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2012-09-19up

時々お散歩日記(鈴木耕)

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某新聞の原発広告とクレーム
反日デモと財界の沈黙
民主代表選と自民総裁選の惨状

 9月9日、某大新聞の読書面の中面下の小さなスペースに、ある広告が載った。僕の本の版元であるリベルタ出版の広告だ。僕の本『原発から見えたこの国のかたち』を含め4冊の本を宣伝する、別にとりたてて変わった広告ではないのだが、これにクレームがついたという。
 このリベルタ出版というのは、社会科学系の硬派の本を多く出している出版社だが、そのホームページのコラム「零細出版人の遠吠え」が抜群に面白い。社長さんが毎日欠かさず書いている、なかなか硬派のコラムである。
 その9月11日のコラムに、前述の広告へのクレームのいきさつが書かれていた。(このコラム、どうも1週間で消えてしまうらしい。そこで、とりあえず書き写しておく)。

 09/11 先日、とある全国紙に出した出版広告の隅っこに「原発再稼働反対!」と入れたところ、掲載後になってくだんの新聞社からクレームがついてしまいました。
 もう出てしまったのですから「後の祭り」。しかも、前回7月の同紙掲載広告にも入っていたんですがねえ。あんまり小さいので気がつかなかった、というのがどうやら真相のよう。
 「不偏不党・中立公正」を標榜する大新聞社としては、こんなものが紛れ込んだりしては社のスタンス(ひょっとして「品格」?)が問われかねないといった、つまらぬご心配からなのでしょう。でも「原発再稼働反対!」はべつに、特定党派の政治スローガンというわけではありません。金曜夜の首相官邸前ばかりか、いまや国民の大多数がこれを望んでいるのは、くだんの新聞社はじめ各種世論調査結果に見るとおり。現に同社も、どこまで本気か定かではないのですが、デッカイ社説を何本も掲げて「脱原発」を唱えていたではありませんか。
 おまけにそうそう、危うく忘れかけるところでしたが、ひところの全国紙も、名にし負うかの「安全神話」を流布するための政府広報や電事連の原発推進広告を、恥じることなく堂々、掲載していたではありませんか。
 まっ、しょっちゅう歯に衣を着せずにシビアなメディア批判を投げつけている「札付き出版者」にそんなことを認めては、また何をやらかすかわかったものじゃない、といった心配が、どこにでもよくいる自己保身に汲々とする方々の胸中に、ムクムク湧きあがってきたっていう話じゃないかと推察するのです、はい。

 この話、読者の方々はどう思うだろう。ほんとうに小さな広告である。ためしに日曜の新聞読書面の出版広告を眺めてほしい。1社のスペースの小ささが分かるだろう。その端っこに、小さく「原発再稼動反対!」と、虫眼鏡で見なければ読めないほどの活字で入れたのだ。
 それに対して某大新聞社からクレームがついた、というわけだ。
 コラム筆者は「新聞社名」を書いていないので、僕も書かないけれど、まあ、勘のいい人にはナニ新聞なのか、すぐに分かるだろう。こうなると、筆者の言うように、この新聞社の記事(社説も含め)の本気度が疑われる。本気で「脱原発」なの? あの「提言・原発ゼロ社会」って巨大社説はなんだったの? というわけだ。
 これまで、さんざん原発推進広告を載せ続けてきた当の新聞が、虫眼鏡級の広告に目くじらを立てる。原発事故から1年半が過ぎ、原発に関しての新聞社自体の姿勢が微妙に揺れ始めている、ということだろうか。
 同じ新聞の夕刊連載コラム「原発とメディア」(こう書くと新聞名が分かってしまうね、ふふふ)では、新聞広告と原発について詳しく取材しているが、その連載ではこんな小さなことは扱わないのだろうな、きっと…。
 さて、同じ筆者、この広告クレームについて、さらに追い撃ちをかけている。これが滅法面白い。

 09/13 しつこいようですが、くだんの全国紙には、数日前にこんな週刊誌広告が載っていました。「オールカラー・沸騰 大論争! 袋とじ:芸術としての『女性器』一挙160人 女性たちはこの『作品』をこう見た」とあります。その記事の隅っこに掲げられた小さな「ご注意」。「この作品の『感じ方』は人によって著しく異なります。よって人前では決して開かないでください」ですって!! 送り手の意図が透け透けですがね。
 いえいえ、「そんなもの掲載するな!」などと、ヤボなことは申しません。要は、このような広告はノー・プロブレムで、何で「原発再稼働反対!」はいけないのか!? ということなのです。まさか、政府・電事連や大手出版社などの大スポンサーのものは何でもありで、吹けば飛ぶよな零細出版社のものはダメ、なんていう掟でもあるんじゃないでしょうね。アッシにはさっぱり理解できません。

