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柴田鉄治のメディア時評:バックナンバーへ

柴田鉄治のメディア時評(10年02月24日号)

その月に書かれた新聞やテレビ、雑誌などから、
ジャーナリスト柴田さんが気になったいくつかの事柄を取り上げて、論評していきます。

しばた てつじ 1935年生まれ。東京大学理学部卒業後、59年に朝日新聞に入社し、東京本社社会部長、科学部長、論説委員を経て現在は科学ジャーナリスト。大学では地球物理を専攻し、南極観測にもたびたび同行して、「国境のない、武器のない、パスポートの要らない南極」を理想と掲げ、「南極と平和」をテーマにした講演活動も行っている。著書に『科学事件』(岩波新書)、『新聞記者という仕事』、『世界中を「南極」にしよう!』(集英社新書)ほか多数。

『組織ジャーナリズムの敗北 続・NHKと朝日新聞』 (岩波書店))

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普天間、日本のメディアの『劣化』はここまで

 普天間基地の移設をめぐる日本のメディアの迷走ぶりについては、これまでにも何回か取り上げてきた。日本のメディアは、鳩山政権の普天間問題に対する対応が迷走していると筆をそろえて非難しているが、迷走しているのはむしろメディアのほうであり、「早く米国の言う通りに決めないと日米関係は大変なことになるぞ」と大合唱しているのは、少しおかしいのではないかと繰り返し指摘してきた。

 日本のメディアはいつから、こんなにも米国一辺倒になったのか。いかに日米同盟が大事だといっても、日本は米国の属国ではなく、立派な独立国であり、世界の独立国で外国の軍隊を常時これほど駐留させている国はそうはないのである。しかも、占領下そのままといってもいい沖縄県民の過大な負担をほんの少し減らそうというだけのことなのである。日本のメディアが米軍の立場より沖縄県民のことを重視することは、そんなにもいけないことなのか。

 日本のメディアもメディアだが、自民党政権時代に合意した約束を守れと強圧的に迫っている米国も米国だと、私はひそかに米国に対する不満の気持ちも抱いていた。政権交代の直後に来日し、「合意通りにいかなければ海兵隊のグアム移転もなくなるぞ」と『脅迫的な言辞』を吐いたゲーツ国防長官は論外だとしても、米国側の人たちが次々と発する鳩山政権への『牽制的な言辞』にも、不快感を抱いていたことは確かである。

 ところが、新聞通信調査会が出している『メディア展望』2月1日号に載った藤田博司氏の論文を読んで、愕然とした。私の米国に対する不快感は、まったく間違いであることが分かったからだ。

 藤田博司氏は、共同通信のワシントン総局長などを勤めたあと、論説副委員長や上智大学教授などを務めた私の最も尊敬するジャーナリストのひとりである。日米関係に詳しく、また日米のメディアにも通じた最高の『日米関係ウォッチャー』だといえよう。

 その藤田氏が「普天間をめぐる日本のメディアの報道は公正でなく、正確でもない」と厳しく指摘しているのである。藤田氏の取り上げた記事は昨年12月22日付けの夕刊各紙に載ったもので、クリントン国務長官が藤崎駐米大使を呼んで普天間基地の「新たな移転先を探す鳩山政権の動きに不快感を表明し、現行計画の早期履行を改めて求めた」(朝日新聞)というものだ。

 この記事なら私もよく覚えている。各紙とも一面に大きく取り上げたニュースで、読売新聞の見出しは「米国務長官、駐米大使異例の呼び出し 『普天間』先送り了承せず」というものだった。各紙とも会談は「極めて異例」だったこと、米側の強い不満、懸念が示されたことを強調したものだった。

 読売新聞は翌朝刊でさらに「米側による駐米大使の招請は、米政府の鳩山首相に対する不信感が頂点に達していることを示すもの」と解説し、産経新聞も「米側の憤りをいっそう印象付けている」と報じていたのである。

