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今週のキイ

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  このところ、自民党はしきりに「憲法改正のための手続法・国民投票法」の早期成立を言い立てている。
例によって、揉めそうな案件は、参院選に影響しないように、なるべく早い時期に片付けてしまおう、という意図がミエミエ。自民党中川秀直幹事長に続いて、二階俊博国会対策委員長なども「5月3日の憲法記念日前の決着」を言い出した。
そして、どうも民主党もこの成立に手を貸しそうな気配である。

「憲法問題」は、まさに、風雲急を告げてきた。

国民投票法案


 この法案は、報道されているように「憲法改正のための手続法」である。
 どういうことか?
 日本国憲法を改定するには、その是非を国民投票にかけて、国民の意志を問わなければならない。そのためには、投票の方法や手続きなどを定めた細かなルールが必要となる。
 ところが、現行の日本国憲法には、「憲法改正には国民投票が必要」と記されているだけで、その具体的な手続きについては、何の定めも書かれていない。そこで、改憲するためには、どうしてもその前段階として、改憲のための手続法である国民投票法を作っておかなければならない、ということになる。

 憲法を改定するためには、まず全国会議員総数の3分の2以上の賛成で「改憲の発議」をしなければならない。これが大前提だ。この発議の後、憲法改定の是非を問う国民投票が実施されることになる。
 すでに衆議院では、改憲の発議に必要な全議員総数の3分の2以上を、与党(自民・公明)が占めている。また、野党である民主党の中にも、憲法改定に積極的な議員はかなりの数が存在している。
 したがってこの状況下では、衆議院で、いつ「憲法改定の発議」がなされても不思議ではない。
 しかし、衆議院だけで発議が成立するわけではない。
 参議院では与党だけでは総数の3分の2には達していない。だからこそ、安倍晋三首相は「改憲を参院選の争点」にして参院選で大勝利し、衆参両院での「改憲の発議」を行いたい、と必死なのだ。

 私たち「マガジン9条」は、憲法九条を変えてはならない、とこれまで主張してきた。そのためには、参院選で与党に3分の2の議席を与えることを、なんとしてでも阻止したいと考えている。

 国民投票法案そのものは、国会で過半数が賛成すればいいのだから、与党だけの賛成多数でいつでも成立させることができる。とすれば、現在の社民・共産両党の主張のように、国民投票法の成立阻止を図るのも一つの戦術ではあるけれど、この法案が成立してしまったときに備えて、あらかじめその内容を吟味しておくこともまた必要である。
 その意味では、国民投票こそが民主主義の原点だと考える市民グループらが、「国民投票法の市民案」作成に尽力しているのは、敬意に値する仕事だろう。それは、自民党が最初に作った改憲派寄りの内容の国民投票法案を、かなり真っ当な案にまで引き寄せたものとして評価していい。
(市民案にも関わった今井一氏の主張は、この「マガジン9条」に先週まで3回にわたって掲載された井口秀作大東文化大助教授との大討論に詳しいので、ぜひお読みいただきたい。また、国民投票法そのものについては、当「マガジン9条」の伊藤真さんの連載コラム『けんぽう手習い塾』で詳しく論じられているので、そちらにもぜひ目を通していただきたい。うーん、「マガジン9条」って、ホント、ためになるなあ!)。


 しかし、市民案にかなり近づいたとされる自公・民主党の合意項目の中に、筆者にはどうしても納得できない部分がある。
 「テレビ広告(スポットCM)を、投票の2週間前から法規制し、全面的に禁止する」という部分である。
 これは当然、2週間以前はCMをテレビで流すのは自由である、ということを意味する。では、2週間以前のテレビ広告についてはどう考えるのか?
 改憲の発議から投票までは、60日以上180日以内、とされている。とすれば、46日以上164日以内(当然、それ以前も)は、テレビ広告はメディア側の自主規制にまかせることになると受け取れる。
 では、「メディア側の自主規制」は、どこまで信頼できるか?

 日本経団連会長の御手洗富士夫氏が発表したいわゆる「御手洗ビジョン」では、「憲法改正に向けて尽力する」と、はっきりと謳われている。経団連とは、日本財界の総本山だ。そこが改憲を打ち出しているのだ。これは、日本の大企業の連合体が、相当の資金をつぎ込んでも「憲法改正」に邁進する、と宣言したということにほかならない。
 テレビ番組の大スポンサーたちが「改憲広告を流したい」と要請してきた場合、テレビ局が「不公平だから、一方的な改憲広告は受けられません」とか「それなら護憲広告も同量で」などと言えるだろうか?
 とても悔しいことだけれど、長い間あるメディアの中に身を置いてきた筆者の感想として、それは不可能だというしかない。
 民放テレビ局は当然ながら、広告費で運営されている。だから広告スポンサーには頭が上がらない。そのスポンサーの総元締めである経団連の意向にテレビ局が逆らえるとは、とても思えないのだ。


