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雨宮処凛がゆく!

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あまみや・かりん北海道生まれ。愛国パンクバンド「維新赤誠塾」ボーカルなどを経て作家に。自伝『生き地獄天国』(太田出版)のほか、『悪の枢軸を訪ねて』(幻冬舎)、『EXIT』(新潮社)、『すごい生き方』(サンクチュアリ出版)、『バンギャル ア ゴーゴー』(講談社)、『生きさせろ!〜難民化する若者たち〜』(太田出版)など、著書多数。現在は新自由主義の中、生活も職も心も不安定さに晒される人々(プレカリアート)の問題に取り組み、取材、執筆、運動中。非正規雇用を考えるアソシエーション「PAFF」会員、フリーター全般労働組合賛助会員、フリーター問題を考えるNPO「POSSE」会員、心身障害者パフォーマンス集団「こわれ者の祭典」名誉会長、ニート・ひきこもり・不登校のための「小説アカデミー」顧問。雨宮処凛公式サイト

雨宮処凛の闘争ダイアリー
雨宮処凛の「生存革命」日記

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ホームレス生活後の
「心の問題」と社会の「損失」。の巻

 前回の原稿で、長妻大臣に「広義のホームレス調査」について提案したことを書いたが、2月はじめ、早速国会で「ネットカフェやカプセルホテルにいる人なども含めたホームレス調査」について長妻さんが答弁したという話を聞いた。現場にいなかったので正確な発言は把握していないのだが、その答弁があった直後に湯浅さんと厚生労働政務官の山井さんと会い、聞いたのだ。

 さて、この広義のホームレス調査についてだが、言いだしっぺとして責任を感じ、厚生労働省からいろいろな資料を取り寄せて勉強中だ。最新の「ホームレスの実態に関する全国調査」(平成21年1月実施)によると、その数は1万5759人。調査客体は「都市公園、河川、道路、駅舎その他施設を故なく起居の場所として日常生活を営んでいる者」ということだ。

 で、この「その他施設」って何? と疑問に感じ、聞いてみた。「その他施設」の人数は3234人にものぼり、結構な数になる。もしかしてホームレス状態にある人のための緊急一時保護センターとか自立支援センターとかそういうところにいる人もカウントしているのだろうか? と思ったのだ。しかし、答えは違った。ここでいう「その他施設」とは、『「都市公園」「河川」「道路」「駅舎」のいずれにも該当しないものであり、港湾や公民館、運動場等の公共施設、バスターミナルなど。緊急一時宿泊施設や自立支援センターは含まれません』ということだったのだ。ということは、一時宿泊所や宿所提供施設、自立支援センターなども含めるとホームレス数は更に増える。そしてそういう数字はすぐに出るはずだ。また、貧困ビジネスを含めた民間の施設にいるホームレス状態の人の数も結構簡単に割り出せるように思う。それらを含めた上で「友人、親戚宅にいる人」や「他に住むところがなくて労働と一体になった住居に住んでいる人」「ネットカフェ、カプセルホテルを転々としている人」などを足すと、一体どれくらいの数になるのだろう。

 そんなことを考えていると、「公設派遣村」に来た人たちのうち、502人が住まいを確保した、という報道があった(毎日新聞2月5日)。内訳は生活保護が482人、住宅手当が10人、介護資格取得支援などの都の事業が10人だったという。住居が決まった人たちに対しては心から「おめでとう」と言いたいが、あとの人たちは一体どうなったのだろう? 記事は「残る358人について都は『把握していないが、就労した人、友人宅や路上に戻った人もいるだろう』としている」と続く。

 なんだか、さらっと言われた「路上に戻った人もいるだろう」という都のコメントに驚いた。4割くらいがどうなっているのか把握してないってかなり問題だと思うし、路上に戻らせてしまったら一体何のための公設派遣村だったのかわからない。こういうことを書くと「好きで戻ったんだろ」という声が聞こえてきそうだが、私にはそうは思えない。ワンストップの会などから、公設派遣村の対応のまずさに絶望してやむを得ず出ていった人の話などを聞いているからだ。また、「住宅手当」を使った人がたったの10人だったことは、「第二のセーフティネット」の使い勝手の悪さを証明する結果となったように思う。

