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2011-08-03up

柴田鉄治のメディア時評

第32回

その月に書かれた新聞やテレビ、雑誌などから、
ジャーナリスト柴田さんが気になったいくつかの事柄を取り上げて、論評していきます。

原子力をめぐる新聞論調の二極分化

 朝日新聞は7月13日の朝刊で「提言 原発ゼロ社会」と題する社説を掲げ、日本は脱原発に向けて舵を切るよう主張した。1面に論説主幹の「いまこそ政策の大転換を」と題する論文を置き、14、15面に見開きの社説ページを作って「高リスク炉から順次、廃炉へ」「核燃料サイクルは撤退」「風・光・熱 大きく育てよう」「分散型へ送電網の分離を」と総合的に論じた。

 3・11以来、たびたび「原発への依存を減らそう」とか「ドイツを見習おう」とか、その方向への社説が何回か出ていたが、ここでもう一歩、踏み込んで社論を明確に打ち出したわけである。

 毎日新聞は、朝日ほどはっきりと打ち出してはいないが、4月中旬の社説以来、だいたいその方向できており、多分、近くもっと明確に踏み出すのではあるまいか。また、東京新聞は、「こちら特報部」の記事ともあいまって、かなり激しく脱原発の方向を向いている。

 一方、それに対して読売新聞、産経新聞、日経新聞は、はっきりと「原発は必要だ」という方針を打ち出しており、社説でも記事でもその方向で紙面が作られている。つまり、原子力をめぐっての新聞論調は、「朝日・毎日・東京 対 読売・産経・日経」と二極分化したのである。

憲法・安保問題での二極分化となぜ同じに?

 新聞論調の二極分化といえば、憲法9条や安全保障問題をめぐる「朝日・毎日 対 読売・産経」という対立を思い浮かべるが、エネルギー政策という全く違うテーマで、またまた同じ対立の構図が生まれたのはなぜなのか。

 安保問題での二極分化について、よく知らない人のためにざっと説明すると、こんな経緯なのだ。

 日本の新聞は、すべて戦前から戦後に継続された。その点は、同じ敗戦国でもドイツと全く違うところだ。そのため、全紙一丸となって政府のお先棒を担いだ戦前の反省から、戦後は、各紙それぞれ「戦後の誓い」を新たにして再出発したのである。

 したがって、5~60年代はどの新聞も政府に厳しい姿勢を貫いていたが、70年代に入ってまず産経新聞が政府・与党寄りに論調を転換。次いで80年代になって読売新聞がそれに同調して、二極分化といわれる状況が生まれたのだ。

 91年の湾岸戦争によって、この対立はますます先鋭化した。イラクがクウェートに侵攻し、それに対して米国を中心とする多国籍軍がイラクを叩くという構図に、日本は巨額の戦費を拠出しながら、軍事貢献をしなかったということで、国際社会からあまり評価されなかったことを受けて、読売・産経新聞はここぞとばかり、こう主張した。

 「日本だけ平和であればいいという一国平和主義では、世界の孤児になる。憲法も改正して軍事貢献できるような普通の国を目指すべきだ」と。

 これに対して、朝日・毎日新聞は「冷戦も終わって、平和憲法がこれから輝きを増そうとするとき、改憲なんてとんでもない。日本は非軍事面で国際貢献する特殊な国でもいいではないか」と主張した。

 湾岸戦争が終わって、改憲ムードは沈静化したが、読売新聞はそのまま改憲に向けて突っ走り、94年11月、憲法全文の改編を目指す「読売改憲案」を発表した。それに対して朝日新聞が95年5月に「護憲大社説」を発表、読売・朝日の憲法対決へと発展したのである。

 日本が戦後半世紀も平和であった理由についても、朝日が「平和憲法のおかげ」といえば、読売は「日米安保のおかげ」というなど、事ごとに対立してきて、この構図は現在も基本的には変わっていない。

 しかし、原発に対する論調は、日本のエネルギー政策に関する違いで、憲法や安全保障政策とは本来、まったく別の問題であろう。それが、同じ構図に二極分化したということは、原発を推進するかどうかという問題は、深いところで安全保障政策と絡んでいる、ということであろうか。

 それはともかく、朝日新聞が脱原発に踏み切る大社説を掲載したその日に、菅首相が記者会見して「脱原発政策を推進したい」と発表したことで、まるで朝日新聞と菅首相が連係プレイをしたかのような奇妙な波紋が広がった。

 しかも、菅首相の発言は、民主党内や閣僚の間にも事前の説明がない唐突なものだったようで、与党内からも批判の声が噴出し、菅首相があわてて「個人的意見だ」弁明する一幕もあったほど。海江田経済産業相にいたっては「菅発言は鴻毛より軽い」と言いつのる騒ぎにまで発展した。

