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2010-12-22up

柴田鉄治のメディア時評

第25回

その月に書かれた新聞やテレビ、雑誌などから、
ジャーナリスト柴田さんが気になったいくつかの事柄を取り上げて、論評していきます。

メディアをはじめ何もかも劣化したこの一年

 今年を象徴する漢字として「暑」が選ばれたが、私は「劣」ではないかと思っていた。日本社会のあっちでもこっちでも驚くほどの「劣化」現象が見られたからである。

 また、今年の流行語大賞は「ゲゲゲの~」だったが、これも劣化にちなんでいえば、「下、下、下の~」といったほうがいいのかもしれない。

 今年ほど、何を思い浮かべても暗い気持ちになるような年も珍しい。もちろん、個々に探していけば、宇宙探査機「はやぶさ」の奇跡の生還とか、ノーベル化学賞の受賞とか、明るいニュースがなかったわけではないのだが、それらを吹き飛ばしてしまうような、それもただの暗いニュースというのでなく、いかにも「劣化」を感じさせるという事柄が多かったのだ。

 まず、政治の劣化である。昨年、歴史的な政権交代があり、日本もようやく政権交代のある普通の民主国家になったかと喜んだのもつかの間、あっという間に奈落のそこに突き落とされてしまった。

 なかでもひどかったのは普天間基地の移設問題である。「国外、最低でも県外」という鳩山首相の主張は正しかったのに、実現に向かって何の努力もせずに、自民党政権時代の日米合意に戻ったうえ、政権を放り出してしまったのだから驚くほかない。

 その結果、菅政権が誕生したのだが、菅政権も普天間基地について何ら動きを見せず、沖縄知事選に候補者さえ立てられなかったのだから、政治の劣化もここまできたかと呆れるばかりである。沖縄県民に対してはもちろんのこと、日米合意はとても実現できない状況に陥ったのだから、当の米国に対しても顔向けできない有様である。

 尖閣諸島をめぐる日中間のトラブルも、政治の劣化を示すものだった。中国漁船の船長を2004年のときと同じように「すぐに国外退去にすればよかったのだ」とか、あるいは、「粛々と起訴して裁判にかければよかったのだ」とか、いろいろ意見はあろうし、対応がぐらぐらしたことを指して「政治の劣化」だといっているわけではない。

 中国という相手のあることであり、相手の反応によって対応が変わることはありえよう。政治の劣化を最も強く印象づけたのは、誰がみても明らかな政治判断を「那覇地検の判断だった」と責任をすべて地検に押し付けたことではないか。

 政治の劣化の極め付きは、北朝鮮が韓国の延坪島を砲撃したときの菅首相の発言である。「北朝鮮にいる拉致被害者の救済に自衛隊の派遣を検討したい」と言い出し、あわてて「韓国にいる邦人の救済の話だ」と言い直したが、たとえ仮定の話だとしても朝鮮半島に自衛隊を派遣するなんて、日本の憲法からいっても、あるいは朝鮮の人々の国民感情からいっても、首相が口にすべきことではない。

 専守防衛や非核三原則、武器輸出禁止など日本の国是とされるものまでぐらついてきたのだから、政治の劣化は、放置できないところまできているといえよう。

 劣化といえば、検察庁の劣化が鮮明に浮き彫りになったのも今年だった。足利事件の菅谷利和さんや布川事件など相次ぐ冤罪事件も検察の劣化を示すものではあるが、これらは検察だけの問題ではなく、警察や裁判所の責任も大きい。検察劣化の決定版は、村木厚子・元厚労省局長に対する無罪判決と検事による証拠の改ざん、検察ぐるみの証拠隠滅事件が明るみに出たことだ。

 「秋霜烈日、巨悪は眠らせない」と高らかに宣言していた検察庁が、自ら事件をでっち上げていたのだから何をかいわんや、検事総長が引責辞任したくらいで済む話ではない。組織の建て直しは、簡単なことではないだろう。

