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2012-05-09up

柴田鉄治のメディア時評

第41回

その月に書かれた新聞やテレビ、雑誌などから、
ジャーナリスト柴田さんが気になったいくつかの事柄を取り上げて、論評していきます。

憲法論議、拡散して「焦点」ぼける

 今年の憲法記念日は、近年になくメディアの憲法論議はにぎやかだった。直前の4月末に、自民党が憲法改正案を発表し、自衛隊を「国防軍」に改めるとか、大規模な自然災害や外部からの武力攻撃などに対して「緊急事態の宣言」を発することができるようにするとか、新たな項目まで登場させてきたことも、その一因だろう。
 しかし、それだけではない。今年、メディアが憲法論として取り上げたテーマは、「決められない政治」の問題にはじまって、その原因のひとつ「参議院をどうするか」、大阪の維新の会などが強く主張している「首相の公選制」、近づく総選挙に最高裁が違憲状態と断じた一票の格差問題、さらには原発事故や避難住民と憲法との関係など、実に多彩だ。
 憲法は「国のかたち」の基本を定めるものだから、すべてに関わってくるのは当然のことで、憲法をめぐって多彩な論議が展開されることは歓迎すべきことなのかもしれない。
 しかし、日本の憲法論議の「核心」は、憲法9条にあることはいうまでもなかろう。9条と非戦の誓いをどう守っていくかということが、最大の問題であり、これからの焦点でもあるはずだ。
 この憲法9条と非戦の誓いが、確固不動で揺らいでもいないならば、いうことはない。しかし、現状はそうではあるまい。専守防衛のはずがいつしか「動的な防衛力」に変わり、米軍との一体行動がどんどん進んで、憲法で禁じられている集団的自衛権の行使まで踏み越えそうな状況である。国是といわれた非核三原則や武器輸出禁止の原則まで大きく揺らぎだしているのだ。
 こうした折だけに、憲法記念日にメディアが久しぶりに憲法論議をにぎやかに取り上げたというだけで喜ぶわけにはいかない。むしろ逆に、憲法論議が拡散して、肝心の焦点がぼやけたように感じるのは、私だけだろうか。

憲法をめぐる日本の奇妙な軌跡

 これまでにも度々言われてきたことだが、日本の憲法ほど奇妙な軌跡をたどってきた憲法は、世界に例がない。敗戦直後、国民の圧倒的な支持のもとに生まれた平和憲法に、やがて「米国からの押し付け憲法だ」という声があがり、戦後の政権を独占してきたといっていい自民党が「自主憲法の制定」を党是に掲げ、与党が改憲、野党が護憲というねじれた関係を続けてきたのである。
 しかも、自民党政権は、党としては改憲を主張しながら、歴代政権は「この内閣では改憲を提起しない」と宣言するという奇妙な方式を続けてきたのだ。そのため、日本の憲法は、制定から65年間、一度も改定がなされないという世界でも珍しい歴史を保っているのである。
 だからといって、日本国民の意見が一致しているわけではなく、日本の国論を二分している最大のテーマは、憲法9条だといっても過言ではない状況なのだ。
 本来なら国論が二分されるテーマがあれば、それに沿った政党が生まれて争うのが筋だと思うのだが、日本の場合はそうはならず、その代役のような形で「新聞論調の二極分化」と呼ばれる状況が生まれた。主として憲法や安全保障の問題に関して、80年代あたりから始まった「朝日・毎日 対 読売・産経」の対立である。
 それが91年の湾岸戦争でいっそう先鋭化し、94年11月に読売新聞が憲法全文の改定案を発表、それに対して95年5月に朝日新聞が「護憲大社説」を発表して、読売・朝日の憲法対決、といわれる状況が生まれたことはよく知られている通りである。
 アフガン戦争、イラク戦争を経てその後に起こった状況は、私自身、予想もしていなかったことで、ちょっと驚いた。改憲派が勢いを増し、国民世論も「憲法は改定したほうがいい」が多数派だったのに、06年に安倍晋三内閣が改憲に向けて具体的な一歩を踏み出すや、国民世論は反対の方向に動き出したのである。
 「9条を守れ」という声が全国に噴き出し、世論調査でも9条改定反対の比率が高まっただけでなく、一時は3分の2近くまで増えていた「憲法は改定したほうがいい」という意見まで一気に減ったのである。改憲の動きにも急ブレーキがかかったことは、いうまでもない。
 「国民はしっかり見ているのだな」と、ひと安心したことを思い出す。

