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いま、山本周五郎が経営者だったら。企業のセーフティネット化を考える。【5】斎藤駿(カタログハウス相談役)

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もう、買うモノはない

 会社の仕事は、会社を動かしていく「基幹の労働」とそれを支える「補助の労働」の相互扶助関係で成立しています。
 前者は生まれつきの能に恵まれた人の自己表現的労働(栄二的労働)、後者は前者よりも能に恵まれない人の非自己表現的労働(さぶ的労働)。基幹労働と補助労働は同一価値労働ではありませんから、当然、賃金に差が出てきます。しかし、2つで1つ、どちらか欠ければ会社は回りませんから、どちらの労働を担当する人も終身雇用の正社員であることが本来のあるべき姿です。
 そして、この「あるべき姿」は80年代まではほぼ守られてきました。60年代の高度成長からバブル絶頂期の80年代末に至る30年間は右肩上がりの「内需拡大」と「外需供給」で、製造業も小売業も慢性的な人手不足だったからです。
 つまり、オール正社員主義はかつて「需要」の力によって成立していたのです。
 「暮しに必要なモノが沢山ある。買うだけの収入もある」
 需要(と供給)はこんな状況で発生します。必要なモノがなければ需要は発生しません。需要をくれぐれも、必要なモノがなくても発生する「景気」と混同しないでください。景気は金融経済からも発生しますが、需要は実体経済からしか発生しません。実体経済の需要をヌキにして、終身雇用やオール正社員主義は論じられません。
 その証明として、戦後の需要と雇用の関係を、家電(家庭用電化製品)に託しておさらいしておきましょう。私は70年代に通信販売の会社をつくって今日までエンエンと家庭雑貨を売りつづけてきましたから、家庭商品史を語らせたらけっこううるさいのです。