 ひるがえって、護憲派はどうか。
 いうまでもない。資金的な裏づけなど、改憲派の数十分の一、もしくは数百分の一といったところだ。
 とすれば、結果は分かりきっている。投票の2週間前まで豊富な資金量にものを言わせて、「明るい未来は憲法変えて!」とか「美しい憲法と日本!」などの15秒CMが、美人タレント総動員のニッコリ笑顔でテレビ画面を占領してしまうことになるだろう。
「憲法変えて」「憲法変えて」「憲法変えて」-------。これがついには耳について離れないようになる。投票所で、「憲法変えて、に○」。
 まさに、マインド・コントロールである。

「国民を馬鹿にしてはいけない。国民はそんなマインド・コントロールにだまされるほど愚かではない。もっと国民を信用するべきだ」と反論する方もいる。その意見はもっともだ。
 しかし、あの小泉選挙で何が起こったか?
「抵抗勢力との闘いだぁ!」とか「改革なくして成長なしっ!」などと絶叫する小泉首相のワンフレーズを、15秒コマーシャルなみにテレビのワイドショーが繰り返し繰り返し流し続けた結果、何が起こったかを、あなたはもうお忘れか?
 それを考えるだけで、テレビのスポットCMの威力は知れるのだ。しかも、このCMの陰には、大手広告代理店の存在がちらつく。いまや、戦争すらもプロデュースしてしまうほどの力を持つ広告代理店が、この憲法を巡る闘いで暗躍しないわけがない。
 冗談などではない。例えば『戦争広告代理店』(高木徹・著、講談社文庫)を読んでみるといい。恐ろしい実態が見えてくる。


 護憲派の細々とした広告が、市民カンパなどによって少量は流れるだろうが、そんなものはまるで蟷螂の斧。自民党と財界、そして大手広告代理店という「魔の三者連合」にかなうわけもない。護憲派CMなど、瞬く間に改憲派広告に駆逐されるに違いない。
 いくら護憲派がテレビ局に「自主規制」を迫ったところで、それこそ「資本の論理」、金の力の前には何の効力も持てはしまい。門前払いだ。

 筆者は、国民投票発議後のテレビCMは、全面禁止にするべきだと考えている。そうでなければ、とても公平な投票になるとは思えないからだ。
 しかし、「表現の自由」を守るという建前から、表現手段であるCMも規制すべきではない、と主張する人がメディア関係者には多い。しかし、2週間前から法規制するのであれば、法規制ということでは同じではないか。
 各テレビ局が独自に製作する討論番組や解説番組、さらにはバラエティ番組で改憲問題を扱うことなどは、まったく自由にすればいい。そこで各局の見識が問われることになるだろうが、それはその局の責任である。
 自由に番組を作ることと、広告を規制することは、同じ「表現の自由」という範疇では論じられないと思うのだ。広告という金が絡んだ表現と自由な番組作りとを同次元で論議すること自体、間違ってはいないだろうか。
 民放連や日本弁護士会なども、この表現の自由ということで全面規制には反対らしいが、もう一考を促しておきたい。


 それでもなお、表現の自由という建前で規制反対というのであれば、では、こんな案はいかがか?

 テレビCMを、全面解禁とする。しかし、一つ条件をつける。
 この改憲国民投票に関してのCMに限って、放送料金を通常の2倍にする。片方の主張には、必ずもう一方の主張のCMのオンエアも義務付ける。だから、テレビ局が損をしないように、通常の2倍の料金とする。
 つまり、改憲派がCMを流す場合、護憲派のCMも同じ時間帯に同じ分量だけ流さなければならない。そのための2倍料金なのだ。これ以外に、営利に走るテレビ局を納得させられる方法はない。しょせん金の話だ、多く持っているほうに多く出させればいいだけのことではないか。
 こうすれば、公平である。もちろん、護憲派が独自でCMを流す場合も同じ。当然、改憲派のCM料金も負担する。公平である。お金持ちと貧乏人のケンカには、これぐらいのハンデがあってしかるべきだと思うのだ。
 もちろん、こんな案が実現可能とは思わない。改憲派が受け入れるはずがないからだ。
 それでも、こうでもしなければ到底、公平さなど担保されない。



