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2012-10-31up

時々お散歩日記(鈴木耕)

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衆院選が近い?
そこで、各政党の原発政策をチェックする

 石原慎太郎東京都知事が、突然、都政を投げ出し、「最後のご奉公」とか言っちゃって「石原新党」なるものを立ち上げるんだそうだ。メンバーは、とりあえず「たちあがれ日本」の平沼赳夫(74)、園田博之(70)、藤井孝男(69)、片山虎之助(77)、中山恭子(72)の5氏。それに石原(80)を加えると、なんと平均年齢73.7歳。
 これの、いったいどこが「新党」なのだろう。旧~い戦前思想をお持ちの残党たちがさまよい出てきたとしか思えない。「石原旧党」と呼ぶべきだろう。
 それにしても石原都知事"閣下"、旧軍の元帥にでもなった気分か。"閣下"などと、皮肉で呼ばれているのにも気づかない。作家と自称するわりには、言葉への感性がまるでないのだ。だから、バカ、アホ、小役人などと小汚い言葉遣いを連発する。
 言葉遣いだけならまだしも、この人物、都政での成果などほとんどないではないか。新銀行東京の1千億円にも上る赤字による破綻、東京オリンピック招致のための壮大な無駄遣い、築地市場の汚染地域への移転事業、尖閣問題を煽って日本経済に与えた深刻な打撃など、むしろ「負の遺産」が目につくだけだ。
 彼の中国嫌いは凄まじい。中国人などを「三国人」と呼び、「中国人は犯罪者の民族的DNAを持っている」とか「シナ」などと言いまくる。しかも「シナとは蔑称であり、公人が使うのは問題」と批判されても「もともとチャイナとシナは同じ語源から来た言葉だから差別でも何でもない。そんなことを言うヤツがバカなんだ」と開き直る始末。ならば「ジャップはジャパンを言い換えたのだから蔑称ではない」とアメリカ人に言われても平気なのか。
 言葉とは、それがどのように使われてきたかという歴史的背景なしに論ずることはできないのだが、作家を自称するこの人物には、そんな論理も通じない。
 彼は尖閣問題で中国を激怒させた。中国は経済発展にものを言わせ、いわゆる途上国への援助を増やし続けている。いまや、途上国への影響力は日本を大きく凌駕したといわれている。東京オリンピック招致では、中国は反対に回る。中国の影響下にある多くの途上国はそれに同調する。すなわち、東京オリンピック招致は失敗する可能性が大きい。石原が自分で蒔いたタネだ。
 オリンピック招致を都知事退任の花道に、と考えていた彼の思惑は外れた。しかも、息子の伸晃氏は自民党総裁選で惨敗。彼は息子を自民党総裁にし、自民党の右翼再編を目論んでいたに違いない。それは水泡と帰した。そこで都政を投げ出した…。
 「石原旧党」は「橋下維新」との連携を図っている。「政策のすり合わせは、第3極の大連合のあとでやればいい」という無責任な言い草で、橋下氏に擦り寄る。旧い政治家の寄せ集めの「石原旧党」だけでは、とても第3極としての起爆剤にはなり得ないと、自分でも分かっているのだろう。だから、憲法観も原発問題も、現時点ではまるで折り合えていない者同士の連合で、なんとか事態打開を図ろうとしているのだ。まさに"政策なき野合"というしかない。

 マスメディアは、時ならぬ石原ブームで大騒ぎ。というより、マスメディア自身が、むりやりブームを作り出している。どう見ても、旧い思想の老人たちの寄せ集めに過ぎない「石原旧党」に、なぜこんなにも大騒ぎしなければならないのか。それは、マスメディアが「政局ごっこ」が大好きだからだ。その上で、選挙が近いと煽るのだ。
 民主党の前原誠司経済財政担当相は「近いうちとは、年内のこと」と述べ、年内解散の可能性を示唆。野田も「選挙区の区割りが是正されなくても、解散権は縛られない」と、最高裁の「現選挙区制は違憲状態」との意見を無視する構え、もう破れかぶれだ。