 付け加えることなど何もない。確かに、あの(書き写すのも恥ずかしい)広告には僕も驚いたけれど、ああいう広告は、某大新聞は平気で掲載する。それなのに、「原発再稼働反対!」にはクレーム。やはりどう考えてもおかしい。

 マスメディアに限らず、原発をめぐる動きは、かなりキナ臭くなっている。政府は「革新的エネルギー・環境戦略」とやらを9月14日に発表した。各方面からその矛盾点はたくさん指摘されているので、ここで繰り返すことはしない。ただ「いい加減だなあ」というのが僕の感想…。
 しかし、その「いい加減さ」も極まったのが、翌15日の枝野幸男経産相の発言だった。

 閑話休題。僕は大飯再稼動に抗議する意味で、野田首相を「野田」と呼び捨てにしている。今回の発言は、この人物も「枝野」と呼び捨てにせざるを得ないひどさだ。だからこれ以降、僕は個人的な「呼び捨て運動」を、3人に拡げる。野田と枝野と、もうひとりは石原慎太郎だ。
 石原の排外主義的ナショナリズム煽動は、ある意味で犯罪的だ。現在沸騰している中国国内での反日デモは、明らかに石原の無思慮な言動に端を発したものだ。
 もし暴動じみたデモが起きた場合どうするのか、という最低限の「戦略」もなく煽動的行動に打って出るのは、「敵」を利するだけだということを、石原は理解していない。僕だってこの反日デモは100%不愉快だけれど、静かだった海域を巨大な暴風雨に巻き込んだ石原の責任は、極めて重大ではないか。
 ツイッターで同じようなことを呟いたら「軍事的に対峙できるのは今しかない。石原さんはよくやってくれたのだ」というような反論(?)が来た。「軍事的」だと。本気で武力衝突(戦争)を望んでいる日本人がいる。僕はそのことが何より恐ろしい。しかし、こんなことをいう人に限って、自分が戦場に行くつもりはない。そこは石原と同じだ。
 今回のことで、いったい何が得られたか。凄まじいデモの嵐と、日系企業の大損害だけではないか。いまや日本の対貿易国としてはアメリカを抜いて1位となった中国との関係をこれ以上悪化させれば、それこそ壊滅的な損害を日本企業は被るだろう。
 「原発ゼロの場合、企業は海外移転も考えなければならなくなる」などと、やたら威勢のいい発言を繰り返す財界首脳と称する人たちも、この問題に関しては口をつぐんだまま。この事態が続けば、それこそ「原発ゼロ」の比ではない大被害が日本企業を襲うだろう。
 まさか「中国へ海外進出している日本企業は、この事態で、みんな日本へ戻って来ざるを得ないから、その分、企業の海外移転に歯止めがかかっていいことだ」などと言うつもりはないだろうな。
 そこんところ、米倉経団連会長がどう考えているのか、じっくりお聞きしてみたいものだ。

 話が逸れてしまった。話を戻す。
 枝野は15日、青森県を訪れ、首長たちと会談。その席であっさりと「建設中の原発は工事続行」と認めてしまったのだ。青森県の三村申吾知事など、矛盾は認めつつも喜んでしまった。
 東京新聞(9月16日付)では、こうだ。

 政府が自ら掲げた「二〇三〇年代に原発稼働ゼロ」が早くも迷走を始めている。青森県の三村申吾知事らと青森市内で十五日に会談し、電源開発大間原発(同大間町)など建設中の三原発について、建設継続を容認する考えを示した枝野幸男経産相。これらの稼働が認められれば、運転から四十年で廃炉にする政府原則を適用しても、五〇年代までは原発が稼働し続けることになる。
 枝野氏は会談で「経産省としてはすでに建設許可が与えられた原発について、変更することは考えていない」と明言。枝野発言は新しい原発の稼働に事実上のお墨付きを与えたといえる。(略)

