雨宮処凛がゆく!

 東日本震災からあと少しで3年を迎えるという今、この国が根底からかたちを変えようとしている。

 言わずと知れた「集団的自衛権」の問題だ。

 安倍首相は、集団的自衛権の行使容認に向けた憲法解釈の変更について、閣議決定すると息巻いている。

 こんなふうに書いても、漢字ばかりが難しい。

 ということで、「一体、今起きてることってなに?」という疑問に答えてくれそうな院内集会に行ってきた。2月28日、参議院議員会館で開催された、「集団的自衛権を考える超党派の議員と市民の勉強会(第2回)」だ。

 時間より少し前に着くと、広い講堂は既に満席。この問題への関心の高さをうかがわせた。参加者の中には、国会議員も約20人。そこで基調講演をしたのは、2004年から2009年まで内閣官房副長官補をつとめた「元防衛官僚」の柳澤協二さんだ。

 特定秘密保護法、日本版NSC、そして集団的自衛権の行使容認。これを「安全保障版・三本の矢」と表現した柳澤氏は、「安倍さん、一体何がしたいの?」とよく聞かれるという。が、いくら背景を分析しても、政策目的がはっきりしない。そこで気づいたのが、要するに「やりたいから!」という安倍氏の独りよがりな使命感だったというから、のっけから大いなる脱力感に襲われたのであった・・・。

 が、柳澤氏の話はとてもわかりやすく、現場にいた人でなければわからない臨場感に溢れていた。しかし、非常に専門的な話なので、それを要約するような能力は私にはない(防衛問題とかって、ちょっとしたニュアンスが違ってもすごく間違いになる気がするので)。ということで興味のある人は、柳澤氏の『改憲と国防』『検証・官邸のイラク戦争』などを読んで頂ければと思うのだが、この日の院内集会でリレートークに参加した国際NGOの人の話も、非常に頷かされるものだった。

 アフガンやスーダンなどさまざまな紛争地帯で活動してきたという男性は、自分たちが現地の武装勢力に襲われずに活動できたのは、自分たちの行動が非軍事・中立であったこと、そして自衛隊が派遣されていなかったこと、という内容のことを語った。これで自衛隊が派遣され、しかも武力行使をするとなると、話はまったく違うものになる。

 他にもこの日は国会議員から柳澤氏に次々と質問が飛んだりと、何やら非常にホットな院内集会だったのだった。

 さて、そんな院内集会の少し前、またしても「集団的自衛権」絡みで、ある集まりに参加した。

 それは「戦争をさせない1000人委員会」の打ち合わせ。

 現在、集団的自衛権の行使容認に反対して、「戦争をさせない1000人委員会」の立ち上げを準備中。3月4日には参議院議員会館で15時から発足集会と記者会見をし、20日夜には日比谷野音でキックオフ集会を準備しているのだが、私はこの1000人委員会の発起人の一人。他の発起人はというと、大江健三郎氏や倉本聰氏、瀬戸内寂聴氏などそうそうたる顔ぶれの名前が並んでいる。

 それでは、この1000人委員会、どんなことを訴えているのか、アピール文を引用しよう。

 いま、日本はいままでとまったくちがった国に姿をかえようとしています。わたしたちが願い、誓ってきた、人間と人間が殺し合う戦争はもう絶対にしない、国際的な紛争は粘り強く話し合いで解決する、という人類普遍の理想を、安倍政権は、なんの痛みも感じることなく捨て去ろうとしています。

 東洋の海に浮かぶ島国は、かつて無謀な政府のもとで背伸びをして隣国を侵略し、さらに世界を相手にして戦い、他国で2000万人以上、自国で310万人とも言われる尊い人命を奪い、深く人間の尊厳を傷つけました。

 わたしたちの軍隊が行った侵略戦争は、沖縄戦をはじめ東京、大阪など各都市への空爆とヒロシマ、ナガサキへの原爆投下をもたらし、その傷跡は戦後69年たってなお、いまだ癒えていません。

 焼け跡の中から生まれた「日本国憲法」は、このような過ちを二度と繰り返さない、という心からの誓いによる平和主義を基調としています。この69年間、日本は一度も戦火を交えることなく、武器によって殺しも殺されもせず、世界に平和を訴え続けてこられたのも、この平和憲法が世界で支持されてきたからでした。

 ところが、いま、政府は愚かにも、人類の英知というべき平和憲法を廃棄し、「国防軍」を創設することを公然と語りはじめました。そして、「戦争のできる国」をめざして、これまで憲法違反としてきた「集団的自衛権」行使の合憲化をはかろうとしています。そのため内閣法制局の長官を交代させ、さらに、アメリカに倣った「国家安全保障会議」(日本版NSC)を創設し、ろくに国会で審議をしないまま、 秘密国家とすべく重罰を科す「特定秘密保護法」制定を強行しました。また、沖縄の犠牲を解消することなく名護市辺野古への新基地建設も強行しようとしています。

 そして、消費税増税を尻目に防衛予算を増強し、本格的な戦争準備のために、南西地域の防衛体制の強化と水陸機動団の創設、航続距離の長いオスプレイや空中給油機、水陸両用戦車、無人偵察機などの導入を図っています。そればかりか、「武器輸出」を拡大させようとしています。

 このように、戦争のための準備がすすめられています。昨年暮の安倍首相の抜き打ち的な靖国参拝は、政教分離の違反であるばかりでなく、自衛隊員の「戦死」を想定したものとも言えます。また、原発政策の基となる原子力基本法にも、宇宙開発政策の方針を定める宇宙基本法にも、「安全保障に資する」という文言が盛り込まれました。

