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2011-03-30up

柴田鉄治のメディア時評

第28回

その月に書かれた新聞やテレビ、雑誌などから、
ジャーナリスト柴田さんが気になったいくつかの事柄を取り上げて、論評していきます。

大地震・津波・原発――メディアは使命を果たしたか

 東日本を襲った巨大地震と大津波で沿岸地域は壊滅的な被害を受け、死者・行方不明者は3万人を超えた。また、福島原子力発電所が炉心溶融や爆発を繰り返して制御不能の状態に陥り、周辺に放射能を撒き散らして住民に被曝者まで出るという深刻な状況になっている。未曾有の大災害である。
 どんな事件であれ大事件が起こると、それが大きければ大きいほどメディアの役割も大きくなる。俗に言う「みんながメディアにかじり付く」状態になるからだ。メディアと受け手との間の距離も縮まり、メディアに対する期待が大きく膨れ上がると同時に、メディアへの不満や批判も一段と厳しくなるものである。
 今回の大震災に対するメディアの報道はどうであったか。地震災害だけでも未曾有の規模なのに、原発事故という理解しにくい新たな状況が重なって、メディアの役割がいっそう重要になったときだけに、その使命を果たしたといえるのかどうか厳しく問われるところである。
 事態はなお流動的であり、いまはまだ詳しく検証する段階ではないが、発生から2週間余をすぎたこの時点で、私なりに感じたことを報告しておきたい。

「地震の巣」で起こった巨大地震

 まず地震について。今回のマグニチュード9・0の地震は、エネルギーの大きさでは関東大震災のざっと40倍、阪神・淡路大震災の500倍もある巨大地震で、日本を襲った地震としては最大級のものである。しかし、想定外の地震だとはいえない。
 地震には二種類あって、阪神・淡路大震災のような「直下型」と関東大震災や今回のような「プレート型」「海溝型」と呼ばれるものだ。日本には直下型の原因となる活断層も多いし、海溝型の原因となる巨大岩盤のプレートが4つもぶつかり合っている地域にあるため、もともと世界有数の「地震国」なのである。
 今回の震源は、太平洋プレートと北米プレートがぶつかっている「地震の巣」で、これまでにも三陸沖、宮城県沖、福島県沖などと何度も聞かされた場所であり、その何個分かが一度に起こったような巨大地震だったのだ。
 これまで地球で起こった最大の地震は、1960年のチリ地震だといわれている。マグニチュード9・5、エネルギーにして今回より10倍も大きい巨大地震で、地球を半周して日本にやってきた津波が140人余の命を奪ったほどだ。そのほかマグニチュード9を超える地震は何回か起こっているのだから、いつか日本近くで起こってもおかしくないと予測されていた範囲内のものだったといっていいだろう。
 地震の被害は、起こった場所と時刻によって異なる。関東大震災は昼食前の火を使っていたときだったため火災で死んだ人が10万人を超え、阪神・淡路大震災は夜明け前の就寝中だったため逃げ遅れた人が多かった。今回の発生時刻は、人命被害の最も少ないはずの時刻だったのに、そうはならずに津波のため大変な犠牲者が出た。
 地震が起こってから津波が来るまでには30分くらいの時間があったのになぜなのか。メディアの伝達に問題があったわけではない。どの電波メディアもいち早く地震発生と津波警報を伝えている。それに、50年前のチリ津波とは違って今回は、大地震という「津波の前触れ」があったのである。あれだけの地震を体感した沿岸部の住民が「津波はどうか」と考えなかったはずはない。
 それでも逃げ切れなかった人が多いのは、津波が予想以上に大きかったこともあるが、人々の大地震に対する心の備えに油断があったということだろう。その点では、メディアの責任も決して小さくはないと私は思っている。

「次は東海地震」の風評が油断させた?

