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2012-01-25up

2012年憲法どうなる?どうする?「第2回:伊勢崎賢治(元アフガニスタン武装解除日本政府特別代表)」
「9条が「武器輸出」の歯止めにさえならなくなったことは、ある意味で当然の流れだと受け止めています」

伊勢崎賢治(いせざき・けんじ) 1957年東京生まれ。東ティモール、シェラレオネ、 アフガニスタンで紛争処理を指揮。現在、東京外国語大学教授。紛争予防・平和構築講座を担当。著書に『武装解除 紛争屋が見た世界』(講談社現代新書)、『伊勢崎賢治の平和構築ゼミ』(大月書店)、『国際貢献のウソ』(ちくまプリマー新書) 『紛争屋の外交論—ニッポンの出口戦略』(NHK出版新書)など。

平和国家としての国是でもあった武器輸出三原則が、国民的議論どころか国会での議論もないまま、昨年末に緩和されました。憲法審査会も動き出していますが、どのような議論がされているのかあまり聞こえてきません。国民やメディアが震災や原発問題に関心が集中している間に、国のあり方そのものに関わる重要問題が、なし崩し的に変わろうとしているのではないか、という危機感があります。このコーナーは、憲法改正や安全保障に関する5つの質問について、様々な分野の専門家にお聞きしていきます。シリーズでお送りします。

Q3

2011年12月27日、野田内閣は、武器の輸出を原則として禁じる「武器輸出三原則」の緩和を正式に決め、官房長官談話として発表しました。今後これを抜本的に見直し、新たに設ける基準に従い、平和・人道目的や、国際共同開発・生産への参加であれば輸出を容認するとのことですが、憲法9条を改正することなく、そして国会で議論することもなく、閣議決定だけで緩和を決めてしまったことについて、どう考えますか?

Answer

三原則緩和は、憲法9条が形骸化してきたことによる当然の流れ。それにだけ反対することに何の意味があるのか? というのが僕の忸怩たる思いです。

 かつて、武装解除にかかわっていた立場からすれば、もちろん武器なんてないほうがいいに決まっています。しかし、武器を回収し壊しても壊しても、それよりずっと上回るスピードで、新しい武器が生産される。特に、自動小銃などの小型武器は、内戦などの状況で非合法武装組織に使われ、全体として大量破壊兵器以上の人を殺していると言われている。僕は、過去、国連平和維持活動として武装解除のミッションを指揮したことがありますが、そういうミッションを創設し指令を下す国連安保理の常任理事国自体が武器産出国なのですから、これほど大いなる国際政治の矛盾はないでしょう。
 しかもどの武器産出国も、輸出したあとのことに責任は持てない。現地の武装組織に流れている武器の製造元はわかっていても、「国家間協力で武器を売買しただけ」「輸出先から、どう流れたかは相手国の責任」だという。たしかに、いくらなんでも先進国の政府がゲリラ部隊と直接取引はしませんから、責任を問うことは非常に難しい。
 武器輸出三原則の緩和に際して、今回、日本政府が、具体的にどういう状況をシミュレーションしているのか、報道からは詳細は分かりませんが、「相手国との厳格な管理を前提」というのは、小型武器に関しては、単なる絵に描いた餅です。ですから、常任理事国でもできない管理を、相手国を知る諜報能力が赤子レベルのような日本政府ができるわけがありません。現在、自衛隊に納入している日本企業産の小型武器が輸出解禁となったら、やはり回り回って非合法組織に流れる可能性は否定できないでしょう。
 しかし一方で、新しいクライアントのニーズに応えて武器の改良は行われるだろうし、それは自衛隊の海外派遣(その多くは過酷な環境下)の際の装備の改善という相乗効果を生むでしょう。そう考えると、嫌な話かもしれないけど、今回の緩和で、マーケットが広がることによって武器の単価が下がり、結果的に日本の防衛費を削減することに貢献するかもしれない。本当にそうなるかどうか保証はありませんが、説得力はある。武器産業はITから車両から多岐にわたるし、海外に輸出するとなれば投資も増大するかも。その意味で日本経済の活力剤になるのかもしれません。他の産業もそれに引っ張られて元気になるだろうし。こうなると、今回の緩和に反対したい9条護憲派、そしてマガ9にも頻繁に登場する不定期雇用問題の論客たちは、相当に巧妙な理論武装をしないと…。
 それでも、これまで武器輸出はダメだとされていたのは、やっぱり憲法9条があったからでしょう。でもいまや、9条はその歯止めにさえならなくなった。当たり前といえば当たり前ですよね。ソマリアに「海賊退治」のために自衛隊が派遣され(9条は日本人には“もったいない”)、ジブチに自衛隊の拠点ができ、すでに武器を持っている日本人が大勢、それも「国益」を掲げて海外へ行っているわけです。武器の輸出だけを止めても、9条護憲にとって何の意味があるのか?
 ソマリアへの自衛隊派遣は、僕は戦後最大の違憲行為だったと見なしているし、日本にとっての大きな分岐点だったと捉えています。それまでの派遣は、国連PKOとしてでも米の戦争協力としてでも、建前は「世界益」だった。しかしソマリアは、はっきり邦人、日本の財産の保護、つまり「国益」を前に出して自衛隊が外に出て行った戦後初めての派遣です。ところがその反対運動は、その他の派遣時に比べ、最小。「国益」のためならしょうがないと、日本人はあっさりと承認した。更に、そのソマリア派遣の一貫として隣国ジブチに自衛隊の拠点をつくる際に、両国間で結んだ地位協定は、隊員の現地の犯罪の処遇において日米地位協定よりも派遣国に有利、受け入れ国に不利、というおまけ付きです。
 もはや日本人にとって9条は、誰かが勝手にやる戦争に巻き込まれたくないという、結局は自己防衛だけのものであり、海外の日本の国益が危ないと世論操作がなされれば、ホイホイと武力を出す、それだけのものであるということです。そう考えればこの「輸出三原則緩和」も当然の流れ。これにだけ反対することに何の意味があるのか? というのが僕の忸怩たる思いです。

