伊藤塾・明日の法律家講座レポート

2013年7月20日@渋谷校

「けんぽう手習い塾」でおなじみの伊藤真さんが主宰する、資格試験学校の伊藤塾では、
法律家・行政官を目指す塾生向けの公開講演会を定期的に実施しています。
弁護士、裁判官、ジャーナリスト、NGO活動家など
さまざまな分野で活躍中の人を講師に招いて行われている
「明日の法律家講座」を、随時レポートしていきます。
なおこの講演会は、一般にも無料で公開されています。

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講演者:神山昌子氏
(弁護士、「桜丘法律事務所」所属)

講師プロフィール:
1944年、栃木県生まれ。国際基督教大学卒業後、商社に勤務し、結婚退職。出産後に離婚して、波乱の人生が始まる。34歳のときパートの待ち時間に読んだ法律の入門書がきっかけで、弁護士になろうと思い立つ。37歳から連続22回、試験を受け続けたが、合格しなかった。それでも諦めずに挑んだ23回目のチャレンジで、ついに司法試験合格。61歳で弁護士になる。その後、「法テラス」という新しい司法制度の一期生として旭川に赴任。現在は「桜丘法律事務所」に所属。

 「人生何が起こるか分からないから面白い。でも、奇跡は毎日必死で努力していなければ決して起きません」
22年の間、司法試験に落ち続け、23年目に合格。61歳で弁護士となった神山先生はそう語ります。「自分は永久に受からないのではないか」と不安に思いながらも挑戦を続けた先生は、どのように自分に対する自信を維持したり、落ち込んだときにリカバリーをしていったのでしょうか。子育てや介護をしながら続けた受験勉強の苦労や、弁護士になってからの北海道旭川での経験を踏まえて、これからの時代の弁護士について語っていただきました。

◆なぜ法律家をめざしたのか?

私は61歳で弁護士になったのですが、受験を始めたのも遅くて、30代後半でした。よく「なぜ司法試験だったのですか」と聞かれます。大学は法学部ではありませんし、卒業後は商社で勤務、結婚して退職しました。でも主婦よりも、もっと自分にあった人生があるのではないかと思い、離婚しました。当時は子どもが生まれたばかりだったので、周囲からはとんでもないと言われましたが、自分としては我慢できなかったのです。その代わり、子どものために何でもしようと決心しました。
いざ就活を始めると、バツイチで子持ちという立場では仕事が見つかりません。パートやアルバイトを繰り返すしかありませんでしたが、それもなかなか見つからないようなこともありました。そんなとき、たまたま『法律入門』という本に出会ったのです。その本の内容が、乾いていた心に水が染み込むように入っていきました。
そのとき離婚と父の死という2つの出来事を通して、法律って何だろうという疑問がずっと心にあったからです。離婚をしようと思っても条件を満たさないと認められないとか、父が亡くなって相続で借金を負ったのですが、なぜ本人ではない人の借金を負わされるのかとか、不思議に思っていたからです。
本を読んで、自分がまったく知らなかった考え方に触れて、世の中はこういう仕組みで成り立っていたのだということがよく理解できました。そして、仕事探しがうまくいかずに悩んでいるとき、『司法試験必携』という本を読み、法律家の資格には年齢制限もないし、男女差別もないことを知りました。司法試験にさえ受かったら、裁判官にもなれるのかと軽く考えて、ちょっと頑張れば受かるくらいに思って勉強をはじめたのです。

◆10年間落ち続けて

勉強をはじめてすぐに、択一試験にまぐれで受かってしまいます。それで司法試験にも1、2年で受かるだろうと誤解してしまったんです。ところがそれからは、受けても受けてもダメという日々が10年ほど続きます。その間は居酒屋やポスティングのアルバイト、生命保険の仕事とか、いろいろとやりました。10年目はさすがに楽天的な私も、徹底的にやって最後のつもりで挑みました。でもやはり法務省の掲示板に私の番号はありません。これまので苦労が全部無駄になるのかと思い、家に帰って1人で泣きました。
そこへ、当時中学生の息子が「お母さんの夢なんでしょう。諦めずに続けたら」と言ってくれました。今まで勉強のために迷惑かけてきたのに。その言葉に励まされてその後も頑張ることができました。
10年目以降は勉強方法を変えました。どうぜ私は他の受験生より短い時間しか勉強できません。私のライバルは、東大生といったこれまで厳しい受験戦争をくぐりぬけてきた、いわば「受験のプロ」のような人たちです。普通にやったら勝てるわけがありません。それで、現役東大生がやっている学習方法を参考にしたいと、ある勉強会に参加しました。それは、覚える範囲を最初に決める、というものでした。例えば書類箱ぐらいの大きさの箱を持ってきて、その中に入るだけの暗記カードに書かれたことだけを覚えきる、ところから始めるという方法です。私よりずっと若い東大生でも覚えられる範囲が限られているなら、私はもっと多くのことを覚えられるわけがありません。それで覚えなくていいことをできるだけ省く勉強法に変えたのです。その方法が自分に合っていて、択一にも受かるようになりましたし、最終合格にもつながっていきました。