 政治や行政組織の劣化だけでなく、地域社会や家族まで日本の社会全体が劣化したのではないか思わせたのが、「100歳以上の行方不明者続出」のニュースである。日本の戸籍制度は世界一正確だといわれてきたのに、また、儒教の影響で親や家族を大事にする気持ちがひときわ強い社会だといわれてきたのに、これは一体どうしたことか。

 白骨死体を家に隠して年金を詐取していたケースなどは論外としても、生きているのかどうかも分からない高齢者がこんなにもいるとは、思いもよらないことだった。日本はいつからこんな社会になっていたのか。これでは「世界一の長寿国」なんて威張れたものではなく、長寿の統計さえあやしいものだといわれかねないだろう。

 ところで、こうした日本社会のあちこちに噴き出した劣化現象の根底に、メディアの劣化があるのではなかろうか。

 たとえば、普天間基地の国外・県外移設をつぶしたのは民主党政権ではなく「日本のメディアだ」という声は、少なくない。確かに、昨年暮れから今年にかけて「早く米国の言う通りにしないと大変なことになるぞ」と日米同盟の危機を煽るメディアの『大合唱』がつづいた。

 日本の駐米大使が米国務省に「呼びつけられて」牽制されたという報道が一斉になされ、米側から「呼びつけたのではない」という発表があっても、その訂正さえ報じなかったメディアが多かったのも、その象徴的なケースである。日本のメディアはいつからこんなにも「米国一辺倒」になったのか。

 いや、日本のメディアという言い方は正確ではない。沖縄のメディアはしっかりとした報道をしていたのだから、本土メディアというべきであり、本土メディアの中にも沖縄の新聞と提携してきちんと報道していた地方紙もあるので、正確には「本土の主要メディア」とでも言い直すべきであろう。

 普天間では米国一辺倒、尖閣諸島では中国に「大反発」——尖閣諸島のトラブルをめぐる日本のメディアの報道は、ナショナリズムを煽るような論調が目立った。「尖閣諸島に領土問題は存在しない」という政府の公式見解をそのままなぞるような報道も少なくなかったといえよう。

 メディアにナショナリズムを煽りがちになる性癖があることは、世界共通のことだが、日本のメディアは戦前、それを暴走させ、国民を戦争に煽り立てた前歴をもつだけに、いっそう慎重な配慮が必要だ。とくに普天間、尖閣、さらには北朝鮮による延坪島の砲撃などがつづき、日本の安全保障や軍事面での対応が問題になっているときだけに要注意である。

 民主党政権がぐらぐらしているときだからこそなおさら、メディアが、専守防衛・非核三原則・武器輸出禁止など「平和国家・日本」の骨格をゆるがせないよう、しっかり監視していてもらいたいものである。菅首相の朝鮮半島への自衛隊派遣検討発言などには、もっと厳しいメディアの批判があってしかるべきだろう。

 検察の劣化も、もとはといえばメディアが検察を厳しく批判してこなかったことに原因がある。検察庁はこれまで、気に入らない記事を書いた記者をすぐ「出入り禁止」にし、メディア側もそれにひるんで、検察批判を手控えてきたからだ。検察の今日の驕りは、メディアのせいだという論評は当たっているといえよう。

 大阪地検特捜部の今回の証拠改ざん事件は、朝日新聞のスクープで明るみに出たことは、メディアにとって多少の救いではあるが、それは氷山の一角、メディアが厳しく批判すべきだった事柄は、ほかにもたくさんあったのだ。

 東京地検特捜部が摘発した今回の小沢一郎氏関連の政治資金規正法違反事件にしても、容疑内容といい、摘発した時期といい、「かつての特捜部なら絶対にやらなかったものだ」と特捜のOBたちが口をそろえて批判しているところをみると、かなり異例なものだったのだろう。