 これを「ウソツキ」と言わずしてなんと言えばいいのか。たった1日で、3つの大きな政府方針の柱「①2030年代までに原発ゼロを目指す ②原発の稼働期間40年を厳格に守る ③原発の新増設は行わない」のうち、①と③を、いとも簡単に踏みにじったのだ。
 現在建設中の原発は、3つある。大間原発(青森、Jパワー)、東通原発1号機(青森、東京電力)、島根原発3号機(中国電力)だ。
 「建設中だから新設ではない」と、さっそくごまかしにかかったが「現在、まだできてないものを造る」というのは、どう考えても「新設」だろう。こんな理屈を認めるなら、造りかけているもの、土地を取得したもの、設計図が出来上がったもの、予算が付いたもの、これらすべてがOKとなりかねない。「2030年に」を「30年代に」とごまかして、9年間の原発稼働延長を目論んだ同じ口で、今度は「50年代まで運転可能の新設」を認めてしまった。デタラメもここまでくればリッパだ。
 僕が「呼び捨て運動」をしたくなる理由がお分かりいただけただろう。
 さらに、ひどい話が続く。18日の朝日新聞夕刊の記事だ。

 平野博文・文部科学相は18日、福井県庁で西川一誠知事と会談し、野田政権がまとめた「革新的エネルギー・環境戦略」の高速増殖炉「もんじゅ」(福井県敦賀市)の取り扱いについて、「従来の取り組みから変更しているつもりはない」との方針を説明した。
 一時は研究炉にし、高速増殖炉実用化をやめることも検討されたが、結局は元通りとなった。(略)

 もはや呆れて言葉もない。いったい「原発ゼロ」方針はどこへ行ったのか! 決めてからほんの数日で、次から次へと「元通り」へ戻っていく。こんなバカな話があるか。
 9月13日には、牧野聖修経産省副大臣が西川知事へ「研究が進めば廃炉と考えている」との方針を示したばかりだった。もう政府の体裁をなしていない。言うこともやることもバラバラ。しかも、言ったことをすぐに言葉を変えてごまかしにかかる。
 正直、僕はいやんなったぜ!

 一方、自民党は、はしゃぎにはしゃいで総裁選、5個のドングリ背比べ。どれをとっても右寄り志向。「尖閣問題には毅然とした態度を」と口を揃える。だが、この事態をどう収めるかについては、まるで具体策がない。武力衝突の危険さえあるのに、「毅然とした態度」しか言えない情けなさ。原発に関しては、5人全員が容認派。こんな自民党を、次期選挙で勝たせるわけにはいかない。
 じゃあ民主党代表選はどうかといえば、こちらもドングリ4個が、♪お池にはまってさあタイヘン~、ドジョウが出てきて再稼働~♪。
 特に野田は、街頭演説での聴衆の反発が怖くて、街頭に出ることを拒否しているという。そういえば、いつか街頭でかなりの罵声を浴びたことがあり、それがトラウマになっているらしい。大衆の前に出てくることを拒否する首相の情けなさ。大衆の声が怖いなら、さっさと首相なんざ辞めちまえ!
 どこを見ても、もう、悲しくなるような政治の惨状。中国が日本の足下を見て強硬姿勢をとるのも当然かもしれない。
 僕は数日前の自分のツイッターに、こう書いた。

 自民党総裁選は「どれだけ右寄りか」を競う選挙。民主党代表選は「どれだけ自民党に近いか」を争う選挙。さらに、両方とも「どれだけ橋下氏と親しいか」を言い立てる選挙。みんなまとめて「廃炉」にしてしまいたい。

 ほんとうに、切なくなるほど嫌なニュースばかりが続く。少し気分を変えたくて、久しぶりの散歩に出かけた。そこで、今回のお散歩写真は、近所の公園で目についたものをパチリパチリ。
 ほんの少し、和んでください。

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鈴木耕さんプロフィール

すずき こう1945年、秋田県生まれ。早稲田大学文学部文芸科卒業後、集英社に入社。「月刊明星」「月刊PLAYBOY」を経て、「週刊プレイボーイ」「集英社文庫」「イミダス」などの編集長。1999年「集英社新書」の創刊に参加、新書編集部長を最後に退社、フリー編集者・ライターに。著書に『スクール・クライシス 少年Xたちの反乱』(角川文庫)、『目覚めたら、戦争』(コモンズ)、『沖縄へ 歩く、訊く、創る』(リベルタ出版)など。マガジン9では「お散歩日記」を連載中。ツイッター@kou_1970でも日々発信中。

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