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2010-05-12up

やまねこムラだより〜岩手の五反百姓から〜

第四十五回
(臨時便)

井上ひさしさんが残したもの

 井上ひさしさんが、4月9日になくなりました。
 ほんとうに、くやしい出来事でした。
 井上ひさしさんは、私にとっては、精神安定剤のような方でした。
 こちらは、岩手の片隅の山村に住んでいても、井上ひさしさんがこのニッポンのどこかにおられる、というだけで、私は安心して暮らしていられるのでした。
 日米安保条約などよりもずうーっと、私には大切な存在。その存在そのものが、ニッポンの平和と安心を、そして人間としてのやさしさや温かさを象徴するような方でした。  

 井上ひさしさんは、岩手にもたいへん縁の深い方でありました。
 お芝居では、「イーハトーボの劇列車」「泣き虫なまいき石川啄木」で、賢治と啄木という岩手の二大文学者を主人公にしてくれました。
 小説では「新釈遠野物語」「花石物語」など、ご自分が若いころ大学を休学して病院の事務職をしてすごした釜石をモデルにした作品があります。
 でも、なんといっても、小さなマチが日本から独立してしまうという大傑作「吉里吉里人」が、井上ひさしさんの代表作になるのではないでしょうか。
 作品の舞台は、東北本線沿いの、宮城と岩手の県境の小さなマチ、という設定になっていますが、その名の「吉里吉里」は三陸海岸にある小さなマチ、岩手県大槌町の地名から採っていることは明らかです。
 この小さなマチは釜石のすぐ北隣りのマチですから、ことばに鋭い井上さんは、「きりきり」という音をおもしろがって「きっといまに自分の作品のなかで使ってやろう」、と若いときに考えていたのではないでしょうか。
 この吉里吉里にある赤浜という漁港には、「ひょっこりひょうたん島」のモデルになったというひょうたん型の島〈蓬莱島〉もあるのですよ。

 井上ひさしさんが残してくれたもの。それを、「吉里吉里人」という作品を通じて私なりに考えてみたいと思います。
それは、まず第一に「自分たちがいま生きているこの場所、このマチ・このムラが、なによりも大切なのだよ」というメッセージだったと思います。

 日本近代史のなかで、「中央」が最強の支配装置でした。「中央」の下に県があり、県の下に郡があり、郡の下にマチやムラがある、という構造です。少しでも「中央」に近いほうがエライ、という発想はいまでもありますね。
 ですから「日本のチベット」とおとしめられてきた岩手をはじめとする東北の地は、経済的にも政治的にも文化的にも、下位におかれていました。1868年の戊辰戦争で「朝敵」とされ、その地は「白河以北一山百文」の辺境とされました。どうせ、辺境なのだから、国家の都合でどうにでもなる。文句はいわせない、 という頭ごなしのやりかたがまかり通ってきました。
 さらに、国の恥部といいますか、見せたくないものはみんな「中央」から離れた辺境に作る。いまだに占領されているかのようなイメージの米軍基地は沖縄に集中、安全の面で心配な核廃棄物の再処理工場は下北半島の六ヶ所村に、という構図はいまでも変わりません。

 こういう「中央政府」(国家)のやり方に対して、「ノー!!」と叫ぶ小さなマチからの異議申し立てが、「吉里吉里人」という作品にこめた井上さんの第一のメッセージだったと思います。
 「俺たちは、どこでもない、この場所、このマチこのムラに住んでいるんだ。俺たちの住む場所のことは、中央ではなく、俺たちに決める権利があるんだ」という主張です。

