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今週のキイ

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2006年の回顧

 今週も、順不同。
 キイは、ワードもパーソンもポイントもブックもぜーんぶまとめての回顧です。


●小泉純一郎

 本年9月に首相退任。なにしろ目立つ人だった。政治的には、06年前半を独占した感がある。
 ほとんど無内容なワンフレーズを連発、それに無批判に乗っかったテレビとの相乗効果で、最後まで人気を持続した。すぐに「古いものをぶち壊す!」を絶叫した。それが人気の基だったようだ。しかし、彼が「ぶち壊したもの」は、単なる「戦後の古い遺物」ではなかった。
 それは戦後日本が守り続けてきたもの、すなわち、「非戦の思想」だったのだ。その最たるものが「初の軍事的海外派兵」だ。
 いくら彼が「自衛隊のいる場所は非戦闘地域だ」と強弁しても、自衛隊を戦地に送るという、これまではどんな首相もなしえなかった悪しき前例を作ったことは、誤魔化しようもない。
 日本が「軍事的な意味で」他国民を殺すことも、また同じ意味で他国の軍隊に日本人が殺されることもなかったという戦後日本の非戦の価値を、この男が一人で崩してしまったのだ。まさに「非戦の精神は小泉によって殺された」のである。


●お笑い芸人

 2006年は、お笑い芸人たちが大ブレークした年でもあった。しかし、その
 ブームの基礎を築いたのは、実は小泉純一郎氏ではないかと、私はひそかに思っている。
 なにしろ小泉氏、「人生いろいろ、会社もいろいろ」「女の涙は武器」「公約の一つぐらいを守らなくても大したことではない」「抵抗勢力には刺客を」などと、ほとんどギャグとしか思えない答弁やパフォーマンスを繰り返し、それがなんとなく通用してしまった。
 かくして「政治言語の破壊」という、最低の政治効果、政治腐敗を残してしまった。国の最高機関である国会の論戦の場を、テレビのおふざけバラエティのスタジオに変えてしまったのだ。政治は当然、腐敗する。
 国会は、お笑いの場ではない。ふざけた答弁でそんなに笑いを取りたいのならば、いま流行の「お笑い芸人」になればいい(いや、これはお笑い芸人たちに失礼ですよね、太田光さん他、ゴメンナサイ)。


●作家・高村薫さんの「絶望」

 高村薫さんが、毎日新聞12月25日夕刊の特集面で、インタビューに応じて語っている。見出しはこうだ。


この国はどこへ行こうとしているのか
輝かしい時代を
知っているから
斜陽になるのも見える。
恐ろしく寂しいことです


(以下、本文記事の抜粋)

「重苦しさを感じるのは自分が無力だからです。物書きごときが何を発言しても、世の中が動かない。その無力感が---。今は非常に深刻です」

「(9.11米同時多発テロ以降の)アメリカのある種の高揚感に背筋が寒くなりました。一国で戦争に乗り出し、日本の政権がべったりついていく。そういう世の中を見て、うーん、悪い時代は予感ではなくなった、どうしよう---と」

「一番目についたのは国民の動向です。首相の支持率は高いものの、予算案の審議は恐ろしく低調になり、政治は不在になった。その不在を不在と思わない有権者が印象に残りました」。前首相の人を食ったような国会答弁はマスコミをにぎわせた。「漫談じゃないのに。行き着いたのが郵政解散です。もう、止まらない。動き出した大衆がマスメディアによって力を持ち、どうすることもできない---」

「世論や政治を導く知識層が力を失いました。不勉強で自分の感覚だけで生きているような人が首相になり、周囲にイエスマンとそれを支える大衆」
「新聞を読みながら、言葉を失う状況が起きています。教育基本法が衆院本会議で単独採決です。すごいことをやる」

「来年は(憲法改正の手続きを定める)国民投票法案が恐らく通る。本当に私はどこへいくのでしょう。でも、どうにもならない。選挙がないから嫌と言えない」

「今の子どもたちはかわいそうです。政治の不在、それにOKを出す大衆、大衆の子どもたち、全部つながっているんです」

「今や雇用者の3分の1が非正規ですから、モチベーションが保てない。技術立国は絵に描いた餅です。その証拠に大企業が事故を起こしている。でも経済界が警鐘を鳴らさない。みんなつながって国力の衰退に向かっています」

