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2011-02-02up

時々お散歩日記(鈴木耕)

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繰り返される法律の恣意的運用

 「寒いですねえ」が、誰かと交わす挨拶の常套句になってしまった。去年の夏は「暑いですねえ、たまりませんねえ」が決まり文句だったのに、人間は勝手なものだ。
 それにしても、豪雪に噴火、現地の方たちにはお見舞いの言葉もない。ほんとうに、お気をつけて…、としか。
 東京は寒いとはいえ、太陽の恵みがありがたい。散歩コースの多摩川の土手道は、散歩人、ジョガー、サイクリストたちで賑わっている。冬枯れの多摩川河原も、それなりに美しい。ほんとうに、この陽射しを少しぐらいは雪国の方たちに分けてあげたい。

 新聞の雪害や噴火などの地方の苦闘の記事に、つい目を奪われるのだけれど、現実の社会では、なにやら胡散臭いことが続いている。
 たとえば、これ。他の新聞も一斉に伝えているが、毎日新聞(1月29日付)を引用する。

「日の丸・君が代通達」合憲
東京高裁 都教職員側、逆転敗訴

 入学式や卒業式で日の丸に向かって起立し、君が代を斉唱するよう義務付けた東京都教育委員会の通達を巡り、都立学校の教職員ら395人が「思想・良心の自由を保障した憲法19条に反する」として、義務がないことの確認などを求めた訴訟の控訴審で、東京高裁は28日、請求を認めた1審・東京地裁判決(06年9月)を取り消し、訴えを全面的に退けた。都築弘裁判長(三輪和雄裁判長代読)は「通達は教育基本法が禁じた『不当な支配』には当たらず、憲法にも違反しない」とした。(略)

 朝日新聞(1月28日夕刊)の同じ判決の記事も引用する。

(略)06年9月の一審判決は、君が代・日の丸について「皇国思想や軍国主義思想の精神的支柱として用いられ、今も国民の間で宗教的、政治的に価値中立的なものとは認められていない」と言及。都教委の通達は「教育の自主性を侵害し、教職員に一方的な一定の観念を生徒に教え込むことを強制するに等しい」として、教育基本法が禁止する「不当な支配」にあたり、違法だと判断した。さらに、国旗国歌をめぐる訴訟で初めて、処分を前提とした起立や斉唱の強制は憲法19条が保障する思想・良心の自由の侵害にあたると明確に認めた。
 一方、最高裁は07年2月、音楽教師がピアノ伴奏を拒んで受けた処分の取り消しを求めた別の訴訟で「校長の職務命令は憲法19条に反しない」とする初判断を示した。
 同種訴訟では、最高裁の判断にならって教職員側が敗訴する例が続いている。

 「国旗国歌法」が施行されたのは、1999年。時の小渕恵三首相や野中広務官房長官は、国会での答弁で「日の丸や君が代を強制することは絶対にしない。したがって、それに反対したという理由での公務員の処分は行わない」と、繰り返し明言した。
 しかしその約束を、先頭を切って破ったのは石原慎太郎東京都知事と彼が率いる東京都教育委員会だった。この法律制定以降、東京都は「式典で起立しなかった」「君が代斉唱に加わらなかった」などの理由で、大量の処分を行ってきた。2010年3月の時点で、東京都で停職や戒告などの処分を受けた教職員数は、実に427人にも及ぶ。
 法律を定めた国の代表者が「処分は絶対に行わない」と明言したにもかかわらず、地方行政機関がその法律制定の範囲を超えた処分を連発する。しかも、裁判所がその処分を「合憲」と認定してしまう。いつから裁判所は権力の下僕(しもべ)に成り下がったのか。
 ちなみに、この法律制定時に激しく反対したひとりに、現在の菅直人首相がいる。彼が今回の東京高裁の判断にどのような反応を示すのかと注視していたのだが、現在までまったく言及していない。都合の悪いことには目をつぶるのか。

 「国旗国歌法」については面白いエピソードがある。
 2004年の新宿御苑の園遊会において、当時、東京都の教育委員を務めていた将棋棋士の米長邦雄氏が天皇に「日本中の学校に日の丸君が代を徹底させるのが私の使命です」と言上したのに対し、天皇は「強制にならないことが望ましいですね」と返したのだ。しかし、天皇を敬愛してやまないはずの米長氏も石原知事も、なぜかこの天皇発言は無視、これ以降も強制し、従わない教職員の処分を続々と行ったのである。
 このように、一度制定された法律は、往々にして権力者の都合のいいように曲解される。本来の趣旨から外れた運用がなされるのだ。

池澤夏樹氏の言葉を聞け

 この高裁判決について、作家の池澤夏樹氏は、朝日新聞(2月1日夕刊)に「歌わない自由 少数者の居場所を残せ」という文章を寄稿している。その中から、少しだけ引用しよう。

(略)では、歌いたくない者はどうすればいいのか?
 より正確に言えば、歌わない自由もあるということを教師はどうやって生徒に教えればいいのか? 国歌を歌わない者は非国民である、というドグマを東京高裁は本当に支持するのか?

