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その33
今週のネタ↓

10月28日(金)。週末を待っていたかのように、「自民党新憲法草案」なるものが発表されました。29日の各紙朝刊には、ほとんど全文が掲載されていますので、ぜひ読んで見てください。多少、気分が悪くなるかもしれませんが、それはツッコミ人のせいではありませんからね(念の為)。

とりあえず、今回は『マガジン9条』の主旨からして、前文と9条に絞ってツッコミたいと思いましたが、前文だけでもツッコミどころが多すぎて、ずいぶん長くなってしまいました。

そんなわけで、「九条」については、次回に送らせていただきます。すみません、ペコリッ!

<前文>

日本国民は、自らの意思と決意に基づき、主権者として、ここに新しい憲法を制定する。

象徴天皇制は、これを維持する。また、国民主権と民主主義、自由主義と基本的人権の尊重及び平和主義と国際協調主義の基本原則は、不変の価値として継承する。

日本国民は、帰属する国や社会を愛情と責任感と気概をもって自ら支える責務を共有し、自由かつ公正で活力ある社会の発展と国民福祉の充実を図り、教育の振興と文化の創造及び地方自治の発展を重視する。

日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に願い、他国とともにその実現のため、協力し合う。国際社会において、価値観の多様性を認めつつ、圧政や人権侵害を根絶させるため、不断の努力を行う。

日本国民は、自然との共生を信条に、自国のみならずかけがえのない地球の環境を守るため、力を尽くす。

現行の日本国憲法前文は、『マガジン9条』のこちらにありますので、この自民案と比較してお読みください。以下、ツッコミ人が読み比べた結果、どうにも納得がいかない、危険がアブナイ(?)と感じた点です。

(1)先の戦争への反省

読んでみれば自明のこと。現行前文で触れられている「政府の行為による戦争の惨禍」への認識も反省もすっぽりと見事に抜け落ちています。

「先の戦争については、もういい加減謝ったじゃないか、どこまで謝り続ければいいのか。そんなことは憲法に書く必要などない」という最近流行の言説が、ここで顔を出したということでしょうか。

しかし、戦争の惨禍を反省するということと、謝罪とは違います。他人・他国に対するものではなく、自らを戒め、これからどう国際社会の中で生きていくかを考えるときに必要なことが「政府の行為による戦争の惨禍」への反省なのです。

まず憲法で謳わなければならないのは、反省の上に立って、以後絶対に戦争を起こさない、と誓うことでしょう。その不戦の意思が、この前文からは読み取れません。

あの小泉さんだって「二度と戦争をしてはならないという決意で」靖国詣でをしているではありませんか。これ、不戦の誓いでしょ? それなのに、この前文にはその気配もない。

戦争の惨禍を味わった近隣諸国の人々からは、「日本は不戦の誓いを憲法から削除しようとしている。また怖いことを始めるのではないか」と、すでに不安の声が上がっているといいます。

もちろん、私たちの国の中で「戦争ができる国になりかねない」と危惧する人たちの不安も、これでは決して解消されません。

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(2)自主憲法制定論

自民案では冒頭で「自らの意思と決意に基づき、主権者として、ここに新しい憲法を制定する」と高らかに謳いあげています。さすがに一部で報道された中曽根私案のような「アジアの波洗う美しい島の---」などという気恥ずかしくなるような文章はありませんが、あの方たちの悲願だった「押し付け憲法」からの脱却=「自主憲法制定」の宣言なのでしょう。

しかし考えてみてください。現行憲法を「押し付け」だと批判するなら、わが「自衛隊」だって押し付けだったのではないですか?

朝鮮戦争に端を発した国際的緊張から、アメリカが日本に「再軍備」を押し付けて「警察予備隊」を強引につくらせ、やがてそれが「保安隊」に、そして現在の「自衛隊」へと膨張してきた経緯は、みなさんよくご存知のはずです。誰がどう言い繕おうと「自衛隊はアメリカからの押し付け」だったことは、事実なのです。

憲法をゼロから作り直す、というのであれば、自衛隊もゼロからつくり変えなければなりませんよね。同じ「押し付け」ですもん。まず一度、解体するってこと。そこまでの決意はあるのでしょうか?