 わが国は40年代に国が破産したために、40~50年代の家電といえばラジオ、ニクロム線電熱器、扇風機、アイロンくらいしかありませんでした。この時期の日本映画を見てください。扇風機のない家が多くて、みんな、うちわを使っています。まれに冷蔵庫が出てきますが、木製の箱に氷を入れてあるだけです。
 若い世代が郷愁をおぼえるという昭和30年代後半の暮し、1960年代は、日本人が生まれて初めて洗濯機、白黒テレビ、冷蔵庫の3種の神器と遭遇した時期。今日のライフスタイルの原型が形成された時期だから新鮮な懐かしさをおぼえるのでしょうね。
 3種の神器につづいて、掃除機、ステレオ、トースター、ジューサー、コーヒーメーカーなど、ハリウッド映画の中でしか見られなかった家電の現物が近所の電器屋さんに並び始めました。おお、これが宗主国、もとへ、あこがれのアメリカン・ライフスタイルか。製造業も小売業もぞくぞく勃興して、供給(収入)と需要(消費)のバランスもとれてきました。暮しに少し余裕が生まれて進学率が急上昇、中卒が金の卵ともてはやされました。
 70年代に入ると、カーと並んで3Cとよばれたカラーテレビとクーラーが普及していきます。いまの中国内陸部はさしずめ、わが国の70年代にさしかかったところでしょうか。
 アメリカ製品のコピーではない国産家電路線も活気づいていって、電気炊飯器とヘッドホンステレオが大ヒット。布団乾燥機、電気カーペット、電動包丁研ぎ機、餅つき機、電気こたつ、電子式パーソナル計算機、電動マッサージ機と思いつくそばから和道具の家電化が進められていきました。
 家計をやりくりして高価な家電を購入するわけですから、この頃までの買い物意識は「一生使いつづける」でしたが、一億総中流社会化とよばれる80年代に入ってくると「もっと便利なモデルが出てきたから、これまでのものは捨てて買い替えよう」という買い替えブームによる需要再生産がはじまります。
 私の会社はこの買い替えブームで伸びた会社です。エアコンの温風はのどの弱い人にはきついから、のどにやさしい無風型のデロンギヒーターに切り替えませんか。60年代に買ったアイロン、高温高圧のスチームを噴出するボイラー内蔵の最新型の業務用アイロンに買い替えませんか。縫い速度が一定だった卓上ミシン、スローから自在にスピードコントロールできるタイプにとり替えましょうよ。スチーム式加湿機は加湿しすぎになることが多いから、スチームの出ない気化式加湿機のほうがいいですよ。回転式の洗濯機は節水になりますから買い替えるときの第一候補にしてください。
 消費者側から言うと、あ、まだビデオ録画プレーヤー、買ってなかった。洗濯物乾燥機も、温水洗浄便座も、電子レンジも、食器乾燥機も、寝るときに仕込んでおくと朝には焼けてるパン焼き機も。
 ああ、欲しいモノ、つぎつぎと出てくる、どうしよう……。
 これが需要であり、供給(生産)です。
 需要と供給が量的にピークに達した大量生産大量消費の80年代は皮肉なことに家族主義的経営の崩壊の時期でもありました。私の体験で言うと、自己表現的労働を求めてかんたんに転職していく人が多いので弱りました。慢性的な人手不足を補うために、よく気の回る20代のアルバイトの人たちに白羽の矢を立てて社員になってほしいとお願いしても、「他にやりたいことがあって残業は一切できませんから」とか、「好きなときに長期休暇をもらいたいから責任を課せられる社員なんてとてもとても」とかいった理由でよく断られました。新卒にいたっては「独身寮がない中小企業なんて」とほとんど応募者がいないので、バブルの時代にムリして独身寮をつくったくらいです。91年に双子のおばあちゃん「きんさん・ぎんさん」に出逢ってテレビCMを流すまでは、会社の名前が世間に知られていなかったということもありますが。
 当然、80年代のわが国には社員に「正」をつける慣習もありませんでした。会社を構成するのは、社員とアルバイトだけ。そのアルバイトも、「社員になりたいのになれない有期雇用者」というよりは「自己都合の臨時働き」みたいな人が多かった。3K(きつい、きたない、きけん)の仕事は外国人にやらせてよ、という時代でしたものね。
 むろん、いつの世にも格差はあります。とくに製造業の場合はわれわれ小売業以上に仕事量の波がありますから、表面的には豊かに見える高度成長の裏側に、たとえば鎌田慧さんのあばいたような『自動車絶望工場』(昭和48年)のような状況が潜在していたことも事実です。でも『自動車絶望工場』を読み返してみると、そこに出てくる季節工、見習工、いや本工もけっこうあっさりと転職していくんですね。コンベア労働はきつ過ぎるけど車やカラーTVが欲しいからいっとき我慢していると言う人たちもいたりして、やっぱり豊かな社会における「絶望」でした。
 ところが、90年代に入ると、うって変って本格的な「絶望」が少しずつひろがっていきます。もう、「買いたいモノはない」からです。
 私の主観で言うと、わが国における需要(内需)は80年代で終っており、あとはメーカーもわれわれ小売も、あまり意味のないモデルチェンジを新商品と称して、つまり不必要な買い替え需要を提案して過ごしてきました。むろん、必要なモデルチェンジ(性能アップ)、必要な買い替え需要はこの先もなくならないでしょうが、そういう本物の需要が前年比を超える量で存在するはずはありません。ちょっと、家の中を見回してください。今どうしても買わないと暮しにさしつかえる商品、お宅に何点欠けていますか。ないんじゃないですか。
 こうして90年代から始まった「もう、買うモノはない」は、まず、わが国の大手企業経営者たちから、温もりの感情を奪っていきました。
 日経連(現・日本経団連)が95年5月に出した『新時代の「日本的経営」』というレポート(以下、レポートとよぶ)があります。昨年の暮から正社員と非正社員の格差を論じる本を集中的に読んでいるうちに、そのうちの何冊かがこのレポートに言及していたので、はじめてその存在を知りました。
 次の図表はこのレポートの提言をまとめたものです。見れば見るほど、なんとリアルに現在の寒々しい雇用風景を写し出していると思いませんか。このレポートを書いた経営者や経済学者は、企業の安定の見返りに能に恵まれない「さぶ」たちが不安定な雇用を強いられても仕方ない、と割り切っています。95年にはもう、経営側のほうから家族主義的経営からの訣別が堂々と語られていたのでした。図表を眺めていると、「終身雇用と年功型賃金を柱とする家族主義的経営なんてコストが高くついて、人件費を徹底的に切りつめてくる外国勢との国際競争に勝てっこないよ」という嘆き節が聞こえてきますね。経営側の言う「国際競争」は言うまでもなく、需要の枯渇の言い替えにすぎません。

【グループ別にみた処遇の主な内容】
 長期蓄積能力
活用型グループ
高度専門能力
活用型グループ
雇用柔軟型
グループ
雇用形態 期間の定めのない
雇用契約
有期雇用契約有期雇用契約
対象管理職・総合職・
技能部門の期間職
専門部門
(企画、営業、
研究開発等)
一般職
技能部門
販売部門
賃金月給制か年俸制
職能給
昇給制度
年俸制
業績給
昇給なし
時間給制
職務給
昇給なし
賞与定率+
業績スライド
成果配分定率
退職金
年金
ポイント制なしなし
昇進
昇格
役職昇進
職能資格昇格
業績評価上位職務への転換
福祉施策生涯総合施策生活援護施策生活援護施策

