この人に聞きたい

原発は、カネで地域を破壊してきた

編集部 都市部ではたしかに、「原発反対」の運動はこれまでそれほど大きくなってこなかった。一方で、鎌田さんがかねてから取材を重ねてこられた各地の原発立地地域でも、それぞれ建設反対などの運動はあったわけですよね。

鎌田 もちろんです。例えば、新潟県の柏崎刈羽原発や愛媛県の伊方原発などでも、原発ができるときにはしょっちゅうデモなどの反対運動があった。特に、たいていの原発は山を越えていかなきゃいけないような不便な過疎地にあるんだけど、柏崎刈羽はまだ海岸沿いの便利な場所だったので、刈羽村の若者たちが普通に会社に通勤しながら反対運動に参加したりできた。そういう地の利もあったので、反対運動はとても盛んでした。
 でも、そうした日本各地の反原発運動は、各個撃破で一つずつ叩き潰されていってしまうんです。それぞれに長い戦いはあったけれど、結果的にはほとんどすべてが潰されてしまった。

編集部 それはどうしてだったんでしょうか?

鎌田 原発反対の闘いが起こるより前、1960年代後半〜70年代にかけて広がった「公害反対闘争」と比べるとわかりやすいと思います。これは、大気汚染につながる火力発電所の建設に反対する運動だったんですが、それによってけっこういくつも建設計画が潰れたんですよ。

編集部 原発のときは潰れなかったのに。なぜでしょう。

鎌田 一つは、火力発電から出る煙は放射能と違って目に見えるし、トタン屋根が亜硫酸ガスにさらされてぼろぼろになっちゃうとか、目で見てわかりやすい形の被害があったこと。四日市ぜんそくの問題が起こったりもして、反対闘争にもみんな参加しやすかったということはあるでしょう。
 ただ、原発の反対運動が発展しなかった最大の理由は、やっぱりカネ。公害反対闘争から「反対運動は潰さなきゃだめだ」という教訓を得た自民党が、「電源三法」という三つの法律をつくって、原発立地地域に湯水のごとくカネを配る仕組みをつくったんです。それが電源三法交付金。田中角栄首相のときです。最近だと、130万KWくらいの大きい原発を引き受ければ、建設が完了するまで7年間で480億円、稼働後は固定資産税も含めて、10年間で500億円とか。そういう莫大なカネが投入されるので、地域が薬漬けみたいになっちゃうんですね。
 あと、「見学会」という名目で、地域の人たちを他の原発立地の近くに旅行に連れて行くというのもあった。2泊3日くらいで旅館に泊めて、ちょっと原発を見学させて、飲ませて帰すと。夏休みに子どもも一緒にどこかに連れて行くとかね。原発立地はさっきも言ったように過疎地が多くて、新幹線や飛行機で旅行に行くのもなかなか大変という地域が多かったから。

編集部 そこに付け込むわけですね。

鎌田 そう。賛成派に回った人は、「今度は九州に行きたい」とか、自分から要求するようになったりね。それくらいのカネ、電力会社にしたらぜんぜん大した額じゃないから、いくらでも払うわけです。
 だから、僕はいつもそこに対して怒っているんだけど、何もかもカネなんですよね。町や村の議会も、土建屋、今でいうゼネコンをやってる議員が多くて、原発を受け入れることでそこにカネがどんどん流れていくとか。そういうふうに「カネですべてを動かす」ことがまかり通っている、それがどうしても嫌だと思ったのが、僕の原発反対の原点なんですよね。
 ただ、これまで全国を取材してそういうことを書いてはきたけど、それだけだったなという思いもある。原発が危ない、事故が起きたら大変なことになるというのはわかっていたけど、じゃあどうしたかといえば「危ない」と書くだけ、言うだけ。それじゃやっぱりだめなんじゃないかと思ったのが、今回こういう運動をはじめた理由なんです。

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