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2012-12-12up

時々お散歩日記(鈴木耕)

117

戦争の臭い、体験者の脅えと怒り
そして、敦賀原発廃炉への道

 我が義母(91歳、来月で92歳になる)は、診察、診療、検査…と、折にふれ病院通い。車で20~30分ほどの日赤病院がかかりつけ。で、僕が運転手。昨日(10日)も、検査結果を聞きに病院へ。
 このところ義母は元気。総選挙が近いとあって、懸命に新聞を読み、テレビニュースを観ているらしい。車の中でも、もっぱらその話。これが、なかなか鋭い。

 「なんだか自民党が勝ちそうだって、新聞もテレビも言ってるでしょ、イヤねえ。みんな自民党がイヤだからって民主党に入れたんでしょ、この前の選挙で。まだ3年くらいしか経ってないのに、もう自民党に戻っちゃうの? 少しは我慢ってこと、できないものかしら、今の人たちは。自民党は、50年も60年もやってきたじゃない。それで、こんな日本にしちゃったわけでしょ。たった3年で民主党はおしまいなんて、みんな我慢が足んないわよ。
 でも、お父さん(義父のこと)は、いつでも自民党だったわねえ、なんでだったのかしら…」

 義父はもう30年ほど前に亡くなった。実は、生前はこの夫婦、あまり仲は良くなかったらしい(カミさんの証言)。それでも、毎月の義父の命日(祥月命日)には、義母は今も墓参りを欠かさない。夫婦って、つくづく不思議なものである。八王子に墓がある。それも、僕が運転手。
 義父は、海軍の兵隊さんだった。貧乏人の子だくさんという家庭に育った義父、「軍隊のほうが気楽だったな」といつも言っていたという。18歳で入隊。青春のほとんど軍隊に捧げたのだ。彼にとっては、海軍こそが青春の証しだった。

 「でも、お父さん、戦争の話なんて全然しなかったわねえ。たまに、お酒を飲んだときに、ちょっとだけ話すことはあったけど。市街戦がいちばん怖かったって言ってたわ。弾がどっから飛んでくるか分からないからって。上海でのことだったと思うけど。
 あたしは、中国の人が怒るのも無理はないと思うわ。お父さんだって、いろいろあったらしいわよ、中国では…。命令だから仕方なかったんだって言ってたけど」

 詳しいことは話さなかったようだが、義父も戦地では"それなりのこと"があったらしい。当時の日本人が、中国人や朝鮮人をどう扱っていたか、なんとなく分かるような気がする。カミさんや僕には、ことのほか優しかった義父だったのだが。
 程度はむろん違うけれど、沖縄での米兵以上のことを、日本兵は各地でやっていたのだろう。

 「だから、中国をどんどんやっつけろ、なんていう人が当選しちゃったら、ほんとに怖いわ、あたし。また戦争になったらどうするつもりなのかしら、あの人たちは。中国だって、今は昔の中国じゃないでしょ。とっても強くなってるんだから、もう黙っちゃいないわね。今度戦争になったら、日本人はもっとひどい目に遭うわよ。
 でもあの人たち、自分では戦争に行かないのよね。昔のお父さんみたいな、貧乏な若い人たちを戦場へ送り込むだけでしょ。自分や、自分の息子なんかは死なないのよね」

 あの人たちって誰のことだか、義母はきちんと知っている。そう、石原や安倍のことだ。「あたし、あの人、大っ嫌い!」と、ここだけは語調が強かった。
 義母は東京・目黒の生まれ。今でも下町言葉が抜けない。「歩ってく(あるってく)」だの「落っこちる」「蹴っ飛ばす」「ふてる(捨てる)」だのと、東北育ちの僕には聞きなれない言い回しを連発する。
 だが、戦争中は学童疎開の付き添いとして、福島県の白河でしばらく暮していたという。都会育ちの義母には、それがそうとうに辛かったようだ。その時の苦労話はよくする。ひもじさに泣く子どもたち、食べ物をごまかす大人たちの狡さ、それらをやっと20歳を過ぎたばかりの乙女が目の当たりにしたのだ。そんな義母だから、「戦争」の2文字には過剰なくらい反応する。
 同じ青春でも、義父の軍隊暮らしと義母の疎開生活は、受け取り方がまったく違ったようだ。

