雨宮処凛がゆく!

尊厳死と言って思い浮かべるのは、「日本尊厳死協会」。が、もともとは「日本安楽死協会」という名称だった。設立者は、70年代から「死ぬ権利運動」をし、優生保護法のなどの政策を積極的に打ち出した国会議員・太田典礼氏。83年に「日本尊厳死協会」と改名してからは爆発的に会員数を増やし、今や会員数は13万人にも上る。

太田氏は73年、『安楽死のすすめ』という本の中で、「無益な老人は社会的に大きな負担である」などと書いていたというシノドスジャーナル 川口有美子氏インタビューより)。
そんな日本尊厳死協会は2005年6月、「尊厳死の法制化に関する請願書」を両院に提出。また、最近の動きで言うと、2011年12月には超党派の「尊厳死法制化を考える議員連盟」が立ち上がり、翌年には法案2案を国会に提出。川口さんは、そんな法制化の動きに反対してきた。

議連による法制化の理由のひとつにあるのが「延命措置が強制されている」という指摘。これについて、川口さんは「そのような実態」は確かにあるとしながら、07年に厚労省が制定した「終末期医療の決定プロセスに関するガイドライン」に触れている。

「わたしは個人的には、このガイドラインをきちんと守ることにより、『治療の不開始』に関しては、患者本人の希望はかなえられると考えていますし、『治療の中止』にしても、学会等によるガイドラインで実施可能か否か、社会保障のあり方に照らしながら、引き続き丁寧に検討していくべきであると考えています」(シノドスジャーナル 緊急提言 いま、わたしたちに「死ぬ権利」は必要なのか?
議連の中には、尊厳死についてなんとなく「いいイメージ」で入っている議員もいるはず、と川口さんは指摘した。もちろん、「尊厳死協会」の会員になっている人についても、「子どもに迷惑をかけたくない」「望まない延命治療は受けたくない」など、誰もが持つような思いで入っている人が大半なはずだ。が、法制化の動きが進む背景には、「弱者切り捨て」の思想が見え隠れする。

「法制化したい人たちの目的は、経済ですね。医療費カット。終末期をできるだけ短くする。経管栄養とか呼吸器とかつけると長引くので、胃ろうを断る旨一筆書いておけば、胃ろうしないで亡くなる。胃ろうすると結構元気になって、長く生きる高齢者もいるので。そうして高齢者に対しては、健康診断もせずに高度医療に繋がらないように地域で看取りましょう、と。うまく言えば、地域のファミリードクターを制度として広めて、家で穏やかに亡くなる。これを自然死、平穏死と言って、今、ブームになりはじめています」

なんだか「自宅で穏やかに亡くなる」って、とてもいい印象を持つのだが。

「自宅でもやるべき医療をしてくれる医師ばかりなら、それが一番いいんですよ、もちろん。でも、中には治るはずの肺炎も治してくれないことを『尊厳死』と思い込んでいる医者も出てくるということです。風邪をひいて熱が出ても、現行の介護保険施設の中には抗生物質を使わずに安い薬のみで、悪化させてしまうところがあります。抗生物質は高いですから使えない。介護保険施設での医療は包括医療で介護保険からの給付になりますから、月いくらって上限が決まっているので、その中でやり繰りをしなくちゃ収益が出ないとなると、安い薬しか使えない。自然死というよりも、施設の経済的な都合で医療をコントロールしたり、放置したり。そういうところは見ずに蓋をして、治るものも治さないで死なせて何が自然死なんだと思います」

高齢者だけでなく、重度の障害を持つ人もターゲットにされているという。

「議員の中にも、『死ぬ権利』が障害者の権利の一部じゃないかっていう人もいます。医者の中にも、おせっかいな話なんですけど『患者の権利運動』ということで、治療を受ける時に、『過剰なことはしないでほしい』というリビングウィル(治療を断る事前の意思表示)を一筆書きなさい、と言う人もいる。結局、ALSみたいに長く生きる人や高齢者に対して、『働かざる者食うべからず』という発想で、生活保護の問題と同じ構造で切り捨てようとしている。働かない奴は世話する必要なんかない、税金も分配しませんと。『頑張った人が報われる社会』と安倍総理は言いますが、頑張りたくても頑張れない人はどうするんですかって聞いてみたいですね。どんなに頑張ろうと思っても、生きてるだけで精一杯っていう人がいるんです。精神障害も身体障害も知的障害も、みんな自分のせいじゃなくてそうなってる。そういう人たちを切り捨てて、頑張った努力の成果でうまくいっている人だけが幸せになって、友達がめちゃくちゃ不幸なのに、自分だけいい思いをして、果たしてそれは幸せな社会って言えるでしょうか」