 というのは、いまから33年前、1978年に大規模地震対策特別措置法(通称、大震法)が制定されてから、次に日本で起こる大地震は「東海地震だ」という風評が広がってしまったからだ。
 東海地震というのは、駿河湾付近を震源とするマグニチュード8クラスのプレート型の巨大地震で、安政東海地震(1854年)以来120年余も起こっていないので「あす起こってもおかしくない」という学説が出たため一躍、注目を集めたものだ。
 地球物理学の進歩でプレート型地震の研究が進み、直下型とは違って100~200年の周期で繰り返すことが分かってきて、観測網を集中すれば予知ができるかもしれないという期待が生まれ、予知できた場合の手順を決めたものが大震法である。
 地震が予知されれば人命は助かるし、予知によるパニックを防ぐために、あらかじめ手順を決めておこうというねらいも分からないではない。しかし、岩盤の破壊現象である地震を予知することは、もともと難しいことなのに、大震法の施行後、防災の日の訓練がすべて「判定会が招集され、警戒宣言が出てから地震が起こる」という想定で繰り返されたせいもあって、東海地震だけは予知できるかのような誤解が広がってしまったのである。
 また、東海地震の「対策強化地域」が指定され、そこに予算も集中されたので、指定地域外では大地震の心配が少ないかのような錯覚まで広がってしまったのだ。
 こうした誤解や錯覚は、本来なら16年前に阪神・淡路大震災が起こったときにすべて解消されてしかるべきなのに、「あれは直下型だったから」ということで大震法は廃止も見直しもされずにそのまま継続された。メディアがその点をもっと激しく迫るべきだったと残念でならない。

原発除けば、震災報道はよく頑張った!

 今回の地震について長々と解説してしまったが、地震が起こってからのメディアの報道については、よく頑張ったといっていいだろう。とくに、大津波の襲ってくるところ、襲われたあとの惨状を伝えるテレビ映像や新聞写真のすごさは、驚嘆すべきものだった。
 また、いち早く「略奪も暴動も起こらない日本社会のモラルの高さに驚いている」という海外の反響を伝えたのも、日本を励まし、元気づけるニュースだったといえようか。
 ただ、震災報道についてあえていえば、すべてのテレビ、すべての新聞があまりにも災害一色、同じトーンの報道になってしまったのはどうだったか。いろいろなメディアがあるのだから、何か他社・他局と違う工夫をするところがあってもいいように思う。
 その思いは、新聞についてひときわ強い。たとえば、地震が起こって2日目の13日(日)に特別号外を作って宅配までした努力は高く評価するが、せっかくの「2日後の号外」なのだから、テレビとは違う新聞らしい記事がもっとあってもよかった。
 その観点からいえば、どの新聞も最終面をニュース面に変えたなかで、日経新聞だけはご自慢の文化面を頑として変えなかった判断は、注目に値する。
 今回の震災報道について、もう一つ付言すると、メディアによって名前がバラバラになっている問題がある。NHKは「東北関東大震災」、読売新聞は「東日本巨大地震」、朝日新聞などは「東日本大震災」、日本テレビは「東日本大地震」といった呼称を使っている。
 無理に統一する必要はないが、いずれ歴史に残る名前は一つになるはずだから、そろそろ統一する方法を何か考えてはどうだろうか。いまのところ「東日本大震災」を使っている新聞社やテレビ局が多いようだが、多数決で決めることではないし、メディアにとってネーミングは極めて重要なテーマなのだから、この際、そのためのルールづくりを考えるべきなのかもしれない。

地震による原発事故に「想定外」はありえない

 今回の大災害のもう一つの特徴である原発事故についての報道には、批判すべきところが多々あるといえよう。原発事故は、地震とは違ってこの2週間、ずっと「現在進行形」のニュースであり、それだけにメディアの役割がひときわ重要なものとなったのだ。
 まず、メディアの基本的な姿勢として、日本の原発事故には「想定外」はありえないという視点が欠かせなかったはずなのに、それが明確に感じられなかったことがあげられる。世界有数の地震国で、しかも世界で唯一の被爆国として「核災害」の怖さを最も知っているはずの日本で原発をつくる以上、地震による原発事故が「想定外」であるはずはないからだ。
 原子力というそれでなくとも分かりにくい技術のうえに、何が起こったのかさえはっきりしないのだから、報道がぐらぐらしたのはある程度しかたなかったとしても、地震による原発事故は間違いなく「人災」であるという厳しい姿勢がメディアにもっとほしかった。
 原発事故報道で最も問題だったのは、全体を統括し、事故処理と情報発信の中心になる「司令塔」の姿が終始、見えなかったことだ。最初は東京電力と経済産業省の原子力安全・保安院の「集団型記者会見」がつづき、そのはっきりしない発表に不満の声が渦巻き、途中から官房長官に替わった。
 しかし、官房長官が原子力の専門家でないことは誰もが知っていることで、事故処理の司令塔でないことは明らかだ。原発事故のようなケースでは、技術に詳しい専門家が全体の総指揮をとり、社会に対する発表もその人か、あるいはその人が指名するスポークスマンがやるべきなのである。