 それに対する主要メディアの真っ向からの検察批判は当時、まったくみられなかった。小沢氏が主要メディアへの出演を避け、先日、ネットのニコニコ動画に出演して心境を語った「メディア不信」の原因も、案外そんなところにあったのかもしれない。

 今年の日本新聞協会賞は、この大阪地検特捜部の証拠改ざん事件に対する朝日新聞と並んで、もう一つ、読売新聞の沖縄密約の文書が佐藤元首相の私邸から発見されたスクープに与えられた。このスクープは立派なもので、心から敬意を表するが、このニュースに対するメディアの論評はいただけなかった。

 当の読売新聞の社説は「冷戦下、苦渋の選択だ」と佐藤元首相を称えるような内容であり、他のメディアも似たり寄ったり、「密約の公文書をこっそり私邸に持ち帰っていたとは言語道断、歴史をゆがめる許されない行為だ」と糾弾したメディアは、私の見た範囲ではまったくなかった。

 発見された密約の文書は、「必要とあらば米軍の核の持込みを日本は認める」というもので、日本の非核三原則を真っ向から踏みにじるものだ。佐藤元首相は、この非核三原則の提唱者としてノーベル平和賞を受賞しており、この文書がばれたら困るとこっそり私邸に持ち帰っていたのだろう。

 今年のノーベル平和賞は、中国の民主化運動の闘士、劉暁波氏に与えられたが、中国政府はこのニュースを国内には報道させず、各国には授賞式に参列しないよう要請した。中国政府と中国メディアは世界中に対して、極めて恥ずかしいことをしたのである。

 しかし、よく考えてみると、日本人はもっと恥ずかしいことをしたのではないか、ともいえる。というのは、悲核三原則を踏みにじる密約を結んでおきながら、そのことを隠して、つまり世界中を騙してノーベル平和賞を受賞し、それがばれないよう公文書を私邸に持ち帰っていた日本人がいた。それは世界に対して恥ずかしいことではないのか。

 それを批判しないことまでメディアの劣化に数え上げたら、あまりにも酷だといわれるかもしれないが、密約を結んだ公文書を秘かに私邸に持ち帰るようなことが繰り返されたら、日本は近代国家だとはいえない国に成り下がってしまうのだから、「メディアよ、もっと批判精神を研ぎ澄ませ!」と言いたい。

 さらに、100歳以上の行方不明者続出のニュースに関していえば、その後、メディアの報道は、ばったり途絶えてしまった。不明者の生否がすべて確認されたからではなく、メディアの関心がなくなったからであろう。この種の問題はメディアがしつこく追い続けなければいけないのだ。

 もう一つ、メディアに関しては、米国の外交文書25万件の暴露を宣言したウィキリークスの問題がある。ウィキリークスは、各国からいくつかのメディアを選んで事前に情報を流していたようだが、日本のメディアはどこが選ばれたのか、選ばれたメディアが日本にはなかったのかどうか、知りたいところだ。

 尖閣諸島の漁船衝突の映像を流出させた海上保安官は、事前にCNNに映像を送ったり、日本テレビと接触したりしていたようである。ネットとメディアはこれからどう付き合っていくべきか、難しい時代がやってきそうである。

 来年こそ、この今年一年のさまざまな劣化現象を吹き飛ばし、躍進の年に転じるよう、メディアの奮起を期待したい。

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柴田鉄治さんプロフィール

しばた・てつじ1935年生まれ。東京大学理学部卒業後、59年に朝日新聞に入社し、東京本社社会部長、科学部長、論説委員を経て現在は科学ジャーナリスト。大学では地球物理を専攻し、南極観測にもたびたび同行して、「国境のない、武器のない、パスポートの要らない南極」を理想と掲げ、「南極と平和」をテーマにした講演活動も行っている。著書に『科学事件』(岩波新書)、『新聞記者という仕事』、『世界中を「南極」にしよう!』(集英社新書)ほか多数。

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