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2010-09-29up

時々お散歩日記(鈴木耕)

18

日中間の紛争を防ぐために

 尖閣諸島問題が、ついに火を噴き始めました。
 日本は尖閣諸島の領有権を主張しています。しかし中国が領有権を声高に叫んでいることもまた事実です。
 前原誠司外相は「この地域に領土問題は存在しない」と、繰り返し発言しています。しかし、2カ国が同じ島の領有権を同時に主張している以上、それは「領土問題」としか、世界的には受け取られないでしょう。

 朝日新聞(9月28日付)によると、前原外相は「おれが逮捕決めた」と言ったそうです。こういう記事です。

(前略)「中国漁船の船長は逮捕すべきだ」
7日の事件発生後、当時国土交通相だった前原氏は鈴木久泰・海上保安庁長官に電話で指示した。首相官邸にいた仙谷由人官房長官にも電話で「中国には毅然とした態度を貫いた方がよい」と伝えた。(中略)
領有権をめぐる主張が真っ向から対立する海域で逮捕まで踏み切れば、中国側から反発を受けるのは必至。仙谷氏は居合わせた外務省幹部らに「どのような摩擦が起きるのか、しっかり考えておいてほしい」と念を押した。(中略)
逮捕後、中国政府が丹羽宇一郎・中国大使を5回呼び出すなど反発を強めていた最中にも、前原氏は周辺に自信をのぞかせた。「官邸がひよっていた。逮捕を決めたのはおれだ。この対応は間違っていなかった」(後略)

 ほんとうに前原氏の対応は間違っていなかったのか? それは、この後の成り行きを見れば明らかでしょう。事態はどんどんエスカレートしています。仙谷氏が指示したという「どのような摩擦が起きるのか」を、外務省はまったく想定できなかった、というお粗末。

 どちらかが譲らない限り、この問題が解決することはありえない。もちろん日本が譲る必要などないのですが、だからといって中国も譲ることはないでしょう。
 いまさら「菅内閣の対応がひどすぎる」と批判しても、それは遅すぎます。事態はここまでこじれてしまったのです。
 ところが批判する人たちの主張は、日に日にエスカレートしつつあります。言葉だけにはとどまらず、ついには中国大使館や総理官邸、政府首脳への直接行動の気配さえ感じられます。それが、テロ行為に及ばないことを、心から願っています。

 ではどうすればいいのか?
 政府間の外交交渉を第一義に考えるのは当然です。しかし、ここまでこじれてしまった以上、すんなりと日中の2国間で交渉がまとまるとはとても思えません。
 「こんな時こそ日米安保があるじゃないか」と主張する人もいます。なるほど、クリントン米国務長官が「尖閣諸島は日米安保条約の適用範囲内である」と言明したという報道もありました。しかし、アメリカが日本サイドに立って中国と事を構えるはずはありません。
 アメリカは中国との軍事交流の再開を、9月22日に発表しました。軍事交流をする国同士が、その相手国を裏切って他国の側に立つなどということは、どう考えてもありえない。とすれば、この事態においては日本がアメリカを頼るわけには行かないことは明らかでしょう。

 オランダのハーグに、国際司法裁判所(ICJ=International Court of Justice)という組織があります。その名前のとおり、国際間の紛争を調停し、解決のための法律的助言を与える国際的な唯一の組織です。
 現在、この裁判所所長は日本の小和田恆氏であり、裁判官として中国の薛悍勤氏も名を連ねています。
 すなわち、日本も中国もこの国際司法裁判所を「国際紛争解決機関」として正式に認めているということです。紛争途上(?)にある日中両国がともに信頼をおいている解決機関が存在しているのです。ここを利用しない手はないでしょう。
 今回の尖閣諸島の領有権の軋轢については、国際的な場で司法判断をしてもらうのがいちばん穏当な解決方法だと私は思います。
 お互いが、偏狭なナショナリズムを振りかざし、相手側の悪口雑言を並び立て罵倒合戦を繰り返せば、いずれ言葉から行動へとエスカレートし、ついには局地的ではあれ、銃火を交えるような事態にならないとも限りません。
 領土問題というのは、常にそういう危険性を孕んでいるのです。
 民主主義国の手本のように言われるイギリスでさえ、1982年、南米アルゼンチン沖にあるフォークランド諸島の帰属を巡ってアルゼンチンと3カ月にわたって交戦しました。
 この戦争で、イギリス軍256名、アルゼンチン軍645名の戦死者を出したとされています。もちろん、死んだのは若い兵士たちでした。いつだって、前線に駆り出されて命を落とすのは、若者たち。後ろで煽り立てる政治家や評論家ではありません。
 アルゼンチンでは当時のガルチェリ軍事政権大統領が、国民の不満を圧政から逸らすため、またイギリスでは国家の威光が地に落ち始め「イギリス病」とさえ呼ばれた大不況を戦火で脱しようとした“鉄の女宰相サッチャー”の政策により、お互いが退くに退けぬ状況に陥ったのです。そして、ついに戦端が開かれた…。
 戦争はイギリスの勝利に終わったものの、当然のことながら、イギリスはいまだに植民地を持ち続けている国家だと、世界的に再認識されることとなりました。このことも、香港を維持しようと画策したものの結局中国へ返還(1997年)せざるを得なくなった原因のひとつであると言われています。
 このように、領土問題は国家間の紛争の火種として、とても一筋縄ではいきません。中国とソ連(当時)や、中印紛争、インド・パキスタン紛争など、その例はたくさんあります。
 それらの反省の上に立って、平和的に紛争解決に当たろうというのが国際司法裁判所なのです。