まったくもって、100%同感だ。弱い立場の人が切り捨てられる社会は、いつ自分が見捨てられるかわからない社会だ。常に自分が「こんなに役に立って生産性が高いんです!」と証明し続けなければならない社会なんて生きづらい。だからこそ、今の社会は生きづらい。人間は誰しも病み、老いる。そんな当たり前のことが「医療費が膨大」などといった論調に押しつぶされてしまうことが、そもそも人間的じゃない。

しかし、1月、そんな殺伐としたこの国を象徴するような言葉がある人の口から放たれた。発言者は、私の中でのナンバーワン「Vシネのチンピラ顔」、麻生太郎氏。「死にたいと思っても生きられる。政府の金で(高度医療を)やってもらっていると思うと寝覚めが悪い。さっさと死ねるようにしてもらうなど、いろいろ考えないと解決しない」というアレだ。

が、この麻生発言には、一定程度の賛同意見も寄せられた。

「やっぱり一般の人にとっては、自己決定って最上級にいいことだから騙されちゃうんです。でも、はっきり言って高齢者や障害者に自己決定権なんて法律を作っても、保障されることはまずないです。誰しも、自分は最上級の医療や介護を受けたいと思っているはずです。だけど、それにはお金がかかるとか、家族に迷惑がかかるとなると言われると、遠慮してしまう。自分みたいな病人、老人は早く逝った方が家族を守れるなどと思わされてしまう。こういう善意の人々の良心につけ込むようなことを安倍政権は「みんなのためだ」ということで強調していきそうで怖いです。これって『お国のために』ですよね。自分が働けなくてお国のために尽くせない、お国や家族に迷惑をかけないために死にます、みたいな。それが名誉なことだと思い込まされてしまう」

話を聞いていて、つくづく思った。尊厳死を巡る問題には、この国の大矛盾が凝縮されている。「残酷な終末医療」のイメージ、お金の問題、家族が「犠牲」になるという構造。自分さえいなければ。多くの人が、知らず知らずにそう思い込まされている。その背景にあるのは「高齢者(場合によっては障害者)の医療費がこんなにも膨大」といったような言葉が日常のあらゆるところに溢れている現実だろう。これが「長生きの人がたくさんいてよかった」「障害者の人も自分らしく生きられる社会は素晴らしい」的な論調であれば、そんなふうに思う人は大分減るだろう。世界一の長寿とかだと「目出たい」感じで報道されるのに、高齢者全体が語られる時、「お荷物」感を全開にしても誰からも咎められないようなこの空気は、一体いつから形成されたのだろう?

そんな尊厳死問題だが、法制化されると、「教育」にも絡んでくる。また、それはゆくゆくは臓器提供など、あらゆる分野にも影響を与える。

次週では、「法制化によって予想されること」を川口さんに語って頂こう。

 

  

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第255回 尊厳死法制化の動きと、その裏にあるもの。の巻(その2)」 に1件のコメント

  1. magazine9 より:

    「余分な治療をせず、自宅で亡くなる」。
    それだけを聞けば、「いいこと」のようにも思えるけれど、実態は決してそんな単純なものではないようです。
    少なくとも、生活保護の切り下げをはじめ、「弱者切り捨て」の方向性が顕著な今の状況下で、
    「死ぬ権利」が強調されることには、どうしても不安を拭い去れません。

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雨宮処凛

あまみや・かりん: 1975年北海道生まれ。作家・活動家。2000年に自伝的エッセイ『生き地獄天国』(太田出版)でデビュー。若者の「生きづらさ」などについての著作を発表する一方、イラクや北朝鮮への渡航を重ねる。現在は新自由主義のもと、不安定さを強いられる人々「プレカリアート」問題に取り組み、取材、執筆、運動中。『反撃カルチャープレカリアートの豊かな世界』(角川文芸出版)、『雨宮処凛の「生存革命」日記』(集英社)、『プレカリアートの憂鬱』(講談社)など、著書多数。2007年に『生きさせろ! 難民化する若者たち』(太田出版)でJCJ賞(日本ジャーナリスト会議賞)を受賞。「反貧困ネットワーク」副代表、「週刊金曜日」編集委員、、フリーター全般労働組合組合員、「こわれ者の祭典」名誉会長、09年末より厚生労働省ナショナルミニマム研究会委員。オフィシャルブログ「雨宮日記」

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