 井上さんのいいたかったこと。その二は、食料自給ということです。
 「吉里吉里国」の独立・自立は、まず食料自給に支えられる、という考えです。経済的には地元から産出される黄金によっても支えられる設定ですが、その前にとにかく食べ物がたいせつ。吉里吉里国は、食料を自給自足できる体制を作っているのです。
 つまり、食料を自給するためには農業がたいせつだし、農業が国の食を支えているのだということを、「吉里吉里国民」みんなが理解しているのです。
 これも、井上さんのたいせつな遺志だった、と私は考えるのです。
 農業をたいせつにしない国は、どこかおかしくなってしまう。いびつな国になってしまう。
 農業問題にも、深く理解を示されていた井上さんは、平和や憲法9条にも農業は密接につながっているのだよ、ということを主張されていたと思います。

 井上さんの遺志、その三は、ことばです。
 吉里吉里国では、当然ながら吉里吉里語がその「国語」なのです。しゃべりことばだけでなく、法律もお店のカンバンも教科書も、会議でもみんな吉里吉里語が使われているのです。いわゆる「ズーズー弁」なのですが、それをすべての国民が誇りに思って、堂々と使っている。「国際会議」では、共通語と吉里吉里語の通訳までいるのです。
 つまり、井上さんは「ことばは、その国・その地域の大切な文化そのものなのだよ」とおっしゃっているのです。

 これも、岩手の人間としてはありがたいことです。「ズーズー弁」のなまりのために、どれだけの東北人がさげすまされ、そのこころを傷めたか。自らを育ててくれたことばなのに、そのことばをどれだけの若者たちが、わが身の恥のように捨てようとしたか。
 共通語は、南北に長い日本列島にすむ人々が、意思を疎通させるための道具でしかないのに、「標準語=正」で、「方言=誤」という教育まで行われました。標準語ではなく、共通語というべきなのです。
 井上さんは、「ことばもたいせつな地域の文化。自分のすむ地域のことばをたいせつにしなさいよ」といってくれたのだと思います。自分の地域のことばをたいせつにしないで、どうして自分のすむマチ・ムラをたいせつに思えるでしょうか。

 私は、毎年4月9日を「吉里吉里忌」として、井上ひさしさんをしのぶ日にしてはどうか、と考えています。逆から読んでも「きりきりき」と回文になっていて、言葉遊びのお好きだった井上さんには気に入ってもらえるような気がしています。
 井上ひさしさんのファンの皆さま、どうでしょうか?

 井上さんの作品には、死者が多く登場して活躍しています。「頭痛肩こり樋口一葉」では、場ごとに幽霊が増えて、最後は生きている人物は一人になってしまいます。
 「イーハトーボの劇列車」では、「思い残し切符」というものを残しながら、登場人物たちは次々に死者になっていきます。
 「<ひょっこりひょうたん島>の子どもたちは、実はみんな死者たちなのですよ。だから、子どもたちの親はだれも出てこないのです」と、直接井上さんから聞いたことがあります。

 ならば、井上ひさしさんも簡単に成仏などしないでほしいのです。(井上さんはカトリックだから、成仏ではなく天国に行かないでほしい、というべきでしょうか)
 そして、この国の守護霊となって、これからのニッポンのゆくえを、この国の平和や憲法や農業のゆくえを、いつまでも見守って欲しい。
 そう、こころから私は願うのです。

(2010.4.30)

ムラの「種蒔き桜」という、樹齢500年をこえる一本桜です。ちょうど、野菜やお米の種を蒔くころに咲くので、種まきの目安とされています。今年の満開は、5月4日~5日でしたが、観光地ではないので、ひっそりと咲いていました。 

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久しぶりの「臨時便」です。
すべてが「中央」で決められ、「中央」から発信される。
そんな構造には、そろそろ終わりを告げるときかも。
この機会に『吉里吉里人』、読み返してみたいと思います。

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つじむら・ひろおさん
プロフィール

つじむら・ひろお1948年生まれ。2004年岩手へIターンして、就農。小さな田んぼと畑をあわせて50アールほど耕している五反百姓です。コメ、野菜(50種ぐらい)、雑穀(ソバ、ダイズ、アズキ)、果樹(梅、桜桃、ブルーベリ)、原木シイタケなどを、できる限り無農薬有機肥料栽培で育てています。

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