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今週のキイ

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 いよいよ正体が見えてきた。どんなに「美しい国」ならぬ「美しい言葉」で飾ろうとも、彼の本質はやはり相当に危険だ。
 そう、すでに次期自民党総裁に決定したかの感がある、安倍晋三官房長官である。彼はついに「集団的自衛権」に踏み込もうとしている。それは、否応なく私たちの国を「アメリカの戦争」に引きずり込むものなのだ。

そこで、
安倍晋三
集団的自衛権
 


 たとえば、8月21日付け毎日新聞の一面には、次のような記事が載っていた。

集団的自衛権
解釈変更で容認
安倍氏政権構想 その後全面改憲

 自民党総裁選で、安倍晋三官房長官が9月1日の正式出馬表明時に発表する政権構想の骨格が固まった。憲法改正について、現行憲法のまま解釈変更により集団的自衛権の行使を容認したうえで、全面改正を目指す2段構えで臨む。また、「教育バウチャー(教育利用券)制度の導入や「公」の意識を養う教育改革も大きな柱にすえる方針で、保守色の濃い内容となる。
<中略>
 安倍氏は「自衛軍」保持を明記した昨年の自民党新憲法草案をもとに、「自主憲法制定」が結党以来の目標として、9条と前文を含めた全面的改正を目指す。その前段階として、現在の政府解釈では行使を認めていない集団的自衛権について、解釈変更による行使容認を盛り込む。
<中略>
 外交では、日米同盟を機軸にインドやオーストラリアなどとの連携強化を打ち出す。中国に対しては、政治的関係と経済交流の拡大を切り離す「政経分離の原則」の確認を提唱。自身の靖国参拝については、政治・外交問題化を避けるためとして触れない考えだ。
 また小泉改革の継承を訴える一方、「再チャレンジ可能な社会作り」を打ち出す。


 安倍氏は「解釈改憲」を極限まで押し広げようとしている。
 さすがの内閣法制局でさえ、「集団的自衛権」は現行日本国憲法に抵触するとして、認めてはこなかった。自衛隊の海外派兵と直接戦闘につながる集団的自衛権は、いくら解釈を変えようとも、憲法、特に九条が厳然として存在している以上、その行使には絶対的な矛盾を生ずる。
安倍氏はどういう理屈でこの矛盾に整合性をつけようというのか。

 集団的自衛権を認めてしまえば、どういうことになるのか。
 たとえば、アメリカ軍がイラクで現在以上の損害を受けた場合、同盟国としての日本は自衛隊をイラクに再度派遣して、アメリカ軍とともに戦うことだって可能になる。
 同盟国が危機に陥ったとき、その国と共同して敵に対処する、というのが集団的自衛権の基本的な考え方だからだ。

 むろん、「そこまでは踏み込まない。日本に直接かかわる緊急事態のときにのみ、アメリカ軍との共同行動をとる」と、安倍氏は言うだろう。
 しかし、いったん歯止めをはずしてしまえば、あとはズルズルと行くところまで行ってしまう。それは歴史が証明している。絶対にそうはならないと、誰が確信を持って言えるのか。
 歴史を学ばない、または学ぼうとしない人々は、こうしてまたしても悪しき歴史を作ろうとしている。


 また、この解釈改憲のロジックは、確実に「日本人」の精神をも堕落させていく。
 まず憲法を踏みにじる行為をしておいて、その上で「憲法は現状に合わなくなったから、現状に即して改憲しよう」などと言い出す。憲法を破ったことには頬っかむりしておいて、つまり、法を犯したことには目をつぶり、破られた法が悪いから変えてしまえ、という理屈。
 それを法治国家といえるのか。その理屈が通るならば、憲法も法律もいらないではないか。それこそ、無法国家。
どうしても集団的自衛権を行使したければ、まず憲法を改定して、そのうえで行使に道を開くのが筋だろう。
 次期首相になろうという安倍氏が、こんな姑息な手段を弄しようというのだ。
 そんな人物が「教育改革」を行うという。どういう改革になるのだろう。

 安倍氏、あの著書『美しい国へ』で、「闘う政治家宣言」をぶち上げた。しかし、自らが靖国神社を参拝したことには、いまもダンマリを決め込んだままなのだ。
 「参拝したかどうかについてもコメントしない」と言う。批判を受けそうなことについてはコメントを避ける、そんな人を「闘う政治家」などといえようか。どうにも納得がいかない。