でもこう言うと、「だから自衛隊をつくり変えて、自衛軍にしなければならないのだ!」と、勇ましい反論が返って来そうです。しかしそれは論旨のすり替えです。名前を変えればいいってモンじゃない。

どこをどう変えるのか、まずその詳しい内容を国民に示し、それを巡って議論を巻き起こし、国民の同意を得なければならないはずです。憲法に関してはそのために「国民投票」を行うのだ、と自民党の方々は言っていますよね。ならば、自衛隊についてだって、同じ手続きが必要でしょう。

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(3)自衛軍の組織、統制

前項で、触れたことは大切です。自衛軍の組織や統制というような重要なことを、ないがしろにしてはなりません。適当に「別の法律」で定めていいわけはないのです。

ところが驚いたことに、自民案の第九条の二項の[4]では、「自衛軍の組織及び統制に関する事項は、法律で定める」とされているのです。

つまり、憲法は改定する。しかし、その後に「自衛軍」をどのような組織にするのか、どう統制していくのか、現在はまるで考えられていないってことでしょう。すべて先送り。

とりあえず憲法改定が先。あとは国会で多数をとれば、どうにでもできる。

国会で過半数を握りさえすれば、その党派が割と簡単に作れる法律で、組織や統制すら自由に左右できるということ。これでは、多数派が思いのままに軍隊をいじれる、ということになりかねません。

十分にホラーな話なのですよ、これは。

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(4)翻訳調悪文論

改憲派の方々は、「現行憲法は翻訳調で、どうにもならない悪文だ。だから、読みやすく平易な文章に改めるべき」と主張してきました。しかし、今回の草案の前文は、どーよ?

これだけの長さなのにもかかわらず、文章はたった7フレーズ。悪名高い裁判所の判決文にも匹敵するような長文の羅列です。「文章が長くなると、主語述語がごちゃごちゃして文意が通らなくなる。だから文章はなるべく簡潔に短く」という作文教室のイロハを、この作成者は教わらなかったらしい。

特に、第3段落の文章なんか、ひどいものです。ワン・フレーズの中に、「国を愛情と気概をもって自ら支える責務を共有し」「活力ある社会の発展を図り」「国民福祉を充実させ」「教育の振興」「文化の創造」「地方自治の発展を重視」と、これだけ詰め込んでいます。いったいこれらのどれが言いたいんだぁ?と、思わずツッコミたくなります(あ、ツッコムのがこのコラムの役割でしたよね)。

「ワン・フレーズ・キング小泉純一郎氏」を、なぜ見習わなかったのでしょうか? 不思議です。どう読んでも、自民案が現行憲法より文章として優れているとは思えません。

天に吐きかけたツバが、ベタリッと自分に落ちてきたようなもの。

「翻訳調悪文論」が、現憲法憎さのあまりのただの言いがかり、イチャモンにすぎなかったことが、これでお分かりでしょう。

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(5)国民主権の希薄化

現行憲法前文には「ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであって、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。<中略>われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する」と書かれています。

しかし、今回の自民案では「国民の責務」は強調されているものの、「国民の権利」や「福利の享受」についてはまるで触れられていないのです。自民党の方々が何をどう考えているか、書かれていない行間から、きっちりと読み取ることができるでしょう。

特に、現行前文の引用の後半、「これに反する一切の憲法、法令及び詔勅の排除」を謳った部分は、自民案では当然のごとく削除されています。すなわち「国民に由来する権威や権力」は、自民党にとっては邪魔な存在なのです。

ここで「詔勅」(注・天皇が意思を表示する文書。詔書と勅書と勅語=岩波・広辞苑より)をも削除してしまったということは、将来、またも戦前のように天皇を政治利用しようという意図があるのではないか、という疑問だって払拭できなくなります。ことさらに「象徴天皇制は、これを維持する」と第2段落の最初に書いているのは何故なのでしょう。偶然なんかであるわけはない。

「主権が国民に存すること」という主旨の文言も、当然のことながら、どこにも見当たりません。

「政治はおれたち自民党が自由に行う。国民はうるさいことは言わずに黙ってついて来い。でなきゃ、お前ら国民を黙らすための法律なんか、じゃんじゃん作っちゃうもんね」というわけでしょうか。

そういえば、前にこのコラムで触れたように、「共謀罪」なんかを出してきて、国民の思想すら縛り、気に入らなければ罰してしまおう、なんて凄まじいことを考えているのも、自民党のみなさまでした。これも憲法改定のための足元固めって気がしてきました。着々と布石を打っているのですねえ。

コワイです。

やはり、「これに反する一切の憲法、法律及び詔勅を排除」した現行前文のほうが、はるかに私たち「国民」の側に立っているのではないかと思うのです。違いますか?

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