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今週のキイ

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 やはり「ビラまき」は無罪だった。
 でも、こんな常識的な判決が、これほどメディアで大きく取り上げられるところに、今の私たちの国の危うさ、追いつめられた「表現の自由」の瀕死の現状が浮かび上がっている。そこで、
「ビラまき」と「思想表現の自由」
 東京都葛飾区にあるマンションで、04年3月に共産党の宣伝ビラを配布していて逮捕され、「住居侵入罪」に問われて起訴された男性に、8月28日、東京地裁は「無罪判決」を言い渡した。
 まあ、このところかなり行政寄り、もっと直接的に言えば「権力寄り」の判決ばかりが目立っていた裁判で、やっと常識的な判断が示された、ということに、多少の安堵感はある。

 しかし、04年2月に起きた東京都立川市の防衛庁官舎での「ビラまき逮捕事件」では、地裁では無罪判決が出たものの、2審の東京高裁では逆転有罪、3人の被告に10〜20万円の罰金刑が言い渡された。むろん、被告側は上告中であり、結論は最高裁へと持ち越された。

 このほかにも「ビラまき逮捕」の事例はかなりある。

 


 04年3月、東京都中央区のマンションで共産党機関紙を配っていた公務員が逮捕。また、05年3月には東京都町田市の都立野津田高校の門前で「日の丸君が代強制反対のビラ」を配った男性2人が逮捕、同年同月に同じようなビラの配布をして都立農産高校(東京都葛飾区)で男性1人が逮捕されている。
さらに、05年9月には東京都世田谷区の警視庁職員宿舎で共産党のビラを配布した男性1人が逮捕。

 このような「逮捕」が、なぜか東京に集中していることにも注意が必要だろう。それが、治安維持にやたらと熱心で、大の共産党嫌い、日の丸君が代を強制し続ける東京都教育委員会を率いる石原慎太郎都知事のお膝元で繰り返されている逮捕劇だからだ。

 この逮捕の裏に、とにかく自分の言うこと信じること以外には聞く耳持たず、批判者を口汚く罵ることで有名な石原知事の意向が見え隠れしていると考えるのは行き過ぎだろうか。
 逮捕が、共産党の機関紙や宣伝ビラ、または日の丸君が代強制反対ビラなどに集中していることを考えれば、それほど的外れとも思えない。いままで、「共産党以外の政党」のビラや機関紙などの配布を理由に逮捕された事例はないのだから。

 その知事の威光をかさに着てのあまりの強圧的な振舞いに、ついに都議会与党の自民党からさえ批判を受けて失脚したのが石原知事子飼いの浜渦前副知事だった。ところが、その浜渦氏が、なぜかまたもや都参与として復権した。もちろん石原知事の意向による。

 なにせ、週に2〜3日しか登庁せず、それも午後の数時間でどこかへ消えてしまうという石原知事のもと、この腹心中の腹心・浜渦副知事がいなければ行政は何も動かなかったという。
 かつて都職員たちは、すべてこの浜渦氏の許可を受けなければ、知事への意見具申ひとつできなかった。その体制に対する職員や都議会議員たちの不満が昂じて批判が渦巻きついに浜渦氏失脚に至ったのだが、ここに来てその浜渦氏が石原都知事の強い要求で都参与として復権したのだ。

 浜渦参与は、石原知事以上の君が代日の丸強制論者だという。
 さらに、東京都教育委員会の教育長として凄まじいばかりの君が代日の丸強制路線を貫き、大量の教職員の処分を行った最強硬派の横山洋吉氏が副知事に昇格している。強烈な布陣だ。
 だから、君が代日の丸強制に反対するという思想表現の自由は、特に東京都では、まさに風前の灯なのだ。


 あの小泉首相が強調したのは「心の自由」であった。彼はそれを表現するために、あのような大騒ぎを巻き起こしてまで靖国参拝を強行した。

 安倍晋三「次期総理」も、教育改革なる旗を振り回して、君が代日の丸強制路線をひた走る構えだ。もちろん「心の自由」を叫んで、靖国参拝を公認する。
 その一方で、ほとんど誰にも迷惑をかけず、別に騒ぎを引き起こすでもなくビラを撒いただけで、普通の人なら恐慌をきたすような逮捕という強権的な圧力が加えられる。
 これは、権力を持つ者には表現の自由が認められ、権力などとは遠いところにいる人間にはビラを撒くことさえ許さないということを意味する。

 このビラまき逮捕でこれまで何度も指摘されてきたことだが、今回の地裁判決でも「ピザのチラシなども配布されているが、それが逮捕に至ったという報道はいままでにはない」との趣旨が述べられている。
 また、たとえば行政による「広報紙」や「議会便り」などの配布でも逮捕などの事例はない。
 であれば、やはりビラの内容や、それを配布した政党が狙い打ちされたとしか考えられない。このようなことが平然と行われているのが、残念ながら今の私たちの国のありようなのだ。

 このまま放置するならば、言いたいことの言えない息苦しい社会がやってくるのは目に見えている。

 さすがにいかに強引に逮捕に持ち込んでも、前記のうち05年の2例では、地裁が拘置請求を却下して釈放されたり、地検が拘置請求を諦めたりしている。だが、逮捕という行為がどれほど人を恐怖に陥れるか、そしてそのことが他の人たちにどれほどの抑止効果、見せしめ効果をもたらすか、少しでも想像力のある人ならすぐにでも分かるだろう。

 権力は民を黙らせるために用いられる。


 立川の例では75日間、今回の葛飾区の例でも23日間拘置されている。いかに後に無罪を勝ち取ろうとも、数十日間も拘置されて平静でいられる人など、ほんの一握りにちがいあるまい。しかも、こんな「微罪」で、である。これは「見せしめ」以外の何物でもあるまい。
無罪にはなっても、権力はすでに逮捕した時点で、世の中にその「見せしめ効果」を十分に知らしめたのだ。

 すべて無罪でなければならない。
 すべて無罪となることによって、逮捕そのものを否定しなければならない。

 おーい、ビラぐらい自由に撒かせてくれよーっ。

 いずれネットの中にも、権力は手を伸ばしてくるだろう。そうなれば、私たちのようなウェブ・マガジンのみならず、ブログでの自由な意見の表明さえも規制されることになるだろう。
 これは右翼とか左翼とかは関係ない。その時々の権力にとって邪魔になるもの、批判的な表現はすべて対象となる。いずれの側に属しようとも、手を携えて闘わなければならないはずだ。

 そのためにも、もう一度叫ぶ。

 おーい、ビラぐらい自由に撒かせろよーっ。


(今週のキイ選定委員会)
 
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