 「長期蓄積能力活用型グループ」は能に恵まれた人だけの正社員化のすすめ。
 「雇用柔軟型グループ」は能に恵まれない人の非正社員化のすすめ。
 「雇用形態」の項目を見てください。基幹労働を担当する能力のある最上段グループだけが「期間の定めのない雇用」、つまり終身雇用の正社員。それ以外の高度専門労働と補助労働を担当する人はひとしなみに昇給も退職金も年金もない有期契約の非正社員という割り切り方です。
 正社員で入ってきた人はだれもが初めは基幹労働を夢みています。経営側もそのつもりで、わざわざ難しい入社試験問題をこしらえて採用しました。しかし、生まれついた能や性分と希望する基幹労働がどうにも合わなくて、異動を重ねて5年経ち、10年経ちするうちに、気がついたら補助労働に居場所を見つけている。そんな地味な正社員はどこの会社にも沢山いるじゃないですか。
 あるいは昔だったら経験プラス少しの勉強で基幹労働をこなせていたのに、蓄積してきた経験がまるで通用しないビジネス・イノベーションにいきなり遭遇して途方に暮れている正社員が沢山いるじゃないですか。
 このレポートは、そんな正社員は終身雇用を保証する能力活用型グループからリストラして有期雇用グループに移しておしまいなさいと言うのです。
 あまりの露骨さに、山本周五郎が聞いたら赤ひげのように火を噴いたでしょうね。
 このレポートがわが国に「派遣社員」を生み出す元凶になったと評されるのは、このレポートが発表された4年後の1999年に労働者派遣法(85年施行)の第一次規制緩和が小渕内閣の手で行なわれ、2003年に小泉内閣の手で第二次規制緩和(製造業への派遣の解禁)が行なわれたせいでしょう。

 60~80年代のわが国における労働格差といえば、同一価値労働同一賃金をめぐる「男女格差」と「学歴格差」、つまり正社員内部の格差だけが問題とされてきました。社員とアルバイトの雇用格差が問題とされることなんて、めったにありませんでした。
 それが90年代以降、一瞬にして変りました。補助労働に関しては「終身雇用を約束しなくていい非正社員」を雇ってもいいじゃないか。それって国際基準みたいだし……こうして、わが国の経営者たちは(私をふくめて)、われもわれもと平気で非正社員(有期雇用契約者)を雇うようになりました。
 むろん、この変化をもたらした最大の要因は国際基準でも国際競争でもなくて、需要の枯渇です。「もう、買うモノはない」が経営側に与えた将来への経営不安です。
 この需要の枯渇を素直に認識しないかぎり、正社員と非正社員の格差を論じてもあまり意味はないように思います。需要の枯渇は企業の経営に打撃を与え、非正社員どころか、正社員のリストラまで発生させているからです。
 私の会社が属する小売業界で言うと、いま、業界の王者として仰ぎ見ていた有名百貨店が続々と一等地の店を閉店して話題になっています。百貨店は小売業界の王者でした。その永い歴史からさまざまな小売の技術が開発され、小売業界をリードしてきました。その永い歴史は、目まぐるしい時代の変化にそのつど適確に対応してきた証しでした。その百貨店がやっていけなくなったとしたら、理由は一つ、需要が枯渇してしまったこと以外に考えられません。地方の商店街につづいて、大都市のデパートもシャッターを降ろす日がやってきたのです。
 にもかかわらず。マスコミは「百貨店業界は時代の変化をとらえきれないでいるようにさえ見える(略)高級ファッション中心の商法にこだわらず、もっと新しい商品構成や売り方に挑戦しながら百貨店の強みを生かす道が必ずあるはずだ(略)」(朝日新聞・10年3月2日)と書いて、需要の枯渇を認めようとしません。
 買いたいモノが沢山あった時代はもう終っている、この絶望こそが社説で言うべき「時代の変化」なのに。あるいは、百貨店の正価販売商法に勝利をおさめている衣料品店や家電量販店の低価格商法は消えかかっている需要の残り火をかき立てる最後のあがき、それを支持する消費者はわが国の雇用を縮小させていく張本人だ、くらいは言うべきなのに。
 世論をリードするマスコミとしては、需要は終ったという絶望を語るわけにはいかないのだ、と自主規制しているつもりなのでしょうか。
 08年9月に発生したリーマン・ショックは、「もう、売るモノがない」という先進資本主義国における実体経済の行き詰りが生んだ金融経済の暴走でした。本来は金融経済が補助経済で、実体経済こそ基幹経済なのに、今はあべこべ。これって、まぎれもなく近代資本主義の終えんじゃないのですか。
 無限の需要を前提として成り立っていた近代資本主義。しかし、その需要にも寿命はあったのだという当り前の事実を、いま、日本の私たちだけではなくて、先進国とよばれるヨーロッパの一部の国とアメリカの人たちも「読本でも話でもない、なま身のこの軀で、じかにそういうことを教えられ」(さぶ)て混乱しているまっ最中なのだ、というふうに私は現状を捉えています。
 買うモノがない、つくるモノがない→せいぜい価格訴求型の買い替え需要しかつくれない→そのためには低コスト経営に徹するしかない。
 ここから社会の破壊がおこりました。高コストの終身雇用を廃止することで社縁社会が破壊され、高コストの国内工場を閉鎖することで地縁社会が破壊され、仕事や地域で結ばれていた人間関係が寸断されることで最近は血縁社会の破壊まで懸念されるようになりました。これを資本主義社会の終えんとよばずに、何と呼ぶのですか。(※)