 ハードとソフトの両面からの戦争体制が整備されていることに、わたしたちは深い疑念と懸念を抱き、いまここで、未来も平和であり続けたいと願う人びととともに、あらゆる行動を起こすことを呼びかけます。

 平和のうちに生きたいとする願いは、世界の人びとの共通のものです。わたしたちはそれをさら拡げるために、憲法九条を空文化し、集団的自衛権の行使を認め、戦争準備をすすめる秘密国家をつくろうとする政府への批判活動と行動をつよめます。

 このままいけば、たった19人の閣僚によって、この国のかたちが根底から変わってしまうことになる。

 4月には、オバマ大統領の訪日も決まっている。

 集団的自衛権だとか戦争だとか、そんなものにリアリティがないという人も大勢いるだろう。

 私だって、ものすごいリアリティの中で行動しているかと言えば、そうでもない。

 が、先回りしていろんなことに歯止めをかけておかないと、トンデモないことになりそうな予感がするのだ。

 「戦争をさせない1000人委員会」の動きを、ぜひ、注目していてほしい。

 

  

※コメントは承認制です。
第288回 戦争をさせない1000人委員会。の巻」 に5件のコメント

  1. magazine9 より:

    今週の「この人に聞きたい」でも、元内閣法制局長官の阪田雅裕さんが、「集団的自衛権を認めれば、もはや9条は意味をなさなくなる」と指摘しています。戦後日本の象徴でもあった「平和主義」を失うということは、雨宮さんが言うようにまさに「国のかたち」そのものを変えるということ。それがしかも、たまたま今政権にあるほんの一部の人たちだけによって決められていくというおかしさ…。「1000人委員会」の立ち上げも、多くの人が共有する強い危機感ゆえのことでしょう。「トンデモないこと」になる前に、もっともっと、「おかしい」と声をあげていきましょう。

  2. ピースメーカー より:

    > 「戦争をさせない1000人委員会」の動きを、ぜひ、注目していてほしい。

    「戦争をさせない1000人委員会」の方々は、今戦争が起こる寸前のロシアのウクライナでの軍事行動をどのように考察し、どのような手法で「粘り強く話し合いで解決」させようと考えていらっしゃるのでしょうか?
    http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140305-00000004-mai-int
    まさかそうそうたる顔ぶれの名前が並んでいる1000人ものインテリ集団の中で、ウクライナ情勢という「今、そこにある戦争の危機」について、誰一人として考察していませんなどという訳は無いですよね。
    今回のウクライナ情勢は、展開の推移如何によっては、国連や国際法といった「国際的な紛争は粘り強く話し合いで解決する」為の最重要なツールにも打撃を与える事態といえ、国連や国際法が弱体化すれば、国際的な紛争を力で解決する傾向がより顕著になるのは間違いありません。
    単に、安倍政権を潰すだけが目的ならばウクライナ情勢なんかはどうでもいい話ですが、平和のうちに生きたいとする願いを本気で叶える意思があるのならば、今回の事態に対しても機敏に考察し、人々が納得する平和構築の手法を提示していかなければ、例え1000人が100000000人になったとしても意味のない話になるでしょう。

  3. うちだ たかし より:

    私達は選挙で安倍政権に白紙委任したのでないにもかかわらず、戦争のできる国へと急旋回しつつあることに恐ろしさを感じます。問題の本質を広く国民に届けることが今とても必要になっているのではないかと思います、

  4. 多賀恭一 より:

    安倍内閣の進む道は破滅への道であり、
    1000人委員会の進む方向は、
    真に日本を偉大な国にする道である。
    1000人委員会の成功は疑うべくもない。

  5. くろとり より:

    根本的に勘違いをされている方が多いと思います。
    日本は「戦争が出来る国」にならないといけないのです。
    「戦争が出来る国」になったうえで戦争をする、しないを日本自身が決定するのです。
    「戦争が出来ない国」のままでは他国の戦争に巻き込まれた際、何もできず、悲惨な事になります。
    もし日本が「戦争をしたくない」という意思を持っていたとしても無視され、踏みにじられるだけでしょう。
    自国で戦争が出来ない国のいう事など誰も聞かないですし、聞く必要もないからです。
    日本が戦争から逃げても戦争は日本を逃がしてくれないのですよ。
    「Si Vis Pacem, Para Bellum」なのです。

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雨宮処凛

あまみや・かりん: 1975年北海道生まれ。作家・活動家。2000年に自伝的エッセイ『生き地獄天国』(太田出版)でデビュー。若者の「生きづらさ」などについての著作を発表する一方、イラクや北朝鮮への渡航を重ねる。現在は新自由主義のもと、不安定さを強いられる人々「プレカリアート」問題に取り組み、取材、執筆、運動中。『反撃カルチャープレカリアートの豊かな世界』(角川文芸出版)、『雨宮処凛の「生存革命」日記』(集英社)、『プレカリアートの憂鬱』(講談社)など、著書多数。2007年に『生きさせろ! 難民化する若者たち』(太田出版)でJCJ賞(日本ジャーナリスト会議賞)を受賞。「反貧困ネットワーク」副代表、「週刊金曜日」編集委員、、フリーター全般労働組合組合員、「こわれ者の祭典」名誉会長、09年末より厚生労働省ナショナルミニマム研究会委員。オフィシャルブログ「雨宮日記」

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