 これらの記事を読んだ読者は、私だけでなく、鳩山政権の対応に業を煮やした米国が日本の大使を呼びつけるという異例のやり方でその不満を日本側に伝えた、という印象を強く植え付けられたに違いない。

 ところが、それがまったく事実と違うのだ。藤田氏によると、藤崎・クリントン会談の翌日、国務省での記者会見でクローリー国務次官補は、大使は「呼ばれた」のではなく「大使のほうから会いにきてクリントン長官のもとに立ち寄ったものだ」と説明し、会談の中身についても「大使は基地問題でもう少し時間が必要との意を伝えた。われわれは現行計画が最善だと思うが、日本政府とこの問題で協議を続けていくつもりだ」と繰り返し語ったというのである。

 藤田論文はこの事実を踏まえたうえで、こう続く。「次官補の発言は共同通信、読売新聞、日経新聞がごく短く伝えた。しかし、これらの記事は『現行案が最善』と述べたことだけを強調したもので、藤崎大使が『呼ばれた』ことを否定した部分には一切触れていない。またクリントン長官がどのような形で『不快感』『不信感』『憤り』を表明したのか、最初の報道の核心に当たる部分だが、それに関して現場の記者が国務省スポークスマンの次官補に質問した形跡も、会見の記録にはない」

 そしてこう結論付けている。「『呼ばれた』ことを否定した次官補の発言を伝えなかったのは、うっかり聞き漏らしたというより、意図的に無視したとしか思えない。米側に協議を続ける意向があるとの次官補の発言に全く触れなかったのも、同じ意図的な判断に基づくものだろう。これで『公正な報道』といえるだろうか」

 今回の私のメディア時評は、いささか藤田論文に便乗しすぎているという批判もあろうが、この指摘は極めて重大なことだと私自身も思うからだ。

 「大使は呼びつけられたのではない」という事実は、その後、インターネットなどで広く知れ渡り、昔のように「メディアが報じなければ存在しないのと同じ」といった時代とは時代が違うことをあらためて感じさせたが、そういう時代だけに、こういう事実がメディアへの信頼感を大きく損なうのだ。

 私自身も、この事実を知って、「米国も米国だ」と不快に思っていた印象を根底から改めた。「目からうろこが落ちた」その目で日本のメディアの普天間報道をあらためて見ていくと、報道の「歪み」はあちこちにあるようである。

 たとえば、1月29日に早稲田大学で行われたルース駐日米大使の講演を朝日新聞はこう報じた。「沖縄に駐留する米海兵隊について『全面的に日本から撤退すれば、機動性が損なわれる』と駐留継続の必要性を訴え、海兵隊の全面的なグアム移転を求める動きを牽制した。(中略)普天間移設などの米軍再編については、日米両国が10年以上にわたって議論した結果、現行計画に至っていることを強調、『思いやり予算』と呼ばれる駐留経費の日本側負担を見直す動きに警戒感を示した」

 この講演の内容を英語の原文に当たって調べた人によると、ルース大使は、有事の際の対応の遅れを事実として述べただけで「牽制した」というニュアンスはまったくなかったこと、また、思いやり予算については「この予算をどのように使っているのか疑問を持つ人が多いのは理解できる。だから2008年に総合的な見直しをすることに合意した」と述べただけで、警戒感どころか逆のニュアンスだったというのだ。

 日本のメディアがいつからこんなにも米国一辺倒、いや、米国の思いを「過剰に忖度して」まで報道するようになったのか。ベトナム戦争にこぞって反対したころの時代を思い出しながら、メディアの「劣化」はここまできたかと心配でならない。

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「立ち寄った」は「呼び出された」になり、
「見直しに合意した」は「警戒感を示した」になり…。
「誤報」というよりも「捏造」と呼ぶべき?
いったい誰の、何のためのメディアなのか。
そう思わずにいられません。

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