※資本主義経済の終えんに関する分析の中では、エコノミスト、水野和夫さんのこれまでの分析を私はもっとも信頼しています。6月に出るかれの『極限的危機 グローバル資本主義はどこへ行く』(日本経済新聞出版社)の「どこへ」に期待しています。

 先進資本主義国はいま、マイナス経済成長も大いにあり得る老齢期に入りました。正社員と非正社員の格差の問題も、先進国における資本主義の終えんという文脈で捉えないかぎり、空論に終るだけでしょう。国の破産を心配する人は沢山いますが、それを資本主義の破産と重ねて捉える人が少ないのは、どうしてなのでしょう。
 沖縄に集中する米軍基地問題が「日米安保条約」についての全国民の意思再決定なしには解決できないように、終身雇用の破壊にはじまる雇用の不安定化もまた、「ポスト資本主義社会の将来像」を議論する文脈の中でしか解決できないのです。
 太陽光発電とか電気自動車とか、手に届く新しい需要をアテにするだけの現実論、これからはモノの需要よりも介護や保育といったサービスの需要だと主張するだけの楽観論、あるいは相も変らぬネオ小泉型の構造改革論に、私の血圧は上がりっぱなし。こういうときは茨木のり子の『ある一行』を読んで気持を鎮めるしかありません。

ある一行

一九五〇年代
しきりに耳にし 目にし 身に沁みた ある一行
〈絶望の虚妄なること まさに希望に相同じい〉

魯迅が引用して有名になった
ハンガリーの詩人の一行

絶望といい希望をいってもたかが知れている
うつろなることでは二つとも同じ
そんなものに足をとられず
淡々と生きて行け!
というふうに受けとって暗記したのだった。(以下、略)
(倚りかからず 茨木のり子 ちくま文庫)

 うつろなることでは絶望も希望も同じなのだから、需要の枯渇から始まった資本主義の終えんに絶望せず、次にやってくるポスト資本主義社会にも過度の希望を持たないで、生きていくしかありません。

・可能なかぎり、非正社員の雇用を守っていく。
・万一、経営にピンチがきたときは、共稼ぎで103万円以上の年収は欲しくないアルバイトの人、共稼ぎと育児でパートでしか働けない人に頭を下げて辞めてもらう。
・それだけでは追いつかない状況がきたときは、役員や正社員の給料を減らして、一人でも非正社員の解雇人数を少なくしていく。
・それでも間に合わない状況がやってきたときは……そのとき考える。

 ポスト資本主義社会の設計図ができていない今の段階では、「……そのとき考える」としか答えようがありません。需要がつきてしまった資本主義社会にそもそも「わが社は永遠に不滅です」会社は存在しませんから。この先の経営者には、とりあえずのところは今ある家族主義的経営を淡々と繋いでいってくださいと願うしかありません。
 なんだか、タイトルは「山本周五郎が経営者だったら」ではなくて、「茨木のり子が経営者だったら」にしたほうがいいような……。
 いいえ、茨木のり子はご存知のように「倚(よ)りかからず」を大切にする人、その反対に山本周五郎は「相互扶助に倚りかかる」を大切にする人。『将軍さまの細みち』のおひろを「倚りかからず」と解釈した山田宗睦説に私が異を唱えたことは前に書きましたね。周五郎の市井物には「倚りかからず」に生きていけるような強い精神力の持ち主、たとえば経済小説や企業小説に出てくる主人公のような人間は出てきません。
 そんな山本周五郎が経営者だったら、ポスト資本主義の社会をどう空想するのでしょう。「相互扶助システムに倚りかかるしかない人を守ってなお持続可能なポスト資本主義社会」とは一体どういう社会なのでしょう。
 実現可能性は棚に上げて、とりあえずはこの先のあらまほしい社会イメージをそれぞれが勝手に出し合うところから始めるしかないのでしょうね。最終回は、山本周五郎が少し乗り移っている私が、あらまほしいと願っている未来社会です。

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短期集中連載、いよいよ次回で最終回。
「もう、買うモノはなくなった」ポスト資本主義社会、
その「あらまほしい」姿とは?
お楽しみに。

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