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森永卓郎の戦争と平和講座
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第3回は、戦争を肯定する人たちと
市場原理主義者の心の中に共通して存在するものについて。
森永先生のするどい指摘にハッとさせられます。

第2回「合理的経済人」が唱える“争いを容認する社会”
 今回は、前回書いた構造改革派(市場原理主義)と戦争肯定派がなぜ重なるのかということを、さらに突っ込んで考えてみます。
 まず、なぜ市場原理主義者は、自分の利益のことしか考えないのかということを考えましょう。
 イチロー・カワチという人が書いた『不平等が健康を損なう』という本があります。本書には興味深いデータが示されています。世界各国の所得水準と生活の満足度を比較すると、所得水準の低い段階では、所得の上昇とともに満足度が上がりますが、ある段階を超えると、所得水準の上昇は満足度を上げなくなるというのです。そこから先は、自分と周りとの比較で、相対的に所得が高くならないと満足できなくなるのです。
 所得の不平等度が上がると社会全体の満足度は下がります。なぜなら、
「勝ち組」になる人の割合は圧倒的に小さいからだというのが、この本の結論です。
 この本の「相対的な所得」という考え方はとても重要です。先日、「タイム」というアメリカの雑誌の記者が取材にきたときに、興味深い話を聞かせてくれました。
 アメリカで家の満足度を調査したところ、周囲が500平米の家が建ち並ぶなかで、一人400平米の家に住んでいる住民よりも、周囲が80平米の家に住んでいるなかで、一人100平米の家に住んでいる住民の方が、満足度が高かったそうなのです。つまり、家の満足度は、絶対的な広さではなく、近所と比べてどれだけ大きいかということで、決まるのです。
イラスト1
 
 人間の心のなかには、「幸せになりたい」という通常の気持ちだけでなく、「自分だけが幸せになりたい」という醜い気持ちが存在しています。私は、「自分だけが幸せになればよい」という考え方が、戦争を肯定する人たちの心と、市場原理主義をふりかざす人の心のなかに共通して存在するのだと思っています。
「あの国は、大量破壊兵器を持っていそうだから、先制攻撃を仕掛けて、世界の平和を守るんだ」。戦争肯定論者がよく持ち出す理屈です。確かに、それで自分の国の安全は確保されるかもしれません。ですが、先制攻撃にともなう空爆で、何の罪もない一般市民が尊い命を失うことに心を痛める戦争肯定派はほとんどいません。そのことに関心さえないのでしょう。自分だけよければよいからです。 
 敵対的M&A(企業の合併、買収)を仕掛ける市場原理主義者も同じです。会社は株主のものであり、過半の株式を押さえた人間が会社を自由にしてよい権利が法律で認められているのだから、乗っ取られた会社の従業員が文句を言う筋合いはないと彼らは主張します。実際に額に汗を浮かべ、歯を食いしばって付加価値をつくってきた従業員は、一顧だにされないのです。
 戦争肯定派と市場原理主義者に欠けていることは何でしょうか。それは、他人の痛みや悲しみや喜びを自分のものとして感じとることができる感性だと私は思います。そして、他人の痛みや悲しみや喜びを自分のものとして感じとる心こそ、「愛」というのだと思います。蛇足ながら、戦争肯定派と市場原理主義者は、それまでの人生で、あまり他人から愛情を受けずに育ってしまったのではないかと考えています。
最近話題の、敵対的M&Aや勝ち組・負け組論争、
広がる所得格差などについて、その根っこにあるものが、
実は戦争の問題とつながっているのだということを、
私たちは認識しなければなりません。
次回も森永さんの講義をお楽しみに!
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