 そして、ヒトラー・ユーゲントの少年がリードするナチス賛歌に唱和することを拒否するユダヤ老人の例を挙げ(映画『キャバレー』のワンシーン)、その後でこう続ける。

 国民が一致団結している方が国は強い、と為政者は考える。彼らの理想は軍隊のような完璧な上意下達の組織だ。基本にあるのは国家のための国民という考え(大型トラックか戦車を運転しているような気分なのだろうが、その力の源はエンジンであって、為政者自身の筋力ではない)。
 それが民主主義は多数決という欺瞞と重ねて使われる。小学生のころからこの欺瞞を何度聞かされたことか。
(略)教師は生徒の全人格とつきあう。歌わない自由もまたその人格に含まれる、とぼくは考える。それを押しつぶす教師を都教委は作り出してはならない。

美名に飾られた悪法

 石原都政といえば、最近「東京都青少年健全育成条例」なる美名の条例が、大きな反対の声を無視して都議会を通過してしまった。
 この条例は、簡単にいえば、過激な性描写や公序良俗に反する描写のある漫画を規制しようというもの。しかし、その規制対象をどう判断するのか、公序良俗に反する描写とはどういうものか。そのようなどうとでも取れるような内容を、都の官僚が恣意的に判断することの危険性、などが指摘され大きな反対運動につながった。
 昨年の12月6日に行われた「都青少年健全育成条例改正を考える会」のシンポジウムに、私はパネラーのひとりとして招かれた。そして、その会での民主党都議の発言のあまりの幼さに、私は呆然としたのだ。
 その都議は「前回の条例案には反対したが、今回の改正案に関し都側へ8項目の質問をする。その質問への回答が納得できるものであれば、私は賛成するつもりだ」という趣旨を述べた。
 地方議員であろうとも、少なくとも政治家であるなら、一度制定された法律がどのような道筋を辿るのか、少しは学んだほうがいい。これが「国旗国歌法」と同じような経緯を辿って、表現の自由を抑圧する手段として使われかねないおそれを、なぜ感じないのか。
 幼さと人の良さがにじみ出ているような若手議員だったが、これでは石原知事や海千山千の都官僚たちに、簡単に騙されてしまうだろう。制定された条例は、やがて本来の趣旨からは外れた強面に変わる。 
 それくらい「国旗国歌法」の使われ方を辿ればすぐに理解できるはずなのだ。「幼い」といったのは、そういう意味だ。少なくとも、この民主党都議はあまりに幼稚、ナイーブだった。だがそれが、東京都議会民主党の実態なのだ。

ついには「国民総背番号制」の悪夢

 同じようなことは、繰り返される。
 今度は「住基ネット」である。菅政権は1月28日、住民基本台帳ネットワーク(略称・住基ネット)を活用して、新たな番号制度を作り、これをICカードにして、国民を一元管理する「社会保障・税の番号制度」の基本方針を固めたという。つまり、いわゆる「国民総背番号制度」を実現しようというわけだ。
 このICカードを、年金、医療、福祉、介護などの分野に利用、さらには税金の捕捉にも使うという。これにより、全国民の収入や納税の記録、児童扶養手当や生活保護、介護費用や医療費の支払い、さまざまな手当ての支給状況など、あらゆる分野でのプライベート情報が、政府によってすべて把握されることになる。預貯金の額はいくらか、どんな病歴があるのか、すべてが「お上」に把握される。まさに、私たちの生活が丸裸にされてしまうのだ。
 この「住基ネット」も、制定時には本人確認情報、すなわち「氏名、生年月日、性別、住所」の4情報のみを記録するもの、とされていたのだ。それを今度は、収入や納税の記録、個人の医療情報にまで拡大しようというのである。これも、権力側による法律の恣意的運用だ。
 いずれ、図書館でどんな本を借りたかまで、私たちは政府に捕捉されてしまう日が来るのかもしれない。
 現在、この「住基ネット」への接続を拒否しているのは、わずかに東京都国立市と福島県矢祭町に2自治体だけになってしまったが、矢祭町は町長が交代して接続へ方針転換するらしい。国立市だけが、孤高の姿勢をいつまで続けられるか。関口博・国立市長を、私は応援する。
 ジョージ・オーウェルが『1984年』で描いたような、恐るべき管理社会の悪夢が現実のものとならないことを…。

 腹立たしいときのストレス解消には、やはり散歩がいちばんだ。
 我が家から歩いて20分ほどのところにある野川公園で、節分草がほんの1センチほどの小さな花を開かせているのを見つけた。名前どおりに、節分間近に花を咲かす。
 そういえば、2月3日は節分。そして、翌4日がもう立春だ。春は、近い。
 この野川公園の中の木道は、私のいちばん好きな散歩道だ。携帯だけれど、きれいな写真が撮れた。

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鈴木耕さんプロフィール

すずき こう1945年、秋田県生まれ。早稲田大学文学部文芸科卒業後、集英社に入社。「月刊明星」「月刊PLAYBOY」を経て、「週刊プレイボーイ」「集英社文庫」「イミダス」などの編集長。1999年「集英社新書」の創刊に参加、新書編集部長を最後に退社、フリー編集者・ライターに。著書に『スクール・クライシス 少年Xたちの反乱』(角川文庫)、『目覚めたら、戦争』(コモンズ)、『沖縄へ 歩く、訊く、創る』(リベルタ出版)など。マガジン9では「お散歩日記」を連載中。ツイッター@kou_1970でも日々発信中。

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