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雨宮処凛がゆく!

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あまみや・かりん北海道生まれ。愛国パンクバンド「維新赤誠塾」ボーカルなどを経て作家に。自伝『生き地獄天国』(太田出版)のほか、『悪の枢軸を訪ねて』(幻冬舎)、『EXIT』(新潮社)、『すごい生き方』(サンクチュアリ出版)、『バンギャル ア ゴーゴー』(講談社)、『生きさせろ!〜難民化する若者たち〜』(太田出版)など、著書多数。現在は新自由主義の中、生活も職も心も不安定さに晒される人々(プレカリアート)の問題に取り組み、取材、執筆、運動中。非正規雇用を考えるアソシエーション「PAFF」会員、フリーター全般労働組合賛助会員、フリーター問題を考えるNPO「POSSE」会員、心身障害者パフォーマンス集団「こわれ者の祭典」名誉会長、ニート・ひきこもり・不登校のための「小説アカデミー」顧問。雨宮処凛公式サイト

雨宮処凛の闘争ダイアリー
雨宮処凛の「生存革命」日記

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公設派遣村バッシングについてと
個人的なブーム。の巻

 正月休みを取らなかった反動からか、年明けそうそうライヴに通っている・・・。4日には武道館で開催されたアンティック‐珈琲店‐の「キングオブ原宿ダンスロック〜いきなりニャッピーレジェンド〜」に、そして9日には、さいたまスーパーアリーナで開催されたナイトメアの「GIANIZM」に行ってしまった・・・。本当に本当に、凄まじくカッコ良かった・・・。しかもゲストで行かせて頂いたナイトメアのライヴでは、メンバーさんが私の小説「バンギャル ア ゴーゴー」を読んで下さっていたことが判明。御本人を前にあまりの嬉しさに気絶しそうになり、悔しいことに記憶がほとんどないのだった・・・。本当に、死ぬかと思った。というか、いっそ殺してくれと思った。なんかすごく嬉しい時って、「今死にたい」とか思いませんか?

 で、ここで新連載開始のお知らせ。ライヴハウスのロフトとかロフトプラスワンとかで配布されている「Roof top」にて、1月から「雨宮処凛の一生バンギャル宣言!」が始まった。個人的に現在、第2次ヴィジュアルブームの真っ最中でいろんなとこでそれを言いふらしていたところ、こうして仕事に繋がったのである。仕事サボってライヴ通ってたらそれが新たな仕事になったというわけだ。

 第2次ヴィジュアルブームが来たのには明確な理由がある。ある意味での「現実逃避」だ。現実。私にとっての「現実」は、ここ数年、あまりにも厳しいものだった。それはちょっと要領が悪かったり人間関係が苦手だったり、或いは家族福祉がなかったりするだけで、特に何も悪いことなんかしてない人たちが傷つけられ、罵倒され、時には路上生活を余儀なくされ、その上更にバッシングを受ける、というようなひどい「現実」だ。そんな現実を目にするたびに「どうしてこの人がこんな仕打ちを受けなければならないのだろう」と打ちのめされ、時には何もわかってないと思われる金持ちから心ない言葉を投げかけられ、立ち直れないくらいのショックを受けてきた。そういうことが続くと、「現実」の残酷さに押しつぶされそうになってくる。そんな私がずーっと「逃げ場」にしていたのが数々のヴィジュアル系バンドで、ここ数年の私の活動はすべてヴィジュアル系バンドに支えられていたと言っても過言ではない。本当に、勝手に一方的に心から感謝しているのだ。で、最近は溢れる思いを抑え切れず、ライヴにまで行っちゃってるというわけである。

 で、最近、またしても悲しい出来事があった。石原都知事が公設派遣村入居者に対して「仕事をあっせんしたら『それは嫌だ』と言い、とにかく生活保護をもらえれば結構だという人もずいぶんいる。甘えた話だと思います」と発言。更に報道などでは公設派遣村のオリンピックセンターから別の施設に移った入居者が「2万円を受け取ったあと200人がいなくなった」というようなことが報じられている。これを受けて報道は一気に「公設派遣村バッシング」に走った感じがあるので、私の知りえたことを書きたい。