Q4

東日本大震災の際の救助活動における自衛隊の働きは大きく、改めてその存在感と必要性を感じました。また南スーダンへのPKO派遣なども今年に入ってから行われています。憲法9条を改正しないまま、現在のように自衛隊の活動の広さや位置づけが変わってきていることについて、どのように考えますか?

Answer

国連の活動と軍事同盟による「有志連合型」の活動。二つの区別がなされないまま「武器使用基準緩和」の論議が持ち上がっていることに危機感を持ちます。

 PKO派遣に関しては、昨年に前原(誠司)さんが、自衛隊の武器使用基準を緩和すべきだという方針を打ち出しました。これについては、PKOの現場で働いた僕としては複雑なものがある。そもそも多国籍軍というのは、それぞれ国内的な「事情」がある部隊の寄り合い所帯ですから、それらをいかに調整するかが、最高司令部がいつも頭を悩ます問題です。中でも武器使用などに厳しい縛りがある日本の自衛隊が非常に「使いにくい軍隊」であることは間違いない。そこで、PKOの派遣であれば、パラダイムを180度変えて、自衛隊の指揮権を国連に完全に委ねてしまう。だから、武器使用基準の「緩和」どころではなく、自衛隊を国連の傭兵化してしまう。そういうことを考えてもいいんじゃないかと思ったこともありました。
 ただ、怖いのは、この問題についての国内議論が、国連PKOへの派遣と、それ以外の派遣を区別しないまま進んでいることです。例えば、日本が給油活動で参加した、アフガニスタンでのアメリカのOEF(不朽の自由作戦)は、「有志連合型」。まがりなりにも「平和維持」を掲げた国連の活動とは違う、軍事的な同盟によるものです。
 しかし、それをすべて一緒くたにして議論が進んでいるような気がする。「国連の傘を着て有志連合へのアレルギーをなくす」という策略のようなものを感じますね。つまり、多くの日本国民には、戦争協力へのアレルギーは依然として強いが、国連平和維持活動へのアレルギーは着実になくなってきている。だから、国連をダシにして武器使用基準などを緩和して、そのまま有志連合型派遣での活動も拡大する、という狙いがあるんじゃないかと思います。世論はまったくそこの区別がついていないし。
 今後のPKOについては、僕は、自衛隊はもっと、ネパールやカンボジアで経験したような「軍事監視団」の業務に積極的に携わるのがいいのではないか、と思っています。敵対する武装勢力間の信頼醸成をやったりしますから、非常に危険性の高い業務だし、今までの自衛隊派遣のように「安全地域」での任務ではないから、犠牲が出る可能性が格段にあります。犠牲が出た時に国内世論が保つかという問題はあります。でも、「中立性」が重要であるし、武器を携帯しないのが基本。9条を持つ日本の資質に非常に適した業務だと言えるのではないでしょうか。

◆「脱原発」と憲法9条

 これだけ形骸化が進んでいる憲法9条ですが、今後もし改正されることがあれば、それ自体が世界的なニュースになるでしょうね。実は9条のことは世界ではほとんど知られていないのですが、それがなくなるということで逆に認知度をネガティブに高めるというふうになると思います。特に、アジアの周辺諸国には悪い印象しか与えない。北朝鮮は間違いなく、中国も「日本が右傾化した」として、軍備増強の一方的な口実に使うでしょう。
 中でも、僕が今懸念しているのは、原発事故や放射能への恐怖が極度に広がっている日本人が、「原発が直ぐには止まらない」という現実を認識したとき、その恐怖が「原発が狙われる」恐怖に化けることです。そして、その恐怖を誰かが政治利用することです。
 「女川原発を武装集団が占拠、電源を切断、メルトダウン寸前のところで特殊部隊突入、全員を射殺。現場には金正日バッチが落ちていた」なんてシナリオを思い描いて下さい。これは、今、非常に現実味を帯びたものであり、なおかつ、「でっち上げ」も可能です。でも、起こってしまったら、日本社会がどういう反応をするか。9条は、もう、もたないでしょう。僕は「脱原発」を支持するけれど、今のような、恐怖感に支えられた「脱原発」運動は、必ずいつか権力側に揚げ足を取られると思います。

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