 次期選挙では、原発問題が大きな争点のひとつになるはずだ。僕はこれまでこのコラムでは、原発について書き続けてきた。政局の話など、ほとんど興味はなかったし、触れなかった。けれど、選挙になれば、そう言ってもいられない。各政党は、原発についてどう考えているのか。少し調べてみた。

 民主党はお話にならない。まるで腰が据わっていない。政権党でありながら、政策決定のメカニズムを失っているとしか思えない。政府「エネルギー・環境会議」が9月14日に決定した「革新的エネルギー・環境戦略」は、次のように謳っていた。

(略)第一の柱は、「原発に依存しない社会の一日も早い実現」。これを確実に達成するために、3つの原則を定める。これにより、第二の柱「グリーンエネルギー革命の現実」を中心に、2030年代に原発ゼロを可能とするよう、あらゆる政策資源を投入する。その過程において安全性が確認された原発は、これを重要資源として活用する。(略)
 そして第三の柱は、「エネルギーの安定供給」。(略)
 今回打ち出す「革新的エネルギー・環境戦略」によって、政府は、全ての国民とともに真新しいエネルギー社会を創造していく。政府の不退転の決意と果断な政策的挑戦に加え、国民一人ひとりの全面的な協力が得られるならば、必ずや、この目標は達成することができる。(略)

 「2030年」を「2030年代」と言い換えて、ほぼ10年もの延長を図り、「原発に依存しない社会」といいながら、「安全性の確認された原発は容認する」という矛盾は、それこそサルでも分かる。しかしそれよりも重大なのは、こんな骨抜きの「革新的戦略」さえ、「閣議決定」できなかったということだ。
 野田はもはや、原発については正面から向き合う気持ちなどさらさらない。ボロボロな内閣の延命を図ることしか考えていない。
 こんな「革新的戦略」でさえ閣議決定できなかったのは、経産省官僚の猛烈な巻き返しがあったからだ。経済産業大臣名で出された「エネルギー・環境戦略策定に当たっての検討事項について」という文書がある。これは、前掲の「革新的戦略」に対する反論で構成されているといっていい代物。
 「目次」には、以下の項目が並んでいた。

1.原発ゼロとする場合の課題
2.再エネ・省エネの課題と克服策~「グリーン国民運動」に向けて
3.最後に~不確実性への対応、不断の検証の必要性

 中身はおよそ想像がつくだろう。主な項目のタイトルを拾っておく。

核燃料サイクル関連施設が集中立地する青森県
青森県と核燃料サイクルの歴史
核燃料サイクルの意義(廃棄物の減容・有害度低減)
電力需給のひっ迫、料金値上げ(「即時原発ゼロ」の影響)
温室効果ガス排出量の増加
核燃料サイクルを巡る日米関係
化石燃料調達における交渉条件の悪化、地政学的リスク
再生可能エネルギーの導入における課題
再生可能エネルギーの課題と克服策(太陽光、風力、地熱、水力)
(参考)原発1基分の発電電力量(74億kWh(120万kW相当)を代替する場合
省エネルギーの課題と克服策(導入目標)
シナリオ別の影響
最後に ~不確実性への対応、不断の見直しの必要性

 説明するまでもない。原発をゼロにすることがいかに困難かを、これでもかこれでもかと並べ立てているのだ。ひとつずつ項目を精査していけば、どれだけ牽強付会なリクツが並んでいるかよく分かる。しかも「日米関係」に触れた部分など、経産省や外務省の本音も見え隠れする。野田内閣を牛耳る官僚たちは、あくまで原発擁護なのだ。
 この猛烈な巻き返しで、野田はあっさりと骨抜きの「環境戦略」さえ棚上げにしてしまった。僕が「腰が据わっていない」と評した意味がお分かりだろう。
 大きな活字で書いておく。
 野田は「脱原発」など絶対に目指していない!