 まず、いなくなった人は200人ではなく40〜60人くらい、と私は聞いている。で、200人という数は、「朝食を取らなかった」人数という説もあれば、「朝食をとった人と夕食をとらなかった人の差」という説もある。仕事や住む場所を探していて夕食に間に合わなかった人数だ。更に「無断外泊した」と報じられているわけだが、仕事探しなどに出かけた人に対して、彼らが入居している施設の連絡先が教えられていなかったという事情もあったようだ。これでは「明日仕事が入ったので今晩は現場近くのネットカフェに泊まります」というような状況であっても電話連絡もできない。また、「2万円」という額を考えると、「これで生活を立て直せる」と思った人もいるかもしれない。実際、ここで連載したネットカフェ生活をしていたカップルは、私が取材謝礼を渡したあと、そのお金をネットカフェ代などに当てながら必死で仕事探しをした。また、公設派遣村で出会ったある男性は、「自分は2週間あれば絶対仕事を見つけられる」と言い切っていた。○○駅の○口に行けば手配師が来るからどこかの飯場に住み込みで働くというのだ。その男性は「生活保護を受けるつもりはない」と言っていた。話を聞くとこれまでずーっと仕事が決まればそこの飯場に住み込み、という形で暮らしてきたそうで、「まず住む場所を見つけてから仕事を探す」という感覚があまり馴染まないようなのだ。生活保護を受けたくない、という言葉からは、それまでそうして生きてきた/生きてこられたその男性のプライドが垣間見えもした。そうして今回も、2週間施設に入れさえすれば、その間に絶対に仕事を見つけられる、と言っていたのだ。

 仕事次第でどこにでも行く、という暮らし方をしてきた人たちの中には、もしかしたらそういう思いで出ていった人もいるのかもしれない。ある意味でそれは「自立心」の現れで、個人的には心配だが非難されることではないと思うのだが。が、無事に仕事を見つけられるかどうかはわからない。彼らと話すと、いろんなビルとか競技場とか、「あれは俺が作ったんだ」なんて嬉しそうに教えてくれる。そうやっていろんな建物を作ったりして日本を支えてきた人たちに、どうして社会はここまで冷たいのだろう。

 また、石原の「仕事を選んでる」的発言。これに関しては、「仕事くらい誰だって選ぶよ」と素朴に言い返したい。というか、ずーっと派遣で働いてきて不安定で、しかも派遣切りに遭ってホームレスになってしまった、という状況にある人が、「これからはもう少し安定した仕事につきたい」と思うことがそんなに責められることだろうか? 不安定雇用のリスクを、自らの辛い体験からもっとも熟知している人たちである。

 この国の多くの人は、「金持ち」とか「政治家」とかには「清く正しい」人物像なんて求めないのに、なぜか「貧しい人」にだけは「清く正しい」人物像を求める。だけど、金持ちとか貧乏に限らず、清く正しい人なんて一人もいない。少なくとも、私は会ったことがない。みんなそれぞれダメな部分があるだろう。これを読んでいる人の中に一人として「完璧」な人間などいないように。私が言いたいのは、ちょっと「ダメ」だったりすることが、路上生活を強いられ、餓死や凍死の危険に晒されるほどの仕打ちを受けなければならないことなのか、というただそれだけだ。「2万円もらってお酒を買った」とか聞くと、もちろん誉められた話じゃないし「あーあ」って気もするが、そのことによって当人がすべてのセーフティネットから切り離されて路上死していいのだろうか、と改めて問いたいのだ。

 多くの人は、そんな問題に無自覚なまま感情的なバッシングをしているように思う。私自身もどちらかと言えば「感情的」な反応をしがちな人間なのでバッシングしてしまう人の気持ちもわかるが、瞬発的に感情で反応する前に、一旦冷静になってその先のことまで理論的に考える、という作法を多くの活動家たちから学んだ。

 とにかく、ちょっと「落ち度」があるだけで生きられない世の中じゃ、私だっておちおち仕事サボってライヴにも行けないじゃないか。

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正確な状況もわからないまま、「所在不明」といった言葉だけが独り歩きする。
そんな状況に違和感を持つと同時に、
雨宮さんが指摘するように、「ちょっと“ダメ”だったりすること」は、
そこまで責められることなのか?とも感じます。
「清く正しく」なければ助けてもらえない。
そんな社会は嫌だ、と思うのですが…。

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