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2011-10-26up

続・リビアで今、起こっていること〜アーデル・スレイマンさんインタビュー

アーデル・スレイマンアーデル・スレイマン 1987年、リビア人の父親と日本人の母親の間に日本で生まれる。6歳のとき、父親の仕事の関係でリビアに渡り、19歳までを過ごす。高校卒業後の2006年に再び日本に戻り、NGOや通信社に勤務。現在は大学生。
ツイッターアカウント @libyanintokyo

 「40年間泣き寝入りしていた人たちが、やっと動き出したんです」――リビア人の父親と日本人の母親を持つ大学生、アーデル・スレイマンさんが、「祖国」リビアで起こった反政府デモについて、そう語ってくれたのは今年3月のことでした。
 その後、NATO軍による介入を経て、反政府デモは「革命」へと拡大。何度か政府軍による反攻が伝えられながらも、8月20日にはついに首都トリポリが陥落、40年以上のカダフィ独裁政権下にあったリビアは、国として新たな一歩を踏み出すことになりました。
 この半年間を、日本で暮らすアーデルさんはどう見ていたのか? そして今、リビアの人々はどうしているのか? 今後の支援活動の可能性を探るため、9月に現地を訪れたというアーデルさんに、そのときの体験も交えて改めてお話を伺いました。

◆NATOの空爆とトリポリの「解放」

トリポリの殉教者広場を埋め尽くす人の波。三色旗があちこちに見える。

――まずは、前回インタビューさせていただいた後のことを聞かせてください。リビアで反政府デモが起こったばかりだった3月初めの時点で、アーデルさんは「人道支援を除いて、国際社会にはリビアの問題に介入してほしくない」という意見だったけれど、結果的には3月半ばにNATO軍の介入が行われることになりました。

 複雑なところですね。もともと革命勢力――国民評議会は、治安維持などのために海外勢力が入ってくるのは仕方ないにしても、それは欧米ではなくアラブ諸国に頼みたい、と表明していたし、一般のリビア人の多くはそれさえいらない、治安は自分たちで守れる、と考えていたと思います。やっぱり、イラクやアフガンの記憶が鮮明なだけに、外国勢力が入ってきて国がめちゃめちゃになってしまうのが怖いという思いがあったんですよね。
 ただ、一方でNATOの空爆がなかったらカダフィ勢力を倒すのは無理だったんじゃないかというのも、多くのリビア人の共通認識になっています。やっぱりカダフィ派は軍事的に非常に強くて、武器も大量に所有していた。結果としてはそれを使用する段階になる前に制圧されることになったけれど、そうでなければもっと闘いは泥沼化していたかもしれない。…もちろん介入を歓迎したわけではないし、まったく嬉しいことではなかったけれど、結果的にはそれがあったから被害がまだ小さくて済んだという部分もあるのかもしれなくて。とにかく、複雑な思いがあります。

――そうして状況が動いていく中、アーデルさんは日本で、どうされていたんですか? 

 前回お話ししたように、本当は反政府デモが起こったあと、日本で留学生仲間や支援してくれる人たちと、リビアへの人道支援を行う団体を立ち上げようとしていたんです。でも、そこで3月11日の東日本大震災が起こって…。もちろん報道も「震災」一色になったし、ここでリビアへの支援を訴える、募金やデモをやるといっても絶対に無理だと考えたんです。それで、ともかく今は日本で自分にやれることをやろうと思って、3月末からゴールデンウィークまでは、宮城県の石巻市で被災地支援のボランティア活動に参加していました。
 もちろん、その間もリビアのことはずっと気にしていて、報道を見ながら留学生仲間と連絡を取り合っていました。特に一時はカダフィ派の攻勢が強まって激戦になっていたし、「やっぱり革命は無理なんじゃないか」とか「NATOの介入はどこまで必要なのか」とか、いろいろ議論をしましたね。

