたからこそ、今の脱原発デモの盛り上がりがあると思うのだが、こういったノウハウが蓄積されていなければきっとデモも起こらず、起きても小規模で完全にメディアからも無視されていたのではないだろうか。いくら多くの人が「原発は嫌だ」と思っていても、それが具体的な行動にならなければ政治には1ミリの影響も及ぼさない。現実を変える力にはならない。その上、海外からは「原発事故の一番の当事者なのにデモさえ起こさない不気味な日本人」的なイメージが一人歩きするのではないだろうか。とにかく、私だって特にムカつくことがなければデモや運動ばっかやりたくないが、何もしないと「今のままでOK」と思ってる方に自動的にカウントされてしまうので、いちいち意思表示しているわけである。そしてそれが、「楽しい」ということを知ってしまった瞬間、デモジャンキーという禁断の扉が開いてしまったのである。

 ということで、私たちは「デモ」という、手軽に意思表示できる「道具」を持っている。これは民主主義に大きくかかわることだが、もうひとつ、今、民主主義とはほど遠いやり方で重大なことが勝手に決められようとしているので、最後に触れたい。

 それは「生活保護の見直し」についてだ。

 といっても、多くの人がこのこと自体を知らないと思う。5月30日、「生活保護制度に関する国と地方の協議」が始まり、初めて生活保護が本格的に見直されることになったのだが、この協議の「密室ぶり」があまりにひどい。5月30日に開催された1回目はメディアは入れたものの、2回目以降は日程も非公開、一般傍聴はおろかメディアも入れず、議事録も公開されないという徹底ぶりなのだ。この件については「もやい」理事長の稲葉剛氏に話を聞いたのだが、「3〜5年の有期制」(生活保護が期限つきとなり、仕事がないとか関係なく切られる)が導入される懸念もあるという。ちなみにアメリカでは貧困母子家庭支援に有期制が導入された結果、自殺、心中、ホームレス化が増えて問題となったという経緯がある。この協議、8月を目処に案をまとめるということだが、突然「生活保護は有期制に」みたいなものが出てくる可能性もある。

 というか、私が一番問題にしたいのは、やはりプロセスだ。例えば障害者施策を決める時には障害者の人の声を聞くというのは既に常識となっているのに、今回は当事者の声が反映される機会は一切ない。こんな民主的ではないやり方で「最後のセーフティネット」が見直されることに、大きな異議を唱えたい。何か震災後のゴタゴタに紛れてやっちゃえ! 的な思惑を感じてしまう。

 そして、最後に。石原伸晃氏とか大和田伸氏とか自民党の人がいろいろいちゃもんつけてるわけだが、ずーっと原発を推進してきた自民党として、現在、この原発事故についてどのような責任を感じ、どうしようと思っているのか、党としての姿勢が見えてこないことに、非常に違和感を感じている。

※ツイッター、始めてみました。初心者ですがよろしくお願いします。@karin_amamiya
※24日、鈴木邦男さんとトークセッションをします。詳細はこちらで。

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そう教えられ、当たり前のようにそう思ってきたけれど、
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疑問ばかりが膨らみます。

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雨宮処凛さんプロフィール

あまみや・かりん1975年北海道生まれ。作家・活動家。2000年に自伝的エッセイ『生き地獄天国』(太田出版)でデビュー。若者の「生きづらさ」などについての著作を発表する一方、イラクや北朝鮮への渡航を重ねる。現在は新自由主義のもと、不安定さを強いられる人々「プレカリアート」問題に取り組み、取材、執筆、運動中。『反撃カルチャープレカリアートの豊かな世界』(角川文芸出版)、『雨宮処凛の「生存革命」日記』(集英社)、『プレカリアートの憂鬱』(講談社)など、著書多数。2007年に『生きさせろ! 難民化する若者たち』(太田出版)でJCJ賞(日本ジャーナリスト会議賞)を受賞。「反貧困ネットワーク」副代表、「週刊金曜日」編集委員、、フリーター全般労働組合組合員、「こわれ者の祭典」名誉会長、09年末より厚生労働省ナショナルミニマム研究会委員。オフィシャルブログ「雨宮処凛のどぶさらい日記」

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