今年の朝日、毎日新聞の論調にいささかがっかり

 今年の憲法記念日の憲法論議がにぎやかになったといっても、新聞論調の二極分化には基本的な変化はないといっていい。東京新聞や日経新聞まで加えて「朝日・毎日・東京 対 読売・産経・日経」の対立という形になっている。
 ついでに付言すると、この二極分化は原子力開発をめぐる「脱原発」と「原発重視」の二極分化と同じ形をしており、原発問題は、単なるエネルギー問題ではなく、深いところで安全保障問題と結びついていることを示しているのだといえようか。
 改憲派のリーダー、読売新聞の憲法記念日の社説は、「改正論議で国家観が問われる――高まる緊急事態法制の必要性」と題して、自民党の改定案に出てきた緊急事態を中心に改憲の必要性を説いている。
 9条をめぐる国民世論の動きなどには一切触れずに、「スピード感をもって具体的な改正論議に着手してもらいたい」と穏やかな調子でいつもの主張を展開している。
 日経新聞の社説も全体のトーンはよく似ている。ただ、改憲は「新築ではない。増改築である。…いきなり9条問題を取り上げて国論を二分した議論を繰り広げるよりも、まずは工事しやすい箇所から手を加えるのが現実的な対応だろう」と述べている。「9条に触れずにまず改憲を」という意見のねらいは分かるが、現実的には無理だし、意味もない。
 改憲派の新聞のなかでは、産経新聞の紙面が趣旨はともかく最も充実していた。「改憲へ3つの宿題」という一面トップ記事にはじまって、2面に「自力で国の立て直し図れ――今のままでは尖閣守れない」と題する社説、3面に「欠陥憲法」の解説記事、4面に憲法制定過程の検証記事、5面に「改憲案3党の議員に聞く」、7面に正論コラム「憲法と私」といった具合。
 内容もなかなかのもので、9条の「戦争放棄」、天皇の「象徴」などが生まれた経緯など、いまの憲法について勉強するには優れた教材だといっても過言ではなかろう。読売につづいて来年5月までに産経新聞の改憲要綱を策定すると発表している新聞社だけのことはあるといえようか。
 一方、護憲派の新聞のほうはどうか。まず、最もがっかりさせられたのは毎日新聞だ。憲法記念日の一面に憲法の記事が1本もなく、「国のかたちを考える――統治機構から切り込め」と題する社説も最近12年間の動きを振り返った分析が中心で、「私たちは、即改憲でも永久護憲でもない『論憲』という立場を取ってきた」と書いているのだ。
 そして結語は「いずれ『改憲』や『創憲』が来ることは否定しない、だが、今は徹底した論憲こそ次の扉を開くことになる」というのである。もしかすると毎日新聞は憲法に対する姿勢を変えたのではないか、と疑わせるような社説である。
 護憲派のリーダー、朝日新聞の紙面も別の意味でものたりなく、いささかがっかりさせられた。一面に大きく取り上げたのは一票の格差問題で、「違憲状態のままなら総選挙『反対』53%」と世論調査の結果をトップに、左肩に「投票ボイコットさせる気か」と題する論説主幹のコラムを置いている。
 社説は「憲法記念日に――われらの子孫のために」と題して子どもの貧困や所得再配分のゆがみなどを取り上げ、「将来を担う世代を大切にすれば社会は栄え、虐げれば衰える」と論じている。
 一票の格差や所得のゆがみが大事でないとは言わない。しかも、目前に迫っている急務であることも認める。しかし、先にも触れたように憲法問題の核心である9条がらみの集団自衛権の不行使や非核三原則、武器輸出の禁止などが大きく揺らぎだしているいま、護憲の中心にいる朝日が憲法記念日にそれを真正面から論じなくていいのだろうか。
 たとえば、一面トップに同じ世論調査のなかから「9条変えるな55%」を見出しにとって報じたらどうだろうか。「前回の調査とあまり変わっていないのだからニュースでない」という反論もあろうが、「変えたほうがいい」30%より圧倒的に多いことを再確認する意味は大きいという見方もあろう。
 いや、そんな難しいことをいわなくても、同じ日の国際面に米国の法学者らが世界188カ国の憲法を分析してまとめた結果をもとに「日本国憲法、今も最先端」という記事が載っている。世界でいま主流となった人権の上位19項目までをすべて満たす先進ぶりで、「65年も前に画期的な人権の先取りをした憲法だ」というのである。この記事を一面トップにもってきたらよかったのに、と私は思うのだが…。
 護憲派のなかでは東京新聞の紙面がユニークだった。一面の中央に「今こそ憲法の出番」という大見出しを置き、憲法13条(個人の尊重・幸福追求権)と25条(生存権)の全文をトップに掲げて、平和に生存する権利に対して「原発は違憲」「幸福追求かけ離れた仮設生活」といった見出しが躍った。
 2、3面にも「生存権置き去り」「『尊厳ある生』尊重を」「震災便乗改憲警戒」といった識者の談話などが載っている。さすがはというべきか脱原発に突っ走る東京新聞ならではの紙面展開だといえよう。

