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今週のキイ

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 まるでつまらない選挙戦だけど、これからの私たちの国の方向性がかかっている。知らんぷりするわけにもいかない。 そこでとりあえず、

自民党総裁選

 自由民主党総裁選挙が、いよいよ近づいてきた。議会内閣制の日本の政治制度では、現状の議会勢力に当てはめる限り、自民党総裁は自動的に総理大臣に指名されることが確定されている。つまり、安倍・麻生・谷垣の3候補のいずれかが、私たちの国の首相になるということが約束されているわけだ。もっとも、誰が指名されるかはすでにミエミエだけれど。

 自民党というコップの中の小さな争い、それが大多数の私たち選挙民の意志とは無関係に首相を作り出してしまう。自民党員は、たかだか100万人ほどしかいないのだ。それもここ数年、かなりの減少傾向。10年前に比べれば、ほぼ三分の一にまで減っている。あの小泉人気は、決して自民党人気を支えてはいなかった。

 で、この議院内閣制での首相指名という制度がいいのか悪いのかは、議論の分かれるところだ。 たとえば、アメリカの大統領制がいいのかと問われとき、あのブッシュのダメさ加減を見て「いい」とためらいなく答えられる人がそんなにいるだろうか。少なくとも、私の周りにはあまり見当たらない。
 私たちの国にも、そのブッシュ親分の真似をしたのかどうか、やけに強権を発動して思うがままの政権運営、議院内閣制もどこ吹く風、大統領的首相などとおだてられて木に登ってしまった小泉さんという首相もいた。

 その小泉首相の「改革路線」なるものを、どう継承していくのか、もしくはどう訂正していくのか、さっぱり分からない論戦を繰り返す3候補。構図的には、すっかり日本のネオコン気取りの安倍・麻生に対し、ややリベラルな雰囲気を醸して戦いを挑む谷垣、というところらしい。

 しかし、具体的な内容はというと、ほとんどが抽象論。
 国を愛せだの、教育改革だの、毅然とした強い外交だの、自律した気概だの、まるでできの悪いオヤジの愚痴っぽい小言集。こんなことで、どうやってこの国を建て直そうというのだろう。
 唯一、谷垣氏の「消費税アップによる財政改革、社会保障制度の充実」あたりが具体論になっているに過ぎない。
 それにしても、日本版「ネオコン」、心配になる。

 


 独走状態の安倍官房長官。
 あの「日本の植民地支配と侵略に、痛切な反省とお詫びの気持ち」を表明した95年の村山富市首相(当時)の談話について、最初は「認めがたい。個々の歴史は、後世の歴史家の分析に任せるべき」との意見を表明し、決してあの戦争の日本の行為を「侵略」とは認めなかった。ところが、それに対して各所から批判の声が聞こえだすや「歴史的に内外に発表した文章で、その精神はこれからも続いていく」と、なんとも歯切れの悪いあやふやな意味不明の言い訳に終始した(9月11日の3候補討論会での発言)。
 これが「闘う政治家」(著書『美しい国へ』より)というのだから困ってしまう。都合の悪い部分はごまかしてシラを切るのが、闘う政治家なのか。
 そういえば「靖国参拝をいつ行ったか、行ったかどうかさえも言明しない」と、ここでも批判を受けそうなことには口つぐんでいた。なんとも形容しがたい「闘う政治家」なのである。

 同じネオコン仲間の麻生氏(小泉首相に外務大臣就任を要請されたとき「こんな右翼でいいのかなあ」と思わず口走ったというエピソードは有名)でさえ、「侵略といわれてもやむを得ない」と不承不承ながら認めているというのに、安倍氏、まったく往生際が悪い。
 こんな人が首相になったら、「前言訂正首相」または「言い訳総理」もしくは「ひた隠し総裁」として名を残すことになるかもしれない。

 しかし、この3氏の顔ぶれを眺めていたら「やっぱりダメだよなあ」という深〜い溜め息が出てきてしまった。
 この3氏に共通するキイ・ワードに気づいたからだ。

 
その キイ・ワード とは

世襲議員

 そう、この方々、3人そろって世襲議員なのだ。
つまり、政治家であった祖父や父などの跡を継いだ「七光り議員」だったというわけ。


 そこでちょっと調べてみた。
 いやはや。
 多いとは思っていたのだが、これほど「七光り議員」が大量発生しているとは知らなかった。
 だいたい、政治が世襲の仕事である、ということがまずおかしい。親がいい政治家であったということと、その子がいい政治家になるということが、(もちろん例外はあるが)イコールであるはずがない。
 いやむしろ、その逆であることのほうが多いだろう。
 江戸時代の川柳にこうある。

売り家と 唐様(からよう)で書く 三代目

 つまり、親の財産を食い潰して、三代目には親が残してくれた家さえも売りに出さざるを得なくなった。しかし、遊びや趣味には通じていたから「唐様文字」で目立つように書いてある、とまあ、そんな意味だ。

 江戸時代だけではない。現代の大企業でさえ、世襲の経営者が親の創り上げた企業を傾けてしまった事例は、それこそ枚挙にいとまがない(くどいけど、もちろん例外もたくさんありますヨ)。


 さて、現実にどれほどの「世襲議員」が存在するのだろうか。
 数え方によって、多少のばらつきはある(姻戚関係をどこまで認めるかによって違ってくる)。
 一番多い人数を示している資料によると、全衆議院議員480名中、185人が2世・3世の議員だという。これは全衆議院議員の38.5%にあたる。まさに恐るべき数だ。
 中でも突出しているのは、やはり自民党。 244人中、実に126人が世襲議員なのだ。なんとこれは、51.6%という高率になる。民主党が、176人中48人で、27.3%なのに比較しても、その突出ぶりは際立っている。

 なぜそんなことが起こるのか。

 いわゆる、地盤(親が作った地元後援会組織)、看板(これこそ親の七光り)、カバン(これも親から譲られた資金力)の3バンが揃っている世襲議員は、選挙では圧倒的に有利だ。特に小選挙区制になってからは、その力は新人候補を寄せ付けない強さを発揮する。

 能力や資質などよりも、恵まれた環境と格差社会など感じたこともない資金力、親の名前を背景にして、七光り議員が政界をのし歩く。 今回の3人の自民党総裁候補などは、その典型なのかもしれない。

 中でも、吉田茂元首相を祖父に持つ麻生太郎外相と、岸信介元首相を祖父に、安倍晋太郎元外相を父に持つ安倍晋三官房長官は、その七光りぶりもハンパじゃない。ビカビカビカッと、目も開けてられないほどの眩しさだ。
 もちろんお金持ちだから私費留学、おかげで(話す内容はともかく)英語力もかなりのものだという。

 このような輝かしくも豊かな経歴をお持ちの方々に、本当に格差に苦しむ人たちの嘆きなど、分かるものなのだろうか。

 そういえば、この激しい競争がもたらす「格差社会」を作り上げたご本人、われらが小泉純一郎内閣総理大臣もまた、たいそうご立派な「3世議員」で、イギリス遊学組なのであった。
 あのプレスリーを歌ったかなり恥ずかしい英語は、この遊学で身につけられたものらしい。
苦労知らずも、もっともなのであったのだなあ。

 本当に苦労している人たちと同じ地平で物事を見ることのできる人物に、議員になってほしいのだが。

 
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