 「お父さん、戦争で苦労してきた人だから、戦争には絶対反対だと思っていたら、いっつも自民党なのよ。おかしいと思ってたわ、あたしは。でも、お父さんは生きて帰ってきたから。
 戦争で死んだ人に聞いてみればいいのよ。死んじゃった人たちは、もう絶対に戦争はイヤって言うはずだわよ。生き残ってうまくやった人たちだけでしょ、お国を守るためには戦争も必要だなんて言うのは。そういう人は、自分も一回、戦争で死んでみればいいのよ」

 むちゃくちゃ言うなあ、とは思ったけれど、これは確かに正論だ。戦争で死んだ人間は、もう戦争に反対できない。だから生き残った者が戦争に反対しなければならないのだが、もはやその生き残りも数少ない。
 戦争で甘い汁を吸った連中、それを見て育ったヤツラが、またも戦争の夢を見ているのか。
 そして、なんとなく今の鬱屈した世の中を「戦争」で一挙にガラガラポンと引っくり返してほしい、なんて思っている若者たち。実際の、血が流れる悲惨な場面への想像力、それも自分が血を流す本人だという決定的な想像力、それらがゲームやアニメの世界へ収斂されて、画面の中の無機質な戦闘だけにしか考えが及ばない。
 粘つく血液、傷口から溢れる内臓、ぶっ飛んだ手足、ぶちまけられた脳味噌、人間の肉が焼ける臭い、焦げ臭い火薬、崩れ落ちたビル、泣き叫ぶ幼子、人肉に蠢く蛆虫…。ゲームやアニメの世界からは、決して感知できない生々しい崩壊。
 それこそがリアルな戦争なのだが、そんなことにはそ知らぬ顔で、安倍は"国防軍"を言い立て、石原は"核武装論議"を呼びかける。それが、マスメディアの批判にさらされることもなく、平然と語られる風潮になってしまった現在(いま)。
 石原慎太郎維新代表は、こんなことも言ったという(東京新聞12月11日付)。

(略)「自民党が(衆院選で)過半数を取りそうだ。そうしたら憲法を変えよう。私たちも賛成する」と述べた。
 (略)「九条のせいで日本は強い姿勢で北朝鮮に臨むことができなかった。九条が自分たちの同胞を見殺しにした」と現行憲法を批判。「あんなモノがなければ(拉致被害者を)返してくれなかったら『戦争するぞ』『攻めていくぞ』という姿勢で同胞を取り戻せた」と述べた。

 先週のこのコラムで安倍晋三自民党総裁のテレビでの「海外と交戦するときは、交戦規定に則って行動する」という、いわば戦争肯定発言を紹介したが、石原はもっと露骨に、相手国を名指ししての戦争発言だ。なんだか"開戦前夜"のキナ臭さではないか。
 義母が恐れ、そして脅えるのも無理はない。義母は、車を降りる寸前に、きっぱりとこう言った。

 「あの人たち、憲法9条まで変えるって言うんでしょ。それだけは、絶対にダメよね」

 自身の体験から出てきた言葉は強い。だが、その戦争体験を語れる人たちは、年々少なくなっている。石原は戦争を知っているはずだが、恵まれた場所で、戦火など知らぬげに少年時代を送ったのだろう。そして、戦争の悲惨から何のメッセージも受け取ることなく『太陽の季節』なる"青春小説"を書いた。
 安倍は、岸信介という戦争犯罪容疑で逮捕された元首相に可愛がられて育った。何を吹き込まれたか、何を学んだかは知らない。ただ、その結果が、現在の「国防軍・安倍」なのだ。そして、このふたりが「強い国・毅然とした国家」を煽り、橋下維新などがそれに乗る。

 総選挙まで、あと数日。マスメディアは「各党の当選者数」「選挙区情勢」報道に血道をあげるばかり。その一方、この選挙の裏に潜む、いや、いまや表に堂々と出てきた9条改定論や国防軍、核武装、ことに安倍総裁が振りかざし始めた「自民党憲法改正草案」の危うさなどについて、ほとんど触れない。
 なぜはっきりと、「憲法改定反対」「国防軍の危険性」「核武装論への危惧」などを鮮明に掲げるマスメディアが現れないのだろう。産経や読売が改憲や原発再稼働を煽っているのだから、それに対抗してきちんと反論するマスメディアが出てきてもよさそうなものだが、東京新聞以外はほとんどそれを表立って主張しない。
 ジャーナリズムの本来の役割は、権力の監視であり戦争への道の抑止だったのではないか。そのおそれのある風潮に対し、なぜマスメディアは口を閉ざすのか。
 繰り返すが、「戦前の戦争協力・国威発揚報道への痛苦な反省」をしたはずのマスメディアが、なぜ同じ道へ踏み込もうとしているのか。
 僕があるところでそう言ったら、「だって、テレビはその頃はなかったもん」と誰かが言った。ああ、何をかいわんや…。

