雨宮処凛がゆく!

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楽屋で保坂さんと鈴木さんと。

 2月10日、阿佐ヶ谷ロフトAにて、「愛国心」をテーマにトークイベントが行われた。
 出演者は、新右翼団体一水会の鈴木邦男氏、衆議院議員の保坂展人氏、そして私。主催は若者たちで結成する「YOUTH TALK」。それぞれが気になるテーマを持ち寄り、自分のテーマを担当する。今回「愛国心」を担当したUさんは、自らが入信する宗教で愛国心を強制され、そのことがきっかけとなって「愛国心」について考えるようになったという20代のフリーター。そんな彼は「愛国心」自体を否定してはいない。皇室への思いもあるらしく、なんと自主的に皇居に清掃に行ったりもしたという。が、そのことと、「愛国心」を人に押し付けられることはまったくの別物だ。

 1部では「政府の愛国心教育のねらい」、そして2部では「格差、貧困と愛国」についてが語られた。(一応)右翼の鈴木邦男さんがどんな話をするのかと思ったら、あまりにもぶっちゃけていた。愛国心を強制すると、競争になること。「散華」や「玉砕」という美しい言葉に惑わされてはいけないということ。そもそも、一体誰が愛国心を教えるのか。「愛国心教育」も受けていない今の教師に愛国心など教えられるはずがない。
 そうして鈴木さんは皮肉を込めて「愛国者検定」でもしたらどうかという。「1級愛国者」「2級愛国者」「3級愛国者」ってな具合だ。君が代を5000回歌い、日の丸を5000回掲げた自分は「量としては日本一の愛国者だろう」と言う鈴木さんは、「今からわざわざ高校に入り直してわざと卒業式で『君が代』を斉唱しなかったらどうなるのかな」と話して笑いをとっていた。処罰とかされるんだろうか。そしたら鈴木さんは叫ぶという。「お前ら、君が代を5000回も歌った日本一の愛国者を処罰するのか!」と。いいなーこの計画。ぜひ、今から鈴木さんに「高校生」になってもらいたい。ホント、漫画みたいに滑稽な話だ。だけどそういう「滑稽な話」が今、現実となっている。

 保坂さんからは、そんな「現場の滑稽な話」が報告された。校歌と君が代だと、校歌の方が歌う声が大きいと音量の測定までされたり、今度は「顔の表情」なんかで分析、なんて話もあるという。生きづらいなー。本当に生きづらくって、息苦しい。そしてそれが馬鹿馬鹿しいことだと思いながらも、なぜか従わざるを得ない、ということがあまりにも滑稽で、悲しい。
 私は北朝鮮の保育園で、バリバリの「愛国心教育」を見たことがある。3、4歳の子どもたちが集まる保育園で次々と教室を回っていくのだが、どの教室も「愛国心教育」をしていた。大きな朝鮮半島の模型を前にして、子どもたちに保育士が「大元帥様がお生まれになったのはどこですか?」と訪ねる。一斉に小さな手が上がり、次々と子どもたちは答える。誕生日、生まれた場所、家族構成などなど。ストーカーばりの詳しさで、みんな「大元帥様」の細部までの情報を知り尽くしている。歌やお遊戯を見せてもらえば「うちのお父さんが主席から勲章をもらった」とかそんな内容ばかりで、それでも喜々としている子どもたちの姿がなんだかとても痛々しかった。だけどそれは平壌の、超エリートの子どもばかりが通う保育園だ。北朝鮮でもっとも「恵まれている」子どもたちの姿でもある。

 私も自分自身の「右翼団体に所属」という経験から、愛国心について話した。あの時、私は何が欲しかったのだろうと考えながら。バブル崩壊後の96年に右翼団体と出会い、翌年に入会。当時フリーターだった私は、「教育に嘘をつかれた」という思いが強烈にあった。それまでは「努力すれば報われる」時代だった。いい学校、いい大学、いい会社という神話が力を持ち、言うことを聞いていれば、報われるはずだった。
 
しかし、自分が社会に出た途端にそれは「大嘘」となった。この「教育課程で教えられてきたことが嘘となった」経験は、のちに私の心に「学校では教えてくれない靖国史観」が浸透する下地を作ったと言えるだろう。
 
終身雇用も崩壊したと叫ばれた大リストラ前夜、バブル崩壊後の焼け野原の中、今までのやり方では生きていけなくなったことを身を持って知った。本気で政治や社会について考えないといけないと思った。そうして、「経済の停滞」なんかでひっくり返ってしまう程度の価値観や常識などいらないと思った。確固とした何か、絶対的に信じられるものが欲しかった。
 
当時は「ノーパンしゃぶしゃぶ」なんて言葉がメディアを騒がせていた。口にした途端に脳が腐ってしまいそうな、そんな言葉に代表される、腐敗して堕落しきった(ように見えた)この国が嫌だった。それなのに、何を思おうと、何をしようと何も変えられない時給900円の無力なフリーターでしかない自分が耐えられなかった。
 
同時に、私は今は更に激化した「国際競争の最底辺」で戦わされてもいた。スナックでバイトしていた時、それは起こった。「時給の安い韓国人」を雇うかどうかで店が迷っていたのだ。経営は苦しかった。店のママは、「日本人は時給が高いから」と溜息をついた(ちなみに時給は決して高くはない)。「時給が安くて働き者の韓国人」というのは、その時の私にとって猛烈な脅威だった。すぐに取り替え可能で、どう考えてもそっちの方が経営側にとっては「得」に思えたからだ。結局、韓国の人は採用されなかったが、当時も今も、多くの不安定雇用者は外国人労働者と同じ職場で働いている。飲食店で、肉体労働の現場で。時には露骨に数円単位の「最低賃金競争」をさせられながら。

 私の周りの「右傾化」していると言われるような若者たちは、やはり「俺たちの仕事を奪う中国人・韓国人」という言い方をする。それは観念ではなく、日常レベルで起こっている。そして日雇い派遣などの現場では、外国人労働者が日本人の若者を指揮命令する立場にあることもある。
 グローバリゼーションの波の中、多くの企業は国外に安い労働力を求め、そして国内にも一生貧困から這い上がれないような安く使える労働市場を作り出した。そのことと、「愛国心」的なものとの関係は、絶対に切っても切れないと思うのだ。少なくとも私は当時、「日本人の誇り」が喉から手が出るほど欲しかった。それしかなかった。
 っていうか、そんな形で日本の多くの若者を見捨てながら「愛国心」なんて言ってる人たちって、一番の「売国奴」だと思うんだけど。この辺、どう説明してくれるんだろう。

 

  

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雨宮処凛

あまみや・かりん: 1975年北海道生まれ。作家・活動家。2000年に自伝的エッセイ『生き地獄天国』(太田出版)でデビュー。若者の「生きづらさ」などについての著作を発表する一方、イラクや北朝鮮への渡航を重ねる。現在は新自由主義のもと、不安定さを強いられる人々「プレカリアート」問題に取り組み、取材、執筆、運動中。『反撃カルチャープレカリアートの豊かな世界』(角川文芸出版)、『雨宮処凛の「生存革命」日記』(集英社)、『プレカリアートの憂鬱』(講談社)など、著書多数。2007年に『生きさせろ! 難民化する若者たち』(太田出版)でJCJ賞(日本ジャーナリスト会議賞)を受賞。「反貧困ネットワーク」副代表、「週刊金曜日」編集委員、、フリーター全般労働組合組合員、「こわれ者の祭典」名誉会長、09年末より厚生労働省ナショナルミニマム研究会委員。オフィシャルブログ「雨宮日記」

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