 政局がらみで菅首相の脱原発発言がもみくしゃになっているが、日本がこれから脱原発へ向かうのか、それとも従来通り原発重視でいくのかは、重大な選択である。恐らく、最終的には国民投票で決めることになるだろうと私は予想しているが、その前段階として日本の新聞論調が真っ二つに割れて、互いに思うところを読者に訴えていくことは、決して悪いことではない。 読売新聞は、ライバル紙の朝日が脱原発の方向を明確に打ち出したとたん、「検証 脱原発」という連載をスタートさせ、日本が脱原発に踏み切ったらどれほど大変な状況に陥るかをデータで示す記事を掲載し始めた。

 たとえば、原発に代わる再生可能エネルギーといっても、現状はわずか1%であり、コスト高も無視できない。電気代の値上がりや節電で企業は『6重苦』に陥り、地球温暖化防止のための国際公約も守れなくなる、といった調子だ。

 もちろん、詳細に見ていけば我田引水の部分もあるだろうが、読売新聞としては自社の主張が正しいことを補完する記事であり、ライバル紙に対抗するための戦略的には当然といっていい紙面展開だといえよう。

 そういう目で見ていくと、朝日新聞の脱原発社説以降の紙面展開は、ちょっと理解に苦しむ。当然、脱原発へ向かうことにはいろいろと問題点はあっても、それが決して無理ではないことをしっかりと説明する紙面が続くことを期待していたのに、それがなかったことだ。

 連載記事の『原発国家』『原爆と原発』はいずれも過去を検証する記事であり、さらに26日付け朝刊の「全原発停止・節電なければ――電力不足、5年先も」という記事を見て愕然とした。

 ひと言でいうと、朝日新聞社が電力各社を取材したところ、全原発が停止した場合の電力不足は大変なことになり、企業は海外移転を始め、地球温暖化対策も見直しを迫られるといった内容の記事なのだ。

 もちろん、朝日新聞の社説もいますぐ全原発をやめよとは言っていないのだから、決して矛盾するわけではないのだが、とはいえ、そういった注釈のようなものは一切なく、素直に記事を読めば、「脱原発なんてとてもできませんよ」といっているようにも読める記事なのである。

 これも一つのデータだ、いろいろな情報を提供し、読者に判断を仰ぐのが新聞の役割だ、という考え方もあろうが、本紙の主張はこうですよと読者に訴えたすぐあとに、正反対の内容を訴えるかのような記事が出ては、読者も混乱するに違いない。少なくとも、紙面戦略という点でも問題なのではあるまいか。

 それはともかく、原発政策をめぐる朝日・読売の論調の対立は、憲法・安保政策をめぐる対立と同様、これから長く続くテーマである。両紙のどちらの主張がより多くの読者の共感を得ることができるか、注目して見守りたい。

 ところで、話は変わるが、今月のニュースの中では、ノルウェーのテロ事件と中国の新幹線脱線事故が強烈な印象に残った。ノルウェーのテロには「まさか」、中国の新幹線事故には「やっぱり」という二語を使って論評した秀逸なコラムがあったが、中国の事故は「やっぱり」でも、その後に起こった「列車を壊して地中に埋めた」ことと「批判を受けてまた掘り出した」ことには「まさか」と本当にびっくり仰天した。

 この記事を読みながら私の頭をよぎったのは、「これで中国共産党の独裁政権は倒れるのではないか」との思いだった。もともと経済の自由を認めながら、政治の民主化を頑なに認めないことには無理があり、いつ倒れてもおかしくないのだが、この「列車埋め込み事件」がその引き金になるのではないか、と思った次第である。ちょうど、ソ連のチェルノブイリ原発事故がソ連崩壊の引き金になったように…。

 この列車埋め込みの報道では、朝日新聞の特派員電が断然、光った。「午前4時半過ぎ、現場に入った記者が一部始終を目撃した」という前書きで、ショベルカーがアームを振り下ろして先頭車両を砕き、運転席まで壊して穴に押しやった様子を克明に報じている。

 朝日新聞は、この記事をなぜ1面のトップに置かなかったのか。普通の雑観記事のように2段に畳んでしまった扱いは、明らかに編集ミスだろう。その点では、半日遅れでも夕刊のトップに据えた読売新聞の編集者に敬意を表したい。

 「記者が見た」という報道ほど大事な記事はない。各地に特派員を置いている最大の目的は、そういう記事を書くためだといっても過言ではないほどなのだ。新聞とは、優れた記者と優れた編集者の合作なのだ、とつくづく感じさせられた事件である。

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かなり明確に各紙の「色」が出ている原発問題。
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柴田鉄治さんプロフィール

しばた・てつじ1935年生まれ。東京大学理学部卒業後、59年に朝日新聞に入社し、東京本社社会部長、科学部長、論説委員を経て現在は科学ジャーナリスト。大学では地球物理を専攻し、南極観測にもたびたび同行して、「国境のない、武器のない、パスポートの要らない南極」を理想と掲げ、「南極と平和」をテーマにした講演活動も行っている。著書に『科学事件』(岩波新書)、『新聞記者という仕事』、『世界中を「南極」にしよう!』(集英社新書)ほか多数。

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