 だが、「おっ!」と思わず声を挙げるニュースも流れてくる。各マスメディアが一斉に報じたが、たとえば朝日新聞(11日)の大見出し。

敦賀 廃炉の公算大
「原子炉直下に活断層」 規制委、再稼働認めず
「敦賀は活断層」一致 過去の審査「検証必要」
敷地内の断層調査続々
日本原電 死活問題に 電力業界、政策転換を期待

 付け加える必要はないだろう。ただ、問題はやはり自民党だ。この記事では、それに触れて、次のように書いている。

(略)逆風の電力業界が期待を寄せるのは、衆院総選挙で自民党が政権に返り咲くことだ。電気事業連合会の八木誠会長(関西電力社長)は「自民党の方が(我々の考えに)近い」と認める。その分岐点が、敦賀2号機近くに建設が計画されている3,4号機の行方だ。
 野田政権は「2030年代の原発ゼロ」をうたい、原発の新増設を認めない方針を打ち出した。敦賀3,4号機は認めない方針だ。
 一方、自民党は公約で原発の新増設に触れていない。「新たな原発を認める余地がある」(電事連関係者)との期待が広がる。
 「3号機ができれば1号機は廃炉にする予定だった。3,4号機が運転できれば、2号機を廃炉にしても地元の期待に応えられる」。日本原電関係者はこの選挙に行く末をかける。

 恐ろしい話だ。何があっても原発は造る。それを可能にするのは、自民党の返り咲き。すべてがそこにつながっている。
 原発を動かし、プルトニウムを産み続けることで核武装能力を保持し、一方で改憲から国防軍、集団的自衛権、戦争肯定、さらには徴兵制さえ視野に入れる。こういう筋書きなのだ。
 義母が脅え、怒るのは当然だと思う。僕ら夫婦だって「悪い夢を見ているようだ」などと話している昨今なのだから。それを"悪夢"のままで終わらせるためには、なんとしてでも自民・維新を勝たせてはならない。

 それにしても、分かりにくいのが公明党。
 さすがに、安倍や石原のあまりの極右ぶりに、山口那津男公明党代表が「自民党が主張する9条改正に我々はくみしない。集団的自衛権行使が許されないとのこれまでの主張を変えるつもりもない」と警戒感をあらわにした。また、原発政策についても「原発ゼロ」を公約に入れているのだから、明らかに自民党とは違う。
 ならば、自民党との選挙協力についても「自民党が主張を変えないならば、選挙協力は凍結する」のが当然のはず。だが、そこにはまったく触れない。権力の蜜の味を、どうあっても忘れられないということなのだろうか。

 僕はやっぱり、原発廃止を訴え、戦争への道をはっきりと拒否する人と党へ1票を入れる。カミさんや娘たちともそれを確認した。
 義母は「あたしは社会党ね」と言うから、カミさんが「今は社民党というのよ」と訂正してあげていた…(笑)。

 最後にもう一言。
 都知事選も同時に行われる。都知事候補では、「東京から脱原発を。憲法改定反対!」とはっきりと宣言している人がいる。宇都宮けんじ氏だ。これを、はっきりと覚えておこう。

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鈴木耕さんプロフィール

すずき こう1945年、秋田県生まれ。早稲田大学文学部文芸科卒業後、集英社に入社。「月刊明星」「月刊PLAYBOY」を経て、「週刊プレイボーイ」「集英社文庫」「イミダス」などの編集長。1999年「集英社新書」の創刊に参加、新書編集部長を最後に退社、フリー編集者・ライターに。著書に『スクール・クライシス 少年Xたちの反乱』(角川文庫)、『目覚めたら、戦争』(コモンズ)、『沖縄へ 歩く、訊く、創る』(リベルタ出版)など。マガジン9では「お散歩日記」を連載中。ツイッター@kou_1970でも日々発信中。

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