 尖閣諸島問題については、中国は国際司法裁判所への提訴には乗り気でないといいます。中国事情に詳しい知人のジャーナリストによれば、中国側は「国際法的な観点では日本に有利だと見ている」のだそうです。つまり、きちんと文献や歴史的経緯から国際法的に審議すれば、どうも領有権は日本側にあるとの見解が示されるのではないか、と中国側は恐れているらしいのです。
 その点を捉えて、「中国が乗ってこない以上、国際司法裁判所に提訴などできるわけはない」と、またしても訳知り顔の中国バッシング評論家は語ります。
 しかしそうでしょうか。
 そこが日本の外交力の見せ所だと思うのです。すなわち、日本側は証拠となる文献や実効支配した歴史的資料などを添えて、国際司法裁判所へ提訴すればいい。そして、その資料などを全世界に向けて明らかにしていけばいいのです。
 日本側によって資料を示されれば、中国側も反論のために自国に有利な資料を世界に対して示さなければならなくなるでしょう。たとえ裁判所には訴えなくても、世界外交の場では自国の正当性を示す必要があるからです。そうでなければ、国際社会は「日本側の言い分が正しいようだ」と理解することになります。中国だって、それは絶対に避けなければいけません。自国の正当性を訴える必要があります。つまり、否応なく国際社会の場で、日本と中国とは、お互いの資料を示しつつ意見を戦わせることになるのです。
 それが、外交というものでしょう。
 国際司法裁判所の裁定がどのように下ろうとも、それには従わなければなりません。それを日本も中国も国際社会の一員として認めるよう、それこそ国連などに“圧力”をかけてもらえばいいのです。

 そのような手続きを踏もうともせず、「中国になめられるな」「中国はヤクザ以下だ」「屈辱外交だ」「売国奴だ」などと喚くだけでは、何も解決しません。メディアはそれが視聴率や販売増につながると考えているようで、過激なコメントや記事を乱発しています。たしかに威勢のいい言葉は、不況などで鬱屈している国民には心地よく響くかもしれません。
 しかし、歴史が証明しているではありませんか。
 日露戦争終結(1905年)後のポーツマス条約の内容が弱腰外交だとする新聞論調に煽られた民衆が、日比谷公園の集会後に暴徒化して焼打ちに走った「日比谷焼打ち事件」を想起してください。
 日露戦争は、後に歴史的資料が明らかにしたように、日本側が勝利したというより、ようやく有利な条件で戦争停止に持ち込めた、というのが真相でした。したがって終戦交渉では、日本側がロシアから得た多少の権益が精一杯のところだったのです。
 ところがメディア(このころは主に新聞です)が、これを屈辱だとか売国的だとか批判し、民衆を煽ったのです。真相を知らされなければ煽られてしまいます。また同じ轍を踏もうというのでしょうか。

 最も煽動に乗ってはいけないのが政治家です。しかし、民主党内からも松原仁議員らを中心として「毅然として対処せよ」などと主張する人たちが現れました。なんともキナ臭い。
 ここは冷静に対処してほしいのです。そして、中国に対して節度を持って交渉を呼びかけること。それでも中国の態度が変わらないのなら、国際社会に訴えること。そのためには、既存の国際機関、すなわち国際司法裁判所や国連等を、もっと頻繁に、そして上手に利用すること。それに尽きると思うのです。
 何度も言うように、それが外交でしょう。
 隣国に対して振り上げた拳を、いつまでもそのままにしておくわけにはいかないでしょう。それとも、“なめられてたまるか派”の人たちは、上げた拳で相手を殴りつけようとでもいうのでしょうか。

 今回は、ちょっと重苦しい話になってしまい、散歩話が後になってしまいました。
 私は先週、少し調べることがあって長野を旅しました。ほんの短い旅でしたが、戸隠、小布施、小諸と回ってきました。その折に例によって携帯電話写真をパシャパシャ。
 ようやく、秋の花々が咲き始めていましたよ。
 ひどい出来の写真ですが、秋の風をお楽しみ下さい。

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鈴木耕さんプロフィール

すずき こう1945年、秋田県生まれ。早稲田大学文学部文芸科卒業後、集英社に入社。「月刊明星」「月刊PLAYBOY」を経て、「週刊プレイボーイ」「集英社文庫」「イミダス」などの編集長。1999年「集英社新書」の創刊に参加、新書編集部長を最後に退社、フリー編集者・ライターに。著書に『スクール・クライシス 少年Xたちの反乱』(角川文庫)、『目覚めたら、戦争』(コモンズ)、『沖縄へ 歩く、訊く、創る』(リベルタ出版)など。マガジン9では「お散歩日記」を連載中。ツイッター@kou_1970でも日々発信中。

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