――そして8月20日に、ついに首都のトリポリが陥落する…。

 「革命軍がどんどんトリポリに向かっている」という報道を見て、もちろん嬉しい反面、「ついにやばいことになるんじゃないか」という怖さもありました。それまで、トリポリではゲリラ戦は起こっていたものの、大規模な市街戦はまだなかったんです。だけど、何千、何万という単位の革命勢力がトリポリに入ろうとすれば、カダフィは何が何でも抵抗するだろうし、ひどいことになるんじゃないか、と。
 それで、アルジャジーラや反政府側メディアの報道をずっと同時進行でチェックしていたんですが、やがてトリポリの中心である殉教者広場に革命軍が入った、というニュースが流れ始めた。ところが銃撃戦はまったく起こっていないという。
 これにはいろいろ噂があるんですが、当初カダフィ派はわざと革命軍をトリポリ市街地に入らせて、そこで街を封鎖して外から攻撃を浴びせるという計画だったとも言われています。実際、解放後になって、トリポリ市街周辺で、街の中心のほうを向けて配置されたミサイルなどが大量に発見されたという話もあって…ところが、革命軍がトリポリに入って、いざ交戦というところで、カダフィ派の将軍が革命側に寝返ったんだと言われています。
 ともかく、結果的にはトリポリ市街は大きな交戦はないままに解放されて。留学生仲間と「やったー!!」「トリポリ解放だ!!」と喜びあいました。リビアの家族にも電話してみたんですが、受話器を通じてすごい賑やかな声が聞こえてくるんです。「どこにいるの」と言ったら、「家だよ」と。街中がお祝いムードで盛り上がっていて、みんな街に出て三色旗(カダフィ政権以前のリビア国旗。今回の革命のシンボルとして使われ、国民評議会によって正式国旗として採用された)を掲げてお祝いしている、その声が家の中まで聞こえてきていたんですね。家族の声も、これまで電話で話していた中で一番明るかったと思います。

◆リビアにはためく三色旗

革命前、カダフィが住んでいたとされる住宅。壁は落書きで埋めつくされている。

――そして、9月にはアーデルさんもリビアへ向かうんですね。

 震災でいったんは頓挫していた支援活動ですが、ともかく組織化して動き始めようということで、6月にLSAJ(Libyan Student Association in Japan/在日リビア人留学生の会)という団体を立ち上げたんです。そして、日本国内のモスクなどで募金を集めて、それをチュニジアでリビアへの医療支援や食糧支援活動をしているNGOに贈る、といった活動を始めました。
 それで9月になって、暫定政権の樹立といった話も聞こえはじめたので、そろそろもう一度、本格的に日本からの支援を考えてもいい時期なんじゃないかという話になったんです。そこで具体的な支援内容について話し合っていたときに、「闘いで手足を失った人への義手・義足支援」という案が出てきた。手や足を失うというのは、命に関わるわけではないことが多いだけにあまり注目されていないけれど、精神的、経済的な負担は非常に大きい。LSAJのメンバーには医師が多いこともあって、そうした人を1人でも助けられれば、と考えたんですね。
 とはいっても、誰にどんな支援をするのか、自分たちに何ができるのかもわからない。ひとまず現地を見に行ってみようということで、僕を含めLSAJのメンバー3人で、リビア入りすることになったんです。あと、日本ではリビアについての報道もかなり少なくなっていたし、自分たちが見たこと、聞いたことを写真や映像に記録して、たくさんの人に伝える機会をつくりたいという思いもありました。

戦闘に巻き込まれて左足を失い、チュニスの病院に入院中の15歳の少女。「在日リビア人留学生の会」では、彼女への義足支援にまず取りかかるという。

――現地にはどのくらいの期間いたんですか?

 隣のチュニジアを含めて1週間ほどですね。実は、リビアで義手義足を必要としている人を探そうと思って、現地の病院にも問い合わせてみたんですが、まだちょっと混乱状態で状況が把握しきれていないようだった。それで、インターネットを通じて知り合ったあるリビア人ビジネスマンが、チュニジアで難民の医療支援などをしているというので、まず彼を訪ねることにしたんです。彼と一緒に首都のチュニスの病院を回って、翌日、そこから国境を越えてリビアに入りました。
 そのとき、リビア側にはためいている三色旗を見て、初めてリビアの「変化」を実感しましたね。警備してる人たちも「どこから来たの?」「おかえりー」みたいな感じで、すごくフレンドリー。革命前だったら絶対にあり得なかった。

――街の様子はどうでしたか。

 とにかく「盛り上がっている」というのが印象でした。街じゅう、至る処に三色旗がはためいていて…「カダフィ出て行け」といった落書きもあちこちに残っている。もちろん革命前に書かれたものなんですが、以前はそういうのも、書いたことがばれたら逮捕されたり、もしかしたら殺されるかも、というのが当たり前だったんですよね。
 トリポリに入った翌日が金曜日で、イスラム教の礼拝の日だったので、殉教者広場での礼拝にも行きました。革命前は「緑の広場」と呼ばれていた場所で、周りに繁華街や博物館があって、僕はよく「日本の渋谷みたいなところだよ」と説明するんですが(笑)、そこにすごい数の人が集まってきていました。通常は礼拝はモスクの中でやるんですが、殉教者広場は革命の象徴的な場所でもあるし、まだ解放されていないトリポリ以外の都市への祈りも込めて、そこで礼拝をということになったようです。
 驚いたのは、広場のあちこちに掲げられていたカダフィの写真が一枚もなくなっていたこと。正確に言うと、地面に「踏み絵」みたいにして置かれているのが1枚だけありましたけど。あとは全部、国旗とか看板に替わってましたね。面白かったのは、「祝砲をやめましょう」っていう看板。

――やめましょう?