 「所在不明」の人たちは、今、どこにいるのだろう。これは取材を重ねてきての実感だが、路上に出ている期間が長ければ長いほど、「復帰」には時間がかかる。特に長く路上にいた人が生活保護を受けて屋根の下に住み、ほっとした途端に今度は「心の問題」が噴出する、というのはよく聞く話だ。今日寝る場所、今日の食べ物といった目先のことに必死になっている間は心の問題など振り返る余地がない。しかし、ホームレス状態にある彼ら・彼女らの心はメチャクチャに傷ついている。まさか自分がこんな目に遭うとは誰も思っていないし、そうなったとしても助けてくれる人もいないという社会全体への冷たさもまざまざと感じるだろう。ある若者は、ホームレス状態で一番キツいのは「他人の目」と言った。蔑むような視線を向けられることだ。別の若者は「路上で寝ていたら酔っぱらいに絡まれる」「暴力をふるわれる」ことが辛いと言っていた。この言葉からわかるように、彼らは「ほっと安心できる場」すらない。どんなに疲れ果てていても安心して布団で眠ることさえできない。そして時には見知らぬ人に罵倒され、冬のうちは凍死の危険に晒され、常に餓死の危険にも晒されている。体調が悪くなっても病院に行くことすらできない。そんな生活を「好きでやりたい」人などいるだろうか。

 ある人から、「それでも日本で飢え死にすることはない。ゴミを漁ればいい」と言われたことがある。しかし、私はゴミ箱に手を突っ込むまでの気が遠くなるほどの葛藤について、ホームレス経験のある人から聞いたことがある。これで「もう戻れない」、しかし何か食べなきゃ死んでしまう、という葛藤。「ゴミを漁れ」というのは、時に「死ね」という言葉と同義だ。そして実際にその一線を目の前にして、死を選んだ人もいるだろう。去年の派遣切りあたりから、ホームレス状態になりたての人の自殺が増えている、と耳にしてきた。

 厳しい路上生活の中で顧みられない心の問題は、そうして生活保護を受けてほっとした途端に噴出してしまう。当事者に話を聞くと、これだけ命の危険に晒されていればPTSDを発症して当然だろう、と思うことばかりだ。結果、住む場所を得られたからといってすぐには働けないことも多い。そんな人たちに会うたびに、思う。この人たちが失業しても普通に生きられていたら、家を失わなければ、今こんなに苦しむこともないのに、と。

 ちょっと嫌な言い方だが、このことは国の財政の問題にもかかわってくる。なぜなら、失業してホームレスになり、その後生活保護を長期にわたって受ける人が多くなればなるほど、生活保護費や医療費といった形でお金がかかるからだ。その前にまず、失業しても即ホームレスにならない制度を作れば出費は抑えられる。貧困対策は、結局は当人のみならず、社会全体にとっていいことなのだ。本来は普通に働き、税金を納められる人々がホームレス状態に追いやられていることは、社会にとって大きな損失だ。

 ということで、ナショナルミニマム研究会では、「貧困・格差による経済損失」の推計を行うチームが準備されている。私もこの前、このチームのもろもろに関して話を聞きに行った。

 何かあまりにも高レベルな議論なので高卒(でも高校にはあまり行ってないから学校的な知識は中卒で止まってる)の私には難しいことだらけだが、現在、いろいろ勉強中だ。といってもこれでまた過労になるとよくないので、適度にサボることを自分に義務づけている。

写真がないのでうちのつくしで我慢してください。頭に手ぬぐいをかぶせてみました。

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「路上に戻った人もいる」。
さらりと書かれた一文の後ろに、
いったいどれだけの痛みやつらさがあるのか。
その想像力を持つことを忘れてはいけない、と思います。
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