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2011-06-08up

鈴木邦男の愛国問答

第76回

左翼本の解説を書いた

 これで3冊目かな。左翼本の「解説」を書くのは。僕なんかでいいのかな、という戸惑いがいつもあった。かつては「敵」だったのだ。それだけ、時代が変わったということか。非合法・非公然の激しい闘争がなくなったからか。
 初めは、植垣康博さんの『兵士たちの連合赤軍』(彩流社)だ。1984年に出版された本だが、2000年に「新装版」が出た時、「解説」を頼まれ、書いた。連赤事件については、永田洋子、坂口弘など、幹部たちも本を書いているが、植垣さんは「一兵士」だ。そして、事件に参加する。総括に参加し、同志の殺害に手を貸す。その生々しい証言がある。又、連合赤軍に参加する前の赤軍派の時代の活動も書かれている。闘争資金獲得の為に、郵便局・銀行を襲う。その全てが成功する。よく、これだけの事がやれたものだ。非合法なのに、実に楽しそうにやっている。だが、革命左派と合流し、連合赤軍になってからは、一転して、暗い。陰鬱だ。さらに14人の仲間殺しへと続く。逃げようと思ったら逃げられたのに。なぜ、そこまで行ったのか。この本の帯には、こう書かれている。

 <この本はまさに教科書だった! 若者たちが何故あそこまで思いつめ、突っ走り、自滅していったのか。その謎を解き明かしてくれる本として永久に残るであろう(鈴木邦男)>

 「解説」の中から僕の文をとっている。この気持ちは今も変わらない。事件当時は、「なんて酷い事を!」と思い、全く理解できなかった。又、理解しようとも思わなかった。それが、年月を経るうちに変わった。なぜ、あそこまで突き進んだのか。結果は間違っていた。でも、あそこまで思いつめたものは何か。知りたいと思った。思いつめ、突っ走った先の地獄絵だ。その「極限の状況」を植垣さんたちは体験した。僕らには全く想像がつかない。(変な話だが)そこまで体験した植垣さんが羨ましくなった。そんな関心もあって、「解説」を書いた。それ以来、植垣さんとは何度も対談や座談会で一緒になっている。
 「解説」の2冊目は、山平重樹さんの『連合赤軍物語・紅炎(プロミネンス)』(徳間文庫)だ。今度も連赤だ。しかし、山平氏は元・右翼学生運動をやっていた闘士だ。日本学生同盟に参加し、左翼と闘っていた。今は作家で、主に右翼もの、ヤクザものの本が多い。今回は一転、連合赤軍だ。かつての「敵」に何人も何人も取材し、調べ、書きあげた。書いた人も、「解説」した人も右翼側の人間だ。「とんでもない」と左翼側が反撥すると思ったが、それはない。「昔の敵なのに、よくここまで書いてくれた」という声が多いようだ。
 反対の立場だから見えることもある。近くにいると見えないことも、遠く離れて見ると全体像が見えることもある。そんな感じだろう。いい「距離感」があるのだ。