 では、他の政党の原発政策はどんなものか。
 まずは自民党。
 自民党総裁選があったのは、9月26日だった。安部晋三、石破茂、石原伸晃、町村信孝、林芳正の5氏の候補者が争ったのだが、事前のテレビ討論では、「最終的には原発ゼロを目指すか?」という質問に5人全員が「×」と答えた。つまり、全員が原発容認派だったわけだ。何も言うことはない。これだけで、この党の原子力政策が分かる。
 自民党には「総合エネルギー政策特命委員会」(山本一太委員長)というのがあった。この委員会が今年2月にまとめた「中間報告」には、こんなことが書いてあった。

(略)わが党は、脱化石燃料の中核として、原子力政策を推進してきたが、安全神話に依拠しすぎてしまった結果、このような惨禍を招いたことにつき深く反省しなければならない。周辺住民の方々、そして国民の皆様に深くお詫び申し上げる。  また、この事故の原因を解明し、教訓を活かすことが全世界に対するわが国の責務であることは言うまでもない。(略)

 口先だけならなんとでも言える。自民党は、この文章の通りに「深く反省し」「事故原因を解明」しているのか。ウ~ソばっかぁ! である。ならば、なぜ5人の総裁候補者の誰一人として「真摯な謝罪」を国民に向けてしなかったのか。言葉が虚しい。
 原子力政策については、同文書で以下のようにごまかすだけ。

(略)特に、向こう10年を「原子力の未来を決める10年」と位置づけ、その間、出来る限りの再生エネルギーの導入及び省エネルギーを進めるとともに、様々な状況変化を踏まえた国民的議論を喚起し、原子力の利用について、長中期的な観点から結論を出すこと。(略)

 空々しい文章の典型だ。ほとんど何も、具体的なことは言っていない。「国民的議論を喚起し」だって。やったでしょ! パブリックコメントや討論型世論調査などが行われたが、どの議論をとっても「脱原発」が70~80%を占めていたじゃないか。
 それが「国民的議論」の結果だったのだから、結果を踏まえて、きちんとした「脱原発の方向」を打ち出すのが普通の政策決定というものだ。だが、総裁候補者は5人揃って「脱原発に反対」だった。その中でも最強硬派の安倍氏が総裁に当選。
 自民党は、原発推進と事故についての責任を誰もとっていないし、ましてや「深いお詫び」など一度として聞いたこともない。
 これが、自民党の原発に関する態度だ。

 では、自民党と長期にわたる連立政権を維持し、「原発推進政策」を採ってきた公明党はどうか。公明党のHPを覗いてみるといい。驚くぞぉ! 素敵なレイアウトで、デカデカとこうあるんだから。

子どもの、生命(いのち)と健康と未来を守るために。
公明党は 原発0(ゼロ)の 日本をつくる。
公明党は、①原発の新規着工は認めない ②1年でもはやい「原発ゼロ社会」実現のために、省エネ・再エネ・ムダのない火力発電に最大限の力を注ぐ ③再稼働は国民が納得・信頼できる確かな安全基準が出るまで許さない―。(略)

 ええーっ!? 公明党は「脱原発派」だったんですか。でも、それって本当っすか?
 これまで、自民党と組んで押し進めてきた原子力政策について、「深い反省とお詫びの言葉」を、公明党は発したか。自民党の原発容認政策に、強い異議をとなえてきたか。安倍自民党総裁と、原子力政策について、深い議論をしているか。原発容認の自民党とは、次期選挙で選挙協力しない、とでも発表したか…。
 これまでの自分のことは棚に上げて、突然「原発ゼロの日本」などと言われたって、誰がすんなりと信じられるだろうか。もし本気で「原発ゼロ社会」を目指すというのなら、少なくとも、原発容認一本やりの自民党との次期選挙での協力ぐらいは解消すべきだろう。それなしでは、僕は到底信じられませんっ。