 なにしろ、安倍晋三首相の政権ビジョンは「美しい国」である。「これは情緒の言葉、政治の言葉ではない。でも、誰も『いいかげんにせい』と言わない。本当は中規模で落ち着いてゆったり暮らせる国を目標に掲げられるのに、まったく逆です、安倍政権は。しかも、閣僚が核武装を言い出す」

 そして高村さんはこう締めくくった。
 「私だって明るい時代に行きたいです。本当に----」


●核武装論

 ここまで高村さんを絶望させるのは何か。それはやはり、政治家たちのあまりの言葉の軽さ、粗雑さであろう。
 その例が、高村さんも言及している「核武装論」である。
 このコラムでも何度か指摘した。中川昭一自民党政調会長や麻生太郎外相が繰り返す「核武装論必要論」、あまりに見え透いている。このコラムの批判に対し、相変わらず「議論さえ封じるのは民主主義に反する。お前こそが反動だ」などという反論が返ってくる。まったくことの本質が見えていない。
 このコラムの指摘は次の2点に尽きる。

(1)議論を提唱するなら、
  まず自分の立場を明確にすべきだ。

 この二人はあくまで「非核三原則には賛成だ」と言い張る。ならば、この論議はする必要がない。非核三原則に反対だ、という論者は現在のところ、自民党内部にさえ存在しないからだ。反対者がいないところに、議論など成立しない。自明だろう。
 「みんなで非核三原則を守ろう」「おお、そうしよう」
 これで議論は終わりではないか。
 それでも「議論を」と言い張るのは、自分の立場が非核三原則とは違うということを、自ら暴露しているようなものだ。はっきりと「俺は核武装に賛成だ」と言えばいいではないか。そうすれば、おのずと議論は成立するのだ。それをしないのは、さすがに核武装に対する国民の反発が怖いからにほかならない。
 意気地がない。まさに、まやかしである。

(2)発言については、政治的情勢を考えるべきだ。
 現在、日本の核武装に対して、アジア諸国は言うに及ばず、アメリカやヨーロッパ各国からの警戒感が強まっている。もし日本が核武装に踏み切れば、世界の枠組みは激変する。それに対する警戒感だ。
 その裏付けとして各国機関が指摘するのは、日本の原発が生み出すプルトニウム(核兵器の原材料)が、もう保管不能なほど溜まってしまっているという現実だ。だからIAEA(国際原子力機関)は、世界で最も多い監視員を日本に送り込んでいるのだ。つまりそれほど、日本は世界から警戒の目で見られているということだ。
 そんな政治情勢の中で「核武装論議は必要だ」などと言い出せば、さらに世界の警戒感を煽ることになる。なぜそんなバカなことをしなくてはならないのか。そんな論議はやる必要もないし、世界で孤立したくなければやってはいけないことなのだ。
 政治家を名乗る以上、少し冷静になって考えれば分かりそうなものだ。それでも言い募るということは、やはり先ほど指摘したように、核武装賛成論者であるからにほかなるまい。

 高村さんが指摘するように、こんな人たちが政府与党の中枢にいる安倍内閣の恐ろしさを、このまま放置しておいていいものだろうか。


●タウンミーティングと教育基本法

 タウンミーティング、TMと略すのだそうだ。まあ、とんでもないまやかし、の頭文字と思えばよろしい。ご存知、内閣府が世論誘導のために行った儀式である。それが特に「教育改革」を目的とした会でやられちまったことに愕然とする。
 人々をごまかし、まるでそれが一般的な意見であるように嘘をつき誘導しておいて、これが世論ですよ、と報告する。教育改革を討議する場で内閣府自体が嘘にまみれていたという、なんともお粗末な一芝居。その結果が、教育基本法のゴリ押し単独採決。
 国を愛せよと叫び愛国心を強制する側の、これが実態なのだ。愛国心を感じられるような国を作れると、こんなことをしながら本気で思っているのだろうか。