◆母の死と、23年目の合格

家族はいい迷惑だったと思います。家事も最小限しかやらないのに、毎年試験には落ちる。落ちて帰るとみんなひっそりと気遣ってくれました。他の家の人からはずいぶんひどい親だと思われていたはずです。近所の人も、最初のうちは応援するよと言ってくれますが、だんだんまだやってるの? と言われるようになりました。それでもなぜ続けたのかとよく聞かれます。一つは続けられる環境があったからとも言えるでしょう。家族も協力的で、子どももある程度のことをしていたら、あまり文句は言いませんでした。やめろという人がいなかったのは助かりましたね。それから大事なのは自分のモチベーションです。落ち続けて、ここでやめたら敗残者です。だからやめられるかと思っていました。
子どもが成長するのと反対に、今度は母が介護を必要とするようになりました。後から考えると、それも勉強を続けた理由になったと思います。満足に勉強できていたら、自分の能力の問題だと思って早く諦めていたかもしれませんが、いつも働いていたり子育てや介護をしながらなので、時間が足りませんでした。だから諦め切れなかったのかもしれません。
試験に22回落ちて、翌年に母が亡くなります。それが23回目の論文試験の10日前だったんです。もちろん葬式の準備などで慌ただしいし、こんなときに試験どころではないと思いました。さすがに神様がここで諦めろということだと思ったんです。ところが息子に電話すると、今まで母の介護を担ってきたのだから、私の兄に全部やってもらって試験を受けたらいいと言ってくれました。兄も息子も本当に協力してくれて、慌ただしい中で試験を受けることができました。母には申し訳ないのですが、おかげでその年に受かるんです。そういうことがあったので、集中力が格段に増していた気がします。
自分の合格発表がされても、22回落ちているので、番号がないのがあたり前になっていてなかなか信じられないのです。何度も番号を確認して涙がこぼれました。
その日から、私の人生が変わりました。何が幸いするかわからないとはこのことで、何年も落ちたというのが恥ずかしくて、最初のうちは隠していました。でも新聞の「人」欄に大きく、私の年齢と23回目に合格した、というインタビュー記事が出てから逆に注目されるようになったんです。

◆マイナス27度の北海道で弁護士活動

合格したあと、20代の若者たちとともに研修を受けました。年齢がいってから受かった人は、肩身が狭いと言うのですが、私はみんな一緒の試験に受かったんだから対等だと思っていました。でも同時に、この年齢でやらせてもらっているのは非常にラッキーだとも思っていました。
問題は就活です。この年齢で取ってくれる所はないと思っていたので、人がいないと言われていた過疎地に行こうと考えました。この年で合格させてもらったのは人様の役に立てということかなとも思っていたので、当時できたばかりの法テラスに応募しました。
始まったころ、法テラスはきちんとした説明がなく応募者が少ない状態でした。それで北海道の旭川に行くことになったのですが、予備知識もなく行ったので結構大変な思いをしました。まず旭川の管轄がものすごく広いんです。四国と東京をあわせた広さに、当時は弁護士が28人です。今は60人を越えていますが、その人数で刑事事件も含めて全部担当します。私が行く前には稚内に事務所はなかったのですが、そこに行ってほしいという要望があり通いました。稚内支部と旭川は片道250キロ、車で4時間ちょっとの距離を頻繁に往復しました。
旭川の冬はマイナス27度になります。何もかも凍ってしまう世界です。車のドアも凍って入れないとか、車の中のペットボトルも凍ります。そんな中で、刑事事件もたくさん担当しました。
最初に受けた殺人事件では、加害者の方が死刑になりたいから弁護しなくていいと言って、なかなか取り合ってくれませんでした。でも、時間をかけて話しました。また、親戚の方が熱心に署名集めをして、こんなに署名が集まっているということを話したらぼろぼろ泣いて、死刑を求めないということを言ってくれました。裁判でもかなりの減刑をしてもらいました。
司法試験とは別の意味の苦労はたくさんありましたが、たいへんやりがいのある仕事をさせてもらっていることを感謝しています。苦労はした方が、絶対にあとになってから役に立ちます。後で同じような困難に直面したときに、あのとき大丈夫だったのだから、今回はできると思うことが何度もありました。

◆これまでの弁護士とこれからの弁護士

今はこれだけ弁護士の数が増えたのですが、仕事はそんなに増えていないためあぶれる弁護士が増えてきています。それは今までの弁護士のあり方にも問題があるのだと思っています。これまでは、あまりにも人数が少なく高額な費用でやりたい仕事だけをしてきたので行き詰まっているのではないでしょうか。弁護士以外の人からのイメージがすごく悪いのも事実です。
これからは、困っている人の弁護をなんとか引き受けてやりたいと思う弁護士でないと仕事がないでしょう。もちろん安くてすごく大変な仕事もあります。私も1回で終わると思って引き受けたら2年もかかって費用を回収できなかったこともありました。でもそこを見極めるのも弁護士の力量だと思います。
今は時代の流れもあって、医者と同様に弁護士にも説明義務があります。きちんとわかりやすく、法律用語のわからない一般の人に向けてどのように丁寧に接するのかというのが本当に大事になってきます。そういうときは、昔の学んでいた時代の自分を思い出そうよと思います。その人の立場に立って説明してあげると、すごくよくわかってくれて、信頼関係が生まれるようになるのです。
これからの弁護士の仕事は、クリエイティブにやっていけば道が開けると思っています。最近では、これまで大変だと思われていてあまりやりたがる人がいなかった外国人専門の事務所とか、社会福祉専門の事務所ができてきています。こういう動きは面白いですね。大変だと思われていた分野に挑戦することで、経験が蓄積されます。そして続けていれば自然と新しい苦労は少なくなってくるのですから。
私自身が目指しているのは、人生経験が長い分、依頼者の心に添った弁護士になることです。もちろんある程度のお金も必要ですが、誰かの役に立ちたいというモチベーションの方が強いですね。弁護士はやりがいのある楽しい仕事です。弁護士を必要としている人はたくさんいます。試験は大変ですが、みなさんも是非、諦めないで目指していってほしいと思います。

 

  

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