 共産党は、「『即時原発ゼロ』の実現を 日本共産党の提言」という政策提言を、志位和夫委員長が9月25日に発表、政府に申し入れた。
 社民党が5月25日に発表したのは、「社民党 脱原発アクションプログラム 2020年までに原発ゼロ 2050年には自然エネルギー100%に」という文書。ここでは、2020年という年限を切っての「脱原発への工程表」となっている。
 とりあえず、この両党の「脱原発」については確認できそうだ。

 みんなの党も、「脱原発」を政策として掲げている。
 2011年の「第1ステージ」から2012~2014年の「第2ステージ」、最終的には2015~2020年の「第3ステージ」で「脱原発、地域分散型エネルギーシステムへの転換」をはかるという工程表だ。
 だが、みんなの党の渡辺喜美代表は、近々、石原と第3極の大連合を協議する予定だという。最初に書いたように、石原は根っからの原発容認派だ。そんな人物とくっついて、脱原発など図れようはずもない。残念ながら疑問符がつく。

 橋下徹大阪市長が率いる日本維新の会は、まことに危なっかしい。橋下氏は、あれだけ「脱原発」を叫んでおきながら、大飯原発再稼働を認め、あっさりと「僕の負けです」とすまし顔だ。しかも、毎日新聞(10月27日付)によれば、維新の会の原発に関する「公約素案」は次の通り。

既存原発は2030年代までに全廃 ▽最高水準の原発は輸出可能 ▽東京電力の会社更生手続きの開始

 これでは何のための「脱原発」なのか、よく分からない。原発輸出には前向きなのだ。自国は脱原発で、外国には積極的に売り込む。これが矛盾でなくてなんだろうか。
 大企業である原発メーカーと、何らかの意見交換があったのではないかという疑問さえ生じる。

 独自の路線を行くように見える国民の生活が第一(この党名、なんとかならないものか)だが、「脱原発」に舵を切ったようだ。たとえば、東京新聞(同27日付)は、次のように伝えた。

 「国民の生活が第一」の小沢一郎代表はこのほど、2022年までの脱原発を決めているドイツを視察した。「生活」は次期衆院選の公約の柱に「十年後の原発ゼロ」を掲げる方針で現在、工程表を作成中。視察の成果を工程表に反映させる考えだ。
 「(十年後の脱原発という)われわれの主張は間違っていなかった。これが国民のためだと確信するに至った」。小沢代表は二十五日夜、都内のホテルで開いた結党パーティーで、ドイツ視察の成果をアピールした。(略)

 きちんとした工程表が発表されなければ、詳細は分からないが、少なくともこれだけ言ったのだから、国民の生活…の「10年後までに脱原発」という方向性だけは確かだろう。

 今回のコラム、ずいぶん長くなってしまった。しかし、衆院解散がかなり現実性を帯びてきた今、各党(各候補者)の「原発政策」だけはしっかりと検討しておく必要がある。僕は強くそう思うのだ。
 そのための、ひとつの参考資料にしてもらえたら嬉しい。

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鈴木耕さんプロフィール

すずき こう1945年、秋田県生まれ。早稲田大学文学部文芸科卒業後、集英社に入社。「月刊明星」「月刊PLAYBOY」を経て、「週刊プレイボーイ」「集英社文庫」「イミダス」などの編集長。1999年「集英社新書」の創刊に参加、新書編集部長を最後に退社、フリー編集者・ライターに。著書に『スクール・クライシス 少年Xたちの反乱』(角川文庫)、『目覚めたら、戦争』(コモンズ)、『沖縄へ 歩く、訊く、創る』(リベルタ出版)など。マガジン9では「お散歩日記」を連載中。ツイッター@kou_1970でも日々発信中。

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