●郵政造反議員復党

 キミは、聖子チャン派かゆかりタン派か?
 岐阜県ではそんな色分けで大騒ぎだとか。もうどうでもいいよ、呆れて声も出ない。
 ここで繰り返すのもバカバカしいが、あれほど選挙民をコケにした話もない。結局、小泉戦略にマスコミが乗せられ、それに選挙民も乗っかっただけの話だったのだ。郵政改革という空騒ぎに翻弄された挙句が、テレビは懲りもせず、今度は「女の戦い第2幕」だと。マスメディアの荒廃もここにきわまれり、というしかない。
 改革と名がつけばすべて正しいのか、という真っ当な疑問すら、もうマスメディアは持てなくなってしまったのか。
 こんな報道では、ますます自民党が得をするばかり。


北朝鮮

 相変わらずの瀬戸際外交。この国の(というより金正日議長)の考えていることが、よく分からない。いずれ崩壊するのは間違いないだろうが、それをどう軟着陸させるかが、これからの課題だということだけは分かっている。
 しかし、その独裁者の迷走振りをいいことに、日本のナショナリズム煽動が止まらない。
 曰く、北のミサイルが数十発撃ち込まれる可能性。曰く、核弾頭搭載可能ミサイルが照準を日本に。曰く、北の特殊部隊が日本攻撃の可能性。曰く、それらに対して日本も(核武装も含んだ)軍備増強を。曰く、曰く、曰く----。
 でもね、あの対北朝鮮最強硬派で知られる石原慎太郎東京都知事が、こんなことを口走ってたよ。
 (北京での6者協議の結果を問われて)
 「(北朝鮮は)『経済制裁やったら、見てみろ日本を火の海にしてやるぞ』って言っていたけど、経済制裁始めたって、そんなことやりっこないじゃないですか。本当に困っているのは向こうだと思うよ」(テレビ朝日の番組で)
 あれだけ北朝鮮の脅威を煽っていた当のご本人が「北は攻めてなんか来やしない」んだと。じゃあ、あれだけ煽った責任はどう取ってくれるのか?
 もう少し、自分の言うことに責任を持ってもらいたい。こういう人を、ポピュリズム政治家、というのだ。


●『憲法九条を世界遺産に』 と
 『美しい国へ』

 2006年、対照的な2冊の新書がベストセラーになった。
 『憲法九条---』太田光・中沢新一共著(集英社新書)。そして『美しい国へ』安倍晋三(文春新書)。
 本当に対照的であった。かたや、非戦を掲げた世にも奇跡的な憲法九条を、なぜ改定するのか。世界遺産に指定して、ずっと遺すべきだと主張する。
 そして一方は、日本を美しい国にするためには、戦後の負の遺産である日本国憲法をとにかく改正しなければならない、と説く。憲法改正がなぜ「美しい国へ」つながるのかは不明だが、祖父・岸信介以来の改憲魂が炸裂している。
 もちろん、「マガジン9条」としては、こんな「美しい国」はゴメンだ。こんなに右傾化が憂慮されている中で、この安倍本が果たした役割は決して小さくはない。
 だけれど、それに真っ向から勝負を挑んだ『憲法九条を世界遺産に』が、(版元によれば)すでに32万部に達しているという事実に、救われた気がするのである。


 もっと書かねばならないことが、今年は山のようにある。しかし、ここで一応、終えたいと思う。

 「憲法九条」が私たちのために果たしてくれた役割は、戦後61年という時を経て、ますます大きくなっている。私たちは、これを手放すつもりなど、絶対にない。太田・中沢両氏が言うように、奇跡の成立だったものを、易々と捨ててなるものか。
 思い続けて欲しい。軍事の名の下に他国民を殺し、もしくは日本人が殺されることがなかった戦後61年が、確かに私たちの国に存在したのだ、ということを。
 これが「虚妄の平和」だったなどとは、誰にも言わせまい。

 
 
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