 かくして、憲法をめぐる闘いは、ついに始まってしまった。
 私たちも、正念場を迎える。
 そんなときを狙ったように、ゾンビが生き返ろうとしている。

現代のゾンビ・共謀罪

 またしても「共謀罪」である。
一度は、あまりの評判の悪さに引っ込められたはずの法案の成立を、安倍晋三首相がまたも言い出したのだ。まったく懲りない人物である。

毎日新聞(1月20日付)は、以下のように報じている。


共謀罪成立を首相指示
政府・与党に困惑
真意いぶかる声も


<リード>
安倍晋三首相が19日、共謀罪創設法案(組織犯罪処罰法改正案)を通常国会で成立させるよう唐突に指示したことに対し、「寝耳に水」の与党では戸惑いが広がっている。同法案は世論の批判が強く、参院選への悪影響を懸念する与党は、国会開会前に早々と成立先送りの方針を固めていたためだ。政府内にも首相の真意をいぶかる声があり、安倍首相と塩崎恭久官房長官が、またしても十分な根回しのないまま独走したとの見方も出ている。

<本文記事>
「信じられない。なぜこんな話をしたんだ」。首相指示を伝え聞いた公明党国対幹部は19日、怒りを込めた口調で語った。参院選にマイナスな法案は極力先送りしたいのが本音だからだ。
自民党国対幹部も「首相からは何も聞いていない。知恵を付けて持ってきてもらわないと」とこぼした。(以下略)



 相変わらず、行き当たりばったりの安倍首相。しかし、彼の腹は透けて見える。ゴリ押しでも何でもとにかく、憲法改定に突っ走りたいのだ。  そのためには、改定反対勢力を力ずくででも押さえ込んでしまいたい、ということなのだろう。

 前回の共謀罪論議の際に指摘されたように、例えば「改憲反対デモ」の相談や打ち合わせをしただけでも、罪に問われかねない。
 「そんなことはない」といくら政府自民党が言いつくろっても、反戦ビラを撒いただけで逮捕されるというような実例が、すでにたくさん報告されている以上、そんな言い分はとても信用できない。「ビラ撒き」から「デモ相談」へと、逮捕の対象がすぐに拡大されてしまうに違いない。
 かつて、このコラムでそう書いたら、
 「何を言うのか。何のために裁判所があると思っているのか。もし無実ならば、裁判で判断してもらえばいいではないか。それが民主国家だ」
 というような、なんともスゴイ反論をいただいたことがある。

 普通に暮らしている人にとって、「逮捕される」ということが、いかに恐怖なのか、この人はまるで理解していない。というより、想像力が欠如している。たとえ一日であっても、警察に拘置されることの恐怖。
 有罪か無罪か、そんなことは権力側にとってはどうでもいいのだ。「逮捕の恐怖」という脅しを最大限に利用して、反政府的な言動を取り締まる。それが目的の「共謀罪」なのだ。
 この安倍首相の突然の「共謀罪成立指示」発言には、新聞記事にあるように、さすがの与党内部からも、疑問や危惧の声が上がっている。まさに「殿、ご乱心!」である。安倍首相、頭に血が昇ったとしか考えられない。て言うか、シンジランナーイ。
 まあ、このコラムで何度も指摘してきたように、すぐに前言をひるがえす「撤回首相」のことだから、これも選挙に不利と誰か長老にでも叱られれば、すぐに引っ込めてしまうかもしれないのだけれど。


内閣支持率


 折も折、朝日新聞の世論調査は、かなり衝撃的な結果を伝えている。なんと、安倍内閣の支持率がついに40%を切ってしまったというのだ。
 朝日新聞(1月23日付)の、見出しだけを拾ってみる。


内閣支持 続落39%
政策、国民感覚とズレ

改憲 参院選で争点化
「妥当でない」48%

民主「役割果たさず」69%



 見出しだけでも、ほぼ内容に察しがつく。国民はすでに安倍内閣の正体に気づき始めたようだ。彼が、国民の暮らしよりも大企業の方を重視し、平和な日常よりもきな臭い進軍ラッパが好きなのだ、ということを。

 国民は今、改憲などを望んではいない。
 この世論調査によれば、改憲を参院選の争点にすることが妥当だとするのは32%で、妥当でないとする48%を大きく下回っている。
 そんなことよりも、格差是正の問題や、年金改革などの透明性をこそ、今、実現して欲しいと考えているのだ。

 そしてまた、国民は野党(民主党)のいう2大政党にも期待などしていない。絶好の機会なのに、好戦的な安倍内閣へ有効な反撃をすることもできない民主党にも、そっぽを向いてしまった。
 自民支持率が下がっている(36%→32%)のに、民主支持率はほんの少ししか上がっていない(14%→16%)。政党離れした人たちはどこへ行ったのか。なだれを打って無党派層に籍を移したのである。
 だから今や、無党派層(36%→40%)が第一党なのだ。

 なんだか、政党政治の終焉の兆しが見えるような気がする。
 宮崎県知事に、政党候補を大差で破ってそのまんま東氏が当選したという事実は、その序章なのかもしれない。

(今週のキイ選定委員会)
 
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