雨宮処凛がゆく!

 2014年が始まった。

 あと2ヶ月くらいで、私たちは「東日本大震災から3年」という月日を迎えるわけだ。

 3年。それは大きな区切りである。

 3・11は、まるで昨日のことのようにも思えるし、逆に「10年前だよ」と言われても納得してしまうような「時間軸の歪み」を孕んでいる。あの日のことは強烈に覚えているのに、あの日から今日までの記憶はところどころ、途切れている。しかし、その間にあったデモなどの記憶は妙に鮮明で、今になってデモの日程などを思い起こすと、短期間にどれほどたくさんのデモ会議が開催されていたのかと驚愕する。みんな、仕事とかどうやってやりくりしていたのだろう。私自身も。だけどやっぱり、その辺りの記憶はすっぽり抜け落ちている。

 2011年3月11日、あの震災が起きる直前のこの国のトップニュースを覚えている人はいるだろうか? 

 あの頃、この国のメディアを騒がせていたのは「大相撲の八百長問題」だった。どこかの大学の入試で、「カンニング」があったことも大きな話題となっていた。また、2011年のはじめには、養護施設に「タイガーマスク」を名乗る人物から多額の寄付がなされたことも「美談」としてメディアを賑わせていた。

 あの頃の私たちは、「シーベルト」や「ベクレル」という単位なんて、知らなかった。「ストロンチウム」や「トリチウム」が一体なんなのかわかる人はごく一部の人だけだったし、東京の電力のために、福島に原発があること自体、私自身、知らなかった。原発は何か「禍々しいもの」という意識はあったけれど、たまーに写真などで観る原発周辺の景色は、私の故郷の北海道の田舎とよく似たのどかさで、だからこそ、見たくないものだった。

 3・11前、原発の写真を見るたびに、私は小学校の写生教室で描いた一枚の絵を思い出した。自然豊かな北海道で、学校の写生の時間に私たちが連れて行かれたのは、丘の上に建つコンクリート工場だった。緑の山々と広大な青空をバックに聳え立つ、無機質な鉛色のコンクリート工場がよく見える場所で、小学生の私たちは工場の絵を描かされた。大きく伸びたパイプには、「○○コンクリート」という社名が入っていて、子ども心に、「何か、とっても間違っている」と思った。なぜ、これほどに緑溢れる場所で、工場の絵を描かなくてはいけないのか。今思うと、「小学生に工場の絵を描かせる」センスは、どこか原発と共通しているように思う。3・11以降、原発がある地域で「原子力ラーメン」や「原子力饅頭」というネーミングの品々が名物となっていたことを知った時、妙に納得したものだ。

 私の子ども時代は高度経済成長で、そんな時代は、多くのものをブチ壊したあとに、珍妙なセンスのもの(主に土産物)が溢れた時代でもあった。多くがオッサンのセンスで、だからこそ、その後の私は「センス」で「危険か」「そうでないか」を判断することとなる。そして「原発っぽいもの」は、私にとってはもっとも近づいてはいけないものとなっていた。

 原発の写真を見るたびに、もうひとつ、思い出したものがある。それは私の実家近くの、「ダム建設のためにみんなが立ち退いたのに工事が止まったままの広大な更地」だ。巨大な、廃墟とも言えない中途半端な更地。その光景は、昭和の時代から既に「昭和の遺物」的なうら寂しさを存分に発散していた。

 そんな田舎で育った私は高校を卒業と同時に上京し、いろいろあって物書きとなり、06年、31歳でプレカリアート運動・反貧困運動に出会う。このことをきっかけに、反原発運動をしている人と出会う機会も増えた。

 だけど私は、原発には一切、触れなかった。それはたぶん、「私が嫌で嫌で仕方なかった田舎的なもの」が、原発に凝縮されている気がしたからだ。田舎のしがらみや、貧しさ、寒さ、仕事のなさ、選択肢の狭さ。対してプレカリアート運動には、貧乏だけど「突き抜けた」有象無象が暴れ回るイメージがある。貧困当事者には地方出身者が圧倒的に多いものの、運動や現象としては何か「都会」の香りがする。が、「原発」には、「田舎の親戚の嫌なオッサン」が大量に登場しそうな、そんな嫌らしさを感じてはじめから尻込みしていたのだ。

 2011年3月、そんな原発が爆発した。

 大量の放射性物質が空に海にまき散らされたわけだが、私にとっては「昭和のオッサン」も大量に野に放たれたイメージだった。

 利権やしがらみ、お金、そして「女・子どもは黙っとけ」というように進められる非民主的な手続き、絶対に公開されない情報。

 原発が爆発して、それらの「原発的なるもの」が、白日のもとに晒された。それを見た時、心の底からゾッとした。「戦後の自民党政治」の最悪形が、そこには凝縮されていたからだ。