 トリポリ解放後、あちこちで祝砲が撃たれて、その撃った弾が落ちてきてけが人が出たり、車のボンネットにぶつかったりという事故があったらしいんですよ。それで「もう十分やったからいいでしょう、もうやめよう」ということみたいです(笑)。
 そのくらい、お祭りのような騒ぎなんです。その日の夜も、「みんなで集まってお祝いしよう」という呼びかけのビラが配られて、何万人という人が街に出てきて、あちこちでライブやイベントが行われていましたね。

――写真を見ても、すごい人の波ですよね。ちなみに、目的の一つだった、義手義足支援については目処がついたんですか?

 チュニスの病院で、左足を膝上から失ったある1人の女の子と出会ったんです。彼女は15歳で、戦闘には参加していないんだけど、家族と一緒に逃げる途中で政府軍に包囲されて、撃たれた。完全に民間人としての被害だし、両親の経済状況も苦しいということで、まずは彼女への支援を行おうということになりました。
 ただ、リビアやチュニジアでは義足をつくる技術もないし、リハビリの設備も十分じゃない。日本に来てもらうことも考えたけどあまりに遠いし、文化的な違いが大きすぎて家族の負担も大きいだろうということで、ドイツでの受け入れ先を探しています。ドイツなら技術力も高いし、アラブ人コミュニティも大きいのでサポートもしやすい。現地の支援団体にお金を渡してすべて任せるという形にするのか、こちらで病院やリハビリ施設を探すのか、一番いい支援のやり方を今、探っているところです。

◆新しい「国づくり」に向けて

トリポリの病院で。革命の闘いで行方不明になったままの人を探すポスターが貼り出されている。

――さて現在、暫定政権樹立に向けての調整が続いていると聞いていますが、その中心になるであろう国民評議会については、アーデルさんはどんな印象を持っていますか? そして、国民の支持はどうなんでしょう?

 国民評議会議長のアブドルジャリルは一般市民出身で、弁護士をしていたときに請われて法相として内閣入りした人物です。2月に反政府デモが始まったときにそちら側への支持を表明して、国民評議会を立ち上げて「反カダフィ」を明確に掲げるようになりました。カダフィとはもともとまったく関係のない「普通の人」だけに、今の時点では国民からの支持は絶大ですね。すごく信頼されているし、非常に人気が高いです。
 僕が国民評議会のいい点だと思っているのは、最初に評議会をつくったときに、「カダフィ政権を倒して正式なリビア政府ができたら、自分たちは権力には留まらない」と表明したこと。新しい政権を立てるだけ立てたらそこには残らないというのは、非常にまともだなという感じがしました。もちろん、すでに評議会の中でも意見の対立などは起こり始めているようで、それが少し心配ではありますが。

――それにしても、40年以上という長い独裁政権の時代を経て、これから新しい国づくりを進めていかなくてはならないわけで、そこには課題も数多いのでは? と思います。

 もちろんです。ちょっと考えただけでも、例えば政治面で言えば、選挙をするのはいいけどそれをどういう区割りでやるのか。州政府制にするのか、市町村や都道府県レベルをどう分けるのか。これまでのリビアには議会がありませんでしたから、そもそも議員は何人なのか、そもそも二院制なのかどうかなども、何も決まっていません。

――そもそも、憲法制定がこれからですものね。

 そうです。暫定のものは一応あるんですが、まだまだ議論ができていない問題がたくさんある。
 それから経済面でも、国家収入は石油に依存したままだけど、その生産量は革命前のレベルには追いついていなくて、収入が全然足りない。それに、石油はいつか必ずなくなるわけですし、代替エネルギー分野も含めて、これまでになかった分野への進出が必要だと個人的には思います。
 また、今後どういう経済体制を取っていくのか。これまでの社会主義経済から、おそらくは資本主義経済にはなっていくでしょうが、医療と教育は無料というのは変えられないだろうし、変えるべきではないとも思います。あと、国外資本をどこまで入れるのか。個人的には、大手の国外資本を入れると国内の産業が停滞する可能性もあるし、あまりに急速な資本主義化はよくないんじゃないかと思っていますが、時代の流れから考えるとなかなかそれは難しいかもしれない…。

◆人は「現状に甘んじる」もの

――まさに課題は山積み、という感じですね。それを前に、リビアの人たちは今、どういう思いでいるんでしょうか。

 「やるしかない」という感じですよね。課題は大きいけどやるしかない、自分たちにはやれる、という意識はあると思う。
 今回の革命を通じて、リビアの国民1人ひとりの意識はすごく変わりました。自分たちで政府を倒したということと、今までできなかった社会参加――例えば市民団体をつくるとか、同じ思いの人が集まって何かプロジェクトを始めるとか、そういうことができるようになった。それによって、街を、国を「自分たちのもの」と思えるようになったんだと思うんです。
 以前は見かけたことのなかった(笑)自主的に街を掃除する人たちが増えたのもその現れかな、と。街を歩いていても、至るところでみんな革命の話、政治の話、これからのリビアの話をしているのを見かけました。そうした変化は、リビアにとってすごく大きいことだと思います。
 あと、大きいのは若者の力ですね。今回の革命は一部で「腰パン革命」って言われてるんですよ(笑)。

――腰パン?