安全委はなぜ前面に出なかったのか

 司令塔は、客観的にも国民から信頼される人でなくてはならない。原子力開発をめぐっては、日本でも米国などにならって推進役とチェック役を分けるべきだという声が出て1978年に原子力委員会と原子力安全委員会にわけたのだ。そして99年の死者まで出た東海村JCO事故の際には、原子力安全委が前面に出て総指揮をとったのである。
 今回も原子力安全委員会が前面に出てくるのかと思ったら、その姿はまったく見えなかった。委員長がやっと記者会見に出てきたのが12日も経ってからなのである。「政府や東電への助言役に徹していたため」と釈明していたが、本当にそうなのか。
 メディアも一斉に「安全委が前に出るべきだ」と報じたが、それをもっと早い段階で言ってほしかった。経済産業省の原子力安全・保安院というのは、名前はもっともらしいが、推進役の官庁であることは、メディアはみんな知っていたはずなのだから。

ゆがんだ道を歩んできた日本の原子力

 日本の原子力開発は、発足当初からゆがんだ道をジグザグとたどり、その集大成のうえに今回の事故があるといっても過言ではない。1954年、「政治家が学者の頬を札束で引っ叩いた」といわれた突然の予算計上でスタートした当時は、国民世論も推進一色だった。
 ヒロシマ・ナガサキを体験した国民がなぜと、いま考えると不思議なことだが、そのころは国民の間に素朴な科学技術信仰があり、それに、原爆のあまりの悲惨さに「原爆は悪、原発は善」と考えてしまったのだろう。
 また、世論をその方向に引っ張ったのもメディアだった。55年の新聞週間の標語は「新聞は世界平和の原子力」であり、初代の原子力委員長は、読売新聞社主の正力松太郎氏である。
 原子力に反対の声が出てきたのは70年代からだが、反対派の激しい追及にあって推進側が犯した最大の誤りは「絶対安全だ」と言ってしまったことである。そのため日本の原発は長い間、事故の際の防災計画が立てられなかったのである。
 79年の米スリーマイル島事故、86年のソ連チェルノブイリ事故などによって防災計画は立てられるようなったが、その後も安全神話は壊したくないと「事故隠し」「トラブル隠し」が何回となく繰り返された。それがどれほど不信感を増幅させたか。
 その間、メディアの報道もことさら擁護したり、あるいは、ことさら糾弾したりと揺れ動き、必ずしも信頼されているとは言いがたい。
 そういう状況のなかで今回の事故が起こったのである。事態はまだ流動的だが、いずれにせよ今回の事故が、日本だけでなく、世界中の原子力開発の大きな転換点になることは間違いない。メディアの真価が問われるのは、これからだといえよう。

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これまでにない未曾有の大災害だけに、
それを報じるメディアの姿勢も問われます。
特に原発事故をめぐっては、
十分にその危険性や状況を伝えているのかという疑念や批判の声も。
こんな状況だからこそ、弱者の立場に立った報道を。
そう願わずにはいられません。

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柴田鉄治さんプロフィール

しばた・てつじ1935年生まれ。東京大学理学部卒業後、59年に朝日新聞に入社し、東京本社社会部長、科学部長、論説委員を経て現在は科学ジャーナリスト。大学では地球物理を専攻し、南極観測にもたびたび同行して、「国境のない、武器のない、パスポートの要らない南極」を理想と掲げ、「南極と平和」をテーマにした講演活動も行っている。著書に『科学事件』(岩波新書)、『新聞記者という仕事』、『世界中を「南極」にしよう!』(集英社新書)ほか多数。

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