 そして3冊目は、太田龍さんの『世界革命・革命児ゲバラ』(面影橋出版)だ。大田さんは日本にトロツキズム理論を紹介し、いわば「新左翼」をつくった人だ。革命家だ。偉大な革命家だし、永久革命家だ。出発はマルクス・レーニン主義だが、「体制の打倒」「制度の変革」だけではダメだと思い、人間の変革、エコロジーへと昇華する。「食の革命」「家畜制度全廃」「動物実験反対」などへと進む。
 巨大な思想家だ。その太田さんが亡くなって2年目の今年5月19日、この本が出版された。大田さんの初期の革命理論の復刻本だ。『世界革命=マルクス主義と現代』は余りにも有名な本だ。当時は右翼学生の僕だって、「敵を知る」為に読んだ。もう1冊は『革命児ゲバラ』だ。この2冊を1冊にしてまとめ、そこに僕の「解説」がつく。
 正直いって、これは大変だった。とても僕じゃ無理ですよ、と何度も断った。連合赤軍事件ならば、当時の敵の視点から感想もいえる。しかし、今回の本は2冊とも、思想書だ。革命理論の本だ。それを理解し、解説し、自分の考えも書く。悪戦苦闘した。難しい表現もあるし、何度も読み返した。果たして僕の理解でいいのか。根本的に誤解してるのではないか。不安は尽きない。しかし、全体像をとらえ紹介できなくても、僕の知っている太田像だけでも書いてみようと思った。それに太田さんには何度も会ってるし、教えてもらっている。実は、一水会の合宿にも講師として来てもらったことがある。いわば、「一水会講師団」の1人だ。
 それも、「反面教師」として、左翼理論を語ってもらったのではない。逆だ。大田さんに右翼思想家、橘孝三郎、権藤成卿について語ってもらったのだ。これは画期的なことだ。一水会の歴史の中でも、全く例外的なことだった。「一体、何をやってるんだ」と他の右翼の人たちから批判された。「我々の先輩の思想家について、何も左翼に講義してもらわなくてもいいだろう」と言われた。しかし、太田さんは真剣に勉強していた。橘、権藤は戦前の5.15事件に関与した右翼思想家だ。農本主義者であり、権藤などはアナーキーなところもあった。そこに太田さんは関心を持ち、研究していたのだ。マルクス主義を脱し、ソ連を中心にする社会主義にも強い批判をしていた。「マルクス共産主義は資本主義と同根同罪の西洋近代主義の一味だ」と断じていた。その地点から、日本の農本主義者に関心を持ち、さらに「玄米正食」にも関心を持っていた。食を正しくしなければ、人間はよくならない。社会もよくならないと言う。体制を取り替えるだけの<政治革命>よりも、もっと根元的(ラジカル)な革命を目指していたのだ。
 2泊3日、福島の小さい旅館に泊まって合宿した。朝から夜まで勉強だ。食事も一緒だ。ところが、驚いたことに、太田さんは旅館の食事には一切手をつけない。いや、ミソ汁だけは飲んだが、あとは食べない。鞄の中から玄米のおむすびを取り出して、食べる。玄米正食を実行していたからだ。僕だったら、恥ずかしくて出来ない。でも、太田さんは堂々とやる。思想と生活が常に一致していたのだ。
 この頃の太田さんの本を読み返して驚いた。最後の頁に、自分の住所と電話番号を書いているのだ。あっ、そうだったのか、太田さんから僕は学んだのかと思った。いつの頃からか僕も本には住所と電話番号を書いている。「勇気があるね」と言われることがある。「他に、そんな人、いないよ」と言われるが、何のことはない。太田さんの真似をしてただけだったんだ。
 太田さんは、思想がどんどんと進化していった人だ。普通なら、初めに言ったことを頑なに守っていく。時代に通用しなくなっても、「時代が悪いんだ。俺は正しい」と言い張る。勉強がないし、自己検証がない。その点、太田さんは、常に真理を求めて努力した。永久革命家だった。ついて来れない人間は太田さんを批判した。しかし、そんなことは全く気にしない。
 僕が初めて太田さんに会ったのは1975年頃だと思う。1974年に、東アジア反日武装戦線<狼>の連続企業爆破事件があった。それをルポして、75年に『腹腹時計と<狼>』(三一新書)という本を書いた。初めての本だ。「右翼が新左翼を評価した」「左右接近だ」と言われた。その時、太田龍さんから突然電話があった。あの革命家の太田龍が、と驚いた。会って話したが、物静かに話す人だった。純粋な思想家だと思った。僕の本をほめてくれた。新しい革命理論を作るために、1日に17時間ずつ勉強した。…といった勉強の仕方の話をしていた。太田さんに教えられたことは大きい。その当時を思い出しながら、初期の太田理論について、その夢について書いてみた。
 これは苦しかった。自分の本を一冊、書くよりもキツかった。でも、いい記念になったと思う。もう僕は1日17時間も勉強をし続けることはできない。太田さんのように猛勉強を積み上げて進化することも出来ない。巨大な思想家のほんの一部分しか紹介し切れなかったと思う。どれだけ伝えられたか分からないが、いい体験になった。大きく自分が進化し、昇華したように感じた。

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「右」とか「左」とかを大きく超えて広がる、
鈴木さんの思想地図。
こだわりなく読み、聞き、語り、書く、
その姿勢がいまの鈴木さんをつくっているのだなあと、
改めて実感します。

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鈴木邦男さんプロフィール

すずき くにお1943年福島県に生まれる。1967年、早稲田大学政治経済学部卒業。同大学院中退後、サンケイ新聞社入社。学生時代から右翼・民族運動に関わる。1972年に「一水会」を結成。1999年まで代表を務め、現在は顧問。テロを否定して「あくまで言論で闘うべき」と主張。愛国心、表現の自由などについてもいわゆる既存の「右翼」思想の枠にははまらない、独自の主張を展開している。著書に『愛国者は信用できるか』(講談社現代新書)、『公安警察の手口』(ちくま新書)、『言論の覚悟』(創出版)、『失敗の愛国心』(理論社)など多数。近著に『右翼は言論の敵か』(ちくま新書)がある。 HP「鈴木邦男をぶっとばせ!」

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