 あれから、もう少しで3年。

 あれほどのことがあったのに、この国は未だに自民党が政権を握っているという事実に、時に絶望したくなる。 

 だけど、今、この原稿を書いて、改めて、思った。

 実は「センス」って、ものすごく重要なのかもしれない、と。

 それは時に、危険かそうでないかを見極める。

 たとえば私は、なぜかわからないけれど、片山さつき氏の髪型を見ると、「危険アラーム」がものすごい勢いで鳴り出す。櫻井よしこ氏の、「前から暴風雨が吹いているような髪型」にも「危ない!」とつい身構える。何かセンスが「原発っぽい人」は、国会議員に非常に多い気がする。

 ということで、今年は「センス」を問う1年になりそうである。

*********

1月31日、ネイキッドロフトにて、イベントに出演します。
ご一緒するのは、私が大尊敬する「アクティビスト僧侶」・中下大樹さん、そして福島から原発事故で東京に避難されているシンガー・YUKARIさん!
YUKARIさんが3・11以降を歌った「MY LIFE」はとてつもない名曲で、私の大好きで大リスペクトなシンガーです! 3・11からのいろんなお話もしたいと思っていますので、ぜひ!! →詳しくはこちら

 

  

※コメントは承認制です。
第283回 原発っぽいセンス問題。の巻」 に5件のコメント

  1. magazine9 より:

    福島の事故を経てもなお、「経済には原発が必要」と言い、再稼働や原発輸出を進めようとする現政権。3・11以前と何も変わらずやっていけると思い込んでいる(あるいは、そう信じたがっている)その感覚こそが、雨宮さんのいう「原発っぽいセンス」ということなのかも、と思います。
    そんな話も聞けるかも? な1月31日マガ9学校、まだまだ参加者募集中です!

  2. 虹ん より:

    >片山さつき氏の髪型を見ると、「危険アラーム」がものすごい勢いで鳴り出す。…
    座布団一枚!(笑) あけましておめでとうございます、今年も年始から厳しいニュースが耳に入りがちですが、負けずに明るく乗り切れますように。
    今年はぜひ関西にお越しの際に、実際にお会いしてお話をうかがってみたいです。

  3. 多賀恭一 より:

    都知事選で原発が最大の論点になっているが、
    原発と核兵器が敵対することを大衆が分かっていないことは問題だ。

    核兵器に必要なのはウランかプルトニウムである。
    この2つの元素を原発で全て電気に変えてしまい、
    地上からウランとプルトニウムを絶滅させてしまえば、
    新規の核兵器製造は出来なくなる。
    さらに財政難に落ちた核保有国から2つの元素を買い取るなら、
    核兵器の廃絶は時間の問題である。
    現在のペースでウランが消費された場合、
    100年で枯渇すると言われている。
    100年も待つことはない。
    20年で全て消費してしまえ。

    ヒロシマ・ナガサキの復讐は、
    核兵器の滅亡でのみ完成する。

  4. 花田花美 より:

    私たちは、原発問題については3.11前に比べて格段に意識が高くなってきたと思う。
    「原発は2重3重の防御があるから地震がきても安全です。」と言われても、3.11前だったら、スルーしていたかもしれないけれど、今は、そんな無責任なことは大きい声で言えない。
    御用学者・論者でさえ、原発推進と言い切ることが難しくなってきた。
    しかし、日米安保条約については、まだ意識が低いと思う。
    「日本はアメリカに基地とお金を提供しなければやっていけない。」と思い込んでいる人が多い。
    それが本当なのか?疑っていかなければならない。
    日米安保条約については、沖縄の人々の意見が参考になる。
    おそらく、いつも基地の近くで危険に接しているから、意識が高くならざるおえなかった。
    だから、政府の御用系大手メディアの報道ではなく、沖縄のふつうの人々の意見をきくことが、
    真実に近づく方法だと思う。
    1/19の沖縄県名護市長選に注目している。

  5. marimo より:

    激しく同感です。
    私も地方出身ですが、ありました、工事が止まったままの道路にゴミが散乱した寒々しい光景が・・・。経済成長のためなら問答無用!というような光景をたくさん見せられてきたように思います。

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雨宮処凛

あまみや・かりん: 1975年北海道生まれ。作家・活動家。2000年に自伝的エッセイ『生き地獄天国』(太田出版)でデビュー。若者の「生きづらさ」などについての著作を発表する一方、イラクや北朝鮮への渡航を重ねる。現在は新自由主義のもと、不安定さを強いられる人々「プレカリアート」問題に取り組み、取材、執筆、運動中。『反撃カルチャープレカリアートの豊かな世界』(角川文芸出版)、『雨宮処凛の「生存革命」日記』(集英社)、『プレカリアートの憂鬱』(講談社)など、著書多数。2007年に『生きさせろ! 難民化する若者たち』(太田出版)でJCJ賞(日本ジャーナリスト会議賞)を受賞。「反貧困ネットワーク」副代表、「週刊金曜日」編集委員、、フリーター全般労働組合組合員、「こわれ者の祭典」名誉会長、09年末より厚生労働省ナショナルミニマム研究会委員。オフィシャルブログ「雨宮日記」

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