 優しい言葉で格差社会の解消を訴える。いわゆる「再チャレンジ可能な社会」というフレーズだ。
 だが、この人、本当に優しいのだろうか、温かい人なのだろうか。


 加藤紘一議員の山形の自宅が放火された。現場に右翼団体の関係者が割腹して倒れているのが発見された。これは、靖国問題やアジア外交に関する加藤議員の発言に対するテロではないかといわれている。
 ここでギョッとするのは、この事件への安倍氏の対応ぶりだ。彼は、加藤氏に見舞いの電話すらかけていないという。かつての加藤氏の盟友・小泉純一郎自民党総裁の対応も同じだ。見舞いの電話もしていない。これは小泉氏がよく使う「非情」などという次元の話ではない。「非常識」というレベルだろう。同僚議員の家が放火されたのだ。たとえ親しくはなくてもお見舞いするのが人情というものだ。

 安倍氏は小泉改革を踏襲するという。この「非情」ならぬ「非常識」の冷たさは、すでに踏襲し始めている。
 そんな人の言う「再チャレンジ可能な社会」である。果たしてどんな社会になるのか。温かさなど感じられないのだ。

 引用した毎日新聞の記事によれば、安倍氏は「外交では、日米同盟を機軸にインドやオーストラリアなどとの連携強化を目指す」という。「中国については、政経分離の原則を確認する」とのこと。
 小泉首相と同じく、アメリカ一辺倒の政治を続けるということだ。中国や韓国などの隣国とどう外交関係を改善していくか、まるで視野には入っていないようだ。

私たちの国は、どこへ行くのか。
安倍氏と心中する気は、ない。


(今週のキイ選定委員会)

 今週のおまけ

 なんだか損をしたような本が『美しい国へ』(安倍晋三・文春新書)だったけれど、薄い新書ながらかなり歯ごたえのある本に出会った。
 『憲法九条を世界遺産に』(太田光、中沢新一・集英社新書)がそれ。
憲法九条を世界遺産に  実は爆笑問題の太田光さんと多摩美大教授の中沢新一さんは、メル友なのだそうだ。かつて太田さんの著書の解説を中沢さんが引き受けたことから交友が生まれ、かなり頻繁にメールで文学や哲学などについて意見を交換してきたのだという。
 それがなぜ、このように憲法論へ踏み込んだ対談になったのかは、中沢さんの前書きに詳しい。
 孤軍奮闘、たったひとりで前線に躍り出て援護射撃もないままに、日本が抱えている深刻な問題について、懸命にラッパを吹き鳴らそうとしている太田さんの姿の切なさに、中沢さんが「共同戦線を張ろう」と申し出たということらしい。
 たしかに、最近の太田さんのテレビでの発言などを聞いていると、ほおってはおけない気にさせられる。ガンバレっ、と思わず声を掛けたくなる。中沢さんもそう思ったひとりらしいのだ。


 この本の面白さは、今までの多くの「護憲本」とはかなり異質な議論を展開していることだ。
 いわゆる「護憲本」の多くは、憲法九条をひたすら守ることによって平和を維持しよう、憲法九条さえ守れれば平和を守ることもできる、というある種の「憲法九条絶対主義」的な宗教じみた部分も持ち合わせていたような気がする。もちろん、すべての「護憲本」がそうだったというわけではない。しかし、改憲派からはそこを突かれて「護憲教」だとか「神学論争」だとか批判されてきたのも事実である。
 ところがふたりは、日本国憲法の危うさや矛盾をきちんと認識した上で、「だからこそ、世界遺産として後世に遺し伝えていかなければならないのだ」と議論を発展させていく。

 こんな「珍品の憲法」は世界にはない。だからこそ面白いのだ。そして、そんな面白いものを、簡単に手放していいわけがない、と対論は白熱する。

 では、その「珍品憲法」が、なぜ成立したのか。それは、まさに奇蹟の一瞬、理想を信じたアメリカ人と、ふたたびの戦火を絶対に拒否しようとした日本人の、奇蹟の合作だったというのである。
そしてその背景には、アメリカ先住民や環太平洋の平和思想などが色濃く反映されている、と目からウロコの話が続く。

 特筆すべきは、「幕間・桜の冒険」と題された、太田さんのエッセイ的な文章である。なぜ彼が憲法に、特に憲法九条にこだわるようになったのか、その心情の深いところが切なすぎるほどの筆致で述べられている。
太田光、只者ではない。

 ほんの170ページほどの薄い本である。
しかし、読後感はずっしりと胸に迫ってくる。
掛け値なしの、オススメ本である。

 この本、編集部の話によれば、発売10日間で増刷をかさね、すでに8万部に達しているという。このような本が売れる。まだこの国も捨てたものではないのかもしれない。


(今週のキイ選定委員会・図書部)
 
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