 日本でも、若者がやってるアレです。つまり、今まではちゃらちゃらしていると思われていたような若者たちが立ち上がって、主体となって起こした革命なんだ、ということ。
 トリポリでも、こんな場面を見かけました。おじさん2人が話をしていて、1人が「最近の若者は…」みたいな愚痴を言い始めた。そうしたらもう1人が「おまえな、だけどその『最近の若者』が今回の革命を起こしたんだぞ。あいつらを悪く言っちゃだめだ」と(笑)。そのくらい、若者が主体になったんだ、これからの国をつくっていくのは若者なんだ、という意識が強いんです。国民評議会も、教育や雇用など、若者に関係する社会問題の解決が最優先課題の一つだ、と表明していますね。

――課題は数多いけれど、それに立ち向かおうとする士気も高いという感じなんでしょうか。
 最後に少し日本の話を聞きたいのですが、そうしてリビアの状況が大きく動いた今年、アーデルさんのもう一つの祖国である日本では、東日本大震災という未曾有の出来事が起こりました。これを機に、日本はどう変わっていくのか、変わるのか…いまの日本社会を見ていて、感じていることはありますか。

 3月にボランティアで東北に行ったときに、震災によって、日本社会が抱えるいろんな問題が浮き彫りになったと感じました。原発のこともそうだし、政府の統率力のなさ、地方自治体のもろさ、そしてメディアがそうしたことを何も報じないという問題…。これまで日本社会は、何に対しても「他人事」というか、「臭い物に蓋」みたいな姿勢でやってきたところがあったと思うんです。でも、それではいいかげんダメなんじゃないか、大丈夫大丈夫と言ってきたけど実は大丈夫じゃないんじゃないか、ということが分かる大きなきっかけが、今回の震災だったと思います。
 ただ、人間というのは、現状に甘んじるものですよね。難しいことは後回しにするし、何かあっても見ないふりをして、今までどおりの生活をしようとする。「変える」ことは難しいんです。リビアだって40年以上ずっと後回しにしてきて、やっと今回「変える」という厳しい選択肢を取ることができたわけで。
 日本でも、ほとんどの人はまだ「見ないふり」を続けて、今までの生活を続けようとしている。そのほうが簡単だから、楽だから。そうして楽なほうへ流されていく中で、いかに「変化」という厳しい方向を見ている人、厳しいけど後々のことを思えばこっちのほうがいいんだ、と考える人たちを増やせるかですよね。
 リビアが変わったのは、みんなが本気だったから。人が本気で動いて変わらないことって多分、ないと思います。本気でこの仕事をやりきるんだと割り切る、その瞬間に、多分その周辺にはすごい力が生まれるんじゃないでしょうか。特に、ポイントになるのはやっぱり若者の力ですよね。腰パンの力は半端ない、はずです(笑)。

←リビアで今、起こっていること(前編)←リビアで今、起こっていること(後編)

  「カダフィ死亡」のニュースが伝えられたのは、お話を伺ってからちょうど1週間後。
拘束後に「処刑」されたという報道もあるなど、その死の状況は不透明なままです。
アーデルさんはこれに対して、こんなふうにコメントしてくれました。
「率直に言えば、残念に思っています。過去の象徴であったカダフィが死んだことは、
リビアのこれからの国づくりに大きな意味を持っているし、
人々にとっての精神的な弾みにもなるでしょう。
でも、本当ならこんな殺され方をするのでなく、リビアの法で裁かれ、
42年間の清算をしてほしかったというのが個人的な意見です」
国民評議会も、死亡経緯の検証に乗り出すと表明しており、真相の究明が待たれます。



「国際社会の関心は、今後のリビアがイスラム原理主義国家にならないかということでしょうが、
リビアの土着の文化はイスラム教に基づいたもの。そのことと原理主義とは別ですが、
イスラムが政治体制のベースになることは間違いないでしょう」とも、
アーデルさんは話してくれていました。
リビアがここから、どんな国になっていくのか。それを、国際社会はどう受け止めるのか。
何よりも、人々の希望や高揚が、踏みにじられることのないように、と思います。

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