キナ臭かった4月、沖縄にPAC3配備、メディアは批判も検証もせず

 ところで、憲法記念日前の4月は、9条や非戦の誓いをあざ笑うかのようなキナ臭い報道がつづいた。北朝鮮が大々的に前宣伝して強行した人工衛星と称する長距離弾道ミサイルの打ち上げが4月13日にあり、その軌道が沖縄の上空を通る可能性があるとして、日本政府は地対空ミサイルPAC3を沖縄に配備し、洋上にはイージス艦を展開して、「場合によっては撃墜命令を出す」と大騒ぎをしたのである。
 幸いにというべきか、打ち上げは失敗に終わり、日本のものものしい対応も空騒ぎに終わった。ところが、それに対するメディアの報道は、北朝鮮の打ち上げ強行を非難し、国際社会の厳しい対処を促すものばかりで、日本政府のものものしい対応に対する批判や検証はほとんど見られなかった。
 確かに北朝鮮の打ち上げ強行は、国民がおなかをすかしている中で、また、直前に合意した米国からの食糧援助をふいにしてまでやるべきことでないのは明らかだが、メディアの批判は他国に対してより、まず自国政府のやっていることに向かうべきことはいうまでもあるまい。
 たとえば、そもそも北朝鮮のミサイルからの落下物が日本の領土に落ちてくる可能性はどのくらいあるのか。その落下物を地対空ミサイルで撃墜できる可能性はどの程度か。それによって防げる被害とPAC3やイージス艦を配備する費用との「費用対効果」の試算はあるのか、といったことくらいは調べて報道できるはずである。  しかし、それをやったメディアはなかったようだし、批判した報道も沖縄タイムスの社説くらいしかなかったのではないかと、それも人から教えられて知ったのだ。その社説にはこうあった。
  「沖縄に実戦色を漂わせた大がかりな部隊展開は、復帰後、初めてといっても過言ではない。住民を危険から守るというよりも、そのことを表向きの理由とした機動展開訓練の側面と、自衛隊を認知させるための政治的デモンストレーションの意味合いが強かったのではないか」

 

ミサイルや核に対する「二重基準」にも、もっと批判を

 それに関連してもう一つ、触れておきたいことがある。北朝鮮のミサイル打ち上げ失敗の6日後、インドが長距離弾道ミサイルを打ち上げ、こちらは成功して5000キロの予定地点に着弾させた。こちらは北朝鮮のように「平和目的の衛星だ」というのではなく、軍事用のミサイルそのものだった。
 ところが、この打ち上げに対して非難する声は、まったくといっていいほど報じられなかったのである。北朝鮮とインドとの国情の違いだといってしまえばそれまでだが、やはり「二重基準だ」といえばいえるのではなかろうか。
 二重基準といえば、鳩山由紀夫元首相がイランを訪問し「国際原子力機関(IAEA)のイランに対する姿勢は二重基準だ」と語ったとイラン側から発表されて、鳩山氏が「私は言ってない。捏造だ」と訂正させたという話が報じられ、「鳩山氏の訪問自体がおかしい。いらんことをした」と非難の声が殺到した。
 たしかに宇宙人といわれるだけあって、鳩山元首相の言動には分からないところが多く、今回の二重基準も実際に言ったのか言わなかったのかよく分からないが、ただ、核をめぐっては国際的に二重基準が横行していることは事実である。
 たとえば、イラン、北朝鮮には厳しい制裁が課されているのに、イスラエル、インド、パキスタンには何もないというように。いや、さらにいえば、米、英、仏、露、中の5カ国だけは核を持ってもいいということ自体、大変な二重基準なのである。
 核兵器の廃絶を目指して、この二重基準に対してもっともっと厳しく批判をしていくことがメディアに課せられた使命ではないか、と私は考えている。

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この1年、震災・原発事故に関するニュースの陰で、
「憲法」や「安全保障」について論じられることは、
めっきり減っていたような印象がありました。
自民党のみならずみんなの党やたちあがれ日本も改憲案を発表するなど、
国としてのあり方を大きく変えようとする動きがある今、
ただそれに流されてしまうことのないように、
もう一度議論を活発化させていく必要があるのではないでしょうか。

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柴田鉄治さんプロフィール

しばた・てつじ1935年生まれ。東京大学理学部卒業後、59年に朝日新聞に入社し、東京本社社会部長、科学部長、論説委員を経て現在は科学ジャーナリスト。大学では地球物理を専攻し、南極観測にもたびたび同行して、「国境のない、武器のない、パスポートの要らない南極」を理想と掲げ、「南極と平和」をテーマにした講演活動も行っている。著書に『科学事件』(岩波新書)、『新聞記者という仕事』、『世界中を「南極」にしよう!』(集英社新書)ほか多数。

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